比べっこ(1) 「おはようごさいまーす」 「おはようごさいまーす」 「おはよう」  朝、学校まで登校の時間。 私の小学校では「元気良くあいさつしましょ う運動」っていうのがあって、とにかく誰か に会うたびにあいさつしなきゃいけないの。 同級生にも上級生にも下級生にも先生にも、 通りかかったおじさんにも、お店の前を掃除 しているおばあさんにも、とにかく本当に誰 にでも。あいさつする人が多過ぎて困っちゃ う。学校の校門近くになると多過ぎて訳分か んない。 「おはようございまーす」 「おはようございまーす」 「おはようございまーす」 横の道から来た下級生があいさつしてきた。 「おはよう」 3人分まとめて返事をする。 ………あれ?あの3人って、もしかして。 車がやってきたから、よけるついでに、その 3人の斜め後ろに近づいてみた。ちょっと 騒がしい中、それに負けないくらいの声で おしゃべりを続ける3人。 「もう、あいさつするだけで疲れちゃう」 「そうだよねー」 「でもさー、もう6年生だしー。上級生を 無視しちゃって怒られる心配はないよね」 「そこは楽になったよね、敬語使って大き な声で、なんて先生だけでよくなったもん」 「6年生だもーん」 「…あれ?私達さっき、敬語であいさつし なかった?」 「あ。5年生までのクセでつい。」 「背が高い人だからつい。」 一人が周りを見回し始めた。私は下向いて 知らん振り。 「…げっ、あの横井麻理だよ、私達が敬語 であいさつしたの…」 「あのでっかいの?……いた。そうだよ」 「…何年生だっけ?」 「2つ下だっけ?4年生?」 「確かそう。…私達、4年生相手に敬語を 使ってあいさつしちゃったよ…」 「かっこわるー。6年生になったのに」 「まただよー」 「またって?」 「時々やっちゃってた」 「あんたは特に背が低いから」 「あんたは3年生と思われてるでしょうが」 「そこまで低くない……背が低いからって、 自分から敬語使っちゃうなんてなさけない…」 「それはわたしもー」 また車が来たから、ついでに3人に近づいて、 3人の真後ろにくる。一番背が低い人は頭の てっぺんが見える。  車が通り過ぎた後、3人を追い越して先に 行こうとした。でも、もう校門の近く。人が たくさんで、これ以上先にいけなくなってし まった。あの3人は私の真後ろ。 「…でかっ」 「1年生の時から飛び抜けてでっかいやつだ ったからー。…私達も6年生の中じゃ小さい 方だし。特にあんた。」 「でもさ、でかいだけじゃなくって、なんて いうか、上級生っぽいっていうか、大人っぽ いっていうか。……もうブラジャーつけてる んじゃないかとか」 「まあ、多分そうじゃないかな…」 「うちのクラスの後藤さんも、確か4年生で ブラジャーしてたと思うけど」 「そんな感じだけどー。後藤さんとこいつが 並んでも、全然違和感なさそう。6年生に 混じってても、大人っぽい方じゃないかな。 私なんか全然負けてる…」 「それはあんたが…」 「じゃあ由紀ちゃん、もうブラしてるの?」 「うっ」 「それにこの腰とか、後藤さんと同じだよ。 後藤さんとこいつが一緒に中学の制服を着て 並んで歩いてても、なんか普通に見えちゃい そう。…もう小学校なんかにいないで中学校 行ってよ、って気分…」 「…それはそうかも、こいつが4年生なんて 反則だよねー、せっかく6年生になったのに、 こいつと並んだら私たちがガキに見えちゃう」 「……お姉ちゃんに聞いたんだけど……ほら、 女子だけで見るビデオってあったよね」 「あー、あれね」 「こいつ、私のお姉ちゃんと一緒に見たって 言ってた」 「え?……後藤さんも、私達より先に、確か 4年生の時に上級生に混じって見た、って言 ってたけど…」 「だから後藤さんと同じ時だよ」 「後藤さんと同じって……私達よりひとつ 上級生と一緒にって事?今中学1年の人達と 一緒にって事?」 「そうそう」 「私達、そんなのまで先越されてたわけー?」 