早起き(2) 「リンちゃん、起きろ。もう朝だぞ。こら、起きなさい」 突然頭の上から声が聞こえた。 「えー、今何時…あれ、7時だ……うーん、でも今日は土曜日で…」 「土曜日だから、レインボーエンジェルを見るために早起きするんでしょ?」 「うん、そうだけど…7時半で間に合うよ…もうちょっと…もうちょっと…」 「だーめー。早起きして、きちんと朝ご飯を食べて、顔を洗って歯を磨いて、それから テレビの前に座りなさい。分かった?」 「うん、分かったから、恵理子」 「お父さんお母さんはもう出かけたよ」 「…分かったから、恵理子さん」 そんな事を言い合っていたら5分くらい経ったけど、まだ7時5分だ。 なんとか立ち上がって、恵理子と廊下に出る。 「ほら、二人で朝ご飯を作りましょう」 そう言いながら台所に入り、恵理子は卵を2つ割った。 「リンちゃん、昨日切った野菜のあまりが冷蔵庫にあるでしょ?」 「うん」 「パンは私の分もトースターに入れておいてね」 恵理子は、まるでお母さんみたいに僕にあれこれ指示を出す。お母さんみたいに 威張り散らしたかっただけなのか。つまりお姉さんぶりたかっただけなんだ。 ……つまり僕は弟扱いされてるだけなんだ。ショック。 恵理子が上品で美人な生徒会長になるわけでもないのに、恵理子がお姉さんぶって、 僕は小学生扱いされて。でも僕の方が背が小さくて小学生みたいに見えるから、 僕を子供扱いして楽しめると思ったんだろう。 つまり僕の見た目のせいか。そう考えると文句も言いづらい。 今日は朝早く起きたし、恵理子と一緒に作ったので、ゆっくりと朝食を食べられた。 でも恵理子が目の前に座り一緒に朝食を食べている。昨日、恵理子の顔と胸をじっくり 見て、僕よりもずっと大人っぽくなっていると気づいてから、恵理子が目の前にいると ドキドキする。恵理子の方がお姉さんというか上級生に思えてしまう。僕の方が年下に なっちゃったんじゃないかと不安になってしまう。シズク様が僕の姉だったら、 なんてことを考えた後に、シズク様の同級生のエリカさんと恵理子が似ているって 気付いたから、そのせいでさらに恵理子が上級生に思える。エリカさんみたいな人が 自分のすぐそばにいて、一緒に朝食を食べているというのは、シズク様ほどではない にしろ嬉しい。でもそれが恵理子だというのはやっぱりちょっと恥ずかしくて、 素直に喜べない。 「リンちゃん、私が買ってきたちびぐみ、読んだ?」 恵理子がそんな事を尋ねてきた。 「え?うん…」 「レインボーエンジェルが表紙だったけど、中はどんな内容だったの?教えて」 どうしてそんな事を聞いてくるんだろう?ちびぐみに描かれたシズク様を見られて 僕は確かに嬉しかった。ちびぐみだからシズク様も幼稚な感じに描かれているのか と思っていたけど、逆にむしろお姉さんな感じで、すごく嬉しかった。 それでもやっぱり幼稚園児向けの本を読んだわけで、それを恵理子に聞かれるのは やっぱり恥ずかしい。とはいえ恵理子が買ってきてくれたんだから、答えないわけ にもいかない。 「えっと、体育館でクミさんとミミさんがバトントワリングの練習をしていたら、 そこに悪役がバトンのお化けになって出てきて、二人が振り回されるんだけど、 エリカさんがバレーボールで攻撃して、シズク様がバトンのお化けを振り回して」 「へえ」 自分で話していて、すごく幼稚な内容に思えてしまう。絵が幼児向け絵本みたいで、 文字も全部ひらがなで、そこがすごく幼稚に見えたんだけど、こうして口で言って みても、やっぱり幼稚に思える。でもテレビでやってる内容も大差ない気がする。 つまり僕が毎週見ているアニメもこのくらい幼稚なわけで。僕はシズク様目当てで 見てるんだけど、こんな幼稚なアニメを見ているところを恵理子に見られたなんて、 恥ずかしくて胸が苦しくなってくる。 「リンちゃんは登場しなかったの?」 もちろんレインボーエンジェルのリンちゃんだけど、一瞬自分の事のように思えて しまう。僕がレインボーエンジェルに、リンちゃんの代わりに登場する、そう思って しまった。 