二月二十日(水)  今日も福井さんの後ろをずっとついて歩い て、福井さんと内本さんの声以外は頭の中か ら全部追い出して、今日起こった出来事は全 部なかった事にして、千明ちゃんと美幸ちゃ んとの帰り道。 「そういう手があったかー、さっすが薫ちゃ んのお姉さん、良く気づいたよねー。しかも 百合園学園だよ。私達より一足先に百合園に 通うんだ、小学校だけど」 「んー、でもそうすると、薫ちゃんは内海小 にはもう戻ってこないの?」 「うん…」 「やっぱり内海小にいて欲しいな…」 「でもほら、内海小でも四月になったらクラ ス替えで別の組になっちゃうかもしれないし。 それに、違う小学校の絵理ちゃん達と毎日遊 んでたんだよ。遠くに引っ越す訳じゃないし、 違う小学校になっても大丈夫だよ。それに、 中学生になったら私も百合園に行くからね」 「あ、ずるーい。わ、わたしも、わたしも…」 「うん、あと二年したら、またみんな同じク ラスになれるかもね。」 「うん…で、薫ちゃんは四月から百合園のあ の制服を着るの?」 「中学校のとはちょっと違うと思う……ほら、 あれ!」  千明ちゃんが、向かいから歩いてきた小学 一年生くらいの女の子を指差した。 「あれを薫ちゃんが毎日着るの?見たいっ」 「…えっとー、男子…もあれ着られるの?」 「あっ、そうかぁ。共学だから入れるんだよ ね。男子の制服って…あ、あれあれ」  向かいからやってきた半ズボンの男の子を 指差した。 「うーん」 「ちょっとつまんなーい。…でも今着てるの よりはいいかな。同じ小学生って感じで」 「まずは同じ学年にならなきゃ」 「うん」  うちに帰り着いたら、男子の制服なんかす ぐに脱いでしまって、おねえちゃんのお下が りの服に着替えて、部屋に閉じこもって『百 合園学院小学校 編入生募集について』を何 度も何度も読み返す。この用紙に自分の名前 を書いて、百合園学園に出せば、私も百合園 の小学生になれるんだ。内海小でも南町小で もないけど、千明ちゃんも美幸ちゃんも絵理 ちゃんもいないけど、知ってる人は誰もいな いけど、千明ちゃんや絵理ちゃん達と同じ学 年になれるんだ。中2でいるよりそっちの方 がいい。でもやっぱり男子の制服着せられる のかな、それは嫌だ、恰好悪い。女子のだっ たら千明ちゃん達にちょっと自慢出来るのに。 男子のだったらまたみんなに何か言われそう。 でもそんな事より、内海中の2年生なんか、 さっさとやめてしまいたい。中学校の男子の 制服着るより百合園小学校の男子の制服の方 がまだマシ。あっ、試験があるんだ。試験に 合格しないと小学生になれないんだ。百合園 だとやっぱり難しいんだろうな。成績悪くて 百合園小に入れないなんて言われたらどうし よう。で、でも11月に受けた模試は平均よ り良かったから、きっと、多分、なんとか、 入れるといいな。えっ、面接?保護者面接? 保護者って、お父さんお母さんの面接なの? 保護者印?健康診断書?こんなのがいるの? どうしよう…締切は2週間後なのに…。  二月二十一日(木)  一時間目は理科、二時間目は地理。教室で は、とにかくじっと座っているだけ。だって 中学校ではやることないもん。全く無駄な時 間。だから何も考えないし、全部忘れてしま ってもいい。先生の声も回りの声も、車の騒 音のように聞き流す。周りを見回すと、女子 の制服が目に入る。そういえば一回だけ着せ てもらったことがあったなー、中学の女子の 制服。ちょっとだぼだぼで、あんまり似合っ てなかったけど。でも男子の制服よりはマシ か、いいなーあっちの方が。  3時間目は体育。福井さん達はもう女子更 衣室に行ってしまった。大きな男子の中に囲 まれて着替えないといけない。カバンから体 操服を取り出す。何か紙が落ちたような… 「ん?なんだ、これ。高橋のか?…『百合園 学院小学校 編入生募集について』?なんだ、 これ。」 「もしかして高橋が受験するのか?」 