早起き(5) ようやく金曜日の授業が終わった。家に向かってとぼとぼ歩く。 冬服って重たいなあ。まだちょっと暖かいから、汗を吸って重いのだろうか。 そんな事はないか。大きくて重いような気がする。それってつまり、1年生の時に 大きめのを買ったけど、僕が成長しなかったから大きくて重たいままってことなのか? なんだよ、それ。 駅前の本屋の前まで来た。入口の棚を見るとちびぐみが置いてあるけど、僕が買って もらったものと表紙が違う。新しい号が出たんだ。ちびぐみのシズク様が思ったよりも 大人っぽく描かれていてかっこよかったから、また買ってみようかな。800円くらい なら今持ってるし。でも小さな子向けの雑誌を自分でレジまで持っていって店員さんに 差し出すのはちょっと。かといって、また恵理子さんに買ってもらうのもミジメな気も するし。お金まで出してもらうのはみっともなさ過ぎるから、お金はちゃんと渡して 『お姉ちゃん、ちびぐみを買ってきてください』とか。わーわー、それは言えない、 いくらなんでもそれは言えない。 そうだ、男子の服じゃないのなら、レインボーボックスと同じように買えるかも。 恵理子さんの服を借りて、それを着て買いに来ればいいんだ。などと考えていると、 同じクラスの女子が本屋に入っていった。知ってる人に見られるかも。とてもここじゃ 買えない。 そうだ。明日は久美子さんちに行くんだから、行きか帰りによその町の本屋さんで 買えばいいんだ。朝は早いから、帰りに寄り道すればいい。よその町の本屋さんが どこにあるのか全然知らないけど、恵理子さんか静香さんに教えてもらえば。 そのくらいなら聞くのも恥ずかしくないし。もしかしたら久美子さんも知ってるかも。 久美子さんになら尋ねやすい。うん、そうしよう。 明日久美子さんちに行くことだけ考えればいいや。だったら、明日着て行く服の事を 考えないと。明日は朝早いし、自分で選んでいる暇なんてない。恵理子さんが適当に 選んだのを着ることになっちゃう。今日のうちに選んでおこう。 ということで、制服を脱いで着替えた後、恵理子さんの部屋に入る。家の中には 誰もいないのに、当分は誰も帰ってこないのに、それでも足音を立てないように こっそり歩いてしまう。 タンスの前に座って、引き出しを引く。こないだ着たのが一番上にあったので、 それは横に置く。その下に灰色の服があった。絵柄は何もないし、柔らかい生地で きつくなさそうだし、これがいいかな、と思って取り出してみた。でもよく見ると、 袖と裾がちょっと波打っていて、ヒラヒラしているように見えてドキっとする。 恵理子さんってこんなのを着た事あったっけ?フリルではなくて少しヒラヒラして いるだけで目立つわけでもないから、僕が気付かなかっただけかも知れない。 ということは、あまり目立たないのかな?それならこれを着てもいいと思うけど。 でもこうして見てると気づきそうな。 そうだ、また上から何か着ればいい。でも上から着るのが大きな丸い襟というのも。 あ、これは襟がないから大丈夫かな。着たことがない感じの生地だけど、これなら いいと思う。それとこのジーパン。赤とか黄色とかないし、いいかも。 でもそれ以前に。恵理子さんはいつももっと普通っぽいTシャツとかジーパンとか を着ているのに。確かに僕よりもサイズが大きいんだろうけど、少し大きい程度なら 問題ないわけで。恵理子さんは、自分のお気に入りの服を僕に着せるのがイヤなのかも 知れない。でもだからといって、恵理子さんがもう着なくなった服とか、お母さんが 買ってきたけど全然着る気がない服とか、そういうのばかりを僕に押し付けられるのも 癪だし。こっちのタンスに入っている服を試しに着てみよう。それでちょうど 良かったら、『こっちがいい』って言えば……怒られるかな?でも、恵理子さんが 帰ってくるまでまだ時間があるし、試しに着てみて、それからお願いするかどうか 考えよう。 とりあえず半袖だけど、これは男子が着てもおかしくなさそう。大きそうだけど。 まずは今着ている服を脱いで、これを着てみる……あれ?大き過ぎるっていうか、 なんか変。首回りが大き過ぎて、下着が見えちゃう。それに縦方向は短くて、 おへそが出ちゃう。あ、これは下に何か着て、その上から着るんだ。恵理子さんは 確かそんな風に着ていたはず。一度脱いで。この黒色の長袖の服を着て、その上から この半袖を着て。 そうそう、こんな感じ。恵理子さんっていつもこんな感じだ。ジーパンも恵理子さん のをはいてみよう。