今日はサークルもなく、少し早めに大学を出て下宿に向かった。 以前だったら国道を通り、買い物でもして帰る所だけど、最近はそれも億劫になってきた。 歩くのが億劫になったわけじゃない。国道を歩いているとやたらと声をかけられるのだ。 夏休みに近所の女子小学生と間違われて僕が誘拐された事件から、もう数か月が 経つけど、近所ではあれ以来、登下校時に保護者が通学路に立ったり、公園を見回り したりしている。それはいいんだけど、そこで僕が小学生と間違われる。 どこにでも保護者がいて、どこででも声をかけられる。僕を見るなり飛んできて 僕に話しかける。 「車の多い所で遊んじゃいけないよ」 「小学生がこんな所に来ちゃいけないよ」 「ここは工事中だから危険だよ」 「まだ小学校は終わってないでしょ?どうしてこんな所にいるの?」 「そっちには工場しかないよ。道を間違えたのかな?」 「一人で帰ると危ないから、友達と一緒に帰ろうね」 「大人の目の届く場所で遊びなさい」 こういう事を何十回も言われた。 もちろん誘拐事件で近所の人達に顔が知られて、それはそれで恥ずかしいのだけど、 声をかけられた後に 「あの時の佐藤くんか。ごめんね」 と気付いてもらう事もあった。でも町中のみんなが知ってる訳じゃないし、そろそろ 忘れた人もいるだろう。顔を覚えられて声をかけられるのも恥ずかしいけど、 忘れられて声をかけられるのはもっと恥ずかしい。 そういう訳で、車の多い国道や、子供が近づくと怒られるような場所には出来るだけ 近づかず、通学路を歩くようにしている。通学路には保護者も多いけど、たくさんの 小学生に紛れて歩けば、声をかけられない。近所の人達に小学生だと思われて 見守られているのは、24歳の僕には苦痛だけど、声をかけられるよりはマシだ。 国道沿いの店に行けないのはちょっと不便だけど、自分で料理をするのでなければ 大学の中や周辺での買い物で済ませる事も出来なくはない。 そういう訳で今日も『スクールゾーン』と書かれた道を歩いている。 今日はちょっと早いので、いつも通りなら小学校低学年と一緒に下校、という事に なってしまうか。いくら僕が小学生に間違われると言っても、小学校低学年の子よりは 頭一つ分以上は背が高い。きっと目立ってるんだろうな。こういう時は必ず保護者に 目を向けられて『さようなら』って声をかけられるんだから。 この地域の小学校に近づいてきたら、小学生がいた。6年生くらいの子もいるから、 今日は少し早く終わったのかもしれない。ちょっとほっとした。6年生の中に 紛れれば、あまり目立たないで済む。 そう思いながら小学校に近づいたら、なんだか様子がおかしい。この時刻なら小学生は 下校するはずなのに、小学校に向かっている子がいる。一人二人じゃなく十人以上。 さらに近づくと、さらに十人。おかしい。 校門で先生と思われる人が叫んでいる。 「4丁目、5丁目、6丁目のみなさんは帰れません。すぐに教室に戻ってください。 1丁目、2丁目、3丁目のみなさんは校庭でクラスごとに並んで、お父さんや お母さんが迎えにくるのを待ってください」 は?何かあったんだろうか。 「そこのあなたも立ち止まっていないで、すぐに学校に入りなさい」 「え?なんですか?一体何が」 言い終わる前に先生につかまれて、校門から校庭に押しやられた。校門を見ると 次々と児童が入ってくる。周りは小学生だらけ。小学校に放り込まれるなんて。 サークルの先輩に『小学校に放り込んでやる!』と怒鳴られて恐い思いをした事が あるけど、小学生と間違われて小学校に本当に放り込まれて、知らない小学生に 囲まれるなんて、思った以上の恐怖だ。 さらにどんどん小学生が校門から入ってくる。これに逆らって出るのは無理だ。 他の出口はないんだろうか。 校庭を見ると、小学生がぞろぞろと並んでいる。手前の方に背が高い子が多く、 奥の方に小さな子が多い。クラス別に並ぼうとしているのだろう。 近くに出口っぽい物はない。というか、隣はすぐに住宅だ。