『もう一つの場所』
もと(MOTO)
木曜日の音楽の時間
「来月17日に合唱コンクールがあります」
みんなから「えー」という声があがった。僕もあんまり、合唱コン
クールって僕は好きじゃない。でも、球技大会や運動会よりはいいか
な。体育はもっと苦手なだしな。
「課題曲は、2年は『荒城の月』です。それともう一曲、課題曲があ
ります。これはホームルームの時間で決めるはずですが、それまでに
合唱にいい曲を何か考えておいてください。あと指揮者とピアノ伴奏
をやる人も決ること」
すると、みんなてんでばらばら好きな曲を言い始める。
「はい、静かに。今日は課題曲の練習をします」楽譜が配られる。
「男声と女声のパートがあります。まず女声パートの方から1回やり
ます。はい、女子は立って」
女子たちが立ち上がって合唱が始まった。それをぼけっとしながら
眺める。
「はい、それじゃ今度は男子立って」
先生の声で女子が座って男子が立ち上がる。先生の伴奏が始まる。
合唱が始まったけども僕はどうもうまく歌えない。最初の部分でいき
なり音程が低くなるのだけども、そこの部分がどうもついていかない。
僕の声はすこし高い目なのだ。あまりそんな声好きじゃないから普段
は低い目の声でしゃべるようにしているけど、歌だったらごまかせな
いもんな。まあ、いいや歌えないとこはパスしちゃおう。
男子の合唱が終わると女子も立ち上がって男女いっしょに歌う。
「えーと、あと30分ほどあるので、まず女子がピアノの周りに集まっ
て、十五分ほど練習します。その後十五分が男子です。男子はしばら
く静かにしているように」
男子の番になってピアノの近くで何度も歌わされたけど、声がやっぱ
りみんなより高い目みたいでつい小さな声になってしまう。先生は
「もっと大きな声で」ていってるけど、でないんだから仕方ないよな。
なんか繰り返して終了。やれやれ、これから歌の練習が続くんだな。
その日の午後のホームルームの時間
指揮者と伴奏者を決める。いいな、指揮者と伴奏者は歌わなくても
いいもんな。だけど、僕は身長も150センチしかないし、指揮者っ
て訳にはいかないよな。
そんなことを考えている間に、指揮者は学級委員長の瀬田、伴奏は
ピアノを習っている鳥居さんに決まったってしまった。
自由曲はみんなわいわいがやがやいっていたけど、結局担任の先生
がアドバイスした『あの素晴らしい愛をもう一度』に決まった。
次の週の月曜日の音楽の時間。
課題曲の練習から始まる。できるだけ、歌わないする。今日はいつ
もよりも早く終わった。やれやれ。菊池たちと教室に帰ろうとすると、
先生に呼び止められた、。
「伊藤さんと飯田くんはちょっと残ってね」
あ、やばい。声出してなかったのばれたかな。教科書を横に置いて
ピアノの横にいく。
「伊藤さん最初の四小節歌って見て」
一緒に呼ばれた伊藤さんが歌う。
「今度はこっちで歌って見て」
今度は低い男子パートの部分を弾いてみる。へぇー伊藤さんって声
低いんだ、ちょっとうらやましいな。
「うん、じゃあ今度は飯田くん」
先生が男子パートの部分を弾き始める。最初にいきなり低くなると
ころで、声が引いてしまう。2回歌ってたけどもやっぱり引っかかっ
てしまう。
「はい、じゃあ今度はこっちの方を歌って見て」
今度はかなり高い。そのせいか、すぅーと声が出る感じがする。
「うん、分かった。伊藤さんも飯田くんも、今のままじゃ声出しにく
いでしょ」
「はあ」
「伊藤さんは男声やらない?そっちの方が大きな声も出せると思うし、
何よりのど痛めないし」
「えっ、ええ…」
嬉しそうにしゃべる先生と対称的に伊藤さんは複雑な表情をしてい
る。
「で、飯田くんは女声の方がまだちょうどいいみたいね。うん、今度
の練習の時からそういう事でやってね」
え〜じゃあ音楽の時間は…
「あのう…女子と一緒に練習するんですか」
「うん、男女別に練習する時はそうしてね」
「でも…」
なんか、女子の中で練習するのも、なんかな…
「クラス全体で合唱するのだから、気にしなくてもいいわよ。それに、
音楽の授業の一貫なんだから、みんなに気持ちよく大きな声を出して
ほしいし。今度の授業の時に、みんなと一緒に大きな声で歌って見な
さい、ねっ」
「はぁ…」
なんだか、勢いに押されたようになって、そういうことに決まって
しまった。
音楽室の前で木田と矢田が待っていた。
「飯田、女子のパートやるのか」
「しょがないよ、声でないんだし」
「さっきの声、女みたいだったよなぁ」
「うるせぇ」
人が気にしてることをなぁ。
「お前だけ女子に囲まれて練習するのか、なんでお前なんだ」
あのなぁ、そんなによけりゃかわってやろうか。
「ふんっ」
「まあ、あの女子たちに囲まれても嬉しくないかもな」
まあね。まあ、音楽の時間だけだしな。
ふと音楽室のドアの方を見ると伊藤さんが小田さん鎌田さんと一緒
にでてきた。伊藤さんもなんだか浮かない顔をしている。
木曜日の音楽の時間
「それでは、今日は女声パートの方から先にやります。女子は…」と
先生は言いかけて「それと飯田くん、ピアノの周りに来てください」
なんだか、ついでにっていう感じ。それにわざわざ「飯田くん」な
んていったらよけい目立つような気がする。
木田や矢田や菊池のにやにや笑いに見送られるようにして立ち上がっ
てピアノの周りに集まる。周りは全部女子ばっかり。なんだか落ち着
かない。ふと横を見てみると、男子が座ってる席のなかで伊藤さんが
1人ぽつねんと座ってこちらをながめている。
先生の伴奏が始まる。そして女子がみんな歌い始める。正直言って
こっちのパートの方が声が出しやすい。周りの女子の声に引っ張られ
るようにびっくりするほど高い声を出すことができた。いちばんキー
が高くなるところでも大丈夫だった。つい、いつもよりも大きな声を
出しそうになった。
「はい、いいわよ。それじゃ今度は男子と伊藤さんね。女子と飯田く
