いきなりティーチャー(1)  ひっどいわよ、うちの親。普通さー、こう いう時って、親がついてくるもんじゃない? 中学1年の時はまだ日本にいたけど、先輩達 に聞いた高校受験の話だと、ちゃんと親の控 え室もあるって話だったよ?私の場合は帰国 子女向け編入試験なんていう、普通の子は受 けない、訳分かんないもんだよ?そりゃあ、 仕事でアメリカを離れなれないかもしれない けどさ、せめて書類を取り寄せて、書くのく らい手伝ってくれればいいのに。住む場所は 大阪の伯父がどうにかしてくれたけど、大阪 に住んでるからそれ以上は頼みづらいし。 英語の書類と日本語の書類が入り混じって、 何がなんだかさっぱり分からない。どれが 必要なのかも分からない。仕方ない、高校に 押しかけて、全部先生にやってもらおう。 ずうずうしい生徒と思われるかもしれないけ ど、そんなノンキな事言ってなんない。服装 はこれで……いいんだよね。良く分からない けど。日本の高校に通ってたら制服着ていく ところだろうけど、アメリカから帰ってきた ばかりだから、どんなの着ればいいか分から ない。従姉のカヨさんにもらった物だし、 大丈夫かな?  ずずずーーーーっ。残りのアイスコーヒー を残らず吸い込む。よしっ。新しい高校の職 員室に乗り込むぞ! 「あ、書類を落とされましたよ。あなたので すよね?」 え?あ、大事な書類を落としちゃった。 「あ、すみません、ありがとうございます」 なんかしょっぱなからドジ踏んでるけど、 よしっ、いくぞー。 「あのー、すみませーん」 新川学園高校。夏休みで少ないけど、制服を 着た生徒とすれ違う。ふーん、まあ、悪くは ないかな。正門からまっすぐ入って、真正面 の入口の横にある小さな窓を覗き込む。中を 見ると、この中が職員室みたい。 「こないだ試験の件で電話した者ですけどー」 「あ、はい、聞いてます、教頭をお呼びしま すので、そちらを回って最初のドアからお入 りください」 教頭先生?い、いきなりそんな先生が。とり あえず職員室の入口に立つ。 「あーら、よくいらっしゃいましたわ、こち らの部屋にどうぞ」 隣の小さな部屋に入る。 「えーとお名前はなんでしたっけ」 「左藤美香です」 「はいはい、左藤さん」 「必要な書類が良く分からないんで色々持っ てきたんですけど」 「あ、袋ごと頂きますわ。そこにおかけに なって。えーと、はいはい、これが一番大事 ですね、これとこれはあれば十分と。あとは、 あ、ここに一応顔写真を貼っていただけない かしら」 「あ、写真は小さいんで、こっちに、はい、 これです」 「あ、ここにシールが貼ってあるから、ぺた っと。……住所はまた変わるでしょうから、 住民票を移して正式に決まってからで結構で すわ。あとは、ここに名前を自筆で。」 「はい」 左藤美香、と。 「それではと、一応試験をさせて頂きます。 問題はこちらにございます。えーと、とりあ えず1時間という事で。ちょっと書類をコピ ーしてファイリングしてきますから、どうぞ 始められてください」 え、いきなり試験?まあ、さっさと済んでく れた方がいいけど。いきなり渡された問題用 紙を見る。英語の試験。帰国子女対象だから かな?……意外と難しい……うーむ。 「えーと、ここの部屋で……」 男の先生が入ってきた。 「あ、今使ってるんだ、失礼」 わ、かっこいー。かっこよくて優しそうな先 生。こんな先生がいる高校なんだ。よし、 なにがなんでも合格するぞ。 ……まあ、こんなものかなぁ。うーん、多分 大丈夫。 「お済みになりましたか?」 「はい、これで大丈夫です」 「それではちょっと失礼」 教頭先生はいきなり赤ペンを取り出して、そ の場で採点し始めた。 「ふむふむ」ささ。「ふむふむ」ささ。 はや。 「よくお出来になられましたわ。あとは…、 面接という事で、抱負でもお聞かせ願えれば」 抱負?なんだろ。高校生活の抱負かな。 