あの場所
木曜日の音楽の時間。
「来月17日に合唱コンクールがあります。」
みんな「えー」とか言っている。嬉しそう
に言ってる人もいれば嫌そうに言ってる人も
いる。私は、嫌な方。自分の声が嫌いだから。
「課題曲は、2年は『荒城の月』です。それ
ともう一曲、自由曲があります。これはホー
ムルームの時間で決めるはずですが、それま
でに合唱にいい曲を何か考えておいてくださ
い。あと指揮者とピアノ伴奏をやる人も決る
こと。」
みんな好き勝手にいろんな曲の名前を言い
出す。
「はい、静かに。今日は課題曲の練習をしま
す。」楽譜が配られた。「男声と女声のパー
トがあります。まず女声パートの方から1回
やります。はい、女子は立って。」
先生の伴奏が始まる。私、ちょっと声低く
て、この辺の声出にくいし、変になっちゃう。
女子の後に男子が一回。そして男女一緒に
合唱してみるけど、もちろん目茶苦茶。
「えーと、あと三十分ほどあるので、まず女
子がピアノの周りに集まって、十五分ほど練
習します。その後十五分が男子です。男子は
しばらく静かにしているように。」
ピアノの回りに集まって、先生に色々注意
されながら、何度も何度も練習する。こんな
何度も歌いたくない。先生は「大きな声で」
って言ってるけど、自分の声聞きたくないか
ら、出来るだけ小さな声で歌う。
五回くらい繰り返して、やっと終わった。
でも来週もあるし、そのうちホームルームの
時間とか放課後も練習するようになるんだ。
もう本当にいや。
その日の午後のホームルームの時間。
まずは指揮者とピアノ伴奏。指揮者やれば
歌わずに済むかな?でも一番前で目立たなき
ゃいけないんだ。それもやだな。でも歌うの
はもっといや。どうしよう。
と迷ってる間に、学級委員長が指揮をする
ことに決まってしまった。ピアノ伴奏は、ピ
アノが一番うまい人、つまり鳥居さんに決ま
り。
自由曲は、すっごく難しそうな曲とか絶対
合唱曲になりそうにない曲とか、みんな好き
勝手言って全然決まらない。見かねた担任の
先生が何曲か挙げてその中から選ぶ事になり、
『あの素晴らしい愛をもう一度』という曲に。
次の週の月曜日の音楽の時間。もう嫌で嫌
で仕方ない。出来るだけ小さな声で歌って、
なんとかこの時間を乗り切る。普通より十分
早く終わったけど、短かったって感じは全然
しない。早く教室に帰ろう、と思った時。
「伊藤さんと飯田くんはちょっと残ってね」
えっ、小さな声で歌ってるのがばれちゃっ
てたの?どうしよう、今度からもっと大きな
声で歌えって言われたら。とにかく、先生が
座っているピアノの横に行く。
「伊藤さん、最初の四小節だけ歌って見て」
一人だけで歌うの?ごまかせないじゃない。
しぶしぶ歌う。一人だけじゃ自分の声がはっ
きり聞こえて、本当に嫌になる。
「今度はこっちで歌って見て」先生は最初の
一小節を何度か繰り返した。さっきより低い
音。それに合わせて歌う。低い分歌いやすい。
声がするする出てくる。でもやっぱり変な声。
「うん、じゃあ今度は飯田くん」
違う音程で、同じ事を繰り返している。私
より高い声。男の子なのにあんな声出るんだ。
なんだかうらやましくなっちゃった。
「うん、分かった。伊藤さんも飯田くんも、
今のままじゃ声出しにくいでしょ」
「はあ」
「伊藤さんは男声やらない?そっちの方が大
きな声も出せると思うし、何よりのど傷めな
いし。」
「えっ、ええ…」確かに声は出しやすかった
けど…。
「で、飯田くんは女声の方がまだちょうどい
いみたいね。うん、今度の練習の時からそう