んは静かに座って待ってなさい」
僕と女子たちが座るのと交代に、男子と伊藤さんがピアノの前に集
まる。女子はみんな席について、ひそひそ話を始めている。僕はぽつ
んと男子と伊藤さんが合唱するのを見ている。伊藤さんはピアノの端
に立って歌っているけど。わりとうまいし、いい声が出ているみたい。
先生も「伊藤さん今日は大きな声が出てたわよ」って言ってるし。
授業が終わった後教室に戻る途中で木田が「お前、高い声出せるん
だな」と話しかけてくる。
「そりゃ、高いパートだもんな」
「でも、女子に囲まれていいよな」
菊池は笑いながらそう言った。
「お前、ど真ん中にいたじゃないか」
「女子がゆっくり集まるから真ん中になっちゃったんだよ。ひとりじゃ
つまんないよ」
そういえば、伊藤さんもひとりだもんな。
ふと廊下の横を見ると、小田さんや鎌田さんと一緒に、話しながら
歩いてくる伊藤さんが見えた。やっぱり一人ぽつんとしてるのはいや
だもんな。
月曜日の音楽の時間。
「今日は男声の方からやります」
男子と伊藤さんが立ち上がる。男子の合唱が始まる。ぼけっとしな
がら聞いていたけど前よりもよくなっているみたい。
「では、今度は女子、集まって」
先生が言うとわらわらと男子と女子が入れ替わる。そして練習が始
まるけど、やっぱり女子の中で声を出すのはすこし恥ずかしい気がす
る。男声パートと比べると、声は出るのだけど、なんだか歌い方に違
和感がある。
音楽の時間が終わって、藤原がとびでるように音楽室を出ていった。
そうか、給食当番だな。僕も教室に帰ろうとしたら、
「飯田くん、やっぱり女性パートは歌いにくい?」先生が声をかけて
きた。
「はあ、やっぱり声が変だから…」
「そんなことないよ」
その声に振り向くと小田さんと近藤さんが立っていた。
「飯田くんの声はいいよ。とてもきれいだよ」
「そうね、声じゃなくて歌い方なのよ。ほらここのところ」
先生がピアノで高音が引っ張るところを引いて説明を始める、
「ここのところで大きく声を出したらずっときれいな、合奏になるわ
よ」
「そっか、そこのところ練習しなきゃいけないのね」
石川さんの声がしたので横を向くと、そこには女子のほとんどが残っ
ていた。
「そうね、みんなしっかり声が出せるようにがんばってね」
先生がピアノを閉じながらそう言った。
みんなで音楽室を出ていく。歩きながら先生が言ったパートのところ
を見ていると、小田さんと近藤さんが、
「ほら、ここのところちょっと歌いにくいのよね」
「うん、息継ぎができないからね」
といって話しかけてきた。
「うん、そしたらよけい変な声になりそうでさ」
と言うと、近藤さんが
「そんな、飯田くんの声ってちっとも変じゃないよ」
「そうよ、この前も真代ちゃんと、飯田くんの声って可愛いって言っ
てたんだから。うらやましいくらいよ」
「そ、そうかな」
「そうよ、だからさ、練習してがんばろうよ」近藤さんがつづける。
そうだな、とにかく、しっかり声が出せるようにはなりたいな。結
構気持ちよく歌えたし。
そんな事を話しながら教室に入っていたら、給食当番の藤原が女子
の当番が遅いといってぶーぶー言っていた。たった5分くらいなのに
な。
水曜日の放課後、帰ろうとしたところに近藤さんと鎌田さんが廊下
で声をかけてきた。
「飯田くん、明日とあさっての放課後あいている?」
「う、うん。別に塾もないし、クラブも入ってないし」
「OK。じゃあさ放課後練習するから残ってね」
「練習って合唱の?」
「そうそう、音楽の時間じゃ足りないでしょ。だからこっそり残って
練習しようと思って。鳥居さんもその日だったらピアノのレッスンな
いから大丈夫だって言うし」
「ふ〜ん」
「あ、そうそう。このこと他の人に内緒ね。他のクラスが練習するま
で、出来るだけ音楽室使って練習するの。だから秘密ね」
「う、うん分かった」
「じゃあね」
木曜日の音楽の授業の時間
「男子は隣の部屋のオルガンの周りに来てください。女子はこのピア
ノの周り、今日から鳥居さんに伴奏してもらいます」
ぞろぞろと男子が先生と一緒に隣の部屋に移っていく。そして、鳥
居さんがピアノの方にいく。
「じゃあ、弾きまぁす」
鳥居さんが伴奏をはじめて、みんなで合奏を始める。1回終わるた
びに、みんなであそこが良かった悪かったと言い合う。
すこし休憩になり、楽譜を見ていると、
「飯田くん、だんだん声でるようになったじゃない」
鎌田さんと小田さんが机の前後から話しかけてきた。
「う、うん。そうかな」
「私、今日は高い声でないから、あたしよりもきれいな歌い方かもし
れないわよ」
「あれ、幸子ちゃんどうしたの」
「だって、今日私英語当たる日だもん。遅くまで訳やってたの」
「あ、じゃあ、あとでノート見せてよ。判らないとこあるんだ」
「うん、いいけど」
「あ、先生だ」
先生が入って来てみんなのおしゃべりが止まった。そして、またみ
んなで何回か練習を繰り返す。
先生は女子の練習は終わりと言って、男子の練習を見に音楽室を出
ていった。すると、石川さんが
「じゃあ、みんな今日放課後の練習忘れないでね」と声をかける。
「OK」
「ねえ、早く教室帰っちゃおうよ」
「うん、英語の予習もしたいもん」
「うん、帰っちゃお」
「飯田くんは予習したの」
「うん、一応してあるよ」
「じゃあ、一カ所判らないとこあるから見せてよ」
「うん、いいよ」
その日の放課後。
音楽室に行こうと廊下を歩いていると、
「飯田、帰ろうぜ」
木田と矢田が声をかけてきた。
「ごめん今日はちょっと」
「なんだ、なんかあるのか?」
「うん、ちょっとな」
「宿題、写させてもらおうと思ったんだけどな」
「しゃあねえな。じゃあ、おれたち先に帰るから」
「うん、ごめんな」
2人ともなんだか変な顔をして校門の方へ歩いていった。だって、
周りに他のクラスの人いるもんな。