「そんな事いわれると、こいつがすごく大人 に見えるよ。先生くらい大人に見える」 「絶対私負けてるよ。なんか分かんないけど 絶対負けてる」 「あー、こいつが中学の制服着てるのを想像 しちゃった。あー、なんかくやしい」 「中1の人とそんなの一緒に見たんなら、 もうそのまま中学校に行ってよ、って言いた くなるよ」 私のせいじゃないもん、そっちが4年生みた いな体してるのに。でもこの6年生達も、 私の方が大人っぽいって認めてくれてるわけ だし、ま、いいか。 「おはようございまーす」 「おはようございまーす」 もうすぐ校門。先生が立っている。 「おはようございまーす」 「えーと、129・8センチ」 「えー、あと2ミリ?」 「はい、つぎー」 今日は身体測定。 「麻理ちゃん、もう150センチ以上あるん じゃないの?」 「そこまでないよー。1年に10センチも 伸びないよ」 「そうかなー」 「亜季ちゃんこそ、もう140センチあるん じゃないの?」 「そかなー……って、実は昨日自分で計って みたの。140センチはあると思う。うん」 「へー、すごいすごい」 「つぎー、145・1センチ」 「あ、トモちゃんそんなにあるんだー」 「1年で5センチも伸びてないよー」 「えー、そうなの?」 「はい、つぎー」 「あ、私だ」 「えーと、141・0センチ」 「わ、141もあった」 「えー、なんか亜季ちゃんに越されそう」 「そんな事ないよー」 「はい、つぎー」 ようやく私の番。 「えーと、148・8センチ」 「すごーい麻理ちゃん。1ヶ月も経ったら、 150越えそうだね」 「そかな?」 「そだよそだよ」 「でね、私はその番組見たかったわけじゃな いの。お兄ちゃんが見たいって言ってたの。 でもね」 「はーい静かにー。まっすぐ並んでー」 全校集会。もちろん私は列の一番後ろ。私の 後ろを、後から入ってきた人達が通り過ぎて いく。左側は私のクラスの男子の列だけど、 女子より人数が一人少ないからちょっと空い てる。斜め前に一番背が高い男子が立ってる。 でもトモちゃんより低い。右側は5年1組の 男子。人数が多いのか、私のクラスの列より も長い。私の真横にいる男子は、私より低い。 それは、ちらっと見ただけですぐ分かる。 一番後ろの、一番高い男子は、さすがに私 より高い……んじゃないかな?真横で並んで みないと良く分からない。でも上級生の男子 にいきなり「背比べしよう」なんて言えない し、用もないのに後ろに行って並んで見るの も変だし。 「えと、横川さんだったっけ?」 5年1組の一番後ろの男子が突然話しかけて きた。 「いえ、横井ですけど」 「こいつと背比べしてくれない?」 後ろから2番目にいた男子を指差した。 「はあ、いいですけど」 「ほら、いいってさ。来いよ。逃げるなって」 「なになに、なにするの?」 「ほらほら、背中合わせて」 5年生の男子と背中を合わせる。別に力は 入れないけど、背筋を伸ばして。 「うーん……見えない。加藤さん、お願い」 5年の女子で一番後ろにいた人がやってきた。 この人は私より高いそう。背伸びして私達の 頭の上を見る。 「こっちの子が高い」 私の頭を軽く叩いた。 「全然違う。このくらい違うわよ」 指で幅を作って見せてくれた。1センチ以上 違いそう。 「次はあんたでしょ?」 「いや、おれは関係ない。こいつがこれより 高いって言い張るから」 「ほらほら」 今度は一番後ろにいた男子と背比べをする事 になっちゃった。 「うーーーんと。あれ?ちょっと離れて」 結果を聞かないまま、離されちゃった。 「あんたたち二人で比べなさい」 5年生の男子二人が背比べ。 「あんたの方が低いじゃない。5ミリくらい」 「なんだよ、人の事を散々馬鹿にしといて、 おまえの方が小さいのかよ」 「それは関係ないだろ、おまえがこれよりも 高いって言い張るから」 「とにかく二人ともこの子より低いの!」 