もうすぐ3学期の始業式が始まる。3学期 といっても、すぐに高校入試が始まるから、 3学期っていうよりは入試の期間って感じだ けど。 「はい、並んでー」 クラスのみんなが一度に廊下に出て混雑する 中を、先頭に立つ先生の方に向かって歩く。 先生の3歩くらい手前で止まる。待つ。 ……………あれ? 「奈々ちゃん、今日休みなの?」 「うん、熱が出てるんだって。入試直前なの にね。」 「そっかー。風邪ひかないようにしないとね」 「そだね」 一歩前に出る。今日は私が一番前なんだ。 「はい、体育館へ」 先生に言われて歩き始める。前には誰もいな い。私が歩き始めないと列が進まない。一番 前の、一番目立つところ。  体育館に入る。ステージの直前まで進む。 多分この線辺りで止まればいいのかな。左の クラスを見てみる。うん、多分大丈夫。右側 を見てみる。……列の先頭は私より背が低い 人達だけど、それより5人くらい後ろは、 もう私より高いよね、2年生も、1年生も。 私、中学生になってからは1ミリも伸びてな いんだもの。全然伸びてないから、わざわざ 呼び出されて一人だけ身長を測り直した事も あったっけ。結局同じだったけど。  一番前って、結構騒々しいんだね。私の目 の前を、先生や放送委員の人が右に行ったり 左に行ったり。じっと立ってるのが悪いみた いな気分になる。ようやく準備が終わったみ たいで、少し静かになる。 「ただいまから3学期の始業式を始めます。 最初に校長先生のお話です」 体育館の端にいた校長先生が、私の目の前に くる。そしてステージに上がる階段を登る。 こんなに近くで校長先生見るの初めて。 「はい、みなさんおはようございます」 「おはようございます」 「みなさん、どのようなお正月を過ごされま したでしょうか。遠くに住んでいる家族や親 戚と久し振りに会われたでしょうか。三年生 は受験を控え、勉学に励まれた人も多いでし ょう。そのお正月、冬休みも終わり…」  今日は2つめの受験校の入試の日。神城台 女子学園高校。あの時のユウカちゃんの学校 の高校。別にユウカちゃん目当てに受験する 訳じゃないのよ。英語コースと理数コースが あって、結構偏差値高くて、でも私が合格出 来そう…かな?くらいの高校、の中のひとつ。 いくつかある中でここを選んだのは、ユウカ ちゃんと会った時に名前を覚えてたから、で はあるけど。そうはいっても、ユウカちゃん はもう高校3年のはず、大学受験で、もう この校舎にはいないよね。あの時同じ学年の 振りした私が、今更高校受験だなんて変な話。  受験会場の教室に入って、受験番号を確認 して、席に座る。しばらくすると先生が入っ てきた。制服を着た人が大きな紙束を持って 後から入ってきた。この高校の人かな?でも、 あの時ユウカちゃんは制服じゃなかったよね。 私、ここは制服がないんだと思ってた。高校 には制服があるのかな?校外での見学だから 制服着てなかったのかな?でも制服あるんだ。 あの制服は結構いいかなー。私みたいにチビ でぷにぷに太ってても、割と似合いそう。 他の点も結構いいんだよねー。大学合格実績 とかみると結構すごい。私立だから学費が 高いかな、って事が問題なんだよねー。 「それでは問題用紙を配布します」 先生が一枚一枚確認しながら配っていく。 「それでは、名前と受験番号を記入してくだ さい。丁寧にはっきりと書いてください。 …まだ1分ほどありますね。気持ちを落ち着 けてください。………それでは試験を開始し ます。」 「麻理ちゃんずるーい。もう入試おしまいだ なんて。私なんてまだ私立ひとつと公立が 残ってるのに」 「ふーん、だ」 頭半分以上違う亜季ちゃんの顔を見上げなが ら言う。 「まあまあまあ、神城台女子の特待生に選ば れるくらいに、麻理ちゃんの成績が良かった んだから、別にいいじゃない」 「私はどうせ成績よくないですよー、だ。 1番だったんでしょー、どうせ」 「5人か6人はいるそうだよ。うん。全員が 神城台女子に入学するかどうかは分からない けど。」 「むーーーー。……まあ麻理ちゃんは元々 成績良かったし」 「そうでしょ、うんうん」 「小学4年生の頃は、背も高くて本当に中学 生じゃないの?って思えちゃうくらいだった しね。今はこんなにちっちゃくなっちゃった けど」 「ちっちゃくはなってないよ。あんたたちが おっきくなっただけ」 「うん、私は大きくなったよ。20センチ 以上伸びちゃったよ。麻理ちゃんは…5年生 くらいから全然伸びてないでしょ?」 