大学生(1)

 やったぁ、合格よっ、恵野女子大。近所の人には「あんたにゃ無理だ」とか 言われたし、先生には「もっと手頃な大学にしとけ」とか言われたけど、憧れ てた大学だもの。島根の人だって知ってるほどの有名大学だし、すごい競争率 だったようだから、実は私自身どうかなと思っていたけど、この通り合格よっ。


 横浜の少しはずれの、創立110年以来使っている古い校舎。周りの住宅街 は品のいい建物ばかりだし、商店街も大きくはないけど気に入っちゃった。私 の期待通りよね。
 そして入学式。とうとう私も恵野女子の学生。でも周りを見ると、すごく厚 化粧に派手な服の人達。この人達、本当に新入生?東京ってこんななのかなぁ。 大学生になったんだからお化粧くらいしなきゃ、とは思うけど、あそこまでは したくないなぁ…。それに入学式はもう始まっているのに、まだおしゃべりし てる。この人達、本当に恵野女子の学生なの?
 入学式の後はオリエンテーション。でもまだ騒がしい。だから一番前に陣取 らなきゃ聞こえない。あの人達、話聞いてるのかしら?

 そして、授業開始。私が授業を受ける建物は真新しい建物。古い建物の方が いいんだけどな。ちょっと残念。
 最初の授業は「英語学概論」。大学で初めての授業、緊張しちゃう……と思 ったけど、入学式同様、騒がしいの。先生はしばらく話してたけど、あまりの 騒がしさにとうとう怒ったのか、大きな声で説教を始めちゃった。
「この授業は大学に入って最初の授業のはずだ。英文学科の学生なら、この4 年間で勉強する事の入門とも言える授業でもある。国文学科の学生でも、日本 語学との共通点や相違点を知るための大切な授業のはずだ。それを、まだ話始 めて十分と経たぬうちにこの騒がしさは何事だ。真面目に聞いてる学生の邪魔 になる、ということさえ思い至らぬのか。お喋りは休み時間でも放課後でも出 来るではないか。一時間半静かにしている事さえできぬほど忍耐力がないのな ら、教室の外で喋りなさい。私は出席は取らない。試験でちゃんと取れば単位 は上げます。もっとも教室までやってきて黙って勉強する事も出来ぬ人間に点 が取れるような問題は出す気はありません。」
さすがにこれ以降の授業は少しは静かになったみたい。
 お昼御飯を食べた後、お手洗いに行ってたんで授業に遅れそうになる。ぎり ぎりで間に合ったけど、すぐに先生が入ってきたからもう前の席には行けない。 仕方なく一番後ろの席に。……一番後ろの席に座って気付いた。静かになった と思ってたけど、雑誌読んだりお化粧直ししてたりしてる人達がたくさんいる。 こんな後ろの席では、ちゃんと教科書を広げて勉強してる方が肩身が狭いわ。 全体で見てもちゃんと勉強してる人の方が少ないくらい。恵野女子ってこんな 大学だったの?

 入学式から二週間。二週間経つと、出席を取らない授業は人が少なくなっち ゃった。他にも「あの先生は甘い」とかいう噂があちこちで聞かれて、そうい う授業も人がまばらに。選択科目にいたっては、噂をもとにした人気の有無で 人数がはっきり分かれちゃってる。騒がしい人がいない分良いんだけれどね。
 二週間も経つと、前の方に陣取る顔触れが分かるようになってきた。この時 間の私のお隣は、昨日の4コマ目でも私の隣だった人。お互いに会釈をする。 この人、とても授業を熱心に聞いてる。この授業が終わって、お昼御飯。ほと んどの人が近くの食堂に行くから、さっきの人と並んで歩く。向こうにいる人 はこの人とお友達なのかな?あの人も最前列組。
「あなたもご一緒します?」
「あっ、はい」
「お名前はまだ知らないわよね。顔は覚えたけど」
「私、坂井裕美です」
 なんとなく、お友達になっちゃった。食堂では、みんなの話を聞いてる。ま だ島根から出てきたばっかりだから何も分からないもの。近所の喫茶店の話、 ファッションの話、音楽の話、さっきの授業の話。他のクラスメートみたいに ぎゃーぎゃー騒がず、みんな静かに話していて、居心地がいいわ。午後の授業 はみんな違うようだから、お別れ。