あれ、これって僕のジーパンよりも細いぞ。はけるけど。 鏡を見ると、いつもの恵理子さんの服装って感じだ。普通に着れるじゃないか。 小さくなりかけの服かも知れないけど、それならそれで『これちょうだい』って お願いしやすいし。恵理子さんの服だから全然きつくないけれど、鏡の中の自分が なんだかすごく小さく見える気がする。でもそれは僕が恵理子さんと比べてすごく 小さいだけで、仕方ないのかな…。 まあいいや。これなら恵理子さんみたいにかっこいい感じで、町を歩いても恥ずかしく ない。嬉しくて鏡の前でポーズをとってみたりする。 その時、突然ドアが開いた。 「リンちゃん、ここにいたんだ」 恵理子さんが現れたからびっくり。 「え?なんでこんな早く帰ってきたの…」 「もうすぐ試験だから、部活は試験休み」 そうだ、そういう時期だったんだ。 「リンちゃん、もしかして明日着て行く服を探してたの?」 びっくりしたけど、お父さんお母さんじゃなくてよかった。『前もって服を探して おけばいい』って言ったのは恵理子さんだから、怒られないはず。 「そ、そう、明日着て行く服はどれがいいかなって…」 「でも、その服を着てるの?」 あれ、この服はやっぱり怒られるのかな。そう思ってちょっと身構える。何か言い訳を しなきゃ。 「う、うん、でも、こういう服の方が、いいかなって…」 そうだ、これが欲しいって今お願いすればいい。怒られるかもしれないけど、 もう着ちゃったんだし… 「ふーん。もしかして、私の真似をしてるのかな?」 そう言われてドキっとした。 「『お姉ちゃんみたいになりたい』とか思って、私の真似っこをしてたのかな?」 なんだか僕が、恵理子さんみたいになりたいと思って、妹の服装を真似っこしている ように言われて、急に恥ずかしくなってきた。学校から帰ってきたばかりの大人っぽい 制服姿の恵理子さんにそんな事を言われたら、僕が本当に、お姉ちゃんの真似っこを している妹になっちゃったような気がしてしまう。 「そ、そんなんじゃなくて、ほら、こういう服って男子でも着てそうな服だから、 僕が着ても変じゃない、そう思って」 さっき鏡を見ていて、『恵理子さんみたいでかっこいい』と思って嬉しかった事が すごく恥ずかしくなって、その分必死になって言い訳を考える。 「これなら町を歩いてても、変じゃないと思って」 「リンちゃんは可愛い服でも変じゃないよ。静香ちゃんと久美子ちゃんにも言われた でしょ?」 「あの、その、お父さんお母さんの前でも、着れるかなって。うん」 うん、この言い訳なら。 「そうか。なるほどー」 どうやら納得したみたいだ。 「それ、少し小さくなったし、そういう事ならリンちゃんにあげるよ」 良かった。怒られなかったし、この服をもらえたし。 「今日はそのまま、その服を着て過ごせばいいから」 え? 「今日はそのままって、夜までずっと?」 「そう。晩ご飯の時も」 「それじゃお父さんお母さんに見られる…」 「お父さんお母さんの前でも着られるんでしょ?」 確かにそう言ったけど… 「で、でも、これを明日着て行くつもりで…」 「こっちの服を着ていけばいいじゃない。これにするつもりだったんでしょ?」 恵理子さんは、僕が足元に広げていた服を指さした。 「そうなんだけど、でもこっちの方が…」 「久美子ちゃんや静香ちゃんに、私の真似をしてるの?って聞かれるよ、きっと」 「そ、そうかな…」 そう言われそうな気がしてきた。それはさすがに恥ずかしい。二人とも僕の事を 恵理子さんの妹だと思ってるんだろうけど、それでも僕が恵理子さんの真似をしてる って思われるのは、恥ずかし過ぎ。 「ただいまー」 お母さんの声だ。お母さんまで帰ってきた。どうしよう。 「今日はいつもより早くご飯を作りますからねー。早く手伝いに来なさーい」 「お母さんもああいってるし、今日はそのままでいいでしょ?」 「うん…」 「明日着て行くのは、これとこれ、だよね」 恵理子さんが床に広げた服を拾い集めた。 「ほら、自分の部屋に持って行って、明日の朝すぐに着ればいいでしょ。明日の朝は 早いんだし」 「うん…」 明日着て行く服を受け取って、恵理子さんの部屋を出た。 いくらかっこいいと言っても、妹の服を着てお母さんの前に行くなんて恥ずかし過ぎ。 自分の部屋に戻り、机の上に服を置いた後、やっぱり恥ずかしくて廊下に出られない。 そうだ、今は恵理子さんが着替えているんだから、その間に僕も着替えればいい。 