音楽室に入っていくと、近くのいすに座る。でも、まだ練習は始ま
らない。
「ねえ、早く練習を始めようよ」と横に座っていた近藤さんに声を
かけると近藤さんは驚いたようにこちらを振り向いた。
「あ、飯田くんだったの。びっくりした」
「え、どうして」
「だって、なんだか声が可愛かったから」
「そうなのよ」と鎌田さんが言った。
「飯田くんって普段の声も結構可愛いと思わない」
「うん、絶対そう思う」
近くにいた吉川さんや小田さんがうなずいた。「そ、そんな事ないさ」
なんだか恥ずかしくなって声を低くする。
「あ、だめぇ、元に戻しちゃ。もったいないよ」
「飯田くんってわざと声低くしてたんじゃないの?高い声の方がきれ
いだよ」
でも、なんだか複雑な気分。
「あ、石川さんと水野さんが来たよ」
これで全員集合して、鳥居さんがピアノをあけてみんでピアノのに
集まる。
30分ほど練習してすこし休憩にしようと言うことになって。ピア
ノの前でおしゃべりが始まる。
「飯田くんって、最初は取っつきにくい感じだったけど、いい人ね」
「え?そんなに取っつきにくかった?」
「う〜〜ん、あのさ、ときどき顔しかめることあるでしょ。あれやめ
た方がいいよ。せっかく声きれいなんだから」
「え、そんなことしてる?」
「してるよぉ。声もわざと枯らしてたんでしょ」
「え〜、そんな事してたの」
「そんなことしちゃだめぇ」
まわりの女子から一斉に声があがった。
「でも、なんだか変じゃない?」
「ぜったいそんなことないよ。今のしゃべり方の方がきれいだよ」
「ぜったい元に戻しちゃだめだよ。それに、顔しかめるのもやめなさ
いよ」
「う、うん」
そんなに変かな。鎌田さんがポケットから鏡を出して来た。
「ほら、この方がいいじゃない」
そうかな。じゃあ、気をつけて直そうかな。
もう一度練習をして、から鎌田さん、近藤さん、小田さんと一緒に
学校から帰った。
明くる朝
「おはよう飯田くん。ねえ今日の放課後だけどさ…」と近藤さんが声
をかけてきた。
「おはよう」
顔をしかめないようにして笑うと
「う〜ん、合格。やっぱり笑ってる方がいいよ」
「そうかな」
「あ、おはよう」
白井さんがきて今日の練習の話しになった。
そしてその日の放課後、
「じゃあ、飯田くん早く行こう」
と言って、伊藤さんと何かおしゃべりしていた鎌田さんと一緒に教
室を出る。
音楽室はもうみんな集まっていた。すぐに練習するけど、半分は練
習じゃなくおしゃべりになってしまう。
「ねえ、由香ちゃんに、放課後何してるのって聞かれちゃった」
「あ、由香ちゃんに秘密の練習のこと言ったの」
「うん、いいでしょ」
「だけど、他のクラスもそろそろ練習始めるのかな?」
みんなとおしゃべりしていると結構楽しい。そういえば、今まで女
子とこんなにしゃべった事ってなかったな。
練習が終わって、きのうと同じように鎌田さん、近藤さん、小田さ
んと家に帰る。
月曜日の音楽の時間
今日は先生はまず男子の方の練習を見に行く。その間にみんなおしゃ
べりしたりている。
「真代ちゃん、きのうのTV見た?」
「あ、きのう見られなかったの?どんなお話だったの?」
「お話?」
お話ってなんのこと?
「あ、そっか飯田くんは見ないよね。美少女怪盗マリーってアニメな
の」
「あ、それ僕見てるよ」
夜7時半にやっているアニメだ。ショートヘアの女の子が怪盗にな
るやつだ。
「あ、飯田くんもマリー見てるんだ」
「う、うん。マンガの方は見たことないんだけど」
「え、どうして?」
「だって、少女マンガの雑誌だから読みにくくて」
「じゃあ明日貸してあげる」
「あ、ありがとう」
わ〜、うれしいな。いっぺん呼んでみたかったんだ。
「あたし、マリーよりも、ミラクルレディーの方が好き」
「え〜、マリーの方がかわいいよ」
鎌田さんや近藤さんたちと漫画の話で盛り上がってしまう。
先生が隣の部屋から帰ってきた。今日は4人一組で歌って色々注意
してくれる。
小田さん、鎌田さん、石川さんと同じ組で歌う。人数が少ないと自
分の声が大きく響くような気がしてなんだか恥ずかしい。
「小田さん」
「はい」
「よく声が出てるわよ。だけど、声が低くなるところがあるから注意
しなさいね。次に石川さん」
「はい」
「もっと声出さなきゃ。いつも元気いっぱいじゃないの。次は飯田く
ん」
「はい」
自分でもびっくりするくらい高い声になっていた。
「……音程はいいけど、もっとしっかり歌わなきゃ。もっと大きな声
でね。そして鎌田さん」
やっぱり気恥ずかしかったのかな。でも、なんだか、声が女の子の
声になってきた気がするなぁ。
「じゃあ、鳥居さんちょっと一緒に来て」
先生が鳥居さんを連れてもう一度隣の部屋に行く。
「ねえ、今週練習どうする」
「そうそう、もっと練習しようよ」
「でも、鳥居さんの都合もあるし」
「あの子、月・水の放課後以外だったら大丈夫だって。あとで先生と
相談しようよ」
音楽の授業が終わって、男子の教室からでてきた鳥居さんを石川さ
んがつかまえて、先生のとこまで連れていった。
しばらくして、話が終わって学級委員長と一緒に鳥居さんが帰って
来て、先生に聞いたことをみんなに発表した。
「男子と女子併せて4回練習できるって。時間は朝とお昼休みと放課
後。ねえ、どうしよう」
「え〜、じゃあたった2回じゃない」
「あ、男子と合同の練習もしなきゃ」
「そっか、どうしよう」
男子の方を見てみると、男子に方はもう決まったらしい。伊藤さん
が木田、矢田と一緒に教室に入っていくのが見えた。
昼休み、掃除が終わる頃に、学級委員長と一緒に、先生と曜日を決
めに行った鳥居さんが戻ってきた。
「今週の水曜日の朝と来週の火曜日のお昼休みだって」
「来週の火曜じゃコンクールの前日じゃない。じゃあ、今週は1回し
かないの?他の日出来ないかな」
「どうだろう」
そんな話をしていたらすっかり理科室へ行くのが遅れてしまった。