 次の日の放課後、近くの商店街を歩いてたら島田さんとばったり会う。
「ねぇ、そこの喫茶店入らない?ここケーキおいしいわよ」
「はいっ」
 すぐ近くにあった喫茶店に二人で入る。
「坂井さん何年生?」
「一年です。島根から出てきたばっかりなんです。島田さんは?」
「えっ、あ、一年」
「一緒なんですね。でも同じ授業なのはそんなにないけど」
「う、うん、大学って、そういうところみたいよね」
「大学の授業ってやっぱり難しいですよね。英語学概論のレポート、書くのす ごく大変」
「あら、そう?ノートちゃんと取ってたらそんなでもないと思うけど」
「えー、ちゃんと取ってるのにー。教えてー」
「んー、仕方ないわねぇ、明日見せてあげるわ」
「ありがとう」
 ケーキをぱくり。
「…おいしい。とても静かなお店だし」
「そうでしょう、私のお気に入りなの」
「大学にはあんなに人がいるのに、この辺りは人が少ないですね」
「大学生はほとんど元町の方にいっちゃうから」
「放課後は大学内も意外と静かだし。サークル活動って少ないんですね。ちょ っと期待してたのに」
「そうねぇ。他の大学ではよく聞くのにね」
「でもあんなに騒がしい人達ならよそに行ってくれた方がいいけど」

 もうすぐゴールデンウィーク。島田さんに教えてもらった喫茶店で、一人で 考え事。ゴールデンウィークは何しようかなぁ。サークル活動に入れなかった し、何も考えてないなぁ。今まで授業で時間がなかったし、商店街探検でもし ようかな。
 お隣の席に座っているおばさん達の会話が聞こえてくる。
「今年の恵野女子の大学の新入生、評判悪いわね」
「別に今年に始まったことじゃないけど」
「でも今年は特にひどいらしいわよ」
「うちなんて大学生の通学路でしょ?もう掃除が大変よ」
「うるさいでしょ?」
「それはもう慣れたわ」
「高校は日本一有名なお嬢様高校なのに。評判落とすだけなんだし、大学なん て作らなきゃよかったのにね。高校の子はあの大学にほとんど進学しないんで しょ?」
「大学が出来て以来、高校から5人以上入った年はないらしいわね」
「あれは恵野女子高校付属大学なんですもの、仕方ないわよ」
「面白い冗談ですわね」
「冗談とばかりも言えないのよ。成績のいい高校生は、先生の許しをもらって 高校の授業の代わりに大学の授業に出てるそうよ」
「おたくのお子さんも?」
「うちの娘はそこまで成績は良くないわ。でも毎時間二三人は大学の方に行っ てるみたい」
「もしかして、前の席で真面目に聞いてる子はみんな高校生だったりして」
「本当にそうらしいわよ。で、試験前になるとノート貸すのが大変だって」
「ノート貸してコピーさせるだけなんでしょ?」
「他人のノートなのに扱いがひどいんですって。しかも、ノートに書いてある 内容が分からないって文句言う学生がいるから、分かりやすく書かなきゃいけ ないとか」
「あの大学生の面倒みるなんて、恵野の生徒も大変ね」
「あの大学生達は高校生から借りてる事を知ってるの?」
「知ってるんじゃないの?馬鹿騒ぎしてるあの大学生が、駅前で高校生だと分 かる子を見ると、急に静かになったり、逆に変な対抗意識もって悪態ついたり。 見てて面白いわよ」
「そういう大学だと知って入学してるのかしら?」
「そこまでは分からないけど、あの子達でも入学出来る大学としてはもっとも 有名な大学だもの。恥さえ忍べば恵野卒の肩書が手に入るんだから、知ってて も入るんじゃないの?競争率だけは高いし」
「恵野卒のネームバリューも高校の子達が作ったものだし、本当におんぶにだ っこね」
「でもね、あんな学生でも四年間高校生に躾けられれば、少しはおとなしくな るみたいよ」
「本当に恵野女子高校付属大学ね。そう思うとあの学生達がいじらしく思えて くるわ」