恵理子さんも無理やり僕を着替えさせる事はないだろう。ジーパンまで着替える暇は ないから、上だけでも。えっと、どれにしよう。 と悩んでいたら、恵理子さんが来た。 「リンちゃん、まだ部屋にいる?」 ちょっと悩んでたら着替え終わるなんて、着替えるの速過ぎ。 「ほらほら、お手伝いにいく」 「うん…」 背中を押されて台所に向かう。後ろに大きな恵理子さんがいるから逃げられない。 仕方なく、足音を立てずに静かに台所に入る。 「恵理子、冷蔵庫にあるお味噌を取って」 お母さんはこっちを見ないでそう言った。恵理子さんが来たと思ってるんだろうか。 言われた通りにお味噌を取って、お母さんの手元に置く。 「ありがとう。あと……あら?」 お母さんがこっちを見た。何を言われるんだろう。そう思っただけでおなかの辺りが 締め付けられた。 「恵理子、小さくなったんじゃ……倫孝?」 もしかして、この服を着てるから恵理子さんと間違われた? 「う、うん…」 「あら、恵理子はそっちにいたのね。そこにいるのならソースを取って」 「はーい」 「倫孝は、お豆腐もってきて」 「うん…」 言われた通り、冷蔵庫からお豆腐を取ってくる。お母さんは頭をひねっている。 「倫孝、小さくなったんじゃない?」 「小さくなんてなっていないよ…」 …多分。 「なんだか、小学生の時の恵理子みたい」 お母さんにまで小学生だって言われて、ショック。しかも恵理子の小学生の時って、 僕が恵理子さんの妹みたいじゃないか。 「倫孝が着ている服って、恵理子の服じゃないの?」 どうしてそんな事がすぐに分かったんだ?やっぱり毎日見てるからなのか。 話をしている僕とお母さんの間に、恵理子さんが首を突っ込んできた。 「そうだよー、かわいいでしょ」 「恵理子が着せたの?」 「少し小さくなったくらいの私の服が、ちょうどいい大きさみたいだったし」 「そりゃそうでしょうけど」 本当は僕が自分で恵理子さんのタンスから取り出して着た、だなんて言えない。 「でも、それって女の子の服でしょ?」 「そう?グレーと黒だし、別に変じゃないでしょ?」 「色はそうだけど、小さいっていうか。肩幅が小さいような」 「ぴったりだよね?リンちゃん」 お母さんの前で『リンちゃん』て呼ぶのか。恥ずかし過ぎる。 「うん…」 「リンちゃんって、お兄ちゃんを小さな子みたいに呼ぶなんて」 「ちっちゃいし」 「そうだけど。ちっちゃいからってお兄ちゃんを小学生の弟にして可愛がりたいの?」 「だって今さら大きなお兄ちゃんになりそうにないしー」 「だからって、さらにちっちゃくしてどうするの。そんなんじゃ本当に小学生と 間違われて、小学校にもう一回入れられちゃうんじゃないの?」 そんな。僕が小学校に通わされる想像をしちゃった。こないだ見た夢と違って、 男子の服を着て小学生男子に混じって登校する想像をして、ミジメな気持ちになる。 「ほら、倫孝も、恵理子に甘えてないで」 「別に甘えてなんか…」 恵理子さんにレインボーボックスに連れて行ってもらったり、ちびぐみを買って もらったり。もしかして僕って恵理子さんに甘えてるのかな…。 晩ご飯の時もそのまま恵理子さんの服を着ていたけど、お父さんには何も言われ なかった。でも 「恵理子、また大きくなったんじゃないか?」 と言った。僕と比べて恵理子さんが大きく見えたってことだろうか。 それに恵理子さんのお下がりを着てお父さんお母さん、それに恵理子さんと一緒に 晩ご飯だなんて、なんだか本当に僕がちっちゃい子になったような、本当に妹に なったような、そんな気持ちになった。昨日までは、お父さんお母さんがいる時には 僕が年上だという気持ちだったのに。なんかちょっと悲しい。 翌朝。ちゃんと目覚ましを鳴らして、6時半に起きる。 机の上に置いてある、ちょっとだけヒラヒラした服を見る。昨日お父さんお母さんの 前で恥ずかしい思いをして着ていたあの服、あれで出かけられないのかな、と考えた けど、『恵理子さんの真似っこだね』と言われたら同じくらいに恥ずかしいから、 やっぱりやめておこう。色は昨日と同じくらいに黒っぽくて目立たないんだし。 袖と裾がすこしヒラヒラしている服を着て、その上に襟がない服を着る。襟はない けど、首の根元まである服で、確かこういうのをお母さんが着ていたような。 大人の女性が着ているような服にも思えるけど、でも大人っぽいというわけでもない。 あ、袖から下のヒラヒラが出ている。上から着ている服の袖が思ったより短い。 でも今さら着替える時間もない。 