理科室に入って席につこうと、木田や矢田の座っている机を見てみた
らみたら、もう席がいっぱいになっていた。
「あ、どっかから椅子もってこなきゃ…」
すると小田さんが、
「ここに座りなさいよ」
と言って伊藤さんの前の椅子を動かした。えぇっ、だけどこの机、
女子ばっかりじゃないか。
「でも…」
と躊躇していたら。
「じゃあ、出席をとるぞ。赤坂」
と言いだしたのでもう動けなくなってしまった。伊藤さんもムスっ
とした顔してるような気がするし。
実験が始まってアルコールランプに火をつけようとしたけども、芯
が小さいのかなかなかつかない。近藤さんが失敗した後、伊藤さんが
マッチを受け取って、2回3回と試すけどなかなかつかない。
「……つかない……つかない」
「ついたっつ」
やっとついて実験を始める。
「90度、93度」
温度計の数値を伊藤さんが読み上げる。なんか伊藤さん無理して声
を高くしているように見える。
理科が終わって矢田と一緒に教室へ戻る。
「お前、さっき女子と一緒だったな」
しょがないじゃないか。
「座るところに困っただけだよ」
「ふーん…」
なんか、ちょっとにやつく様にいうので、思わず、
「別にいちゃついてたわけじゃないよ。お前の方音楽の時間、伊藤さん
といちゃついてるじゃないか」
「え?あんなのといちゃついて楽しいもんか」
あんなのって。
「そうか」
「そうだよ、あいつ声が完璧に男になってるもんな」
「へー、そうなのかな…」
やっぱりさっき無理してたのかな。そういや苦しそうな感じだった
しな。
「そういやお前、声なんだか女みたいになってないか?」
「あのなぁ」
火曜日。朝から美術の時間。道具を出すのに遅れてしまったおかげ
で美術室に行くのが遅れてしまった。美術室でどこに座ろうかなと見
渡していると、小田さんが、「こっちへきなさいよ」といって横を
あけてくれた。
まあ、いいや。
「昨日言っていたマンガ、持ってきたよ。後で見せてあげるね」
「わーい」
鎌田さんが喜ぶ。
「ありがとう」
後で読ませてもらおっと。
「……昨日言っていたマンガって何?」
「あっ由香ちゃんいなかった。音楽の授業の時に話出たんだ。由香に
も見せてあげるね」
「ふーん」
伊藤さんなんだか、複雑な表情で答えている。
美術の時間の後はバタバタしていたので、マンガを見せてもらった
のは国語の時間の後だった。
「あ、アニメよりマンガの方が、絵がきれいかな」
「あたし、こっちの『ようこそさくら組へ』
のほうも好き」
「このマンガ家ファンなんだ」
鎌田さんがページをめくる。
「早くしないと時間なくなっちゃうよ」
「え、うん、今行く」
「じゃあ、飯田くん、また後でね」
小田さんと鎌田さんが手を振る。
「うん、また後で見せてね」
すぐに着替えてグラウンドにでると矢田が靴をはきかえていた。
「なにしたんだよ」
「うん、ちょっとマンガ見てたんだ」
「鎌田たちとか?」
「う、うん」
「なんかお前たち、最近いつも一緒だよな」
そういえば、最近一緒にいることが多くなったな。
昼休みになった。隣の木田の席に矢田と菊池が来た。
「おい、今日の練習何時までだっけ」
「やっぱり、5時くらいにまでは終わりたいよな」
「あ、今日は男子の練習か」
「そうそう」
そっか、今日は女子の練習ないもんな。
「そうだ、道井ちゃんと持ってきたかな」
「ああ、放課後渡すって」
「え、何持ってきたのさ?」
「ああ、伊藤の練習用にちょっとな」
伊藤の練習用?
「飯田くん、マンガの続き見ようよ」
「あ、すぐ行く」
そうだ、『怪盗マリー』の続き見せてもらわなきゃ。
そして放課後、
「じゃあ、飯田くん帰ろ」
「うん」
鎌田さん、小田さん、近藤さんと一緒に廊下に出ると伊藤さんがい
た。
「今日は男子の練習なんだね。じゃがんばってね。バイハーイ」
「うん、じゃね」
通用門を出るところで滝本さんとあった。
「あ、あのさ、さっき道井くんがのお兄さん制服抱えていたけど、あ
れ、伊藤さんにきせるんだって」
「わ〜、いいな」
「今日の体育の時間の準備体操係もかっこよかったもんね」
「そうなのよ」
「声が渋いのよね」
「あ〜ぁ、残って由香ちゃんの制服姿見てみたかったな」
なんか、みんなむちゃくちゃ言ってるな。
「どうせ本番でも見れるじゃん」
「じゃ、今日だけじゃなく本番も着るの?」
「うん、道井くんはそう言っていた」
「ねえ、そうだ。由香ちゃんが男子の制服着るんだったら、飯田くん
女子の制服着たらいいじゃない」
えぇぇぇ!
「あ、それいい」
「賛成」
ちょ、ちょっとちょっと。
「私のお姉ちゃんもう卒業したから、制服よぶん有るの。明日の練習
で持ってくるよ」
「やだよぉ、女子の制服なんて」
「いいじゃない。絶対飯田くん似合うって」
そ、そんな問題じゃなくって…
「でも、そんなのって……」
「あ、真代ちゃん、サイズはどうなの」
「うん、たぶん大丈夫だと思う」
「靴下とかはこのままでいいかな」
宮本さんが確かめるように、僕の足下に目をやった。
「いっそのこと、本格的にするとか」
「じゃあ、アクセサリーとかは」
「でも、先生が派手なのだめって言うじゃない」
「そうよ、絶対校則通りの格好でないと」
「そうだ、それだったら先生もOKっていうかも」
「…で、でも」
「うん、それで決まりね。明日は何時集合だっけ」
「7時に集合、絶対時間厳守」
「え〜、あたし起きられないよぉ」
僕、いやだって言うのに、勝手にどんどん決められてしまった。
水曜日の朝。学校に行く途中で小田さんと会う。
「おはよう」
「お、おはよう」
「ねえ、今日の社会の宿題やってきた?」
「う、うん」
「よかったぁ、ねえ練習終わったら貸して」
「うん、いいけど」
学校について教室の入ると、まだ7時前なのに女子が10人以上来
ていた。
「あ、来た来た」
「はい、飯田くん」
近藤さんが女子の制服に入ったビニール袋を渡してきた。やっぱり
着るの?