小学生がたくさんいる 校庭を突っ切って反対側に行く、というのも気が引ける。いや、建物をぐるっと 一周すれば途中に何かあるかも。小学生の群れの中から抜けて、校舎の裏に 回ろうとしたら。 「あなたは何年何組?並ぶのなら早く並んで。お父さんお母さんが見つけられないよ」 走っていた先生が、急に立ち止まって僕に声をかけた。やっぱりこの小学校の児童だと 思われてるんだろうか。 「いや、あの、僕は…」 「あなた、5年生?6年生?…6年生にあなたみたいな子がいたかしら?」 小学校に勝手に入ってきた不審者のように言われて、悪い事をしているように思えて 動揺したけど、でもこの小学校の子じゃないと分かってもらえるのなら、その方が いいかも。 「だから僕は西山田小の児童ではなくて」 「私立の子?」 大学生だと答えたいけど、そんな事を言うと話がややこしくなりそうだ。 「えーと、はい、そうです」 「この近くに住んでるの?」 「はい」 「下校でこの小学校の前を歩いてたら、校門に立ってる佐々木先生に中に入るように 言われたの?」 「そうです」 どうやらすぐに分かってもらえるようだ。これで小学校の外に出られる。 「住所は?」 「山田3丁目、なんですけど…」 「じゃあ帰れないわ」 「え?」 「西山田3丁目のスーパーで火災が起きて、それで隣の工場の倉庫で爆発が起きて、 有害な煙が出ているらしいから、2丁目、3丁目が通れないわ。車も通れないし」 「向こう側まで行けないんですか?」 「そうよ。今歩き回ると危険だから、消火が済むまでこの小学校にいなさい」 それは大変だけど、僕は大学生だから大学に戻ってもいいし、手前の喫茶店に 入ってもいい。小学校に避難するほどの話じゃない。 「あ、あの、僕は…」 「あなた5年生?6年生?山田なら当分は帰れないから、6年1組の教室に入って いなさい」 「えっと、でも僕は」 「こんな時に小学生が歩いていると、消防やお巡りさんの邪魔になるわ。いつ消火が 終わるか分からないけど、おやつも用意してあるから、教室に入って待ってなさい」 先生は僕に向かって必死に話すだけで、僕が何か言おうとしても聞いてくれない。 「いや、でも」 「あ、下沼先生」 近くを通った先生に声をかけた。 「この子、下校途中の私立の子で、家が山田3丁目だそうです。どう考えても当分 帰れないので、私のクラスの教室に入れておいてください」 「分かりました。じゃあ一緒に行こうね」 下沼先生という人に手をつかまれて、引っ張られた。結構体格のいい男の先生だから、 小学生並の体格の僕なんか簡単に引っ張られてしまう。そのまま校舎に連れ込まれた。 校舎の中に入ると、すぐに階段を上り始めた。他の小学生も教室に向かって歩いて いるから、この流れに逆らって逃げ出すのは難しい。下沼先生は、右手に僕をつかみ、 左手に小学3年生くらいの子をつかんでいた。周りは小学4年生くらいの子が多く、 なんだか小学4年生の中に放り込まれて、小学4年生と一緒に歩かされているような 気分になってきた。小学5年生扱いまでなら許せるけど、4年生扱いはちょっと みじめだ。小学5年生の子と間違われて誘拐されて以来、『許せる』の範囲が 下がっちゃってる気もするけど。 でも2階に着いたら、4年生くらいの子はその階の教室に向かった。さらに上の階に 向かうのは6年生くらいの子だけになった。この上の階が6年生の教室らしい。 僕は4年生扱いじゃなくて6年生扱いらしい。ちょっとほっとするけど、本当は ほっとしちゃいけないんだろうな。でも下沼先生が左手でつかんでいる小学3年生 くらいの女子は、僕と一緒に上の階に向かっている。僕はこの子と同じ扱いを されているようで、周りに小学6年生の視線があるだけに、ちょっと恥ずかしい。 3階に着いて、下沼先生に引っ張られて『6年1組』の教室に放り込まれた。 僕は本当に小学生の中に放り込まれちゃった。小学3年くらいの子も一緒に 放り込まれた。いかにも小学校という雰囲気の教室に、小学生が何十人かいる。 