「それとは別に、リンちゃんが主役の話があって。リンちゃんがお母さんに頼まれて お使いに行くんだけど、途中で果物のお化けに襲われて。そこにシズク様が助けに 来るっていう」 話しながら、ちびぐみの中のリンちゃんを自分で置き換えて思い浮かべてしまう。 シズク様がいないから、代わりに幼稚な僕がお使いを頼まれる。でもお使いの途中で 果物のお化けに襲われて、そしてシズク様に助けてもらう。シズク様に助けてもらう のは嬉しいんだけど、そこまでの小さな子扱いがミジメに思えてくる。幼稚園児向け の雑誌だから、一番年下のリンちゃんが小学6年生というよりも幼稚園児扱いだ。 その分、シズク様がすごくお姉さんに思えるのは嬉しいけど、僕が幼稚園児向け雑誌 の主人公として小さな子のように描かれたように思えてミジメだ。 「そうか、よかったね」 よかったって、何のことだろう?シズク様の登場する場面が多かった、という意味 では確かにそうなんだけど。リンちゃんが主役の話と言っても、かっこいい場面で いえばシズク様が主役と言ってもいいし。でもやっぱり、僕が幼稚園児のように 助けてもらうって内容だからよかったね、そう言われているような気がする。 「リンちゃん、今日はずっと暇なんでしょ?」 「うん…」 「なら大丈夫か」 何かさせられるんだろうか? 歯磨きした後、テレビのすぐ前に正座して座ったら、僕の斜め後ろにあるソファに 恵理子が座った。 「あれ?恵理子…さんも一緒に見るの?」 「そうだよ。別にチャンネルを変えるわけじゃないし、いいでしょ?」 「う、うん…」 そう答えたけど、レインボーエンジェルを見ている僕の姿を見られるなんてやっぱり 落ち着かない。今まで一人でこっそり見ていたのに。先週知られちゃったとはいえ、 すぐ近くに誰かいるのはやっぱり恥ずかしい。しかも恵理子だし。ばれてもこうして レインボーエンジェルを見られるんだから、あまり文句は言えないけど。 「空にかかる虹を渡りあなたのもとへー」 主題歌が始まった。 「ああ、この二人が主人公なんだね」 空を飛んでる二人が虹の上を越えるところで、恵理子がいった。 「なんて名前だったっけ?」 「クミさんとミミさん」 「エリカとシズク様、だったっけ?が上級生?」 「そう。クミさん、ミミさんが中1、エリカさんとシズク様が中2」 「じゃあ、リンちゃんは小6くらいだね」 「う、うん…」 アニメのリンちゃんの事を言っているのはもちろん分かってるんだけど、それでも 一瞬だけ、自分の事を『小6くらい』と言われたような気がして、ちょっとミジメな 気持ちになる。 番組の方は、ミミさんがみんなを誘って、5人でショッピングに出かける。 「先輩、ジャージばっかりじゃなくて、こういうのも似合いますよ!」 「えー、なんか恥ずかしいなあ」 「会長、こういうパンツスタイルも実は似合うんじゃないですか?」 「あら、いいわね」 「ねえねえねえ、これかわいい、わたしに似合うかな?」 「わーたーしーもー、そういう服を着たい!」 「ゴメンね、リンちゃんに合うサイズがなくて。中学生になったら着れるよ!」 「むー」 「ああいう服、私に似合うと思う?」 僕の後ろから、恵理子がそんな事を言い出した。 「恵理子…さんに?」 「そう。エリカが勧められた服とか」 「まあエリカさんみたいな感じで、似合うと思うけど…」 「シズクさんが勧められた服は?」 「え……えーー?」 「私にお上品な服が似合うのかな、と思って。お上品な生徒会長になるとして」 「あの恰好っていつもと同じような気がする」 「でもちょっと高級そうで、お上品に見えるんじゃないの?」 「お上品というより……ああいう黒っぽい色だと、迫力が増しそうな」 「迫力って何よ、チビのリンちゃんには、大きな私は迫力があるって言いたいの?」 「う、うん…」 迫力というのは大きさだけじゃなくて、顔や胸のむちむち感の迫力もあるんだけど、 そういう事まではさすがに言えない。 というか、なんでこんな会話をしてるんだ。