「おーそうか、女子小学校に転校するのか、 本格的だなー、あはは」 「そんなら明日から赤いランドセル決定だな」 「最後は女の子らしい恰好で『転校の挨拶』 決定だな」 「でもそんなことしたら、お前んとこの弟に 馬鹿にされるんじゃないのか、『兄ちゃんは 小学生と同級生だ』とかなんとか」 「あ、それは絶対言われる、嫌だな、てめぇ のせいだ」  昼休み。教室にも居づらくなって、廊下を あてもなく歩く。図書室だったら座る場所く らいあるかな。 「あのー、2年3組の高橋さん、ですよね?」 「え?あ、はい…」  知らない女子から声をかけられた。名札を 見ると1年生。女子4人が周りから面白がっ ているような目で私を見る。 「小学校に女の子の恰好で通ってたってほん と?」 「…」 「私の妹が、内海小の5年生で、手芸部なん ですよ」  名札をよく見ると、確かに知っている名字。 「伊藤……香菜さん?」 「そうそう、やっぱり通ってたんだ、へー」  知ってる人のお姉さんだと分かると、急に 恥ずかしくなってくる。男子の制服を着て、 2年の名札を付けている事が。 「本当に小学校に通ってたんだー」 「香菜に聞いたけど、赤いランドセル背負っ て通ってたんだよね」 「……うん」 「あははは、やっぱりそうなんだ」 「そう言われると、本当に分からなくなるよ ね、中学生か小学生か。制服は着てるけど。」  さっきまでの『上級生への喋り方』が『年 下への喋り方』に変わる。別に構わない。小 学校の上級生の、そのまたお姉さんなんだか ら。 「ねえねえ、今度は本当に小学校に転校する って聞いたけど、本当?」 「………………うん」 「じゃあ何年後かに内海中に入り直すんだ、 今度は女子の制服着て」 「それって変じゃない?」 「ちょっと気持ち悪いよ」 「いいじゃない、どうせ下級生になるんだし」 「別の学年ならいいか」 「あっ、引き止めてごめんねー、じゃあねー」 「今日は千明ちゃん風邪でお休みだってー。 二人じゃちょっと寂しいね。ねえ、今日は中 学校で、どうだった?」 「…早く小学4年生に戻りたい…」 「百合園の編入試験だっけ?受ければ私達と 同じ学年になれるんだよね」 「…すぐに。明日から。」 「あ、うん、そうだよね。明日から内海小に 通って欲しいな。でも、どうすればいいのか なぁ」  後ろから聞き覚えのある声が聞こえてくる。 「ほら、小学生の女の子とお手手つないで帰 ってるだろ?」 「本当だ。でも学ランと赤いランドセルの組 み合わせって変だな。兄妹って感じじゃない し」 「その変さが見ていて笑えるんだ」  美幸ちゃんがこっちを向いて、 「明日は内海小に行こうよ」 「う、うん…」  うちに帰り着いて、また『百合園学院小学 校 編入生募集について』を眺める。保護者 面接、保護者印、健康診断…どうすればいい んだろう… 「お母さんよ、入ります」  手に持ってたものを慌ててカバンにしまう。 「さっき先生から電話がありました。何か持 っているでしょ。カバンの中を見ます」 「あっ、何もないって…」 「…………何これ…こんなもの、あなたには 要らないわね。舞が持ってきたのかしら」  本当にビリビリという音を大きく立てて、 お母さんは破って丸めて、持っていった。  二月二十二日(金)  せっかく千明ちゃん達と同級生になれると 思ったのに、お母さんが破り捨てちゃった。 中学校に向かってとぼとぼ歩きながら、そん な事をずっと考えていた。中学校行っても、 もちろん楽しくないし、どうしよう。内海小 や南町小でなくてもいいから、千明ちゃん達 と同級生の方がいいのに。  あとひとつ角を曲がると中学校という所に、 美幸ちゃんが立っていた。 「ねっ、内海小に行こう」  私の目をじっと見つめる。 「…う、うん」  美幸ちゃんに手を引かれて、中学校への角 を曲がらずに真っ直ぐ進んだ。 「でも、この制服のままじゃ小学校に行けな い…」 「まずは私んちに行こう」 「4年4組のみんなは、仲良くしてくれるか な…」 「う、うん…大丈夫だよ、きっと」 「千葉先生に怒られて追い出されないかな…」 「う、うんと……とりあえずうちに行こう」  美幸ちゃんちにたどりつく。美幸ちゃんち に来るのは確か始めてだったかな。 