「ねえ、どこで着替えてもらう」
「やっぱり更衣室よね」
「じゃあ、他のクラスの子とか入ってこないようにしなきゃ」
「じゃあ、私と幸子ちゃんと真代ちゃんで入ってこないように番する
わ」
「うん、そうしよ。じゃあ飯田くん行こう」
やっぱりいやだなぁ。
「何してるの早くしなきゃ練習時間短くなっちゃうじゃない」
鎌田さんたちに引っぱり出される。
「ねえ、どうしてもやるの?」
「当たり前じゃないの」
「由香ちゃんだって男子の制服着てるんだもの。由香ちゃん一人だっ
たらかわいそうじゃない」
「う、うん…」
「さあ、着替えましょ」
「着方とか判からなかったら呼んでね」
女子更衣室に入るなんて初めてで、なんだか恥ずかしい。スカート
だとスースーする感じがしてしまう。
「出来た?」
「う、うん」
近藤さんたちが入ってくる。
「きゃー似合ってる」
「可愛い」
音楽室まで引っぱって行かれた。
「似合ってる似合ってる」
「きゃー可愛い。飯田くん美少女だぁ」
「本当の女の子みたい」
みんな勝手なこと言っている。
だけど、練習が始まって、みんなで合唱が始まると、練習に没頭し
てしまった。そして、みんなと同じ声を出していると、なんだか違和
感が薄くなってしまったみたいだ。
「あ、もうそろそろ練習終わらなきゃ」
「あ、じゃあ着替えるよ」
「え〜もったいない。いっそのことそのまま授業受けたら」
「そんなわけに行かないじゃん。そんなこと言ってると宿題貸したげ
ないよ」
「あ、ごめんなさいませ」
みんながどっと笑い出す。とにかくすぐ着替えよっと。
着替えて教室に行ってみると男子や伊藤さんも登校していた。
「これ、洗濯とかどうしたらいい?」
「今朝ちょっと着ただけだし、まだしばらくいいわ」
「由香ちゃんが着ないと困るじゃない、少なくとも本番の時には着て
ちょうだいね」
「……ええ」
あ、伊藤さん着なかったんだ。なんだ、それだったら僕も着なくて
いいんじゃないか。
そう言おうとしたところに、木田がやってきた。
「おっ、伊藤来てたか。社会の宿題写させてくれ」
「あっ、木田くん、今度は由香ちゃんに男子の制服、ちゃんと着せて
くださいね」
「うん、俺はそのつもり」
「飯田くん女子の制服着たんだから、釣り合いとれなくなっちゃいま
すもんね」
「おっ、飯田は着たの?それなら是非とも」
これじゃ断れないよ。
数学の時間が終わると矢田が席に来た。
「飯田、社会の宿題やってあるか?」
「やってあるけど、小田さんに貸したよ」
「なんだ、お前女子に貸しちまったのか。どうすっかな」
「これ、伊藤のやつだからこいつ写しなよ」
「おお、ラッキー」
社会の時間の前に小田さんと近藤さんがやって来た。
「飯田くん、宿題ありがと」
「ねえ、それより練習の事なんだけどさ」
どっか、他に練習時間とれないかという話になる。
社会の時間が終わった後、鎌田さんや石川さんも来てその話がつづ
く。
「何してるの?次は体育だよ」
「あっ、そうだった。続きは後でね」
体育の授業が始まり準備体操を始めようとする。えっと、矢田はと…
あれ菊池と準備体操している。いつも、一緒にするのにな。そうい
えば、サッカーのパスの練習の時も矢田と組になっているのに。
仕方ないから、藤原と組をくんだ。
掃除の後の理科の時間。近藤さんと話しながら理科室へ向かう。理
科室で矢田や木田の方をちらっと見てみたけど席は空いてない。結局
近藤さんたちと一緒に座る。
「ねえ、今日の理科のノートだけどさ…」
小田さんたちが話しかけてきて、そのままこっそりおしゃべりにな
る。
木曜日の音楽の時間の授業。まず、男子の部屋へ鳥居さんが行くの
で、練習はせずにみんなおしゃべりをしてる。横の近藤さんと鎌田さ
んが話しかけてきた。
「今日は飯田くん男子の制服ね」
「あぁ、残念だわぁ」
「だって、そんな訳にはいかないじゃないか。伊藤さんも着てないし」
「そういえば、由香ちゃん、なんだか男の子っぽくなってない」
「そうそう、なんだか、かっこいいもの」
「それに、最近木田くんや矢田くんと仲いいのよね」
「なんだか、本当に男の子になっちゃったみたい」
そのとき、鳥居さんが入ってきた。あれ、なんだか顔が赤くない?
どうしたんだろう。
その日の放課後、久しぶりに木田や矢田に声かけて一緒に帰ろうと
してたら、石川さんと滝本さんが来た。
「飯田くん、ちょっとこっち来て」
「なに?」っていうと教室の隅まで引っ張って行かれた。
「あのさ、土曜日開けといてね」
「え、なにがあるの」
「あのさ、土曜日の日にみんなで学校に来て練習しようと思うの。だ
けど、秘密にしとかないと、他のクラスの子がまねするから」
「ふーん、男子もするの」
「あ、女子だけ。だから男子にも内緒ね」
「う、うん」
石川さんがバイバイと手を振って出ていった後、教室に戻っていく
ともう木田や矢田は帰っていた。
金曜日の朝、前の席で矢田が道井や菊池としゃべっている。
「おはよう」
すると、菊池がびっくりしたようにこっちを見た。
「なんだ、飯田か」
「どうしたのさ」
「い、いや。久川かと思って」
「あのな、久川って女子じゃないか」
「え、あ、ああ…」
「それより、何の話してんの」
「ああ、今日の放課後のな」
あわてたように道井が答えた。
「え?」
「今日男子の練習だから」
そっか。でも、どうしたんだろ。なんだか変な雰囲気だ。
「飯田くん。おはよ。ねえねえ」
後ろから鎌田さんの声が聞こえた。手招きしているので鎌田さんの
机に歩いていく。
菊池の席では、また話が始まったみたいだ。
体育の時間。
「お〜い、矢田行くぞ」
「ほぃ。」
藤原が矢田に声をかけてきてグラウンドに走り出していく。さっき
までおしゃべりしていたので、靴をはきかえてグランドに行くと準備
体操が始まる直前だった。
誰と組むか…。それにしも、最近、柔軟体操のやキャッチボールの
時、いつも余ってしまうな。なんだかいづらいな。
放課後、男子はぞろぞろ音楽室へ向かっていった。僕は鎌田さん、
小田さん、近藤さんととしゃべっていると、鳥居さんと石川さんたち
が来た。
「あのね、伊藤さんに男子の制服着て下さいって言いに行くの。つい
てきてくれない」
「あ、そっか今日男子の練習だもんね」
「うん、でもなんだか、伊藤さんにいうの怖くって」
「OK。じゃあみんなで行って着替えてもらお」
「あ、うれしいぃ」