恵理子と話をしながら見るというのも 変な感じだけど、先週『お兄ちゃんは朝からこんなアニメ見てるんだ』とか言われた 事を考えれば、こうして見られるんだから、恵理子が後ろにいるくらいは大した事 じゃないかも。 悪役が登場し、5人が変身して戦い始めた。今週も変身したシズク様が見られて、 ほんと良かった。そしてシズク様がエリカさんと一緒に技を決める。二人の顔が アップになったとき、一瞬だけエリカさんの顔が恵理子に見えてドキっとした。 恵理子が大好きなシズク様と一緒にかっこいい技を繰り出している。そう考えたら、 嬉しいんだけど、もやもやした変な気分になって、なぜか恥ずかしい気持ちになった。 なんだかシズク様と一緒に恵理子の事も、テレビにかじりついてドキドキしながら 見ているような気がして。恵理子のすぐ目の前でそんな事を考えたんだから、 余計に恥ずかしい。 番組が終わった。今週も見られてすごく嬉しかったんだけど、すごくドキドキした。 恵理子がすぐ近くに座っているから、最初思っていたのとは違った意味でドキドキ してしまった。 「テレビも見終わったことだし、リンちゃん、これから一緒にお出かけしない?」 恵理子が急にそんな事を言い出した。一体なんだろう? 「お出かけって、どこ?」 「レインボーボックス」 「レインボーボックスって……レインボーエンジェルのグッズを売ってるお店?」 「そうだよ。やっぱりリンちゃんも知ってたんだ」 いきなりそんな事を言われてびっくりした。 「リンちゃんがレインボーエンジェルが大好きだって友達に話したら」 「そんなことを友達に話したの?」 「うん」 恵理子の中学校の友達なんて一人も会った事がないけど、それでもやっぱりすごく 恥ずかしい。 「その友達の妹も大好きらしくて、色々教えてもらったの。リンちゃんも行きたい んじゃないかなって」 レインボーエンジェルのグッズの専門店だ。そりゃ行きたいのは行きたいけど、 小さな女の子がお母さんに連れられて行くお店だと思うと、僕が行っても変な目で 見られて、お店の人に何か言われるような気がして、恐くて行けない。 「え、えっと、ここからは遠いんじゃないのかな?」 小さな女の子ばかりのお店に行くのが恥ずかしい、いうのも恥ずかしいから、 とりあえずそう言ってみる。 「電車で30分もかからないよ。駅まで歩く時間と電車の待ち時間を入れても、 1時間はかからないんじゃないかな?今の時間帯の電車の本数は良く知らないけど、 今すぐ行けば開店時刻よりも前に着くよ」 そういえば恵理子は懸巣川女学院まで電車通学だから、その程度では遠いなんて 思わないんだ。僕が遠いと思うような所でも、恵理子はすぐ近所のように思ってる。 そんな事に気づいて、ちょっとショック。 「お昼を食べてから帰っても、午後1時くらいに帰り着くんじゃないかな?どう? 私と一緒に行ってみない?」 恵理子が僕に顔を近づけた。大人っぽい顔で『電車で30分かからないよ』とか 言われて、恵理子がお姉さんに見えて、ドキドキしてきた。 でも恵理子が一緒なら、中学生とはいえ女子が一緒なら、レインボーボックスに 行ってもそれほど変じゃないかも。僕は一緒についてきた兄……には見えないか。 恵理子と一緒なら弟と思われるかもしれないけど、それでも僕一人よりは普通だ。 そうでもしなきゃレインボーボックスなんて行けない。恵理子が連れて行ってくれる のだから……『連れて行ってくれる』だと、僕が本当に小さな子みたいだ。 そうじゃなくて、恵理子が一緒に行ってくれるって言うんだから、この機会に行って おかないと後悔する。うん。 「えっと、そうだね。行こうかな?恵理子…さんと一緒に」 ドキドキしながらそう答えた。 「よし。じゃあ着替えて出かけようか。それで開店時刻くらいに着くよ」 「うん、着替えてくる」 「じゃあ私の部屋に来て」 「え?なんで?恵理子さんの部屋に?」 「まさか男の子の服を着て行くつもりじゃないでしょ?そんなのより、私の服を着て 行った方がいいよ」 恵理子の服って、つまり。 「女の子の服を着て行くの?そんな」 「レインボーエンジェルのお店に行くんだよ?