「リンちゃん、起きてる?」 恵理子さんが来ちゃった。 「あ、もう着たんだ。似合ってるよ」 恥ずかしいけど、今まで着て出かけた服に比べればそんなに女の子っぽいわけじゃ ないし、久美子さんちに行くだけだし、いいか。 朝ご飯を食べて、歯を磨いて、すぐに出かけて電車に乗る。 僕は久美子さんと一緒にレインボーエンジェルを見ておしゃべりするだけだから、 電車代以外に何もいらないけど、恵理子さんはカバンを持っている。 「昨日お父さんお母さんの前で私の服を着ても、何も言われなかったよね」 「お母さんにはいろいろ言われた…」 「あのくらい言われてないのと一緒」 あのくらいと言われれば確かにあのくらいだけど、十分恥ずかしかった。 「もう気にせずに私のお下がりを着れるよね」 そんな無茶な。 「お下がりと言っても、お姉ちゃんが買ってもらったけど着なかった服は、ピンク だったりフリフリだったり、ああいうのはとても着れない…」 「えー?そう?」 「お、お姉ちゃんが今着ているような服ならいいけど…」 「うーん、今着ている分をリンちゃんにあげると、私が着る分がなくなっちゃうし、 小さくなった服も、何度も着て生地がすれてヨレヨレになるから、捨てちゃうし」 「じゃあ、そういう服で小さくなったのって少ない?」 「少ないねー」 そういわれるとちょっと残念、というか困った。 「そんなに私の真似っこしたいの?」 「そうじゃなくて、他にちょうどいいのがなくて…」 でも、本当は恵理子さんの真似を出来て、かっこいいエリカさんの真似を出来て、 嬉しかったんだけど。僕は、恵理子さんの事を姉として憧れるようになったのかな。 そんな事を考えた自分が恥ずかしくなる。 「私は、リンちゃんが真似してくれて、リンちゃんが私の小学生の時みたいに見えた ことが、ちょっと嬉しかったかな」 今度は恵理子さんに言われた。やっぱり恥ずかしい。 小学校の時には、家庭訪問や運動会のたびに先生から『似てる』と言われて、もちろん 似てて当たり前なんだろうけど、やっぱり恥ずかしかった。昨日もお母さんにそれを 言われた時には、かなり恥ずかしかった。だけど今、恵理子さん本人に言われたら、 本当に僕も恵理子さんみたいにかっこいい女子になれる気がして、少し嬉しくなって、 そんな自分が恥ずかしい。 「リンちゃんが着たいっていうのなら、私が服を買う時に、リンちゃん用に小さいのも 一緒に買っておいてあげようか?」 「え?ほんとう?」 それなら恵理子さんのお下がりでも、恵理子さんが着なかった服でもない。僕の服だ。 サイズ違いの同じ服なら恵理子さんの妹みたいになるんだろうけど、自分の服だから。 「そうしてくれるのなら、嬉しい、かな」 「お下がりじゃなくて、お揃いだね」 そう言われて、また恥ずかしくなった。 ぴーんぽーん。とチャイムを鳴らす。 「はーい」 久美子さんが玄関から出てきた。 「リンちゃんが来てくれたー、うれしいー」 「お邪魔します…」 「はーい、どうぞどうぞ。恵理子さんもあがってくださーい」 居間に入ると静香さんがいた。 「おはようございます」 「おはよう。リンちゃん、今日も可愛い服を着てるわね」 そんなに可愛い服だとは思わなかったんだけど。 「可愛いっていうか、シックな感じだね」 久美子さんにそう言われたけど、シックというのが良く分からない。 「なんていうか、お姉ちゃんに似た感じで、ちょっと大人っぽいかも」 静香さんに似てる?それはかなり嬉しい。 「うん、でもリンちゃんが着てると、ちょっと背伸びして大人っぽい感じにしました ってところが、また可愛らしく感じるの」 つまり小学生が中学生の真似をしてみたって意味?……それでも静香さんの真似と 言われるのなら、まあいいか。 「じゃあ私たちは2階で試験勉強してるから、二人はここにいていいわよ」 「はーい」 静香さんと恵理子さんは一緒に試験勉強をするんだ。 「中学生って大変だね。私も来年中学生になるんだー。どうしよう。私も懸巣川女学院 に行きたくて試験勉強してるけどー、入学しちゃったお姉ちゃん達の勉強の方が大変 そうなんだよねー」 僕は懸巣川女学院じゃないけど既に中学生……とは言えない。静香さんと恵理子さんは 試験勉強なのに、僕は小学生の久美子さんと一緒にアニメを見るだなんて、ちょっと 悪いことをしているような気がしてきた。悪い子の僕は、お母さんが言ったように、 本当に小学校に入れられちゃうんじゃないだろうか。そんな気がしてきた。 「ま、私達は一緒にテレビを見ようね。