いう事でやってね」
「あのう…女子と一緒に練習するんですか」
と飯田くんが尋ねる。
「うん、男女別に練習する時にはそうしてね」
「でも…」
「クラス全体で合唱するんだから、気にしな
くてもいいわよ。それに、音楽の授業の一貫
なんだから、みんなに気持ち良く大きな声を
出して欲しいし。今度の授業の時に、みんな
と一緒に大きな声で歌ってみなさい、ねっ」
「…はあ…」
嬉しそうにしゃべる先生に押し切られるよ
うな感じで、なんかよく分からないまま、そ
ういう事が決まってしまった。
先生の話が終わって音楽室を出ようとする
と、後ろで私を待っていた美代ちゃんと幸子
ちゃんが飛びついてきた。
「えー、由香男声パートやるの?」
「そっちの方がいいよ、無理に高い声出すと
のど痛くなるし」
「いつも苦しそうに声出してたもんね。さっ
きの声の方がずっと自然だよ」
「…うん…」確かにそうなんだけど、あんな
低い声を出すの、なんだかやだなぁ。
飯田くんの方も何か言われているみたい。
「飯田、女子のパートやるのか」
「しようがないよ、声出ないんだし」
「さっきの声、女みたいだったよなぁ」
「うるせぇ」
「お前だけ女子に囲まれて練習するのか、な
んでお前なんだ」
「ふんっ」
「まあ、あの女子達に囲まれても嬉しくない
かもな」
木曜日の音楽の時間。
「それでは、今日は女声パートの方から先に
やります。女子は……」と先生は言いかけて
「それと飯田くん、はピアノの周りに来てく
ださい」
女子がみんな立ち上がる。私も立ちそうに
なる……けど、私は違うんだ。私以外、女子
はみんな前に行ってしまった。周りは全員男
子、女子は私一人だけ。周りの男子は小声で
おしゃべりしてたりするけど、私は話相手が
いない。ぼけっと女子…と飯田くんの練習を
眺める。
しばらくして、今度は男声の練習。男子と
一緒に立ち上がり、女子と入れ代わりに先生
のピアノの周りに集まる。男子がずらずらっ
と並ぶ一番端に私。横を見ると、練習が終わ
った女子がお喋りしいる。飯田くんは一人ぽ
つんとこちらを見ている。
先生の伴奏が始まる。男子の低い声の中に
私の声、でも他の声に紛れて自分の声が分か
らなくなる。大きな声を出しているのかどう
か分からない。もうちょっと大きな声を出し
てみる。うん、これは私の声。よく聴くと周
りよりちょっとだけ高い感じの声。やっぱり
変な声。でも練習に集中すると分からなくな
る。
「伊藤さん、今日は大きな声が出てたわよ」
先生に褒められた。喜んでいいのかどうか
よく分からないけど。
授業の後、美代ちゃんと幸子ちゃんが話し
かけてきた。
「飯田くんってすっごく可愛い声なんだね」
「いつもはあんな声じゃないのに」
「そういえば由香の声、注意して聞いてたけ
ど分からなかった」
「そう?先生が言うには、私結構大きな声出
してたみたいだけど」
「男子があんなにいるもんね」
横では男子が話している。
「女子に囲まれていいよなぁ」
「お前、ど真ん中にいたじゃないか」
「女子がゆっくり集まるから真ん中になっち
ゃったんだよ。ひとりじゃつまんないよ」
月曜日の音楽の時間。
「今日は男声の方からやります」
男子と一緒に立ち上がる。今日も一番端に
立つ……つもりだったけど、ゆっくり歩いて
来た男子が私の横や後ろに来た。
練習が始まる。声を出すのはそんなにつら
くなくなった……気持ちいい?うん、気持ち
いいかもしれない。でもあんまり大きな声は
出したくない、やっぱり抵抗がある。大きな
声出してるのかどうかよく分からないけど。