リンちゃんがいつも着ているだっさい服 を着て行っても楽しめないでしょ?」 確かにそれはそうかもしれないけど。僕が女の子の服だなんて。 「私の去年の服くらいが、リンちゃんにちょうどいいだろうし」 しかも恵理子のお下がりだなんて。 「ほら、おいでよ」 恵理子に引っ張られて、恵理子の部屋に入った。 恵理子の部屋はちびガールを読むために何度か入った事はあるけど、恵理子と一緒に 入る事はあまりなかったかも。 「リンちゃんはこのくらいのサイズかな?これを着てみてよ」 恵理子がタンスから取り出したのは、茶色のふさふさした生地に、別の布を使って 熊さんの絵を縫い付けた服だった。女の子の服を着ろと言われてフリフリのブラウスを 想像していたから、ちょっと拍子抜け。良く考えてみれば、恵理子はこんな服しか 持ってないんだ。熊さんの絵が入ってるだけでも可愛らしい方だ。 言われるままに着てみたら、確かにちょうどいい。むしろ袖が少し長くてゆったり しているくらいだ。楽だけど少しショック。 「これを履いて」 渡されたジーパンは裾が折り曲げられていて、そこが赤と黄色でちょっと目立って、 よく見るとお尻のポケットに小さなリンゴの刺繍があるけれど、ぱっと見れば普通の ジーンズだ。確かにこういうのを着ている小学生の女の子は時々見かけるけど、 そんなに派手ではないし、スカートでもない。 「はい、靴下ね」 靴下はヒラヒラがついてて、水玉模様もついていて、かなり恥ずかしいけど、ジーパン に隠れて見えないんだからまあいいや。 「これでも上から着てなさい」 赤色のパーカーを渡された。胸には熊さんの絵が入ってるけど、大きくはない。 むしろ下の熊さんの絵が隠れるから好都合だ。赤は派手すぎる気もするけど、これなら ありだ。これでレインボーボックスに行って変に思われないのかは分からないけど、 そこまで変には見えないんじゃないかな、多分。 「……うふふ。うん」 恵理子が何か喜んでるぞ。やっぱり変なのかな。不安になってきた。 「じゃあ私も着替えるから」 そう言って、恵理子は着ているものを脱ぎ始めたので慌てた。 「恵理子…さん、そんな急に脱ぎだすなんて」 「ん?リンちゃんが何をあわててるの?私が脱ぎ始めたくらいで。私が恥ずかしがる んならともかく、リンちゃんが恥ずかしがることないでしょ」 それはそうなんだけど。下にタンクトップを着ていたから直接は見えなかったけど、 恵理子の意外に大きな胸がさらに目立って、こっちがドキっとしてしまった。 そして恵理子が着替えたのだけれど。 「恵理子…さんが、Tシャツとジーンズだけって。僕がこんな服を着て、恵理子さん の方が男子も着ていそうな服って。逆の方がいいんじゃ」 「だってサイズが違うじゃないの。リンちゃんが小さいから、可愛い服が多いの。 それにレインボーボックスを楽しむのはリンちゃんでしょ?私はただの付き添い」 そうなんだけど。やっぱり僕は子供扱いされてるんだろうか。 そして恵理子に一緒に玄関を出て、駅に向かう。まだ土曜の9時前だから、通りに人は ほとんどいない。それでも恵理子のお下がりを着て歩くのは恥ずかしい。たまに 知らない人とすれ違う時にも、そんな派手な服を着ているわけじゃないのに、 恥ずかしくてついつい下を向いてしまう。通りに人が全然いなくても、駅前の本屋さん 辺りまでは毎日中学校に通うのに通る道だから、歩いているだけでもドキドキする。 同級生が突然現れたりするんじゃないか、そんな事を考えてしまう。 そして駅前の本屋さんの、まだ開いてない店の中の棚にあるちびぐみの表紙が見える。 あの雑誌を買ってもらった僕が、小学生の女の子の服を着て歩いてる。そう考えたら 心臓がドキンとした。 どうにか駅に着いた。これで電車に乗ってしまえばちょっとは気が楽になる、と思う。 「リンちゃん、切符を買ってきなさい。210円だよ。私は定期があるから」 そうか。恵理子は定期を持ってるんだ。それだけの事でちょっと胸が痛くなる。 「自分で買える?私が買ってこようか?」 「…自分で買える」 やっぱり僕を子供扱いして面白がってるんだ。 