 ゴールデンウィーク直前の日。「英語学概論」の出席者はほんのわずか、も う知ってる顔ばかり。その分とても静か。授業も快調に進み、少し早い時間で 「きりがいいから、ここまでにしようか」
 そういった後、先生は教室を見回して、
「一ヵ月経たないのに、顔触れが固定化してきたな。せっかく顔を覚えたんだ、 名前も覚えておこう」
 名簿らしい物をを取り出して
「三田知恵子さん」「はい」と出席を取り始めた。
「…島田久美さん」「はい」
 …私ともう一人がまだ呼ばれてない。先生は私達の方を見た。
「…んー、君は何年だっけ」
「中等部の三年の浜田です」
「あーそうだそうだ、中等部がいたんだね。名簿が別だった。で、君が川村さ んかね」
「いえ…英文学科一年の坂井です」
 みんなびっくりしたように私の方を見る。
「珍し…いやそんな事いったら悪いか。真面目でよろしい、うん。じゃあ川村 さんというのは先週いたあの子か。うん、分かった」
 あのおばさん達の話って本当だったんだ。私が恵野に合格出来たのは、私が 勉強出来たからでも運が良かったからでもなく、私が合格出来る程度にレベル の低い大学だからだったんだ。そんな事知らなかった、だって恵野に高校があ ることさえ知らなかったんだもの。横をちらっと見る。あの人達、みんな高校 生だったんだ。島田さんは1年って言ってたけど、高校1年だったのね。さっ き出したレポート、島田さんに教えてもらったのよね…。みんなも私の方を見 てる。なんだか珍しい物を見るような、戸惑っているような顔。私ってそんな に珍しいのかな。
 食堂でお昼御飯を一人で食べてると、向かいの方からひそひそ声が聞こえて きた。あの人達は、たまに授業で見かける人達。
「ほらほらあの人、いつも前の方に座ってる」
「まじめくさっちゃってさ」
「高校の子じゃないの?私達には関係ないわよ」
「だから気に入らないのよ」
「私の従妹、恵野中を受験するとか言ってるのよ」
「良かったじゃない」
「何がいいのよ」
「7歳違うんでしょ?3歳違いだったらあんた毎日馬鹿にされてるわよ」
「辻さんとこがそうらしいね」
「きゃー恐い」


 四月三十日、授業は全部休講。商店街をお散歩する。でもそんなに広くない な。今日で全部回るとつまんないし、大学の中をお散歩しよう。
 誰もいない学内を、適当に歩き回る。この辺は家政学部かな?窓の中を覗く と実験室。その隣は調理室みたい。隣の建物は…よく分からなくなっちゃった。 どうせ大学の中だから迷ってもいいや。分からないまま歩いていくと、すごく 古い建物の中に入っちゃった。どこだろう……教室の中は人がたくさんいるみ たい、授業をやってるの?今日授業をやってるなんて、どこの学科なんだろう。
「あら坂井さん、そんなとこで何やってるの?」
 階段の上に三人。その中に島田さんがいた。
「学内を見て回ってたら迷っちゃって…」
「高校の敷地には大学生立ち入り禁止よ」
「…ごめんなさい」
「私達、今は暇だし、一緒に来る?」
 高校の正門から坂を下る。
「いつもは守衛室に人がいて、高校の生徒手帳を見せないと止められるんだけ ど。今日は大学生は誰もいないと思ったのね、きっと…」
「今は暇って、この後何かあるんですか?」
「午後の授業は大学のに出る予定になってたから今日は何もないけど、その後 にクラブがあるの」
 …やっぱり高校生だったんだ。高校の方はサークルがあるのね。
 坂の下にあるお店に入った。店内の隅の方に浜田さんがいる。この曜日のこ の時間は私と同じ授業に出てるから、やっぱり暇でここに来てるんだ。国語学 概論の教科書とノートを開いてる。他の人も静かに本を読んでる。話をしてい る人も静かな声。大学の授業の雰囲気とはまったく逆よね。ここにいるのはや っぱりみんな高校生なのかな…。
「島田さんは、どういうクラブに入ってるんです?」
「私達、合唱部なの」
「…そういうサークル入りたかったのにな…」
「そうねぇ、よその大学のサークルに入れてもらう、って手もあるけど…」
「あっ、そういうのって出来るんだ」
「でもどこにどんなサークルがあるか、分からないよね…ここの大学生ってそ ういう事に興味ない人ばっかりだから、勧誘もないし情報も入ってこないし」
「よくてナンパ目的のテニスサークルくらいね」
「…つまんないな…」
「あなたみたいな真面目人が、どうしてここの大学なんかに入ろうなんて思っ たの?噂くらい聞かなかった?」
「島根にいたから、噂なんて…」
「もっといい大学入れたんじゃないかなぁ、あなただったら」
「一浪したと思ってさ、もっといい大学探したら?」
「うん、それがいいわよ」
「そんな今更…それに授業はちゃんとした大学らしい授業だと思うんですけど」
「そりゃあ、一年向け二年向けの授業は私達のためにやってるようなもんだか らそんなにひどくないけど、演習や四年向けの授業はひどいらしいわよ。一年 の英語のLLなんて、中等部並って話じゃない」
「でも坂井さんみたいな人だったら一対一で教えてもらえるんじゃない?文学 部独り占めなんて格好いいわよ」
「でも、友達無しで四年間の大学生活なんてねぇ」
「それに耐えられるくらいなら、私もここの大学に入るわよ」
「冗談きついわね」
「坂井さん、本当に真面目だもの。私、始めのうちは高等部の人だと思ってた」
「私のクラスで、今年の大学一年はほんとにひどいって噂だけど、あなたの事 も噂になってるわよ」
「そうそう坂井さん、ひとつ注意しておくわ。ここは恵野女子高校の生徒みん なのお気に入りのお店なの。あの大学生達が来るようになると雰囲気壊れちゃ うんじゃないかってみんな心配してるのよね。あなたがどういう人かはもうみ んな噂で知ってるとは思うけど、あなたが大学生だと知れ渡ってるから嫌がる 人がいると思うし、注意してね。間違っても他の大学生連れてくるような事は しないでね」
 それって、私はここに来るなっていう意味よね、きっと…。