家に帰れず退屈している子ばかりだから、普通の小学校の雰囲気とは違うけど、 確かにここは小学6年生の教室だ。 「えーと、浜田さん。浜田希美さん」 「はーい」 「妹さんを連れてきました」 「ありがとうございます」 なんだ、このクラスの子の妹だったんだ。3年生と同じ扱いをされてた訳じゃ ないんだ。少しほっとする。 「それと、この子はこの小学校の子ではありませんが、山田3丁目に住んでいて、 今は家に帰れないので、みなさんと一緒にこの教室で待つことになりました。 仲良くしてあげてください」 「はーい」 「おやつと飲み物を、はい」 どこから仕入れたのか良く分からない、ださださの絵が描かれたおやつと オレンジジュースを渡される。先生は席に座っている児童に話しかけている。 「4丁目5丁目6丁目の子の席って分かる?」 「木島さんの家は小学校のすぐ前です。席はここです」 「ああ、そうだった。じゃあ、ここに座ってて」 「はい…」 いまさら『僕は大学生です』だなんて、それで先生に分かってもらっても、 こんなにたくさんの小学生の目の前で言うのは辛すぎる。あきらめて小学生の振りを して、おやつでも食べていよう。おやつと飲み物の封を開けて、一口ずつ口に入れる。 食べるために下を向いたら、机の中に教科書が入っているのが見えた。取り出してみる 気はしないけど、小学校の教科書っぽい表紙が四分の一くらい見えて、やっぱりここが 小学校なんだと思い知らされる。 「こんにちわ。この近くに住んでるの?あ、山田3丁目だって言ってたか」 隣に座っていた女子が話しかけてきたのであわてて顔をあげる。 「はい…」 「私立ってどこの小学校?」 いきなり一番聞かれたくない質問をされた。どうしよう。 「なんだか見覚えのある顔だね」 2番目に聞かれたくない事を聞かれた。やっぱり誘拐事件の時の事を覚えてるのかな。 「山田3丁目ならうちの近くだから、児童公園とかであった事があるかも。もしかして 幼稚園が一緒だったりして。私の事覚えてる?なんて言ってみたりして。でもあなた、 結構小さいよね。もしかして5年生?4年生?それなら自分と同じ学年の教室が 良かったんじゃない?ほら、知らないお姉さんたちに囲まれているって緊張する でしょ?先生に頼んで、5年生の教室に移動させてもらったら?ここから5年生の 教室はちょっと遠いけど。でも4年生ならすぐ下だよ。それともお姉さんたちと お話したい?何をはなしてあげよう?うちの小学校の修学旅行はね」 今まで話し相手がいなくて、誰でもいいから話したくてたまらない、みたいな感じで、 僕が答える前にどんどん話しかけてくる。僕が答える必要がないから、まあいいか。 聞かれたくない質問も答えなくていいし。 「あれ?確かに見たことがある。山田3丁目だよね?」 おしゃべりし続ける子の隣でずっと黙っていた子が、僕の顔をしばらく眺めた後、 急にしゃべり始めた。 「ん?なになになに?」 「山田3丁目、1丁目、児童公園……あ、夏休み、誘拐された子だ!」 おしゃべりだった子が3秒黙って。 「あ、そうだそうだ、あの時に誘拐された子だ。大人の女性2人に声をかけられて、 急に持ち上げられて、車に中に押しこまれた。あの時に公園にいて、あなたに声を かけたの、私だよ。私。覚えてない?」 そう言われればそうだったかも。 「ああ、そうかも…でもそんなに背が高かったですか?」 相手の小学生は僕にタメ口なのに、僕はなぜか丁寧な言葉遣いになってしまう。 だって背が高くて、見下ろされているから。 「私、急に背が伸びてさ。久し振りに会う人みんなにそう言われるの。確かに 身体測定では十センチくらい伸びてるんだけど、自分じゃ良く分からないの。 でもみんなに言われるから、やっぱりそうなんだよね」 この時期に小学6年生といったら、もう中学生になる直前だから、こんなに背が高い 子がいても不思議じゃないけど、こんな近くで大きな小学生を見上げていると、 恐怖さえ感じる。 