電車に乗り込んで周りを見回すと、やっぱり土曜日の朝だからか、数人しかいない。 もちろん知ってる人もいなくて、ちょっと安心する。 でも恵理子と並んで座席に座ったら、周りからどう見えるんだろうと心配になって くる。次の停車駅で制服を着た女子高生が僕たちの目の前に座った。全然見たことが ない制服だからどこの高校かさえも分からないし、すぐに参考書を開いたから、 僕たちの方なんて見てないと思う。それでも僕の事を、小学生の女の子の服を着ている 中学3年生の男子に見えてるのか、それとも姉のお下がりを着せられている男子小学生 に見えてるのか、どうなんだろうかと不安になる。でも普通に似合ってて恵理子の妹と 思われているとしたら、それもミジメだ。やっぱり恵理子の方がお姉さんに見えるん だろうか? 終点に着いて電車から降りる。人が少ないとはいえ、何両もつながった電車全部から 降りてきた人が全員改札に向かうから、改札付近では結構な混雑になる。 こんな人だかりの中を、小学生の女の子の服を着て通るなんて恥ずかしすぎる。 いや、普通の服を着てても面倒だと思うくらいだ。でも恵理子は全然気にせず、 歩くのが遅い人を上手によけながらどんどん先に歩いていく。僕はあわてて追いかける けど、人が多くてうまく歩けない。それでも急いでたら、目の前にいる女性の足に つまづいて転びそうになった。 「あら?大丈夫?」 「は、はい。ごめんなさい」 「ちっちゃい子がそんなにあわてたら危ないわよ。他の人と同じ速さで並んで歩けば、 そのうち出られるから」 ハイヒールを履いてる分だけ僕を見下ろす大人の女性が、僕を見てそう言った。 僕ってやっぱり小さい子に見えるんだ。なんだか自分が迷子になりそうな小さな子に なっちゃったような気がしてきた。気がしてきたじゃなくて、僕は本当に小さな子 なのかも。 「えっと、でも…」 恵理子がどんどん先に行くからあわてたんであって。でも先の方を見たら、既に改札を 出た恵理子がこちらを見て待っている。待っててくれているのなら、あわてる必要も ない。 「…はい」 目の前の大人の女性の後ろを、小さな歩幅でゆっくり歩いてついていき、ようやく 改札を出られた。 「ごめんね、リンちゃん。ついいつもの癖で、早く改札を出ちゃった」 「うん…でも…僕を置いて先に行かないでよ…」 こんな服で、こんな人通りの多い所に取り残されたら恥ずかしいよ… 「うん、ごめんね。リンちゃんが迷子にならないように注意するから」 あれ、『僕を置いていかないで』と言ったのが、僕を一人ぼっちにしないで、迷子に なったら泣きたくなる、と小さな子が言ってるようにも聞こえてしまう。 恵理子の返事を聞くと、きっとそう受け取られたんだ。なんだかずごく恥ずかしい。 実際に恵理子を見失ったら、恥ずかしさで泣いてしまうかもしれないけど。 そんな事があったせいか、恵理子はしばらく僕の手を握りしめて、引っ張って歩いた。 それはそれで小さな子みたいで恥ずかしい。 「この建物の6階だったわね」 ビルの案内板を見上げると、6階の所に『レインボーボックス』と目立つ色で書いて ある。僕は本当にすぐ近くまで来ちゃったんだ。ドキドキしてきた。 恵理子に手を引かれてエスカレーターに乗る。周りに小さな女の子がちょっと多く なったような気もする。レインボーボックスに近づいたからだろうか。でも他のお店も あるみたいだし、そっちが目的の子もいるかも知れない。 6階に着くと、目の前に女の子達が並んでいた。小学生、中学生くらいの女の子が 並んでいた。ところどころにお母さんお姉さんと思える大人の人もいたけど、 小学生だけで来てるっぽい子もいるように見える。 「んーと、これは……レインボーボックスの開店待ちの列なんだ。開店前なのに 既に並んでるって、すごい人気だね」 都会の真ん中の大きなビルに小学生の女の子だけで来て、レインボーボックスが 開店する前から並んでいるなんて。かなりびっくりした。いや、お母さんたちは トイレにでも行ってるんだよ。きっと。 「どこに並べばいいんだろう?」 