着替えるの付き添っていくのはさすがにパスして、みんなが教室を
出ようとしていた伊藤さんを捕まえるのを教室の隅で見ていた。
しばらくして、男子の制服を着た伊藤さんが教室の前を通って、音
楽室の方へ向かっていった。やがて、鎌田さんたちも帰ってきた。
「ねえ、見た見た」
「う、うん」
「かっこよかったわね」
「うん、トイレから出てきたときびっくりしたもの」
「本番がたのしみだわ」
「ほんと、ふつうの男の子って感じ」
ほんとにそうだった。いそいで音楽室に向かっていく伊藤さんの姿
は矢田や木田たちといっしょで、ふつうの男子と全くかわらなかった。
土曜日、学校に練習に行く。学校への道を歩いていると後ろから鎌
田さんが「おはよ」
と声をかけてくる。
学校の中にはいると何人かの女子が校舎へ歩いていってた。教室に
はもうほとんどの女子が集まっていた。何人かで集まり、おしゃべり
をしている。なんだか、いつもの教室と雰囲気が違う。
そうか男子がいないから。みんな女子ばっかりだからだ。おかげで、
なんだか僕は落ち着かない。
「じゃあ、飯田くん、早く着替えなさいよ」
「う、うん」
女子更衣室まで近藤さんと鎌田さんが付き添ってくれて、その中で
着替えた。近藤さんが持ってきた制服を着て、スカートとブラウスを
見てると「入るわよ」と声がして鎌田さんたちが入ってきた。そして、
ブラシを取り出し、僕の髪の毛をとき始めた。
「うん、やっぱりその方が落ち着くわ」
「そうね、なんだか男子の制服着ているとへんな感じがするものね」
近藤さんと鎌田さんは口をそろえてそう言った。
教室に戻ると、みんな僕の方を見て、歓声をあげた。
「よかった、やっぱりそっちの方がいいよ」
「ほんとよね。こうでなくっちゃ」
「さっきまでは、男子が一人いた感じだもんね」
「そうそう、これで全員女子ばっかりになったもんね。ね、飯田さん」
滝本さんが言った言葉にみんな大笑いする。
「そうよね。『飯田くん』じゃなくって『飯田さん』よね」
「だって、こんなに可愛いんだもの。ねえ飯田さん」
その声にみんな笑い声をだす。
「さあ、練習をはじめましょ」
鳥居さんの言葉でみんなで音楽室へ移動する。学校の中は人気がな
い。いてるのは僕たちだけだ。なんだか女子中にいるみたいだ。
今日は練習時間を気にしなくてもいいので何回も何回も練習を繰り
返す。練習を繰り返すとだんだん声が揃ってくる気がする。そして、
学校に来たとき有った違和感がすこしづつ感じなくなってくる。
「ちょっと休憩しようよ」
「うん、あたしトイレ行きたい」
そういう声があがる。いすに座っていると、近藤さんが一緒に行こ、
といってトイレまで引っ張ってこられた。え〜っと思う間もなく、女
子トイレまで引きずり込まれる。
中に久川さんと石川さんがいたけど、きゃはと笑うだけで、出ていっ
てと言われない。
それどころか、
「飯田さんはトイレ使わないの」
なんて言ってくる。
後半の練習が終わった頃にはもう11時過ぎ。みんなで、お弁当を
食べる。
「この、ポテチ食べる?」
「あ、食べる」
お菓子を出して、みんなでがやがやおしゃべりになる。最近は、小
田さんや鎌田さんから少女マンガを借りているのでみんなの話にもつ
いていけるようになった。だから、おしゃべりをしていても楽しくなっ
た。いままで学校じゃそんな話できなかったもんな。
そんなわけで、おしゃべりに夢中になっているともう1時近くになっ
てしまった。
「ねえ、そろそろ着替えるよ」
「えぇ〜」
「着替えちゃだめ〜」
みんなから一斉に声があがった。
「でも、もう着替えないと」
「せっかく、いっしょになったのに」
「男子にもどっちゃだめ」
「そうよそうよ、もう、飯田さんは女子よ」
「……そんなこと言っても」
「でも、飯田さんもそう思ってない」
「そうよ、体育の時でもなんだか一人っきりで寂しそうだしさ」
「そうそう」
たしか矢田や藤原なんか最近にいっしょに柔軟やらなくなったしな。
「でも、学校から帰るんだから…」
「そのままで、帰ったらいいじゃない」
「そうだ、飯田さんのお母さんにもお願いして、コンクール当日は朝
から制服着て登校する事にしようよ」
えええ!そんなのあり?
「賛成賛成」
「わ〜〜楽しみだ〜」
みんな完全に盛り上がっちゃってしまった。
結局、女子の制服で、鎌田さん近藤さんといっしょに学校を出るこ
とになってしまった。「ごめん、『リセエンヌ』買っていきたいから
ちょっと本屋に寄らせて」
近藤さんがマンガ雑誌を買うので本屋に立ち寄った。だけど、雑誌
を買うだけなのにぐずぐずしてなかなか決まらない。仕方ないので鎌
田さんとコバルト文庫のコーナーで時間をつぶす。
やっと雑誌を買った近藤さんといっしょにうちに帰ると小田さんや
石川さん達が内の前に待っていた。
「あ、帰ってきた。」
「ちゃんと、当日のことお願いしておいたからね。じゃあね。」
そういい残して、みんなは帰っていった。母さんは笑っているけど、
いいのかな…
月曜の朝
席に座ると近藤さんがやってきた。
「あ、おはよ、飯田さん。おととい言ったマンガ持ってきたよ」
「あ、ありがと」
「おはよう」
鎌田さん達も来てマンガの話になった。
音楽の時間
今日は男女別の練習は一度だけ。そして、あとは男女いっしょの練
習だ。
なんだか、久しぶりに男子達といっしょに歌う気がする。でも、僕も
本当は男子なんだけどな。でも、周りには女子だけ。
「ねえ、もうちょっとそっち行って」
「え?」
「石川さんが寄って欲しいって」
伊藤さんは石川さんと木田君の間に立っている。
音楽の時間が終わって、学級委員長が男子に練習の日程を伝達して
いるのを聞きながら教室に向かう。女子はたっぷり練習ができたので、
最後の女子の練習を男女いっしょにやったらと土曜日に決めたのだ。
そっか、こんどは伊藤さんも男子の制服着て並ぶんだな…
給食が終わってお昼休みになったとき、小田さんや近藤さんや石川
さんたちとその話をする。
「そうそう、楽しみだわ」
「そうそう」
「じゃあ、給食が終わって着替えるのかな」
「そうだ、4時間目体育だからそのときに着替えちゃったら?」
「あ、その方が飯田さんもじゃない」
「じゃあ、教室で着替えるわけ?」
「う〜んそれじゃ、飯田さんかわいそうよね」
「じゃぁさ…」
「何してるの?」
みんなびっくりして、いっせいにその声の方を振り向くと、伊藤さ