「はー」 「じゃあうちのクラスの男子は…」 「そういう事!」 そういう事!なのか。理由はともかく、それが 分かって私も嬉しい。 「へー、麻理ちゃんって5年生の男子全員より も高いんだー。すごーい」 「2組は分からないよ。あっちはもっと高い 男子がいるんじゃないのかな?」 「でもすごいよー」 うふふ。左隣の5年1組の男子、全員私より 低いって分かった途端、なんだか全員を見下ろ してる気分。 「おまえが余計な事言い出すから」 「おまえが余計な事やるから」 「あんた達静かにしなさい、先生来るでしょ」 「だからこいつが」 「おまえがだなー」 「……ちょっとこっち来て」 加藤さんに手招きされたので行ってみる。 「あなたがこの列の一番後ろに立ってて」 「えー」 「あんた達の方が小さいんだから、この順番 でいいの!わざわざ背比べして確かめたんだ から文句言わない!」 「5年生の列にですか?いいんですか?」 「いいのいいの」 「でも男子の列に…」 「いいのいいの、全校集会終わるまでこっち に並んでて」 「それでは全校集会を始めます」 5年生の男子の列の一番後ろに立って正面を 向く。男子の列ってのがちょっと変だけど、 上級生の列に並んじゃった。しかも私が一番 後ろ。この列の中で私が一番背が高いから。 「では座ってください」 みんなが一斉に座った。私がちょっと遅れ ちゃったけど、一瞬だけこの列の全員の頭が 見えた。この5年1組の男子全員を一番後ろ から見下ろしちゃった。 「いちについて、よーい」ぱん。 今日は運動会。4年生の競技はもう全部済ん で、あとは見てるだけ。 「わー、5年生になったら、あんなのやらな きゃいけないの?こわー」 「私達っておっきいから、絶対に下をやらさ れるよねー」 「えー、私そんな力ないよー」 とんとん。と誰かが私の肩を叩いた。振り返 って見ると、先生だった。他の学年の先生だ から、名前を思い出せないけど。 「横井さん、ちょっとお願いがあるの。こっ ちに来てくれないかな?」 「あ、はい」 先生の後についていくと、次の出番を待って いる6年生のところだった。 「6年生に病気で欠席した人がいるの。で、 二人三脚だから、一人足りないというか、 余っちゃうというか。その足りない分をやっ て欲しいんだけど。急な話だけど悪いんだけ ど、いいかな?」 6年生の中に混じって、6年生と同じ事をや れるんだ。それはちょっと嬉しいかも。 「はい、やります」 「1組なの、この列。一応身長の順番で組を 作ったんだけど、もうどこでもいいわ。一番 最後じゃアレかな。休んだ子の所に入ればい いか。佐々木さんはここだったわよね?じゃ あ、ここに入って」 「よろしくお願いしまーす」 「こ、こちらこそ、よ、よろしく…」 あ、いつだったか、私の事を「でかっ」って 言ってた3人の中の一人だ。 「はい、みんな立って」 6年生が一斉に立ち上がる。私が組む相手、 こうやって真横で並んで見ると結構小さい。 ちょっと見下ろす感じ。この人、私を見上げ て、どう思ってるんだろう?大きい人と小さ い人が組になってるようで、前も後ろも私と 同じくらいの背の高さ。いつも最後尾だから、 同じくらいの身長の人に囲まれてるのって、 ちょっと不思議な気分。6年生の中だけどね。 …前の人、身長は同じくらいなのに、全然胸 出てないよ。後ろの人は、もっとガリガリ。 私だけこんなに出てて、目立っちゃうんじゃ ないかな。ちょっと恥ずかしいかも。 「次は、6年生、二人三脚です」 アナウンスが流れて、列がスタートラインの 方へ動く。 「私、いきなりで全然練習とかしてないです けど、大丈夫ですか?」 見下ろしながら言う。 「え?あ、うん。そうね。真ん中の足から、 いっち、に、いっち、に、くらいの速さで。 それで大丈夫……だと思う。あ、足を縛らな いと」 周りが足を縛り始めたので、私達も始める。 「一回やってみますか?」 「あ、うん、そうだね」 一旦立ち上がる。 