恵理子は僕の手を引っ張りながら、列の最後尾を探して歩く。そうだ、僕はこの行列 に並ばないといけないんだ。中学生の女の子もいるけど、小学生の女の子がたくさん 並ぶ列に僕も並ぶんだ。こんなに女の子ばかりの場所、生まれて初めてだ。 そんな場所に、僕も小学生の女の子の服を着て並ばないといけないなんて。 中学3年生男子の僕が、小学校の全校集会に連れてこられて女子の列に並ばされる くらいに恥ずかしい。もし僕一人で来たら、ここまできて恥ずかしくなって逃げ出して いただろう。恵理子がいるから並べる…というか、恵理子がいるから逃げ出せない。 仲良さそうに顔を近づけて小声で話をしている小学生の女子二人の後ろに、恵理子に 手を引っ張られて並ぶ。その直後、僕たちの後ろに女の子が来た。僕は女子の列に 並んじゃったんだ。 「比田さん、今日来たのね」 後ろに来た人が僕の苗字を呼んだ。恵理子の苗字でもあるけど。 「あ、白井さん。あなたも来たんだ」 恵理子が、僕たちに声をかけた背の高い女子に話しかけた。恵理子と同じくらいの 背の高さだけど、恵理子と違ってワンピースを着てお上品な感じで、シズク様に似た、 とても美人な人だ。こんな美人が現実にいるんだ。ちょっとドキドキしてきた。 「あなたとレインボーエンジェルの話をした事をこの子に話したら、行きたいって 言いだして」 その背の高い女子が、隣の小さな子を指さした。小さいと言っても、恵理子や白井さん に比べての話で、僕と同じくらいだ。 「という事は、こちらが妹さん?」 「そう。久美子」 「お姉さんと違って、元気良さそうな子だね」 「こ、こんにちわ」 妹の方は短パンにハイソックスという元気な感じの子で、レインボーエンジェル のクミさんに似てるかも。シズク様とクミさんに似ている人が目の前にいて、 なんだか嬉しい。それに恵理子もエリカさんに似ているから、自分の妹だという事を 気にしなければ、すごく贅沢な気分だ。 「そちらがリンちゃん?」 「えっと、はい…」 僕のことを知ってるという事は、恵理子が僕のことを話したっていう同級生がこの人 なのか。シズク様に似ている人に『リンちゃん』と呼ばれて、つい『はい』と返事を してしまったけど、自分が『リンちゃん』だと認めたみたいで恥ずかしくなる。 でもシズク様に似ている人に言ってもらったんだから、恵理子に言われるのとは 全然違う。すごく嬉しい。……でも恵理子が中学校で僕のことを『リンちゃん』と紹介 したから言ってもらえたわけで、そこを考えると複雑な気持ちになる。 「こいつ、『シズク様』とか言ってるのよ」 「いや、それは、その……そういう事を言わないでよ…」 そんな事をシズク様に似ている人の目の前で言われると、すごく恥ずかしい。 「『シズク様』かー。私、静香って名前だから、『シズク様』だと自分が『様』を 付けられているような感じがして、ちょっと変な感じかしら」 「ごめんなさいごめんなさい」 そりゃそうだよな。 「『さん』付けくらいでいいかしら?」 「はい」 「でもリンちゃんは、確かにリンちゃんに似てるわね」 「そ、そうですか?」 「だからシズクさんが好きなの?」 「別にそういうわけじゃ…」 「きっとリンちゃんと好みや感覚が似てるのね」 「そうでしょうか?」 でも静香さんに『リンちゃんに似てる』と言われるのも、恵理子に言われるのと違って 嬉しい。シズク様に似ている人と、クミさんに似ている人と、自分の妹とはいえ エリカさんに似ている人と、その中に僕がリンちゃんとして入れるんだから。 あとミミさんがいれば完璧。 「その服も可愛いわね。そういう服が好きなの?」 女の子の服を可愛いとか言われてしまった。どうしよう。 「あ、あの、これは、その、お下がりなんです」 「恵理子ちゃんの?」 「はい」 「小学生の時はこういうのを着てたの?」 「うん。お母さんが買ってきてたから。まあ、しょうがなく」 恵理子がなんか照れたようにそう答えた。恵理子はこういうのを着ていたのが 恥ずかしいのかな?その恥ずかしいのを着せられた僕って。 「じゃあリンちゃんは中学生になって背が伸びても、お姉ちゃんの服はもう着られない わね。