 ゴールデンウィークが終わって、再び授業の毎日。大学では最前列組のみん なとお喋りしたりするけれど、いま一つ馴染めない。一日中同じ顔触れじゃな いもの。みんな高校に戻って授業やクラブで一緒みたいだけど、私だけは違う し。それにやっぱり私の事馬鹿にしてるのかな。だってみんな一流高校の生徒 だもの、本当に頭いいもん。こんな付属大学なんかに入って喜んでるような私 を、馬鹿にしてて当然よね。私も化粧が濃くて授業中にファッション雑誌読ん でるクラスメート達と同類だと思われてるのかな…。

 放課後は当然私一人ぼっち。下宿に帰って、御飯食べてお風呂入って寝るだ け。こんなんだったら、あの同級生達と一緒に遊んでた方がいいかな。帰り道、 ふと前を見ると、クラスメートの辻さんと石井さんがいる。あの二人、元町と かいう所に行くのかな…。なんとなく二人のあとをつけてみる。二人は定期で さっさと駅の改札を通ってしまう。どこまで行くのか分からないからちょっと 高めの切符を買って改札を通ってホームに行く。ちょうど電車が入ってきて、 二人が乗り込んでるから、私も慌てて乗り込む。
 二人が降りるのが見えた。私も降りる。すごい人の数。二人を見失いそう。 街中に出て周りを見回すと、みんな濃い化粧に派手な服。自分がすごく場違い な場所にいるような気がしてきた。辻さんと石井さんが小さな路地に入るのが 見えたので私もそこに入った…けど、分からなくちゃった。どの建物に入った んだろう。しばらくそこに入る人達を見てたけど、ここでは大学でのクラスメ ート達のお化粧がおとなしく見えちゃう。
「そこのお嬢さん」
 男の人が声をかけてきた。
「ねえ、お茶しない?その後さ、踊りにいこうよ」
 口振りは丁寧だけど、ずっとにやにや笑っている。横にいる男の人は小声で
「おいおい、ロリコンじゃあるまいし」
とか、この人もにやにやしながら話してる。
「いえ、今急いでるもので」
 そういって、早歩きでその場を逃げだした。方向なんて全然考えてないから どこに来たのか全然分からない。とにかく橋を渡って、歩道橋を渡って…気が ついたら横浜球場だった。

 その週の土曜日。手持ちの服の中で一番派手そうな服を着て、元町に行って みた。ファーストフード店の中から通りを眺めてただけで全然楽しくはなかっ たけど、通りを歩いてる人達は楽しそうだった。慣れれば楽しいのかも知れな い。
 帰り道に本屋さんで、クラスメートのみんなが読んでるような雑誌を眺めた。 みんなのお化粧や服装ってこんな感じだよね。私も真似してみようかな。月曜 日は今日くらいの服を着て行ってみよう。もう一番前に座るのもやめちゃおう かな。試験の時は最前列組からノート借りればいいんだから授業出なくてもい いんだよね…でも、島田さん達にどんな顔して借りればいいんだろう…。ふと 横を見ると、高校生くらいの子が私の方を見てひそひそ話してる。恵野の高校 生かな?私の事、馬鹿にしてるんだろうな。こんな雑誌見てるんだもんね。
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