「えーと、せーの。いっち、に、いっち、 に、いっち、に、いっち、に、いっち、に、 いっち、に。あ、大丈夫だね、うん」 前の人達が次々とスタートして、私達の番。 私は相手の方をしっかりとつかむ。相手の方 は私の肩だと高すぎるから、胸の辺りに手を 入れてきた。 「…もうちょっと下にしてもらえませんか?」 「え?あ、そうね、この辺でいい?」 「はい」 「いちについて、よーい」ぱん。 「せーの、いっち、に、いっち、に、いっち、 に、いっち、に」 最初は結構順調で、意外と速く走ってたけど、 そのうち歩幅がずれてきたのか、ちょっと 走りづらくなってきた。 「いっち、に、いっち、に、いっち、に」 「もうちょっと!」 「いっち、に、……ひきずらないで!」 「もうちょっと……せーのー」 バタン。最後は飛び込むようにゴールイン。 「すみません、大丈夫ですか?」 「痛い、早くほどいて。こっちの足首も痛い。 ひざは両方すりむいてるし………でも、もし かして一位?」 「はーい、一位はこちらに並んでくださーい」 「立てますか?」 ちょっと手助けして立ち上がってもらって、 一位の列へ。 「いたたた、いた、いたい」 「1組はずるいぞー。強力外人助っ人で一位 だなんてー」 「ちが、こいつは4ねんせ……えと、全然 練習してないんだぞー。おかげで足痛いし…」 「横井さん、だったよね?すごく速かったわ ねー。私負けちゃった。へへへ」 二位の列に来たのは、後藤さん、6年生女子 の中で一番大人っぽいって噂の人だった。 こんな近くで見るの初めて。背は私よりちょ っと高いかな?くらいだった。意外。 「あ、横井さん、私より大きい。つんつん」 胸を突付いてきた。 「やめてくださいよ、もー」 「4年生でもうCあるの?もしかしてD?」 「違います、Bです」 「なんだ、私と同じくらいか。でもそんなに 大きくて、よくそんなに速く走れたわねー。 私なんか邪魔で邪魔でもう」 「でも二位じゃないですか」 「ま、まだ大人ほどじゃないからね。うちの お姉ちゃんなんか、いっつも『邪魔で邪魔で』 って言ってるもの。本当に大きいんだけど」 「そんなに大きいんですかー?」 などと変な会話を後藤さんとしたのでした。 夏休みまで後数日、という日の下校途中。 突然声をかけられた。 「あのー、横井、さん?ちょっと、お願いが、 あるんだけどー」 私のことを「でかっ」って言った3人の中の 一人だった。私の悪口を散々言ってたのに、 「こいつ」呼ばわりしてたのに、妙にお行儀 良く「お願いがあるんだけどー」だって。 でもここは、おーとーなーな態度で話を聞い てあげるのが、敬語であいさつされる上級生 の態度ってもんだよね。 「なんでしょうか?」 「ちょっと話が長くなるから、こっちで」 近くの公園の脇に入った。近くにベンチがあ るけど、あえて座らずに、背筋をぴんと伸ば して、にこやかに見下ろしてあげる。 「あのね、『月曜日とんでるテレビ!』って テレビ番組があるでしょ?あれのね、生で見 れる入場券が当たったの。ほら、これ。それ はいいんだけどー、『小学生は保護者同伴』 ってなってるでしょ?応募する時はお姉ちゃ んが一緒に行ってくれるって言うから、お姉 ちゃんの名前を一緒に書いてハガキを出した の。でもお姉ちゃん、部活の試合があって、 そっちに行くっていうの。やっぱり小学生だ けじゃ行けないだろうし、それで、あの、 あ、あの、あの」 予想は付くけど、ちょっととぼけてみたり。 「それでなんでしょうか?お願いって」 「あ、あの、あの、よ、よこい、さんなら、 ちゅ、ちゅうがくせいのふり、ふりをしても わからないと、おもうの。だ、だか、ら、 ね?わ、わかるでしょ?」 「えーと、つまり」 「うん、そ、そうなの、そうなの」 「つまり?」 「つつつ、つまり、わたしの、おねーちゃん のかわりに、うん、そー、お姉ちゃんの代わ りを、やって欲しいの、うん」 「ばれないですか?