「まずはその制服を脱いで……代わりに…… しまった、私の服じゃ、薫ちゃんには小さ過 ぎるんだ」 「…やっぱり内海小には行けないよね…」 「ら、来週は早紀ちゃんに借りて、内海小に 行けるようにするから。今日のところは…」 「中学校にいくのか、嫌だな…」 「い、いかなきゃいいよ、今日はうちにお母 さんいないし、私が帰るまで待ってて。授業 終わったらすぐに帰ってくるから」 「えっ、う、うん」 「夕方は、久し振りにゆっくり遊べるね」  嬉しそうな顔で駆け出していった。そうだ、 このままずっとここにいれば、夕方まで待て ば、帰り道の数分間だけじゃなく、もっとも っと長く一緒に遊べるんだ。それに、夕方ま で待つのに、あの中学生に囲まれてじっと我 慢する必要もない。嫌なことも何もなく、何 もしないで、ただ待っていればいいんだ。  それから3時間。誰もいない部屋の中で、 ただぼーっとして美幸ちゃんが帰ってくるの を待つ。1時間ってこんなに長かったかな。 でも中学校での1時間もこんなものだったか な。だって何もしてなかったから。昼休みは 1時間ないのに、ものすごく長かった。男子 が話しかけてくる事がたまにあったし、だか ら「男子が話しかけてくるかもしれない」と いつも不安に思っていたから。寒い部屋の中 で、じっと座りこんで時間がたつのを待ち続 ける。……おなかがすいた。おなかがすいて きた。でも食べ物がどこにあるのか分からな いし、勝手に食べるのも気が引けるし、おな かがすいておなかが痛くなってきても、美幸 ちゃんの帰りをじっと待つ。……まだ2時前。 あと2時間くらいかな。寒いな。もうちょっ と待てば美幸ちゃん帰ってくるかな。うん、 もうちょっとだ。もうちょっと。おなかすい た。寒い。もうちょっと。もうちょっと。も うちょっと。おなかすいた。寒い。もうちょ っと。 「ただいまー」 「あー、やっと帰ってきた、長かったー」 「待った?」 「うん、えっとね、……おなかすいた」 「えー、お菓子でも食べてれば良かったのに」  二人で台所に行く。 「えーとね、おせんべい、チョコレート…あ、 お昼全然食べてないんだね。少ないかな」 「うん…」 「よーし、それじゃあ私が作ってあげるっ。 …って卵焼きしか作れないけど。」  美幸ちゃんは冷蔵庫の中を見ながら、 「卵焼きだから、卵は当然必要と…ハムも入 れちゃおう、ちくわもある…人参好き?」 「んーと、別に嫌いじゃない」 「それじゃあ入れちゃおう」  美幸ちゃんはお皿に材料を入れてかき混ぜ て、フライパンを握りしめて、気合十分に 「さあ作るぞー」  数分間ガス台とにらめっこした後、 「出来たぞー、さあ食べて食べて」 「美幸ちゃんすごーい」 「えへへ」  美幸ちゃんの作った卵焼きを食べながら。 「中学校の制服のままじゃかわいそう。でも 私のじゃ小さいし…お母さんのじゃ大きいか な?薫ちゃんならちょうどいいかな?」 「んー、でもお母さんって何時に帰ってくる の?」 「お母さん今日は遅いから大丈夫。後で着替 えようよね」 「うん」 「今日は内海小に行けなかったけど、月曜日 には早紀ちゃんの服を借りられるようにする ね。そうだ、薫ちゃんっていつから百合園の 小学校に転校するの?それまでは内海小に通 えばいいよ」 「……お母さんがあの書類を破って捨てちゃ った…百合園の小学校に転校出来ない…」 「……えー、ひっどーい。じゃあ内海小に通 えばいいよ、うん」 「だってお母さんと先生達が無理やり中学校 に連れていくんだもん…小学校に行ったら、 お母さんにしかられる…美幸ちゃんや千明ち ゃんと一緒にいるとみんなうるさいし…帰り 道でしか会えないし…」 「じゃあ、もうおうちに帰ったらダメ。ここ にいようよ、ね。今夜はうちに泊まってさ、 そしたら一晩中一緒だよ。明日は千明ちゃん ちにお見舞いに行こうよ。帰り道だけじゃな いから。」 「う、うん…でも美幸ちゃんのお母さんは…」 「私からなんとか言うから大丈夫。うん」 「…じゃあ、今夜は一晩中、一緒なんだ」 「うん。そういえば、おうちが遠いから長い 時間一緒に遊んだことないよね。今日はお泊 まりだから、ゆっくりできるよ」