西山田小学校の校門から小学生の集団に逆らって歩く。周りの小学生と逆方向に 歩いていると、なんだか周りの子に注目されているようで、なんだか悪い事を している気持ちになる。今までも毎日小学生と逆向きに歩いていたんだけど、 今日は小学生女子のお下がりを着せられているから、やっぱり自分は小学生にしか 見えないんじゃないか、そう思ってドキドキする。 でも少し歩いたら集団登校の小学生がいなくなり、大人もいなくて、急に静かに なった。静かになったら、それはそれでちょっと寂しい。そのままとぼとぼと 歩いたら、次の大きな道に出た。ここの信号が青ならすぐに渡るんだけど、 ついさっき赤に変わったばかりのようだから、しばらく大きな道を歩く。 大きな道だから自動車の音でうるさいけど、歩いている人は多くない。 もちろん小学生はこんな道で登校しない。小学生が朝からこんな道を歩いてて いいんだろうか、なんて自分で思ってしまう。自分が自分を頭の中で小学生扱い してしまっている事に、誰に聞かれた訳でもないのに恥ずかしくなる。 そんな事を思っていたら交差点まで来た。向かう先は斜め向こうだから、どっちの 横断歩道を渡ってもいい。ちょうどまっすぐ進む方の信号が青になったのでそれを 渡り、次の信号を待つ。横断歩道の脇に黄色い旗を持ったおばさんが立っていた。 「あら、おはよう。あなた、一人なの?」 しまった。おばさんに声をかけられてしまった。こっちの方に来るんじゃなかった、 と思ったけど、反対側にも黄色い旗を持ったおばさんが立っているから同じか。 ここはもう隣の小学校の校区で、知ってる小学生も先生もいないし、横断歩道で 旗を持ってるとはいえ知らない人に声をかけられて、ちょっと心細くなってきた。 次に信号が変わるまでかなり時間があるどうしよう。 「私立に通ってるの?」 「あ、はい」 とりあえずこう答えておこう。信号が変わるまでの話なんだし。 「でも私服の私立女子小学校なんて、この辺にあったかしら?」 そんな事まで考えてなかった。どうしよう。 「大きなカバンを持ってるわね。私服という事は、遠足とか自然観察会とか、何か 行事があるのかな?」 そういう事にして済ませておきたいけど、近所に私服の私立女子小学校がない事 まで頭が回らなかったんだから、下手な言い訳をしたら余計に変に思われてしまう。 どう説明しよう。 そんな事を一瞬迷っていたら、後ろから小学生の声が聞こえてきた。 「おはようございまーす」 「おはようございまーす」 隣の小学校に向かう集団登校の列だ。 「はい、おはよう。まだしばらく赤信号です。きちんと並んで待っててくださーい」 僕のすぐ横に、十人以上の小学生の列が止まった。小さな子から大きな子まで、 ランドセルを背負った小学生全員が僕の方を見ている。こんな時刻に一人で 歩いている小学生くらいの子が、やっぱり珍しいんだろう。小学生の視線が痛い。 さらに制服姿の中学生の女子5人が横に並んで歩いてきた。 「あなたたち、歩道が狭いんだから、横に広がって歩かない!」 一通り叫んだ後、おばさんは僕の方を向いた。 「それで、どこの小学校なの?見かけない子だけど、最近引っ越して来たの?」 どうしよう。下手な事を言ったら、登校の時間にふらふら歩き回ってる子だと 思われて、小学校か警察に通報されちゃう。本当の事を説明しなきゃ。 周りを小学生と中学生に囲まれて、みんなの視線が僕に集中している中、 早く言わなきゃと焦ってしまう。 「あ、あの、僕は…」 「僕?可愛い服を着てるのに男の子みたいね。あ、もしかして男の子?お姉ちゃんの お下がりを着せられてるとか?」 「いや、そうじゃなくて僕は…」 あれ、あわてて返事をしたけど、『お姉ちゃんのお下がりを着せられてる』を 否定したように思えてきた。自分で好きこのんでこの服を着ているように思われた かも。そう思って、さらにあわてる。 「あの、えと、じゃくて、だから僕は…」 「やっぱり女の子?」 「いや、そうじゃなくて、男の子です」 知らない小学生や中学生の目の前で、こんな服を着て、自分が男の子だと説明 しなきゃいけないなんて。 「じゃあどこの私立小学校かな?鯛勢学園?」 「小学生じゃなくて、その…」 「中学生?ん?……ああ、あの誘拐されたという、なんだっけ、佐藤くん?」 「はい…」 知っててくれたんだ。良かった。ほっとした。でも。 「小さい女の子みたいな服を着てるから全然分からなかったわ。そんな可愛い服を 着てると、また誰かに誘拐されちゃうよ」 知っているという事は、きっと今までにこの辺りで僕を見たことがある、 ということで、そんな人にこんな服を着ているのを見られるなんて、かなり 恥ずかしい。しかもこの1分か2分の間ずっと小学生の女の子と思われ続けて いたから、本当に小学生の女子にしか見えなかったんだ。それを、いまさら 男子大学生だと気付かれたなんて、余計に恥ずかしい。 