「あなた、確か小学5年生だよね?久美もあんまりまくしたてないの。下級生が おびえてるでしょ。もうちょっと落ち着て話しなさいよ」 「ごめーん」 確かに小学5年生の子と間違われて誘拐されたんだけど。目の前の大きな6年生に おびえているのも確かだけど。だから小学5年生の振りをして押し通せばいいのかも しれないけど、本物の小学6年生の前で24歳の僕が小学5年生の振りをしなきゃ いけないのもみじめだ。5年生の教室に行けば、僕の事を知らない子ばかりで、 ちょっとは楽だろうか?でも小学5年の教室に放り込まれるのは今以上にみじめだし、 一応5年生が巻き込まれた事件だから、僕の顔を覚えているかも知れない。 それだと余計にみじめだ。どうしよう。答えるのをためらっていたら。 「あれ?でも確か誘拐された子って、山田小学校だったような」 あの時適当に答えた小学校名をまだ覚えていた。どうしよう。 「あの誘拐事件って、誘拐されたのは大学生の男の人じゃなかった?」 全然別の子が口をはさんだ。 「んー?確かにそういう話を聞いた覚えがあるけど、あれが大学生の男の人だなんて、 ありえないよ。あなたなんでしょ?」 「あの、はい…」 圧倒されて答えてしまった。 「ほら」 「うん、確かにテレビに映ったのはこの子だと思うけど。でも大学生の男の人って 言ってたよ」 「つまり、この子が大学生の男の人?」 「そう言ってた」 斜め隣に座っている女子が立ち上がって僕に顔を近づけた。 「えー、そんなわけないよね?大学生の男の人じゃないよね?小学5年生の女の子 だよね?山田小か私立か知らないけど。どっち?」 山田小か私立の小学生か大学生の男の人か。嘘が二重三重に重なっているのも 気が引けるし、どういう嘘をついてたのか忘れてしまいそう。 「だ、だいがくせいの…」 目の前の小学生の顔が恐く、つい本当の事を言ってしまった。 「え、マジ?大人の男の人なの?」 「うそー?ほんとに?」 少し離れた所に座っていた女子4人が立ち上がって、僕を取り囲んだ。小学5年生に 間違われるような僕から見れば、十分に体格のいい女子5人が立って、僕の周りを 取り囲んでいる。座ったままの女子を含めれば8人に囲まれている。男子は離れた 場所に座っているから、遠くから見ているだけ。 「あなた、本当に大学生の男の子の人なの?」 「確かに小学生に間違われて誘拐されそうだけどさー」 「本当に大学生?」 「本当に男の人?」 おしゃべりな子を止めた女子が、みんなを止めた。 「こらこら、下級生が困ってるじゃないの」 「えー、でも大学生って言ってるから、下級生じゃないでしょ?」 「でも、確かに5年生くらいにしか見えないよね」 「何か証拠はないの?大学生って分かる証拠か、小学5年生だって分かる証拠か」 知らない小学6年生女子に取り囲まれて騒がれて、かなり心細い。 黙ってもらえるのならなんでもいいや。カバンから学生証を取り出す。 「こ、これで、どうですか?」 おしゃべりな子にすぐに取り上げられる。 「確かにこの子の写真が貼ってある。TD大学だって。知ってる?」 取り上げた子が周りを見回す。 「知らなーい」 「私も知らなーい」 「聞いた事あるけど、どこだっけ?」 「知らなーい」 自分が通ってる大学、小学生には全然知られてないんだ。有名ではないとは思って いたけど、ここまで知られてないなんて。 「いとこが通ってるよ」 一人知ってる子がいた。良かった。 「あっちの方。岸部を越えて、八幡になる辺り」 「あー、あれって大学だったの?」 「あっちの方、行った事ない。全然知らない」 隣町なのに行った事ないって。でも一人知っていれば十分か。 「本当に男の人なの?」 「佐藤透って書いてある。あ、男って書いてある」 「えー、マジで男の人なの?」 「桐岡さんの方がよっぽど男の人って感じだけど」 「桐岡さんと比べたらダメだよー」 「年はいくつなの?本当に大学生なの?」 「えーと、今年からこの年を引き算すると…24?」 「24歳?」 