ほら、ここに座って」 でも小学校に入れられたら、久美子さんと同じ学年になるかも。そう思ったら悪くない 気もした。こうして一緒に好きなアニメ番組を見るように、他の事も一緒に出来る んだし。 「お母さんそろそろ出かけるから」 突然ドアが開いて、大人の人が入ってきた。 「あら、お友達が来てたの?」 「いつも話しているリンちゃん」 「ああ、恵理子ちゃんの妹さんのリンちゃんね。確かに似てるわね。お姉さんとは 違って可愛らしいけど」 「あの、初めまして」 「静香は?」 「恵理子さんと一緒に2階にいる」 「お姉さんと一緒に来たのね。じゃあお母さんは出かけるけど、二人で仲良く過ごして なさいね」 「はーい」 久美子さんのお母さんにまで見られてしまった。小学生のお友達と思われてしまった。 久美子さんと仲良しと思われるのは嬉しいけど、大人の人にまで小学生の女の子と 思われるのは、やっぱり恥ずかしい。 「あ、始まるよ」 もうそんな時間か。テレビの方に向かって身を乗り出す。 今日のレインボーエンジェルは、みんなで紅葉狩りの遠足。山登りだから、いつもとは ちょっと違った服装だ。 「シズクさん、今日のリンちゃんと同じような服だね」 「本当だ」 シズク様と同じだなんて嬉しい。これを着て来てよかった。同じ服でも、シズク様が 着ると大人っぽくて上品に見えるところは違うけど。 「あれ、エリカさんは久美子さんと同じような服を着てる」 「へへ。なんか嬉しいな」 「今にも走り出しそうな服と靴だね」 「そうかな?……あ、本当に走り出した。なんで分かったの?」 「お、お姉ちゃんが、ああいう服を着ている時に、よく走り出すから」 「それでリンちゃんみたいに置いていかれるんだ」 「そうそう」 まだ恵理子さんが僕よりも背が小さかった頃の事を思い出して答えたけど、 でもさっき『お姉ちゃんが』と言っちゃったから、あの時から恵理子さんの方が背が 高くてお姉ちゃんだったような、そんな光景を頭の中に描いてしまって、ちょっと 胸がしめつけられる。でも久美子さんにこうして話せるから、楽しいんだけど。 レインボーエンジェルが好きな友達と一緒にお話しながら見られて、楽しかった。 「ちびガールの最新号、まだ読んでないんでしょ?」 「うん」 「今月のレインボーエンジェルはエリカさん大活躍なんだよー、ほら読んで読んで」 自分が気に入ったからか、久美子さんは嬉しそうに僕に読ませようとする。 久美子さんに色々言われたせいで、僕もエリカさんが好きになってきたから、 別にいいんだけど。 レインボーエンジェルのページを開くと、クミさんとミミさんが体操服で登場。 創作ダンスの発表会が近くて、この二人がエリカさんに特訓を受ける、というお話。 「……エリカさん、鬼コーチじゃない?」 「そこがいいんだよー。かっこいいでしょ?」 「う、うん…」 踊っている姿を大きく描いてあるから、確かに見栄えがしてかっこいいかも。 そこに悪役が登場して、難しいリズムでクミさんとミミさんの足元を狂わせようと するけど、エリカさんが難なくこなして悪役をキック、というお話。キックする 姿は確かにかっこいい。 最後まで読んで、ふと気づいた。 「そういえば、エリカさんが着ているこの服とよく似た服を、お姉ちゃんが持ってて」 「へえ。でも、こういう服はたくさん持ってそうかも。なんとなく」 「少し小さくなったからって、昨日もらったんだけど」 「え?いいなーいいなー」 本当は僕がタンスから勝手に出して着たんだけど、それは言えない。 「それを着ていたら、お母さんに『小学生の時のお姉ちゃんと似てて間違える』とか 言われて、ちょっと恥ずかしかったなって」 「恥ずかしがる事ないじゃない。恵理子さんとそっくりって」 「恥ずかしいよ。お姉ちゃんにまで言われたし」 「私なら、その服どこで買ったの教えて教えて真似させてって、聞いちゃうよ」 僕が恵理子さんに『その服どこで買ったの教えて教えて真似させて』とたずねる。 ……考えただけで恥ずかしい。 「でも、私がお姉ちゃんのお下がりを着せられた時に、私も『お姉ちゃんそっくりね』 と言われて、あの時は恥ずかしかったかも」 「だよね?」 「うーん……やっぱりお姉ちゃんを交換しよう」 「そんな事いったら、また叱られちゃうよ…」 「そうだね。じゃあ、私たちが交代すればいいんだ。リンちゃんがここんちの子に なって、私がリンちゃんちの子になるの。これで完璧」 「それって……すごく魅力的…」 僕が静香さんの妹になれるなんて。 