「あ、信号が変わりました。みんな渡ってください。佐藤くんも気を付けて 登校してね」 おばさんに促されて、小学生と並んで一緒に横断歩道を渡る。後ろからは中学生の 話し声が聞こえる。 「あの子が夏休みに誘拐された子なんだ」 「あれは間違われるよねー」 「あんな服を着てたら、変質者に誘拐されちゃうよ」 「でも誘拐したのって、二十歳くらいの女性じゃなかったっけ?」 色々反論したいけど、たまたま後ろを歩いていた知らない中学生にいきなり 話しかける勇気もない。横断歩道を渡り切ると、後ろを歩いていた中学生の女子は 別の方向に行ってしまった。でも小学生とは一緒に歩き続ける。スクールゾーンを 外れると保護者に声をかけられそう、というのもあるけど、ここの場合は単純に 小学校の前を透のが最短コースで、わざわざ別の道を通るのも変だし。 僕が誘拐された子だってみんなに知れ渡ったんだから、この近くにある TD大学の学生だって既にみんな分かってるだろうし。 既に大学生だと知られているとはいえ、他の小学生が列を作って歩いている横を、 僕一人だけ別に歩くのも、なんだかつらい。集団登校の小学生が歩きながら ちらちらと僕の方を見ている。すごく居心地の悪い中、小学生と並んで歩いて いたら、列の中の女子が一人、僕の方に駆け寄って来た。 「ねえ、君って、夏休みに誘拐された子なんでしょ?」 僕とほとんど同じ背丈の女子に、真横から話しかけられた。 「はい…」 「男の子なんだよね?」 「はい…」 「確か大学生なんだよね?」 「はい…」 嘘は何も言ってないのに、答えるのがすごくつらい。 「なのに、どうしてそんな女の子みたいな可愛い服なの?私も最初見た時、 どこの小学校の女の子だろうって思ったから、マジで」 小学生にそんな事を言われてしまった。名札を見たら6年と書いてある。 この話し方は、やっぱり僕の事を年下みたいに思ってるんだろうな。 「えっと、その、昨日、西山田のスーパーで火事がありました、よね?」 年下みたいに話しかけられて、つい年上相手のような話し方をしてしまう。 「ああ、テレビですごいニュースになってた。ずっとあのニュースだった」 「あのスーパーの向こうにうちがあって、帰れなくなって」 「ああ、そういう事を言ってた。家に帰れない人がいるって」 「それで、あの、この服は借りたものなんです…」 「ああ、そうなんだ。大変だったんだ」 どうにか分かってもらえたようだ。よかった。 「誘拐されたり家に帰れなくなったり、大変だね」 小学生に頭をなでられた。小学生から『かわいそうな子』扱いされた。 「あ、でもその服、似合ってると思うよ。うん」 これってなぐさめられたんだろうか。 そんな事を話していたら、小学校の前まで来た。 「君はここから大学まで行くんだ。気を付けて行くんだよ」 「は、はい…」 「また会えるかもね。じゃあバイバイ」 「あ、さようなら…」 話していた女子は小学校の校門の中に走って行った。『また会えるかもね』なんて 言ってたけど、登校の時刻を合わせないとそうそう会えないんじゃないよな。 と思ったけど、明日からは西山田小学校の集団登校に加わる事になるから、 今日と大体同じ時刻になる。またあの子と会うかも。毎日会うかも。 時々すれ違う集団登校の列にドキドキしながら、ようやく大学の門までたどり 着いた。これから毎日こういう事が起こるんだろうか。でも毎日こういう服を 着るわけじゃないし。毎日着せられるかもしれないけど。でも交差点に立ってる おばさん達には顔を覚えてもらってるし、何人かの小学生にも顔を覚えて もらったし、女の子みたいな服を着せられても今日みたいな事にはならないか。 僕が男子大学生だとみんな知ってるのに、女の子みたいな服を着せられて 小学校の集団登校に加わるなんて別の意味で恥ずかしいけど。今日とどっちが マシなんだろうか? 大学の教室に入る。集団登校に混じってゆっくり歩いたから、いつもよりも 少し遅くなって、教室にはもうかなりの人数がいる。こんな服で教室の真ん中を 通るのも嫌なので、空いてる席の中で一番後ろの端を選んで座る。ようやく 落ち着いた。小学生女子のお下がりを着て大学の教室にいるなんて恥ずかしいけど、 でもこの授業は去年落とした教養の授業で、1年生も多くて、子供っぽい女子も いない事はないし。こんな言い訳を自分にしている自分が恥ずかしい。 「あれー?どうしてそんなに可愛い服を着てるのかな?佐藤くん」 「あ、楠葉さん」 同学科同学年の楠葉奈緒美さんだ。 「おはよう、佐藤くん」 そういいながら僕の隣に座った。ここまで何度も小学生女子だと思われてたのに、 どうしてすぐに僕だと分かったんだろう。 「なんで大学の教室に小学生の女の子がいるんだろうって、1秒だけ不思議に 思ったわよ」 もう2年半以上一緒にいるから、1秒で分かるか。でもやっぱり1秒だけはそう 思ったんだ。 