「佐々木先生って23歳じゃなかった?」 「佐々木先生より年上なの?」 「佐々木先生の方がずっと年上の男の人みたいじゃん」 「えー、そんな事言ったら、佐々木先生が怒るよ?」 なんだか余計にみじめな事になってる。それに、僕が大学生の男だってばれたから、 やっぱり小学校からは追い出されるんだろうか。小学生に見えるからって小学校に 放り込まれた上に、小学生じゃないから追い出されるなんて。 「ねえねえ、テレビに映ってたんだよね?」 「僕は自分で見てないけど、そうらしいです…」 「『僕』だって。男の子みたい。あはは」 「でも男の人なんでしょ?」 「ああ、そうだった」 こんな調子で話し続けるのも辛くなってきた。でも黙ったら黙ったでうるさそうだし。 「大きなひらひらの襟の服だったよね?ピンク色の」 「あの、はい…」 誘拐された後に着せられて服を思い出して、恥ずかしくなる。 「男の人なのに、あんなのを着てたの?」 「あれは犯人に無理やり着せられて」 僕があんな服を着ていたのを、みんな見てたんだ。いや、もしかしたら全国の人が 見てたかも。今もあの服を着てここに座っているような気がしてきた。 「えー、私ならー、あんなのを着せられそうになったら暴れちゃうよ」 「でも、あの時はライターを顔に近づけられて…髪の毛がちょっと…焼けて…」 「えー、うっそー」 「こわーい」 あの時の事を思い出したら、なんだか涙が出て来た。 「あー、みんながそんな事を言うから、思い出して泣き出しちゃったじゃないの。 6年生が下級生を泣かせてどうするの!」 「大学生だから下級生じゃないけど、泣かせちゃってごめんねー」 「ごめーん。でも泣いてるあなたをみたら、やっぱり大学生の男の人にみえないよ」 「うん、やっぱ小学5年生の女の子に見えちゃう」 そんな事を言われたら、自分が本当に小学5年生の女子になったように思えてくる。 千葉の小学校で先生に保護された時のような気持ち。今は目の前にたくさんの小学生 の女子がいて。でも知ってる人がいないから寂しくて。 「みんなー、ちょっと静かにしてー」 声がしたのでそっちを見たら、僕を校門に引き入れた先生だった。 「消火にまだ時間がかかるそうなので、夜遅くなりそうです。お父さんお母さんには 連絡して、迎えに来てもらう事にしました。ですからしばらくこの教室で待って、 お父さんお母さんと一緒に帰ってください。お父さんお母さんが、火事が起きている スーパーよりもこちら、小学校の近くや岸部の方にいる場合は、早く迎えに来られる かもしれないので、出来るだけこの教室にいてください。それと、後でお弁当が あります。給食係の人に配ってもらうので、呼ばれたら来てください」 先生が大きな声で一通りしゃべった。まだ消火が終わってないんだ。当分帰れない。 まだしばらく小学校にいて、小学生に囲まれて質問攻めにされるんだろうか。 先生を見ながらそんな事を考えていたら、先生が僕の方に近づいてきた。 「山田3丁目に住んでて家に帰れないという私立の子よね?」 もう周りの子に『大学生だ』って話した後だから、いまさら私立小学校の子だとは 答えにくい。ちょっと困っていたら、周りがしゃべり始めた。 「この子、大学生の男の人だそうです」 「は?」 「先生よりも年上の男の人だそうです」 「え?」 「どう見たって佐々木先生の方が、年上の男の人に見えるよ」 確かに体育教師みたいで、背はそれほど高くないけど僕よりは高そうだし、結構 がっしりした体型で、今はオレンジ色のジャージだから女性のような気もするけど、 青のジャージだったら男の人だと思うかも。 「えー、なんだって?」 「あの、先生、この子は、夏休みに間違われて誘拐されちゃった子です」 誰もまともに説明する気がない中、またこの子が止めに入った。 「え?」 先生がしばらく考え込んだ。 「あれって、確か間違われて誘拐されたのは、24歳の男子大学生じゃなかった?」 「だからこの子が、その小学5年生に間違われた24歳の男子大学生です」 こんな事を大声で説明されるのもすごく嫌だ。