「1日だけでもやってみたいね。それだと、交代してお泊りってだけなんだけど」 「うん。やりたい」 「お母さんにお願いしてみようかな?」 そうか。そういう事をやるためには、お母さんにお願いしないといけないんだ。 お友達の小学生の女の子の家に一日お泊りします、僕の代わりにその女の子がうちに 来ますって。そんな事をお母さんに言わなきゃいけないなんて。それはちょっと 言いづらいかも。 「お泊りになっちゃうから、すぐには出来ないかな」 「だね。そのうちに出来るといいね」 そんなお話をしながらちびガールを何ページかめくった。 「あ、それ、読み切りだけど面白かったよ」 久美子さんが指さしたページは学園マンガだ。学園マンガといっても、登場人物は 小学生に見える。 「これって小学校のお話?」 「そう。女子小学校だって。こんな制服があるといいよね」 登場人物はみんな可愛らしいワンピースの夏服を着ている。 「うちの小学校の制服ってダサいから。こういうのって憧れるよねー」 「あ、うちの小学校に制服はなか…ないから」 今は小学校に通ってないけど、3年前に通っていた地元の小学校に制服はなかったし、 今もない。うん。 「そうか、沼緑には制服ないんだ」 「でも……こないだ見た夢の中で、久美子さんの小学校の制服を着てたっけ」 「リンちゃんが?」 「うん」 「へえ。夢にまで出るって事は、着てみたいって事なのかな?制服がないとやっぱり 着てみたいものかな?リンちゃん、着てみたい?」 久美子さんにそう聞かれて、あの時の夢から覚めた後の気持ちを思い出した。 「う、うん…」 「よし、じゃあ着せてあげよう」 久美子さんに引っ張られて、2階の久美子さんの部屋へ。隣では静香さんと 恵理子さんが勉強中だから、静かに部屋に入る。 「上着とスカートと、あとはブラウス。サイズは多分同じだよね」 女子の制服を受け取ってドキドキする。 「私は部屋を出てた方がいいかな?」 今着ている服を脱いで着替えると……男子の下着を着てるんだ。 「そ、そうだね…」 「じゃあ下で待ってるから。着替え終わったら降りて来て」 「うん」 久美子さんが部屋から出て行った。急いで着替えなきゃ。 今着ている服を脱いで、それからブラウスを広げる。白くて大きな丸い襟を見て ドキドキする。白い生地は僕が毎日着ている男子のシャツと同じに見えるんだけど、 それでもどことなく女子の服だって感じがする。今まで着た事がある恵理子さんの お下がりの丸いセーラー襟やヒラヒラの襟と比べると、ブラウスの丸い襟はすごく シンプルなんだけど、単純な丸い襟がなんだか逆に女の子の服だって強調している ようにも見える。すごくドキドキするんだけど、勇気をだして袖を通す。 袖を伸ばすために袖口に目を向けると、袖口がボタンではなくてホックだった。 うちの中学校の女子の制服も、そうだったような。女子の制服を着ているという 実感が余計に湧いて、恥ずかしくなったけど、もう着ちゃってるんだ。 次はスカート。ひもが変な具合になってて悩んだけど、どうにか理解して、スカート を着る。夢の中でやったように足を動かしてみる。夢の中では当たり前に思っていた んだけど、こうして実際に着てみると、ちょっと変な感じ。上着を着て鏡を見る。 何か違う、としばらく考えたけど、丸い襟を上着の外に出すのかな?これでいいんだ。 夢で見た自分と同じ服装になれて嬉しくなった。でも夢の中では中学の教室にいて、 同級生に囲まれていた事も思い出して、今の自分の服装を同級生に見られているような 気持ちにもなって、ドキドキしてきた。早く久美子さんの所にいこう。 部屋を出て廊下を静かに歩く。多分こっちの部屋で、静香さんと恵理子さんは勉強して いるんだ。恵理子さんが中学校の勉強をしているすぐ近くで、僕は小学校の女子制服を 着ている。恵理子さんよりも下の学年に落第したような気がして、恥ずかしくなって きた。でも久美子さんに制服を着させてもらったのは嬉しくて。両方の気持ちが 混ざって変な気分。2階にいると恥ずかしいから、早く久美子さんの所に行こう。 スカートで階段を下りるのがちょっと変な感じだったけど、なんとか1階に戻ってきた。 「着てきたよ…」 2階と同じ調子で静かに居間に入る。 「リンちゃんが同級生になったみたい。リンちゃんが同じ小学校に通っているような 気分になれて嬉しいな」 「わ、私も、すごく嬉しい」 小学校の制服を着た僕が久美子さんと話す。