顔は多分似てないしー、 私、まだ小学4年生だしー」 「横井さんなら絶対にばれない、うん、ばれ ない。制服もお姉ちゃんのを借りればいいし。 生徒手帳とかも。制服着たら絶対にばれない」 「でも小学4年生の私より、他の人の方が… たとえばお父さんとかお母さんとか」 「お母さんは嫌、お姉ちゃんならいいけど、 お母さんは嫌。絶対に嫌」 「6年生の後藤さんとかの方がまだ…」 「後藤さんにもお願いしたんだけど、おばあ ちゃんちに行くんだって。」 「お姉ちゃんの友達とか、同級生のお姉ちゃん とか、いとことか」 「そんなの知らないよー。全然知らない人も ちょっと嫌」 もうこのくらいでいいかな。 「えっと、つまり、私がやるのは」 「うんうん」 「その1日だけ、あなたのお姉さんになる、 という事ですよね?」 「え、あ、う、うん、つまり、そういうこと」 「あなたのお姉さんとして、保護者として、 保護者同伴すればいいんですよね?」 「う、うん、そういうこと」 「保護者としてテレビ局まで一緒に行って、 その番組を生でやってるところを見て帰る」 「うんうん、そうそう、やってくれる?」 「テレビ局ってどこですか?」 「え……分かんない…まだ調べてないけど… 電車を何回か乗り換えて行くんだと思う。 ……あ、電車代なら私が出すから、うん。 電車代も、制服も、大丈夫。」 「あ、その道順か住所か、そこに書いてある 事を書き写させてください」 「あ、やってくれるんだ、あ、ありがとう」 「それと、1日だけでも、あなたのお姉さん になるんですから、名前も知っておかないと …あなたの名前とお姉さんの名前」 「あ、あ、そうだね、それもそうだね。えと、 私が菊池由理」 「ここに書いてください」 「うん……よしょ、お姉ちゃんが、菊池真理」 「あ、私と一緒ですね、マリ」 「そ、そ、そう。漢字はこの字」 「漢字は違いますね」 「一応保護者だから、お父さんとお母さんの 名前も知ってた方が」 「う、うん、そうだね、ここに書いとくね。 えっと。じゃあ、この日の、午前9時、もう ちょっと前がいいかな?この公園に来てね。 あそこの公衆トイレで制服に着替えて、ね。」 「はい、分かりました。その日1日だけ、 私が、中学生の、あなたのお姉さんになる、 っていう事で」 「う、うん、よろしくね。じゃあ」 ぱたぱたぱた。 「あ、わ、わたしの方が遅くなっちゃったね、 ごめん」 「調べてみたら、そんなに時間かからないみ たいだから、大丈夫だと思いますよ」 「うん、でも早めの方が安心だし、席は入場 順だから、早い方がいいみたい。……えっと、 じゃあ、制服。これに着替えて。」 「思ったんですけどー、夏休みに制服だと、 おかしくないですか?学校は休みなのに。」 「うん、あのね、お姉ちゃんの中学では、 『繁華街に出かける時は制服着用の事』とか いう校則があるんだって。だから着てないと ダメみたい。そういう話だった」 「それじゃあ着てきます」 そんなに広くない公衆トイレに入る。どうせ ここで着替えるんだから、自分が着ている服 はTシャツとスカートだけ。それをさっさと 脱いで。……あれ、どの順番で着ればいいの かな。えっと、こうかな。セーラー服って 初めてだから良く分からない。こうかな。 このホックを止めるのかな。ここにジッパー がある。ここにもホックがある。靴下も制服 なのかな。これでいいのかな。とりあえず 全部着たから、外に出る。 「一応着て見たんですけど、これでいいんで しょうか?」 「えっと、うん、スカート丈は…うん…ここ がひっくり返ってる…ここがよじれてる…… うん、これで大丈夫」 「ちゃんと中学生に見えますか?」 「え、うん……お姉ちゃんとほとんど変わら ない……お姉ちゃんよりも……」 「これで完成ですか?」 「う、うん。…あ、生徒手帳。胸ポケットに 入れるらしい。ここ」 胸のポケットに手帳を入れた。そこには名札 がついてて、 『西塚山中学校 1年3組 菊池真理』。 