「……うん、そのくらいから全然伸びてない」 「まあ小さくても、大人っぽい感じだけどね。 制服着てなかったら、先生と間違えそうな くらい」 「そうそう、林間学校の時に、麻理ちゃんを 先生と間違えた先生がいた。あれはさすがに 笑っちゃった。」 「ひどすぎるよ。50歳の先生と私を間違え るなんて」 「だって背丈も体つきも似てるんだもん、 ジャージ着てると」 「今思い出してもおかしくて涙が出ちゃう」 「もう二人ともー」  おかたづけー、おかたづけー、っと。高校 入学で新しいものが次々と来ちゃうんだもの。 これは手前の方にいれておこう。これも手前 の方に。これも手前の方に。って手前ばっか りじゃない。とりあえずこれはここに置いて おくと。これは捨てよう。これも捨てよう。 わ、こんなの残ってたの?小学校の時の『修 学旅行のしおり』。警備員さんが書き込んだ 地図も。これ捨てられないよー。だって、あ の時見られなかった見学場所があるんだもん。 そのうち見に行くんだもん。これも捨てられ ないしー、これも捨てられないしー。どこに 置いておこうかなー。押入れの奥でも屋根裏 でも構わないんだけど。あ、そうだ、あそこ に物置があった。あそこに少しくらいは場所 があるんじゃないかな?  それでは失礼しまーす、って自分ちだけど。 ……うーん、意外と詰まってるよね。でも タンスとかそういうのが多いから、引き出し の中は案外空いてたりして。これは…詰まっ てる。これは…詰まってる。ここは…空いて る。よしよし、ここに入れておこう。ここも 空いてる。ここにも入れよう。あとひとつ分 くらい空いてればいいんだけどな。ここの分 をこっちに移せばいいか。これを全部出して ……ホコリすごい。1個ずつ、はたいてから 入れよう。ぱたんぱたん。ぱたんぱたん。 ぱたんぱたん。これは…アルバムかな?…… …あー、死んだおばあちゃんの写真だ。でも 随分若い。いつかな、日付が書いてないから 分からないけど。あ、これが、私が生まれる 前に死んじゃったおじいちゃんだ、きっと。 ふーん。じゃあここにしまって、と。次は何 かな?ん?んんん?あ、お母さんだ。何歳か 分からないけど、とにかくお母さんだ。私と 似てる…と言われれば似てる。私が小学生の 頃を考えれば、かなり似てるかな?ここに しまおう。最後は封筒。封筒の中にまた封筒。 なんだろう、あからさまに怪しいよね。とり あえず場所が空いたから、これを入れてと。 さあ、この怪しい封筒はなんだろう。実は私 はお母さんの子じゃありませんでした!とか。 それはないか、さっきのお母さんの若い時の 写真からして。少なくともお母さんの親戚の 血はひいているよね。お父さんの気の早い 遺言とか。んなわけないか。とにかく開けて みましょう。まずは……母子手帳?私が生ま れた時の母子手帳?へー、すごい。でもなん でわざわざこんなものを二重に封筒に入れて たの?おかげで随分きれいだけど。ふーん、 出生時体重だって。赤ちゃんならこれくらい かな?良く分からないけど。へー。ほー。 ……ん?ちょっと待って。今年から、この年 を引くと、18。私より3つ上だよね。これ、 私のじゃないの?でも名前の所には『麻理』 って書いてあるし……あ、もしかして、私が 生まれる前に、お母さんがもう一人産んでて、 死んじゃったのかな?出生時体重が書いてあ るから、生まれるには生まれたけど、すぐ 死んじゃったとか。そんな話は聞いた事ない けど、子供には話しずらいよね。つまり私の お姉ちゃんがいたと。同じ麻理って名前を付 けたと。でも死んじゃったと。……死んだっ て書いてない。3ヶ月目の体重が書いてある。 6ヶ月目も書いてある。9ヶ月も書いてある。 写真まで挟まってる。この写真にはちゃんと 日付が入ってる。あれー?途中から何も書い てないけど、1歳過ぎくらいまではちゃんと 書いてある。封筒の中にまだ何かあるから、 出してみよう。もういっこ母子手帳。こっち が私のだ。私のお姉ちゃん、2歳くらいで死 んじゃったんだ。……でもこっちは名前が書 いてない。23週目で流産って書いてある。 あれ?分からなくなってきた。何がどうなっ てるの?まだ何か入ってるから、もう全部取 り出そう。あ、ノートの間にたくさん写真が 入ってる。後ろの方が、もしかして私が覚え てるような事が書いてあるかもしれない。 一番最後の写真は………これは私だよ。幼稚 園に通ってた時の。そうそう、ここ、ここ。 この時の私って本当に大きかったんだから、 周りと比べて。日付もちゃんと合ってる。 