夢の中で起きた事が少しだけでも現実に なっているのが、すごく嬉しい。 「この制服って、静香さんも着てたんだよね?」 「そう。この辺に写真なかったかな?えーと。これか」 久美子さんは棚からアルバムみたいな厚い本を取り出して、その間に挟まっていた 大きな封筒を持って、その中を探し始めた。 「お姉ちゃんがよく映っているのは……これとか」 受け取った写真には『児童会役員一同』と書かれて、中央には今より少し幼い感じの 静香さんが立っている。僕が今着ているのと同じ制服を着ている。しかも児童会長の 静香さんだ。僕は、そんな静香さんの下級生になった気分で、すごく嬉しい。 こんな児童会長がいる小学校なら僕も通いたかったな。でももう去年の話なんだ。 去年この小学校に通っていれば……つまり僕が中2の時にこの小学校に通う。 そう考えたらすごく恥ずかしくなった。で、でも、今こうして同じ制服を着ている んだから、それで十分嬉しい。うん。 「ねえ、夢ってどんな内容だったの?」 久美子さんが尋ねた。 「えっと、まず中学3年の教室にいて」 「中学3年生の教室?なんで?」 しまった。僕が今通っている教室だから、なんて言えない。 「なんでか分かんないけど、この制服を着た私が、中学3年生の教室にいて」 「小学校の制服を着て、中学校の教室?」 「う、うん」 納得したような、してないような、微妙な顔の久美子さん。 「そこに、中学の制服を着たお姉ちゃんと静香さんがやってきて」 「ああ、お姉ちゃん達が中学3年生ってことね。夢の中では3年生になってたんだ」 「そうそう。それで『お姉ちゃん、おはようございます』とあいさつして」 「夢の中でちゃんとあいさつするんだ」 「だって二人とも私のお姉ちゃんだし」 「え、二人ともお姉ちゃん?ずるーい、欲張りだー」 「へへ。それで用事がすんだから、中学3年の教室を飛び出したの」 「二人に用事があったから、中学3年の教室にいたのか。なるほど」 「1階に降りて教室に入ったら、私と同じ制服を着た同級生と、中学の制服を着た人が いて、久美子さんは中学の制服を着ていて、私とおしゃべり」 「私、中学の制服を着てたの?懸巣川女学院の制服?」 「う、うん」 本当は僕が通う中学の女子制服だったけど、そこは懸巣川女学院の制服って事にして おこう。どうせ僕の夢の中の話だし。 「お姉ちゃん達が中3なら、私は確かに中2だね。でも私が懸巣川女学院の制服かー。 ふふふふ」 久美子さんはすごく嬉しそう。実際の夢と違うから、ちょっと罪悪感。 「つまり、中学生の私と小学生のリンちゃんが、1階の教室でお話をしたってこと?」 「そういうこと」 「お姉ちゃん達が中3で、私が中2で、リンちゃんは小学生?」 「あっ」 久美子さんに言われて気づいた。久美子さんが少し大人っぽいから夢の中で中学生に なっていたのだと思っていたけど、みんなは普通に進級して、僕だけが落第して 小学6年生のままだったんだ。それはかなりショック。 「お姉ちゃんが中3になっても小学生のまま…」 「あーでも、リンちゃんは可愛いから、小学生のままでもいいかもよ?レインボー エンジェルでもリンちゃんだけ小学生だし」 「そう…だね」 レインボーエンジェルと一緒、それで満足しよう。恥ずかしいけど。 「他のマンガも面白いから、ほら読んで」 「うん」 読みかけのちびガールを開く。さっきのマンガを読み続ける。制服を着た小学生の 女子5人が、図書館で見つけた大昔の卒業文集を手掛かりにして、使われなくなった 旧校舎で探し物をする。僕も今、小学校の女子の制服を着ているから、その服装で 久美子さんと一緒に旧校舎の探し物をしている想像をしちゃった。同級生だったら そういう事もできるのに。レインボーエンジェルと全く同じだと、僕は久美子さんより 下級生になるから、それはやっぱり寂しいかも。 「二人とも何してる?」 突然、恵理子さんの声がした。 「あれー?リンちゃん、制服を着せてもらったの?」 「あの、その、そ、そうです…」 「似合ってるよー。可愛いよー。私達、もう少し勉強してるから、仲良く遊んでてね」 「はーい」 恵理子さんは2階に上がった。 「…恥ずかしかった…」 「ん?なんで恥ずかしがるの?制服でしょ?みんなと一緒なんだし」 「えっと、その、なんていうか」 本当は僕は中学3年の男子だから小学校の女子の制服は恥ずかしい、とは言えない。 「だってうちの小学校には制服がないから」 「そうか。恵理子さんも制服は着てなかったんだ」 「そう」 「じゃあ恵理子さん、小学校の時にスカートはいた事ないとか?」 