「えーと、中学と高校の3年近くをアメリカ で過ごしたので、日本の学校生活ってよく分 からない所があるんですけど、それでも一生 懸命がんばりたいと思います」 「あら、そうですの、それは大変よい体験で ございますわ。あちらでの体験を生徒にどん どんお話になって頂きたいところでございま すわ。日本の学校生活なんて小学校も中学校 も高校もそんなに変わりませんし、1年もす ればすぐに分かりますわ」 なんだかよかったみたい。うん。 「今回は私に全て裁量がありますのでこの場 で決めてしまいましょう」 はや。 「採用いたします。決定です」 よかった………さいよう? 「全然応募が来なかったからどうしようかと 心配しておりましたわ。本当にあなたのよう な優秀な方に来て頂いて、教頭として大変嬉 しく思います」 「はあ」 「それでは9月から教壇に立って頂きます。 1年生の英語を3クラス分、年度の途中から ですけど、よろしくお願いします。授業で使 う教科書と、前任者のメモをお渡しします」 でっかい紙袋1個。どすっ。 「えっと、お返しする書類はこちら」 封筒を紙袋の中に。 「正式には9月1日付辞令という事になりま すけど、給与は銀行振込になりますので、 銀行の口座番号をお教えいただけると助かり ます」 「銀行の口座…通帳はこれですけど…」 さらさらさら。 「9月1日から2学期が始まりますので、 辞令前ですけど8月25日から来ていただけ ると助かります」 「は、はあ、わかり…ました」 教頭先生に促されて立ち上り、小さな部屋を 出て職員室へ。 「それではこれから長いお付き合いになりま すが、よろしくお願いしますわね」 「はあ…」 「あ、もしかして、例の、代わりの人、この 人に決まったんですか?教頭先生」 あ、さっきのかっこいい先生だ。わーい。 合格決まったしー、毎日会えるぞー。 「はい、さきほど決めました。ようやく決ま りましたわ。本当に良かった」 「お名前は?」 「左藤です、左藤美香」 「僕は小林です。2学期から毎日顔を合わせ るわけですね、よろしくお願いします、左藤 先生」 手を出してきたんで、握手。温かい手。 「それでは失礼」 小林先生は廊下に消えた。 「はあ…はあ?」左藤、先生? 「吉永さーん、次の予定は何でしたかしら?」 「理事会が開かれます。会議室の方へ」 「はーい、いそがしいいそがしい」 教頭先生は廊下を早足で駆け抜けていった。 ??左藤先生?さいよう?教壇に立って頂く? 銀行振込?……左藤先生???わたし、もし かして、先生になる試験を受けて、それに合 格して、先生として採用されちゃったわけ?? ちょちょちょちょ、どうしよー 「出口はあちらですよー、2学期からよろし くお願いしますねー」 「は、はあ…」 その声に押されて、正門へと向かった。 振り返るとそこに掲示板。 『帰国子女編入試験合格者発表』 え、もしかして……終わってる……の? 仕方なく、一人で住む事になるアパートに 帰り着いて、もらった紙袋の中を見る。 「英語I指導書」「1年3組出席簿」「1年 3組成績簿」「教職員名簿」 どうみても先生が持つべき道具ばかり。返し てもらった封筒の中身を見てみる。『教員免 許状』?なんでこんなのが入ってるわけ? ……あ、あの時拾った封筒、私のじゃなかっ たのかな?これってちょっとやばくない? ちゃんと正直に言って、取り消してもらわな いと………『給与:基本給25万円』……… えっとー、ちゃんと先生として仕事をすれば、 この給与は、私が貰えるんだよね……でも、 さすがに先生の仕事をやるのは………でも、 あの小林先生……と握手した手……あの先生、 私を新しい先生だと思ってるんだよね……… 今更生徒です、って言うのは………あ、帰国 子女編入試験は終わってる。もう他の高校 しか受けられない。素直に話して、他の高校 に行って、もう小林先生とは会えないか…… 先生として小林先生と毎日会うのか……… どっちが……試験をして、ちゃんと採点して、 採用してくれたんだしー。大丈夫だよね。 出来るよね。多分。やっちゃおうか。先生。 やっちゃおう。うん。よし、やろう! ……で小林先生に会いにいくと。 