こんな服ばかりだから」 静香さんは恵理子の方を指さして言った。 「ははは。ごめんね、リンちゃん」 えっと、どういうことだ?恵理子はこんな服しかもう持ってない、というのは分かる。 中学生になったら、恵理子みたいな服は着ないで、もっと可愛い服を着なきゃ、 という意味だろうか。いや、その前に『中学生になったら』って。僕は小学生ってこと だろうか。『お姉ちゃんの服は』って、恵理子がお姉ちゃんという意味か。 つまり僕は小学生女子だと思われてるんだろうか?恵理子より背が低くて、恵理子の お下がりを着てるから、やっぱり小学生女子に見えるんだろうか? そんな事を話していたら、僕たちの後ろにさらに女の子が並んでいた。僕は既に列の 真ん中辺りになっていた。一緒に並んでいるお母さん達も含めて、全員女子だ。 男子は僕だけなんだ。そう考えたらドキドキする。 「リンちゃんは、エリカさんがお姉さんなの?」 妹の久美子さんが僕に話しかけてきた。 「えっと、はい…」 エリカさん、つまり恵理子が姉だなんて答えるのは恥ずかしいけど、今はそう答える しかない。 「いいなーいいなー」 「え、でも、クミさんは、シズクさんがお姉さんなわけで」 「エリカさんの方がいいよー。私のお姉ちゃんはリンちゃんにあげるから」 「え、そんな」 それはちょっと嬉しいかも知れない。とか考えてしまった。 「こら、姉を勝手に取引しちゃダメでしょ」 「えー」 行列に並んで静香さん達とそんな事を話して、嬉しかったり恥ずかしかったりして、 すごくドキドキした。でもなんとなく周りの人たちに見られているような気もした。 やっぱりシズク様とエリカさんとクミさんに似ている人がいると思われたんだろうか。 僕はリンちゃんに似ている女の子だと、周りにいるたくさんの女の子達に思われた んだろうか? 「長らくお待たせしました。開店の時刻でございます。順番に、ゆっくりと前にお進み ください」 行列がゆっくり進んで行って、店内に入った。店内はピンク色やオレンジ色が多くて、 いかにも女の子向けのおもちゃ売り場という感じで、僕一人だったらとても入れない 雰囲気だ。恵理子達に連れられて入ってもドキドキする。恵理子のお下がりを着ている といっても、本当は中学3年の男子なんだし。それでも、レインボーエンジェルの グッズを目の前にすると、ここに来れて本当にうれしいと思う。キーホルダーなど小物 から、大きなポスターや人形、毛布やクッションもある。 「ねえねえ、レインボーエンジェルの変身後の衣装だよ」 あれを静香さんが来てくれたら、かっこいいだろうな。 「リンちゃんはやっぱりリンちゃんの衣装だよね」 目の前にあるリンちゃんのちょっと子供っぽい衣装を見て、これを僕が着るのかと 思うと、かなり恥ずかしい。クミさんの衣装がまだいいように思える。 「でも1万円もするって」 「高いよー、買えないよー」 女の子ばかりの店内だけど、久美子さんが楽しく話しかけてくれるし、後ろには 恵理子と静香さんがいるから、安心して店内を見て回れる。 「あ、虹橋学園の制服もある!これ着たいなー。ほら、リンちゃん用の小学校の制服も あるよ」 僕はやっぱり小学校の制服なのか。他の4人は中学校の制服なのに。でもやっぱり 僕はリンちゃんと同じ小学校の制服が似合うのかな。『リンちゃん』と呼ばれ続けて いるから、そんな気持ちにもなる。 「5人の絵が描かれた毛布って、よさそうだよね」 「うん。ちょっと高いけど」 「下着は意外と安くない?」 下着というのは、もちろん女の子用の下着だ。そんなのを僕が買うなんて。 でも『僕は男子だから、そういう下着を買っても使えないです』とは答えられない。 「あ、服の下に隠れるから、あんまり意味ないか」 とりあえず、レインボーエンジェルの下着を買う羽目にならずに済んだ。 「やっぱ魔法の文房具かな?」 「ですね」 魔法の文房具の売り場に入る。ここは5人それぞれの魔法の文房具に分けて置かれて いるから、久美子さんはエリカさんの棚を、僕はシズク様の棚を中心に見ている。 