「うーん、覚えてないけど、もしかしたらそうかも」 「リンちゃんは?」 「えっと、スカートは、あまり着てない、かな?小さい時の事は覚えてないけど」 覚えてないどころか、男子だから全く着てないだけなんだけど。 「それだと恥ずかしいかも」 恵理子さんが着たことのない小学校の制服のスカートを僕がはいただなんて、自分が 恵理子さん以上に女の子らしい事をさせられたような気持ちになってしまう。 「お、お邪魔しました」 「リンちゃん、たくさんお話しできて、とっても楽しかったよ。またねー」 久美子さんの家をあとにして、恵理子さんと駅に向かう。 「小学校の制服、着てたよね?」 やっぱりそれを聞かれるんだ。 「着たいってお願いしたの?」 「こないだ見た夢の話をしたら、着せてあげるって」 「良かったね」 妹が着たことのない小学校の制服を僕が着た話をするなんて、本当に僕が下級生に なったような気分だ。恵理子さんが本当にお姉さんに見える。 「でも着替える時はどうしたの?」 「久美子さんの部屋で一人で着替えたけど……男子用のパンツをはいてたから、 見られてなくても恥ずかしかった…」 「それなら下着も……下着のお下がりはちょっと無理かな。ちょっとサイズが違う だけで変になるから。自分のを買わないとね」 次に久美子さんちに来るときは、女の子用の下着を着なきゃいけないんだ。 その下着を、恵理子さんに買ってきてもらう。僕のタンスの中に女の子用の下着を 入れる。そんな事を考えていたら、僕は本当に小さな女の子になって、本当に小学校に 通わなきゃいけなくなる、そんな気がしてきた。 「レインボーボックスで下着を売ってたよね。あれでいい?」 そうか、あれを買ってきてもらえるんだ。それなら。 「シズクさんかリンちゃんのがあれば…」 あれなら欲しいかな。 「うん、分かった」 電車を降りて自分の家に向かう途中、駅前の本屋さんを見て思い出した。 「あ、忘れてた」 「何か忘れ物したの?」 「忘れ物じゃなくて。どこか途中にある本屋さんでちびぐみを買おうと思ってたけど、 すっかり忘れてた…」 せっかく電車でお出かけしたのに。 「じゃあここで買えばいいじゃない」 恵理子さんに駅前の本屋さんを指さしてそう言った。そう言われただけでドキドキし 始めた。 「で、でも、ここだと知ってる人に見られるかも知れないし。だからちびぐみは他の町 の本屋さんで買おうと思ってたのに」 「お金は持ってるの?」 「うん。こないだ買ってもらった号と同じ額は持ってる」 恵理子さんは周りを見回して、お店の中をのぞいて。 「店内に誰もいないから、今のうちに買ってくれば?」 「で、でも…」 「それともリンちゃんは、自分ではお買い物が出来ないのかな?」 恵理子さんにすごく小さな子扱いされたような気がして、情けなくなる。 「そ、そんなことはないけど…」 「私がそばにいてあげるから、ほら」 恵理子さんに背中を押されて、お店の方に歩きだしてしまう。隣に恵理子さんがいる のを気にしながら、お店の中に入る。お店のドアを開けてすぐのところに棚があって、 そこにちびぐみが置いてある。今月号の表紙はレインボーエンジェルじゃなくて、 もっと小さな子向けのアニメの絵だから、手を伸ばすのも恥ずかしいけど、 すぐ隣に恵理子さんが立っているから、そんなにウジウジしてられない。思い切って ちびぐみに手を伸ばす。ちびぐみの右隣には『たのしいおともだち』という明らかに 幼稚園児向けの雑誌、左隣には男の子向けアニメやカードゲームの本。僕が手に取った のは『ちびぐみ』、小さな女の子向けのマンガ雑誌。お店の中でこれを手に持ってる のがすごく恥ずかしいから、急いでレジに行く。 「いらっしゃいませ」 「こ、これ」 「はい。650円です」 あれ。こないだ買ってもらったのよりもかなり安い。付録が少なくて薄いからかな。 ポケットから百円玉を取り出して、7個並べる。 「50円のおつりです。ありがとうございました」 ちびぐみを袋に入れてもらって、ひと安心。袋を受け取り、それを抱えてお店を出た。 前から買いたいと思っていて買えなかった雑誌を、ようやく自分で買えた。ドキドキ したけど、すごく嬉しい。 「リンちゃん、自分で買えてよかったね」 本当に良かった。これもお姉ちゃんのおかげ。こんな優しいお姉ちゃんがそばにいて くれたから、僕はちびぐみを買えたんだ。お姉ちゃんがいてくれてすごく嬉しい。 「お姉ちゃん、ありがとう」