でも説明してくれないと話が進まない。 「ああ、確かに私も『この子が男子大学生?』って思った。あの子か」 「こちらが23歳の女性教師。こちらが24歳の男子大学生。だって」 そんな事をいちいち声に出して確認しなくても。先生もなんだか複雑な顔をしている。 「確かにテレビで見たのはこんな感じでしたけど…あなた、本当に24歳の男性? ……ですか?」 敬語を使っていいのかも迷っているみたいだ。ここまで周りに言われて返事するのも 恥ずかしいけど、ここまで言われて返事しない訳にもいかない。 「そう…です…」 先生はまだ頭をひねっている。 「ほら、これ」 僕がさっき見せて、すぐに取りあげられた学生証を、取り上げた女の子が先生の前に 突き出した。 「佐藤透…そういう名前でしたね、たしか。えーと、はい。確かに私より一つ年上 です」 わざわざ『私より一つ年上』なんて言い方をされてショック。自分の誕生日の前の年 だからそう思ったんだろうけど。 「じゃあ私、男子大学生を小学生だと思って小学校に引き込んだ…わけですね」 「そういう事です…」 改めて説明されると恥ずかしい。一つ年下って事は、つまり小中学校で1学年下 だった下級生なわけで。その下級生が先生になって小学生に先生と呼ばれてて、 上級生だった僕が小学生の中に放り込まれて、下級生だった人を先生と呼ぶ子達と 同じ扱いをされて。もう嫌だ、早くこんな所から逃げ出したい。 「だから、もう帰っていいですよね?」 「ダメです」 先生にきっぱりと言われた。 「ど、どうしてですか?」 先生も、言ってしまってから『しまった』という顔をしたけど。 「今あなたみたいな子が外に出て、家に帰れずうろうろしてたら、いろんな人に 迷惑がかかります。だから消火が終わって帰れるようになるまで、ここにいなさい。 ……という事でお願いします」 先生口調でまくし立てられた後に丁寧にお願いされても、先生に叱られたような 気持ちになってしまう。年下の先生に叱られている小学生みたいな気持ちになって きた。小学生なのにさらに年下の先生なんておかしいけど、そういう気持ちになる。 「夜遅くなると思うから、お父さんかお母さんに連絡を……は必要ないか」 元々はそれを聞きたくて僕の所に来たんだろうけど、全く意味がないわけで、 何をしていいのか困っているようだ。 「ええと、それじゃ、夜は私が送っていきますから。夜遅くなると思うし」 年下の女性に『送っていきますから』なんて言われて、本当に小学生女子のような 扱いをされて悲しいけど、『一人で帰ります』なんて言ってもまたまくし立てられる ような気がする。 「えー、先生、一つ年上の男性を連れて帰るんですかー?可愛いからって襲ったり しないですかー?」 「佐々木先生に押さえつけられたら、絶対に逃げられないですよねー」 女子の一部が変な事を言い出した。 「あ、あなたたち、何を」 先生も困っている。 「あ、あなた達だって24歳の男性を取り囲んで、いじめてるんでしょうが」 先生の反論もなにかおかしい。 「先生ほど強くないですよー」 「この子だったら、伊藤さん一人でも押さえつけられるでしょ」 先生は僕を指さしながら言った。年下の先生に指さされて『この子』と言われた。 「えー、さすがに私は先生ほど乱暴じゃないですよー」 「先生って突然襲いかかるしー」 「私がいつそんな事をした?」 「いつもじゃないですかー」 「おまえら…」 なんだか先生が怒ったようだ。 「おまえら9人、低学年の弁当配りを手伝え!」 「えー?」 「なんで私たちがー」 「3人で1学年ずつ、1年から3年まで!」 「随分待たされて、話す事なくなってきたから、いいか」 「はーい」 「ほら、行くよ」 立ち上がった女子から手を引っ張られた。良く分からずに立ち上がってしまった。 あれ?立ち上がったのは、1、2、3、4、5、6、7、8。全部で8人。 僕の周りにいた8人。先生は9人と言った。もしかして、僕が入ってる?