これはまだ幼稚園に入る前だよね。これは私。 うん。これも私。うん。これも、これも。 うん、これも。ははは、これが私か、変なの。 何歳の時の……は?一歳の誕生日?写真が 挟んであったノートの方にも、『一歳の誕生 日』って書かれてる。でも一歳って、こんな だっけ?今までの写真見ると、私なのは良く 分かるけど、普通一歳って。もう少し前の 写真。これは、十ヶ月のはず。うん、私だけ ど、いくら私が大きかったって言っても。 これが…六ヶ月?いくらなんでも。三ヶ月? そんな。えーと、私の誕生日は。写真ごと ノートをめくる。それまであまり書かれてい なかったノートに、文字が増えてくる。 『もうこれで何も心配する事はありません』 『ちょっと心配です』 『先生がなさったのだから大丈夫』 生後1ヶ月のはずの私。どう見ても私だけど、 どう見てもおかしい。 『今日市役所に出してきました。何事もなく 受理されました』 『先生に書いて頂きました。後は出すだけ』 次のページに私の写真。私の誕生日。 『この子の新しい誕生日の記念に』 なに?どういう事?しばらく写真がない。 『流産した子の出産予定日でお願いしよう』 『先生に相談したら、快く引き受けて頂く事 になりました。気が楽になりました』 『あの先生に相談してみよう。何を言われる か、とても不安だけど、でも話さない事には 何も出来ないし』 『なんとか二人は説得出来たけど、今からだ と遅過ぎるような』 『とにかく二人を説得しよう、それだけ』 『あの子は生まれなかったのに』 『どうにかしなきゃどうにか』 最初のページに何枚か写真が挟まっている。 もっと小さな私だ。そうだ。さらに小さな私。 もうここまで小さいと顔の見分けなんてもう つかないけど、今までの順番からすると、私。 日付から生年月日を引けば、マイナス2年 くらいになる。でも一つ目の母子手帳とは、 話が合う。じゃあ、私の本当の誕生日は…… 物置の扉を静かに閉める。部屋に戻る。 「ちょっとお買い物に行ってくるからー」 お母さんの声だ。 「わかったー」 とりあえず元気よく言っておく。後片付けは 後でいいや。テレビでも見よう。……お母さ んに聞いてみれば。でも、せっかくあんなに 安心したお母さんを、いまさらどうにかする のも。それに私の方が聞きたくない。きっと 聞きたくない答えが返ってくる。確実に返っ てくるのが分かってるから、聞かない方が いいよね。 「今日一斉に、国立大学入学試験の合格発表 が行われました。東京大学では、講堂の前に 設置された掲示板に合格者の番号が張り出さ れ、合格した受験生が胴上げされるなど、 お祝いムードでした。また、富山大学でも 合格者が張り出され、自分の受験番号を探す 受験生でごった返しました」 ふーん。……もし私が、本当の誕生日のまま、 小学校に入ってたら……高校受験じゃなくて、 大学受験だよね。どこの大学かは分からない けど、こっちの方だよね。本当はこの人達と 同じ年齢なのに、高校に合格したって喜んで たんだ。さっきまで。変だよね。……テレビ 消そう。ちょっとトイレ行こう。  トイレから出て、手を洗う。鏡に映る私。 ずっと大人っぽいって言われてきた。小さい 時から今まで。自分でもそう思ってた。でも 当たり前だった。だって本当は高校3年生と 同じ歳だもん。中学3年生と比べて大人っぽ いの、当たり前じゃない。鏡を引っかきたく なってきたけど、鏡を引っかいても仕方ない。 後片付けの続きでもやろう。  これをこっち、これをこっち、……本を右 から左に動かしてるだけのような。引き出し の中はもう何もないよね……あ、小学校の時 の通知表だ。小学2年生の時の。私あの時、 学年の中ですっごく大きかった……当たり前 だよ、本当は5年生の私が、2年生に混じれ ば、大きいのは当たり前。あのビデオを見た、 あの学年が、本当の学年だったんだ。私、 本当はあのクラスにいるはずだったんだ。 別に早かったわけじゃない。普通だったんだ。 4年生の通知表。よく上級生から敬語であい さつされてたっけ。あの人達みんな、私より 年下だったんだ。5年生なんて2歳も年下。 私より背が低くて当たり前じゃない。由理も、 私のひとつ下、本当に私の方がお姉さんだっ た。制服着て由理とテレビ局まで行ったの、 あれが本当は普通だったんだ。由理があんな に恥ずかしそうに私にお願いする理由なんて 何もないじゃない。私だって偉そうにする 理由もないじゃない。別にテレビに映ってた って、学校で話題になるだけで、悪くなんか ないじゃない。