んだった。
「えっ、えっと、明日の練習の話なんです」
滝本さん、敬語になってるよ。
「うん、そうなの」
「明日、四時間目が体育ですよね。だから、飯田さんと伊藤さんは、
体育の後に着替えれば、ちょうどいいんじゃないかなって」
「え、ちょっと、つまり給食時間も」
「そうです」
「あ、それいいねぇ」
学級委員長が向こうから叫ぶ。
「昼休みはあんまり時間がないから、そっちがいい。じゃそういうこ
とでよろしくね」
「…で、でも先生が…」
「先生、変でなきゃいいって言ったでしょ?前もって見せておいた方
がいいよ」
「そうだよね。でさぁ、飯田さん、体育もいっしょにしたいよねぇ」
ええっ…、まあ……。みんなといっしょにいれたらうれしいけど。
「でも先生が…」
「今度、体育の先生にお願いしてみる」
「お願いします。体育の時、一人でつまんないんです」
つい、本当のこと言っちゃった。
「でね、これ、土曜日に言ってたマンガ」
「わーい」
『ようこそさくら組へ』のマンガを見せてもらってマンガの話になっ
た。マンガを見ながらふと横を見ると、さっきまでいた伊藤さんが木
田たちとしゃべっている。最近、体育の時も木田や矢田といっしょじゃ
なくなったもんな…
火曜日の朝
「飯田さん、早く美術室行こ」
近藤さんが声をかけてくる。
美術室で話していると鎌田さんも遅れてやってきた。
そして体育の時間
「それじゃあ、体育の時間終わったら、女子更衣室の方に来てね。制
服は私が持っていって、置いておくから」
「はいっ」
「で、伊藤さんの今着てる制服は、私が持って帰ってきますから、男
子に男子トイレに入れてもらって着替えてください」
「…はい」
「じゃ、飯田さん、また後でね」
手を振って石川さんと近藤さんが伊藤さんと一緒に教室を出ていっ
た。
教室でそそくさと着替える。女子が出ていった後、なんだか一人取
り残されたような気持ちになってしまう。
授業が始まって、柔軟体操やキャッチボールするときは一人じゃな
いけど、試合をして、攻撃の時も、ついつい端の方に座ってしまう。
やっぱり、体育も近藤さんや鎌田さん達といっしょの方が楽しいだ
ろうなぁ。
体育が終わって、みんな道具を片づけて教室に戻っていく。僕は一
人別れて女子更衣室に向かう。ノックをすると、近藤さんがドアから
顔をのぞかせた。
「なんだ、飯田さんじゃない。早く早く」
躊躇している僕を近藤さんが更衣室へ引っぱりこんだ。みんな着替
えてるけども、僕が入ってきてもぜんぜんいやがらない。
「はい、持ってきてあげたよ」
そして僕も近藤さんの持ってきてくれたキャミソールと制服に着替
える。
着替え終わった僕を近藤さんや鎌田さんや小田さんが取り囲む。教
室にはいると、着替えを終えた男子がこっちを見て、おぉぉ、と声を
あげた。
「おぉ、美少女美少女」
「飯田、すげいじゃん」
「おめえ、本当はついてねえんじゃないか」
その声についつい下を向いてしまう。
「ちょっと、へんなこといわないでよ。それより伊藤さんは」
「ああ、今トイレで着替えてるよ」
「そっか…」
僕の前を守るようにして近藤さんが藤原としゃべっている。
そうしているうちに伊藤さんが入ってきた。
「あ、それを見ると久しぶりにほっとする」
矢田が一言そう言った。
「ほんとにそうよね」
僕の横にいた滝本さんもそうつぶやいた。
「おーい何してる、早く給食の準備をしろ」
先生が入ってきて、みんな給食の準備を始める。でも、僕にも伊藤
さんにも気がつかない。給食が始まっても気がつかない。とうとうし
びれを切らして、菊池が先生に言う。
「これ、伊藤さんです。」
「…ん?確かにそうだな、ハンサムハンサム」
「むこうが飯田くん」
「…ふん、確かに校則通りだな。石川、お前スカート短すぎ。飯田く
らいにしろ」
…それだけ?それでいいの。
給食の後、音楽室に行く。みんなと一緒にピアノの左側に行く。伊
藤さんは右側に。
「これで、制服そろったよね」
鎌田さんがぼっそっと言った。そうだよね。これの方がふつうだよ
ね。男子の制服を着た人同士、女子の制服を着た同士。この前まで僕
はあっちの方にいたんだよな。だけど、今はこっちにいる。女子の制
服を着て、女子と一緒に練習をしている。
合唱が始まる。僕は高い女子のパートを歌う。伊藤さんは低いパー
トを歌っている。僕は歌うことができない。自然に女子といっしょに
なって女子の制服を着て、女子のパートを歌っている。だれも、それ
を当然のことと思っている。
練習が終わって、掃除の時間の合間に更衣室に行って着替える。更
衣室の前で待っていてくれた小田さん、近藤さんたちが変な顔をして
いる。
「なんだか、男子の制服着ていると…飯田さんって…」
「うん、ちょっとね…」
そ、そんなこと言ったって。
そこに、廊下の向こうから鳥居さんが走ってきた。
「ねえねえ、伊藤さんのこと、飯田さんのこと一緒に先生に頼んでも
いいって」
「あ、本当に、じゃあうまくいったら、飯田さん体育も一緒にできる
ね」
「う、うん」
やっぱり、女子と一緒にいる方が自然なのかな。
いよいよコンクール当日
パジャマから女子の制服に着替える。家で着替えるのは初めてだ。
これでいいよね。
「いってきます」
まだ、笑っている母さんに見送られて家を出る。いつも通っている
通学路だけど、女子の制服を着て通るのは初めてだ。だいじょうぶか
な…
「あ、飯田さん。おはよう」
鳥居さんが声をかけてきた。
「あ、おはよう」
「きょう、がんばろうね」
「う、うん」
ゆっくり歩いているとちょうど横の道から伊藤さんが出てきた。
「おはようございます」
僕たちがかるく頭をおじぎすると、伊藤さんも、おはようと声をか
けてきて、そのまま前を歩いていく。今日は伊藤さんも朝から男子の
制服を着ている。
「ちょっと、伊藤さん怒っているのかな」
「どうだろう。そういや、伊藤さんのこと怖いって言ってなかった」
「う、うん。でも、かっこいいもの、私のことかばってくれたし」
「ふーん」
「おはよう。何はなしてんの?」
鎌田さんがやってきた。
「あ、おはよう。鳥居さんが伊藤さんってかっこいいねって」
「うんうん、もう完璧に男子してるってかんじだもんね。声も渋いし」
「うん」
やっぱり、伊藤さんも男子といっしょにいる方が楽しいのかな。僕
は…。鳥居さんや鎌田さんと一緒の方が楽しい…?