ただいま本屋さんの前。ファッション雑誌を 眺めております。……あの服、多分カヨさん が就職活動で着た服だったんじゃないかなー。 「リクルートファッション」として載ってる のと同じだしー。先生の試験を受けに来たと 思われても仕方ないよねー。しばらくはああ いう感じの服で頑張ろうかー。  ふと顔を上げると、制服を着た高校生。 あれは新川学園の制服だ。あっちは別の高校。 私、本当はあの中のどれかを着る……はずだ ったんだ……それが先生としてこっちの服… …でも新川高校は今更無理だし……小林先生 に会うためには……こっちしかないし…… うん、頑張ろう。 「先月お辞めになった南川さんに代わって、 9月から英語科を担当して頂く、左藤美香さ んです」 「左藤美香です。よろしくお願いします」 「よろしくー」 何十人もいる先生達。当然おっとなーな人達。 おじいちゃんおばあちゃんと言ってもいいよ うな先生もいる。若い先生もいるけど、私よ りは十歳は上だよね。だって私、まだ16歳 なのに… 「そーんな固くならないで。力抜かないと、 何十人もの生徒の相手をしてらんないよ、 左藤先生」 40歳くらいの先生から『左藤先生』って呼 ばれた。なんだか変な感じ。偉くなったよう な、でも、まだ高1と同じ歳なのに、いいの かな。 「校務分掌は、小林先生、年度途中ですけれ ど、南川さんに代わって生徒指導主任をやっ て頂いてよろしいでしょうか?」 「はい、やります」 「では中野先生が小林先生に代わって、図書 情報主任をお引き受け頂けますか」 「は、はい、大丈夫です」 「それでは左藤先生が放送・視聴覚室担当と いうことで、お願いします」 「はい、分かりました」 「では異動があった校務分掌で引継ぎをお願 いします。今日はこんなところですね。今日 も元気にがんばりましょう」 ざわざわざわ。先生達の輪がくずれた。  小林先生と中野先生、その他に数人が私の 周りに集まってきた。さっそく小林先生の 近くだー。わーい。 「えーと、中野先生、分かりますよね?会議 の開催と書類の取りまとめと予算のチェック くらいですから、主任の肩書きなんて」 「いやー、そういうのが苦手なんですよー」 「ま、体験ですよ」 「はー」 「左藤先生」 「はい」 わ、小林先生が真正面から話しかけてくる。 「全校集会とかの時にちょっと忙しいですけ ど、細かい事は生徒にやらせちゃえばいいん です。生徒をこきつかうのが仕事だと思えば いいんです。それが忙しいんですけど」 「は、はあ」 結構顔を近づけて話しかけてくる。そんなに 近いと… 「あとは備品のチェックして、壊れたら購入 の検討に入る。そのくらいです。教頭先生も、 年度途中に入ってきた若い先生に気を使って、 3人も動かしたんでしょう。……その分授業 がんばってくださいね」 「あ、はい」 「じゃあ僕は生徒指導の方に行きます、後は よろしく」 「えっと、年度途中ですけど、主任をやらせ ていただきます。よろしくお願いします」 「がんばってくださいよー」 「はははは」 …えっと、つまり、小林先生はこのグループ の主任だったけど、他の所にいっちゃったと。 がーん。ちょっとショックー。せっかくの チャンスが減ってしまったー。 「え、えっと、ここに備品の一覧があります。 鍵はここにありますが、左藤先生の管理にな ります。暇な時でよいですから、一覧を持っ て見て回られてください」 「そ、それじゃあ、今から見てきます」 「放送室と視聴覚室は上の階です。あとは 体育館の設備」 「ありがとうございます、では」  上の階に上がって放送室に入る。中学1年 の時は放送委員だったなー。そう、こういう 感じ。私の中学の時のは、機械がボロボロで、 ガムテープであちこち貼り付けてたけど。 ここは新品。しばらく心配いらないわね。 放送委員の生徒がここに来るんだ。小林先生 が言うには『生徒にこきつかうのが仕事』だ って。生徒をこきつかう……って、私と同じ 歳か上の人だよね。それって、大丈夫かなー。 