苗字がちがうけど、今日1日は3年早い中学 1年生だね。しかも年上の妹付き。胸を張っ て名札を見せびらかしたいような。でも制服 で目立つからいいか。 「えっと、それじゃ、行こうか」 「はい……そうだ、お姉さんにはいつもなん て呼ばれてるんですか?」 「え、由理って。名前で。うん」 「じゃ、由理、行こう」 「う、うん」  近くの駅まで歩いていく。 「切符を買うのは、やっぱり、保護者の方が いい……よね?」 「え、あ、うん、そうだね」 「財布、預かってた方がいい…よね?」 「そ、そうだね、うん」 財布を受け取って、切符を買う。大人1枚、 子供1枚。 「はい」 「そっか…大人料金なんだ、中学生は…」 「あ、あれに乗ればいいのかな?」 「そう、あれ」 「由理、行こう」 「うん、おね……うん」 手を引っ張って改札を通り、ちょうど入っ てきた電車に乗る。  1日限り、お互い都合よく利用してるだけ、 ニセモノの『姉妹』。同級生でもないんだし、 電車の中で話す事は何もない。由理はずっと 下を向いたまま。年下の『姉』は、やっぱり 見たくないのかな?  乗り換えて、先に進むに連れて人が多くな ってくる。段々と混み始める。 「あ、由理、はぐれないようにしないと」 「う、うん、分かってる」 「次の駅だよね」 「そう」 ドアが開いて、まとめて人がドアから吐き出 される。由理がどこに行ったのか分からなく なる。 「あ、いた、おねえちゃ……、い、いこう」 乗り換えた電車は空いてて、座席に座れた。 由理は相変わらず下を向いたまんま。中学の 制服姿の私、そんなに見るのが嫌なのかな?  テレビ局に一番近い駅で降りる。変な形を した建物がすぐに目に入る。 「あれ、だよね?」 「そう」 しばらく歩くと、矢印を持ったお兄さんが立 っていた。 「由理、入場券は?」 「えっと…ここ、これ、おねえちゃ…ん」 「すみません、これの入口はどちらですか?」 「えーと、ちょっとお待ちください…おーい、 公開収録のスタジオの入口ってどこ?あれ? あそこ?…あそこに、もう何人かいますけど、 あの辺りにいる係の者のたずねてください」 「ありがとうございます」 「もう来てる人がいるの?早く来て良かった」 「すみません、これの入口は」 「ここです。ここに並んでください」 「キャー、きてるきてるー」 急に周りが騒ぎ始めた。 「え、なになに?なに?」 「もうみんな来てるの?早いねー。もうちょ っと待っててねー。滑らないネタをちゃんと 仕込んできたからねー」 「カトーだ、カトー。わ、すごい、ほら、 おねえちゃん、本物だよ」 興奮してるからほっとこう。  結構長い時間待たされる。 「のど渇いちゃった。飲み物買ってくるから、 お金」 「私の分もいい?」 「うん、いいよ」 「このくらいかな?」 「うん」 近くの自動販売機まで走っていって、すぐ 帰ってきた。 「はい、これ、おねえ…ちゃん、の、分」 「ありがと、由理」  ようやく入場の時刻。ゆっくり入場…して たけど、部屋の中に入ると、前の席を目指し てみんな走り始める。 「わ、いいとこ取られちゃう、おねえちゃん 走って」 とりあえず付き合って小走りする。 「一番前の列だけど、ちょっと端っこだよね。 2列目の真ん中の方が良かったかなー。あー、 でももう2列目の真ん中は埋まっちゃったし」 「ほら、騒がないの」 「うーん」 ボードを持ったお兄さんが舞台の上に上がっ てきた。 「本日のご観覧ありがとうございます。本日 は番組の収録として行います。コメディでの オチで大いに笑っていただくと大変ありがた いのでございますが、大声での会話、収録中 の立席などはお控えください。トイレなどの ための休憩時間は確保してございます。その 時のお願いします。また、収録中に何度か 拍手をして頂く事がございます。このような ボードがございまして、これを上げた時点で 拍手の準備をしてください。準備だけです。 