そして、いよいよ合唱コンクール。みんな教室からでて、体育館に
入っていく。横の男子の列には伊藤さんが、そして女子の列には僕が
並んでいでいる。緊張している僕の手を近藤さんが握ってきた。
「いっしょにがんばろうね」
そうだよね、みんなで一生懸命練習したもんね。みんなで、いっしょ
にがんばろうよね。
僕たちの番になった。鳥居さんの伴奏が始まる。そして、自然と声
が出ていく。僕も周りのみんなと同じ高い声だ。
合唱が終わって、女子と一緒に舞台を降りながらふと考えた。来年
の合唱コンクールも女声やるのかなる。そういえば、去年は合唱コン
クールなかったから、男声やったことないんだ。来年も鎌田さんや近
藤さんたちといっしょに女声やったら、男子としてじゃなく、女子と
して合唱コンクール経験して卒業しちゃうんだよね。木田や矢田とは
違うんだよね。
コンクールの結果は優勝だった。
「やったぁぁ」
「秘密練習したかいあったぁ」
鎌田さんや近藤さんと抱き合って喜んでいると、ふと、来年も女子
としてコンクールに参加したいと思ってしまう。
「そうだ、五時間目と六時間目授業だ」
「どうしよう着替え持ってないよ」
「そのままでいいじゃないの」
「う、うん」
今日も女子の制服着たまんま、給食をたべる。そして掃除。
「ねえ、ちょっと」
「なに?」
「お手洗い行こ」
近藤さんと小田さんといっしょに女子トイレにつれて行かれる。そ
して、僕も女子トイレで用を足した。
そして五時間目の理科の時間。掃除を終えた鎌田さんと近藤さんと
小田さんといっしょに席に着く。女子の制服のまんま。でも先生は何
も言わなかった。
そして放課後も鎌田さん、小田さんといっしょに帰る。
「じゃあ、制服明日返すね」
「ええ、何でぇ」
「明日も着てきなさいよ、男子の制服他の先生に見られたら困るじゃ
ない。」
「でも、合唱コンクール終わったし、近藤さんのお姉さんの制服だし」
「いいじゃない。もう真代ちゃんもいらないと思うし、これ飯田さん
の制服だもん」
「え〜、でも…」
明日の朝、どっちの制服着るか迷ったけど、
一応男子の制服を着て登校した。
「え〜なんでそっち着てきたの」
登校する途中で石川さんと会った。
「だって、これって近藤さんから借りた物だし…」
「じゃあ、近藤さんに頼んであげるよ」
「…う、うん。でも…」
「あ、近藤さんだ、おはよう」
「あ、おはよう。あれ、飯田さん男子の制服なの?
「そうなのよ、近藤さんに返さなくちゃっていってさぁ」
「なんだ、そんなこと気にしてたの。これもう飯田さんの制服だよ」
「でも、なんか言われたら…」
「じゃあ、あたし達で男子達に言ってあげるよ」
「そうそう、先生にも体育の件しっかりお願いしといたからさ」
「う、うん…」
教室に入っても、男子の制服着た僕に、男子は話しかけてこなかっ
た。矢田と木田がおはようと言っただけだ。それでも、同じように女
子の制服着てきた伊藤さんに、
「頼むから、男子の方を着てきてくれ」
なんて言っている。僕もやっぱり女子の制服を着た方がいいのかな。
昼休み、体育の先生から呼び出された。伊藤さんといっしょに、み
んながぞろぞろついて来た。
「こないだ言ってた件、明日の体育の授業から認めます。体育がつま
らない、なんてのは良くないからね。合唱コンクールでも二人ともま
じめにやってたようだし。でも飯田くんの着替えは、他のクラスの子
もいるから、気をつけるように」
みんな大喜び、小田さんも、鎌田さんも、近藤さんも、鳥居さんも、
木田や矢田も。僕もみんなといっしょに体育ができるのがうれしいと
思ってしまう。
「よかったね、飯田さん」
「う、うん」
「伊藤さんも」
「…うん」
「もう、明日から女子の制服着てくるなよ」
「…うん」
翌日、女子の制服を着ていった。誰も何にも言わない。鎌田さんや
小田さんや近藤さんがおはよう、って挨拶にくる。伊藤さんも男子の
制服なのよ、って鳥居さんがうれしそうにしゃべってくる。木田や矢
田はしゃべりかけてこない。
体育の時間になると、鎌田さんが、行こって言って、いっしょに女
子更衣室へ向かう。そして、女子といっしょに体育館でバレーボール
をする。そして、終わるとおしゃべりをしながらいっしょに着替える。
家庭科の時間。近藤さんがお菓子づくりの話をする。鎌田さんや小
田さんといっしょにお菓子の話をする。どれもこれも、みんな当たり
前のことのように過ぎていく。なぜなら、違和感がないから。居心地
がいいから。
伊藤さんがこっちをちらっと見てノートを書いている、かっこいい
けど、なんだか目つきが怖い。それは伊藤さんが男子の側だから?僕
が女子の側だから?
家に帰ってタンスの中に入っていた男子の制服を着てみた。この前
まで、この制服を着て、あの伊藤さんの場所に立っていたんだな。
想像してみたけど、ひどく現実感がない。だって、僕、男子が何を
しゃべって、何をしているのかもうわからないから。そして、女子が
何をしゃべっているのかは知っている。だって、僕のいる場所は女子
の場所だから。
夜に、鎌田さんから電話がかかってきた。
「ねえ、もうすぐ修学旅行でしょ。修学旅行に持っていく物とか服と
か見に行かない?」
「…う、うん」
月曜日の六時間目の道徳の時間
「えー、修学旅行が近づいてきたので、とりあえずこの時間は班分け
をして、修学旅行当日までにやるべきことを説明する。そんなに時間
がある訳ではないので、各班が各自時間を見つけて、決めたり調べた
りしておくように」
鎌田さんと近藤さんと小田さんがすぐに来た。
「4人じゃ足りないからあと2〜3人は一緒じゃないと。」
「じゃあ、私たちといっしょにしようよ」
そういって滝本さんたちが話しかけてきた。
「それよりねえ、きのう飯田さんといっしょに修学旅行に持ってく物
見に行ったんだ。すっごくかわいいワンピースあったよ」
「あ、私も行きたかった」
「あたしも、新しい服見たい」
「じゃあ、今週の土曜日みんなでいっしょに行こうよ」
「うん、もう一回みんなと行きたい」
僕はそう答えたのでした。
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