「えっと、年度途中ですけど、放送視聴覚の 設備責任者と放送部顧問を、新任の左藤先生 にやっていだたく事になりました」 スーツ姿の私を、十人ほどの生徒が取り囲む。 もちろんみんな制服。2年生って私より年上、 それは見た目で分かる。その人たちに、私が 先生として紹介される… 「よろしくおねがいしまーす」 みんな一斉に頭を下げてあいさつ。ははは、 気持ちいいんだか悪いんだか… 「部長の2年2組、森下です、よろしくお願 いします」 仰々しくまた頭を下げてくる。見上げるくら い大きい男子、制服着てなかったら大学生と 言われても不思議じゃないくらい…おっさん くさい。高校生の割には。 「ははは、よろしく……ね」 こんな人を相手に先生ぶるのって、ちょっと、 複雑な気持ち。 「左藤先生は、今日は壇上にあがって頂くの で、僕が面倒を見ます。どうぞ、あちらへ」 と導かれたのは、校長先生の隣。 「やあ、左藤先生、生徒達にしっかりと教え てくださいよ、お願いしますよ」 「よ…よろしくお願い…します」 目の前にいるのは1年生。ちらちらこちらを 見て、何か話している。本当は私、あの中に いて、あの中でおしゃべりしているはずなの に、スーツ着て先生の側にいて、先生みたい に偉そーにしてなきゃいけないなんて。いい んだか、悪いんだか…悪いんだよね。でもー、 すぐ後ろに小林先生が立ってて、顔は見れな いんだけど、ちょっといい気分。これはいい んだよね。 「それでは2学期始業式を始めます。最初は、 校長先生のお話です」 「では、ちょっと行ってきます」 と言って壇上へ。 「えー、みなさんおはようございます。長い 夏休みが終わり2学期となりました。2学期 がたくさんの行事があります。運動会に文化 祭、1年生は修学旅行。一方で3年生は、大 学受験が近づきました。早い人なら2学期中 に入学試験が…」 次は私の番。ちょっとドキドキ。小学校や 中学校、アメリカでも、全校生徒の前に立つ 事はあったわよ。でも今日は「新任教師」と して、全校生徒の注目を浴びるの……本当は 16歳、1年生と同じ歳なのに。 「…2学期も悔いの残らないよう、それぞれ 頑張ってください」 校長先生が壇上から降りてきた。 「ささ、どうぞどうぞ、全校生徒にしっかり と顔を覚えられてきてください。1年生は これから2年半も指導するんですから、なめ られないように、堂々とした威厳ある態度で。 はい、いってらっしゃい」 校長先生に背中を押された。 「校長先生のお話を終わりまして、次は、 新任の先生の紹介です」 壇上に上がる。……ひえー、何百人の目がこ っち向いてるー。3年生なんて全然大人じゃ ないの。それに向かって『私が先生ですっ』 って言うの?壇の下で教頭先生がマイクを 握って話し始めた。 「南川先生が1学期でご退職なされまして、 その後任として、左藤先生に英語の授業を 担当していただく事になりました。」 えーと、なめられないように、堂々とした 威厳ある態度で、うん、そうなんだ。 「今年は1年生の英語の授業を担当して頂き ます。それでは左藤先生」 「このたび、この学校の教師を務めさせて頂 く事となりました左藤美香です。授業では厳 しく、しっかりと英語を教えていくつもり です。…それ以外では、みなさんが楽しい 学園生活を送れるよう、私も努力していく つもりです。よろしくお願いします」 ぱちぱちぱちぱちぱちぱち。 …威厳、あったかな?分かんないや。元の 場所に戻る。小林先生と目が合った。 「よかったですよ」 肩をぽんと叩かれた。…うん、よかったんだ。 「次は生徒指導部からのお話です」 「えー、2学期が始まりました。その2学期 早々から遅刻する人がおりました。実に残念 な事であります。夏休みが終わり2学期が始 まったのですから…」 う、生徒の前では小林先生って恐いんだ。 生徒から恐がられてるんだろうなぁ。今まで 見た小林先生と全然違う。生徒指導主任だか ら、そうしなきゃいけないのかなー。私も、 あんな風に……できるかなぁ。