恵理子は久美子さんにつかまって連れ回されている。本当は小学生女子じゃない僕が こんなお店で一人ぼっちだと、周りの目が気になる。僕は今、知らない小学生の女子に 囲まれている。こんなに小さな女の子達に混じって、同じグッズを触ってもいいの だろうか。少し離れた所に、その付き添いのお母さんもいる。周りの小学生女子にも、 あのお母さんにも、目を向けられるたびに何か言われるんじゃないかって不安になる。 僕がそんな不安に感じていたら、静香さんが僕の所に来てくれた。 「リンちゃんは何を探してるのかな?やっぱりシズクさんとリンちゃん?」 「はい」 リンちゃんは、妹ということでシズク様とひとまとめに扱われる事も多いから、 シズク様のグッズを探していたら、自然に目に入ってしまうんだけど。 それでも恵理子に『リンちゃん』と呼ばれるようになって、リンちゃんの事を 以前にも増して自分自身のように思うようになってきて、リンちゃんグッズにも 目が行ってしまう。 「この魔法のメモ帳、確か二人一緒に使うのよね」 「はい」 「ケースにも二人の絵が描いてあるし。一緒に買っておそろいにしない?」 静香さんとおそろいって、すごくいい。シズク様とおそろいの魔法のメモ帳だから。 「はい!すごく嬉しいです」 「このリンちゃんのペンダントもいいんじゃない?きれいで可愛くてリンちゃんって 感じだし、見た目の割に安いし」 ペンダントって女の子用のアクセサリーだ。中学生男子の僕が使う事なんてなさそう だし、それを僕が買うのも恥ずかしいけど、静香さんが勧めてくれたものだから、 やっぱり買おうかな。 お買い物を終えてファーストフード店でお昼。久美子さんが恵理子の隣に座ったから、 僕は静香さんの隣になって、とても嬉しい。 「ねえねえリンちゃんは何を買った?私はねー、クミちゃん鉛筆、エリカさんの バレーボール型消しゴム、クミちゃんとエリカさんの二人が描かれている下敷き」 久美子さんにせかされて答えた。 「え、えっと、わ、私は、シズクさん、リンちゃんの魔法のメモ帳、リンちゃん ペンダント、シズクさん、リンちゃんの下敷き」 「シズクさんとリンちゃんは姉妹だから、二人セットのが多いよねー」 うん、だから嬉しい。そして、それを久美子さん相手に自慢げに見せる事ができる のも、ちょっと楽しい。恵理子と静香さんが僕たちを見て嬉しそうにしているのが とても嬉しい。 静香さんと久美子さんとは、乗る電車の同じ方向だけど、特急か各駅停車かの違い があるので、駅でお別れ。恵理子と二人で電車に乗る。昼を過ぎて電車の中は 人が多くて座れなかったので、ドアの近くに立つ。他の人の方に顔を向けるのが 恥ずかしくて、恵理子の方を向く。 今日はとても楽しかった。行きたくて行けないと思っていたレインボーボックスに 行けて、恵理子の友達のシズク様に似た人に会えて、その人から『リンちゃん』と 呼んでもらって、一緒にお買い物できて。こんな楽しい思いが出来たのは恵理子の おかげ。だから。目の前にいる大人っぽい恵理子の顔を見上げる。自分より大人に 見える恵理子をこうして見上げながらこんな事をいうのは恥ずかしいけど。でも。 「あ、あの、恵理子さん。今日はどうもありがとうございました」 「リンちゃん、楽しかった?」 「はい、とっても楽しかった」 恵理子に敬語を使って、ちょっと恥ずかしい。でも静香さんが僕のお姉さんのように 思えて、その同級生で友達の恵理子さんも、上級生に見えてきた。僕をレインボー ボックスまで連れてきてくれた恵理子が優しいお姉さんのように思えた。 だからちゃんとお礼を言わないと。 「リンちゃんが楽しんでくれたんなら、私も嬉しい」 恵理子がまたお姉さんみたいな事を言ったので、胸がキュンとした。恵理子が上級生 のようにみえるのはやっぱり恥ずかしい事だけど、でもこんなに親切な上級生が こんなに身近にいて、とても嬉しい。恵理子の事をお姉ちゃんだと思えるように なったら、もっと楽しいかも。恵理子の事をお姉ちゃんと呼べたら。と一瞬思った けど、やっぱりそれは恥ずかし過ぎる。