「それで、どうしてそんな可愛い服を着てるのかな?もしかして湯場先輩の 誘惑に負けた?湯場先輩がもうすぐ卒業だから、何か月か言いなりになって あげるとか?」 僕に小学生みたいな服を着せようと躍起になっている湯場先輩の名前を出して来た。 「違います」 「じゃあ湯場先輩は知らないんだ、こんな服を大学まで着てきた事」 「はい…」 「じゃあ教えてあげなきゃ」 「それはやめてください…」 「今の佐藤くんを見たら、『小学校に放り込んでやる!』とか言いそう」 小学校に放り込まれる、と言われてビクっとした。 「湯場先輩、そんなに怖い?あなたの方が年上なのに。それで、どうしてそんな 可愛い服を着てるのかな?」 3回も同じ事を聞かれて、答えない訳にもいかない。 「えっと、その……昨日、近所のスーパーで火事が起きて」 とりあえず当たり障りのない所から説明する。 「ああ、なんかニュースで言ってたわね。結構すごい火事だったって」 「煙がひどくて帰り道が通れなくなった、とか言われて」 「ああ、あれに巻き込まれたんだ。大変だったね。夜遅くまで続いたんでしょ? どこで待ったの?泊まったの?」 「え、えっと、その…小学校の前を歩いてたら、この先は危険だから小学校の中で 待ちなさい、ってそこの先生に言われて」 「小学校が避難先になってたの?」 「そ、そういう訳じゃなくて、帰れなくなった小学生が学校に戻ってきていただけ なんだけど…」 嘘にはならない程度に遠回しに言ってみる。 「ん?帰れなくなって戻って来た小学生と一緒に小学校に入るように言われた?」 「う、うん…つまりそういう事で…」 「もしかして小学生と思われて、『小学生は小学校で待ってなさい!』と言われて、 小学校に……放り込まれた?」 確かにそうなんだけど。完全にそうなんだけど。そんなあからさまに言われたら、 恥ずかしくて返事も出来ない。 「小学校に放り込まれたの?」 声には出したくないから、うなづくだけにする。今自分が、すごく子供っぽい事を しているように思えて、二重に恥ずかしくなる。 「えー、湯場先輩が聞いたら怒るよー。『また私の知らない所で!』って」 「うん…」 僕もそう思うから、今から恐いんだけど。 「それで小学校に放り込まれて、小学生と一緒に小学校にお泊りして、その服を 着せられたの?先生に」 「そうじゃなくて。泊まってはいない。夜遅かったけど、帰れるようになった」 お弁当を給食みたいに配ったり、同じ毛布でうたた寝したり、お泊りとあまり 変わらなかったけど。それが湯場先輩に知られたら何を言われるか、考えただけで 恐ろしい。 「帰れたのに、どうしてその服?」 「帰れるようにはなったけど、僕の下宿の辺りは停電や断水だって言われて」 「帰れない事はないけど、帰ってもどうしようもないと。で、どこに泊まったの?」 「小学校で待っている時に近くに座っていた女子が、僕が誘拐されるのを見て、 警察に通報してくれた子で」 「お世話になった子だね」 「う、うん…一度とはいえ会った事がある子だから、なんていうか、仲良くなって」 「小学生の女の子と仲良くなれたんだ。良かったね」 同学年の人からそんな事を言われて、すごく複雑な気分になる。 「その女の子のお母さんに送ってもらったんだけど、まだ停電だから泊まって 行きなさいって」 「仲良くなった小学生の女の子の家に泊まったんだ」 「そ、そうです…」 改めていちいち言われると、すごく恥ずかしい事をしたように思える。 「その服は、その女の子に借りた服?」 「その…小さくなってもう着れないから…あげるって…」 改めていちいち説明していると、恥ずかしさで顔が熱くなってくる。 「へえ、結構大きな小学生なんだ。つまりその女の子のお下がりなんだ」 「そういう事に…」 「警察に通報してもらって、すごく困ってる時に泊めてもらって、服までもらって、 小学生の女の子にお世話になりっぱなしだね」 そう言われればそうだ。知ってる人が一人もいない小学校で仲良くしてもらって、 本当にお世話になりっぱなしだ。 「ちゃんとお礼を言うんだよ」 「はい…」 こんな事を言われたら、自分が本当に小学生になったような気持ちになってしまう。 僕みたいな子が大学の教室にいるのが恥ずかしくなってくる。 「うん、事情は良く分かった。じゃあ後で写真を撮らせて」 なにが『じゃあ』なんだろう。 「あの、その写真を湯場先輩に見せるんですか?」 「うーん、どうしよう?」 楠葉さんは意地悪そうに言った。 「それはやめてください。お願いします」 こちらは必死に頼み込む。 「そうは言っても、誰かが湯場先輩に言っちゃうでしょ?もうたくさんの人が 見てるんだし」 「そ、そうですね…」 「湯場先輩に『噂は聞いた、見せろ』って言われたら、見せない訳にもいかないし」 「そうですよね…」 「という事で、あきらめなさい」 いつ言われるんだろう、『私の知らない所で!』って。