5秒後に、このようにパタンと変わります。 そのタイミングで拍手を始めてください。 さらに、元に戻した時点で拍手を終わります。 では1回練習いたします。……………はい、 1、2、3、4」パタン。 ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち パタン。 「はい、完璧でございます。本番ではよろし くお願いいたします」 お兄さんは舞台の横の方へ。 「へー、こんなのやるんだー」 由理は顔を真っ赤にして喜んでる。 「はーい、本番1分前……30秒前」 「もうすぐだね」 「静かにね」 「うん」 「5秒前」 「じゃんじゃじゃじゃーん」 「わ、でかっ」 拍手合図のボードが上がる。 「さあ月曜日が始まりました」 「忙しくても暇してても」 「夜になったら」 「とんでるテレビ!」 パタン。ぱちぱちぱちぱちぱち。 由理はうれしそうに力いっぱい拍手してる。 パタン。拍手終了。 「今日もみなさんとんでますかー」 「とんでますよー」 由理も一緒に叫んでる。 「えー。おや、セーラー服の女の子が、一番 前にいますね」 司会者が私の方に寄ってきた。 「これは新しい小道具ですか?番組後に持ち 帰っていいんですか?」 「ちゃうちゃう」 「本物の中学生?高校生?」 私の前にマイクが突き出された。 「中学生です」 「何年生?」 「1年です」 「もう夏休みなのに、制服?」 「あ、校則でそうなってるんで」 「ほう、それは良い校則です。私も嬉しい 校則です。番組収録時はセーラー服という 校則を是非とも全国に」 「いつまで中学生いじっとるねん」 「こちらは?妹さん」 「あ、はい」 「小学生?」 「はい」 「何年生?」 「6年生です」 「じゃあ来年は中学生」 「はい」 「じゃあ来年は、姉妹揃ってそのセーラー服 ってわけですね。二人揃ってセーラー服で この番組の収録に」 「来年より来月の心配せーや」 「えーと、こちらは…どうみてもOLですね」 「はい、そうです」 「セーラー服は…昔の話ですね」 「は、は、はい」 「というわけで、夏休みに入りまして一段と 元気にとんでるテレビでございます。まずは、 カトー&トシ!」 キャーーーーー 帰りの電車の中。 「ほんと面白かったよね。まるちーずの二人 が目の前まで来てくれたし。セーラー服を着 てきて良かったよね。……あ、でもちょっと テレビ写っちゃったかな?あれってテレビに 出るんだよね?クラスのみんなにばれちゃう …かな?先生とか」 「カメラがそんなに近くなかったから、顔は 写ってないんじゃない?由理」 「うん、そうだよね、みんな分からないよね。 でも自分がテレビに出てるのを見るわけだよ ね、それってどんな感じだろう、ちょっと恥 ずかしいかなー、ね、おねえちゃ…ん、お、 おねえ、ちゃん、も出る訳だし」 「ちょっと嬉しいかな、由理と一緒、だから。 記念にビデオに撮っておこうかな?」 「あ、あは、あはは」 公園の公衆トイレで制服を脱いで。 「はい、これでおしまい」 「あ、ありがとう、……おねえちゃん」 「私も楽しめたわよ、由理」 「それじゃあ、バイバイ」 「バイバイ」 あの収録が放送される日、ちょっとドキドキ。 セーラー服の私が見られるかな? 「これは新しい小道具ですか?番組後に持ち 帰っていいんですか?」 「ちゃうちゃう」 「本物の中学生?高校生?」 「中学生です」 「何年生?」 「1年です」 「もう夏休みなのに、制服?」 「あ、校則でそうなってるんで」 「ほう、それは良い校則です。私も嬉しい 校則です。番組収録時は……」 顔は映ってないかー。ばれると困るから、写 ってなくていいのかな?でもちょっと残念。 横からの私のセーラー服姿、結構似合ってる じゃない。ちょっと嬉しい。けど私って、 あんな声かな? 「こちらは?妹さん」 「あ、はい」 由理は私の陰になって足しか写ってない。 残念がってるだろうな。でも、私と由理が、 一緒に写ってる。