社会科見学の時に、一緒に なった神城台女子の中学1年、みんな私と 同じ歳じゃない。高校で神城台女子に入った ら、本当は同級生になって当たり前の人達。 ユウカちゃんも。本当にあの人と同級生で 当たり前なのよ。でも、私は3年も後輩と して、来月入学しようとしている。あの時の みんなが、ユウカちゃんが、もうすぐ着なく なる制服を、今から私が喜んで着るの。だっ て、私、高校に合格したんだもの。大学に 合格したわけじゃないの。高校に合格したの。 今大学を受験したってどこにも入れない。 だってまだ高校を卒業もしてないんだから。 ……そう、だからいまさらお母さんに聞いて も、意味ないわ。ユウカちゃんと同級生にな れるわけじゃないんだもの。意味ないわ。 ……もう寝ちゃおう。 「合格したよー、へいへーい」 「よく出来たよく出来た」 亜季ちゃんも、トモちゃんも、奈々ちゃんも、 本当は私の同級生なんかになるはずじゃなか ったんだ。だって私が小学5年生の時に2年 生だったんだもの。あの時は5年生の方にい るはずで、この人達と同じクラスじゃなかっ たはず。中学では一緒に中学に通う時期さえ なかったはず。でも、今こうやって、一緒に 中学を卒業しようとしている。3歳も年下の 人達と一緒に。 「麻理ちゃん、通学は同じ方向だよね。一緒 に電車乗ろうね」 「え…う、うん、一緒にね、亜季ちゃん」 「卒業生の入場です」 ぶーわわー、ぶーわわー、ぶーぶーぶー。 「演奏は西塚山中学校ブラスバンド部です」 周りは全部15歳なのに、私一人だけ18歳 の卒業生。もちろんみんなはそんな事知らな い。でも事実。みんなにその卒業式を見られ ている。18歳なのに中学校の制服を着て、 中学校の卒業式に卒業生として参加している。 その姿をこんなたくさんの人に見られている。 恥ずかしいけど、でも出ないわけにはいかな い。ようやく、本当にようやく中学校を卒業 出来るんだから。 「卒業証書授与」 「足立浩二くん」「はい」 一人ずつ前で受け取っている。もうすぐ私。 「横井麻理さん」「はい」 立ち上がって、壇上にあがる。みんながこっ ちを見ている。中学3年生の中に一人混じっ ている18歳の私を。たとえそれを知らなく ても。 「卒業おめでとう」 「ありがとう…ございます」 証書を受け取って、階段を降りる。 「麻理、制服が届いたわよ」 「はーい」 何をしでかすか分からないから、部屋に持っ て行って、箱を開いてみる。神城台女子学園 の制服。ユウカちゃんが、もう着なくなる 制服。私はこれから3年間着るの。3年遅れ て。それ以外にどうしようもないの。もう 18歳なのに。21歳になるまでこれを着続 けるの。そんなに先までこれを着るんだ。 変なの。でも他にどうしようもないから。 「新入生入場」 新入生の中に並んで、前へ進む。大学に入っ ててもおかしくない私が、高校の新1年生の 中に混じって、同じ制服を着て、同じように 講堂に入っていく。全部同じだけど、でも私 だけ違う。周りにいる上級生、この人たちも、 みんな私より年下なんだ。でも、みんな私 より先輩なんだ。変なの。この人達を先輩 って呼ばなきゃならないのよ。みんな私の事、 どう見えてるだろう。みんな知らないけど、 どう見えてるだろう。 「あ、先輩、おはようございます」 「おはよう、麻理ちゃん。こんな時間から図 書室でお勉強?」 「いえ、本を読んでるだけです」 「じゃあ放課後ね」 「はい」 19歳の高校1年生に、ちょっとだけ慣れ てきた。と思う。19歳でも、高校1年生だ もの。それはどうしようもないから。みんな が年下でも。たとえ知らなくても常に見られ ている。その事に慣れたような気がする。  別の本を探しに奥に入ったら、大きな本棚 を見つけた。全ての背に「卒業文集」って書 かれている。一番新しいのを手に取ってみた。 絶対に答えが合っている問題の正解をみるよ うな気分で。 『工藤裕香』 うん、やっぱり。6年前より大人びた顔だけ ど、確かにこの顔。やっぱりもう卒業しちゃ ったんだ。もう大学生なんだろうな。本当は 私も……。でも、こうやって、3年後輩とし て卒業文集を眺めている。先輩達の卒業文集 を。本棚に戻す。  今日は本当は休みだけど、模試があるから 登校。電車の中。晴れ着を着た人達。成人式 なんだ。本当なら、私も………でもまだ高校 2年生だし。晴れ着の人達は途中で一斉に 降りた。私は降りない。次の駅で、同じ制服 を着た人達と一緒に電車を降りて、高校へ 向かう。