「では今度は女子、集まって」
男子と一緒に席に戻る。私と入れ代わりに
女子が前に行く。私は席に座って、後は女子
の練習をぼけっと眺める。
音楽の授業が終わって、音楽室を出て、教
室に戻る。ふと見ると、教室は男子だけ。私
以外、女子は誰も戻ってきてない。なんでだ
ろう?私一人だけなんてやだ、早く戻ってこ
ないかな。美代ちゃんと幸子ちゃんを待って
から教室に戻ってきた方が良かったかな。次
は給食の時間なのに女子がまだ戻ってこない、
と給食係の男子が文句言い始めた頃に、よう
やく戻ってきた。時計を見ると五分くらいし
か経ってないけど、もっと長かったような気
がする。
「どうしたの?」美代ちゃんに聞いてみる。
「うん、先生が飯田くんに、歌い方について
色々教えてたんだけど、それが役に立ちそう
な感じだったからみんな聞いてたの。」
幸子ちゃんはどこかと見回すと、飯田くん
と幸子ちゃんと真代ちゃんが一緒に楽譜を見
て話しながら教室に入ってきた。
木曜日の音楽の授業の時間。
「男子は隣の部屋のオルガンの周りに来てく
ださい。女子はこのピアノの周り、今日から
鳥居さんに伴奏してもらいます。」
男子と一緒に隣の部屋に行く。全員入った
所で先生が入って来て、戸を閉める。女子は
みんなむこうの部屋、こっちは私だけ。1曲
終わって、先生が色々説明している間、隣の
部屋から女子の歌声が聞こえてくる。私の声
がこんなに低くなかったら、あっちの部屋で
みんなと一緒なんだけどなぁ。練習を始める
と、男子…と私の声で隣の声は聞こえなくな
る。
何回か練習した後、先生は「ではちょっと
休憩」と言って女子のいる音楽室に行った。
先生が出ていくと騒がしくなる。遊んでいる
人、楽譜を見てる人、小声で歌う人。私も小
声で歌ってみる……私の声ってこんなに低か
ったの?ちょっとびっくりした。
「伊藤、渋い声してるなぁ」木田くんと矢田
くんがこっちを見て、ちょっとびっくりした
ように言った。
「その声、誰かと思ったらお前だったんだ」
「渋いってそんな…」
えっ、私の喋り声、こんな声だったの?木
田くんよりも低い声。
「…そんな声出るんだ」
「いつもは無理して高い声出してたのか。ま
あいつも苦しそうにしゃべってたな、確かに」
いつもの声に戻そうとするけど、なかなか
戻らない。そしてすぐに先生が戻ってきて、
歌の練習が始まった。
練習が終わった後、音楽室に戻るともう女
子は教室に戻ったようで、誰もいなかった。
男子と一緒に教室に戻る。
「どうやってあんな渋い声出してるんだよ」
木田くんが聞いてくる。
「別に出したくてだしてる訳じゃ…」
まだ元の声に戻らない。木田くんが楽譜を
広げて
「この部分の低い声、出る?」
「低過ぎて出ないところはないけど…」
「俺、出ないことないけど、ちょっと苦しい
んだ」
そんな事話しながら教室に入った時、美代
ちゃんと幸子ちゃんと飯田くんが英語の教科
書を広げて、楽しそうに話していた。
今日の授業が終わって、さて帰ろうと周り
を見ると、美代ちゃんも幸子ちゃんもいない。
女子が全然いない。なんでだろ?ついさっき
までみんないたはずなのに……しばらく待っ
たけど誰も戻ってこない。仕方ない、一人で
帰ろう。
翌朝。
「ねえ、由香」いきなり美代ちゃんが後ろか
ら声をかけてきた。
「えっ、何?」急だったから、歌う時と同じ
声が出て来てしまった。
「…え?今の由香の声?」
「えっと、うん、歌う時はこんな声かな」
なんとかいつもの声でしゃべる…けど、な
んだか苦しくてしゃべりにくい感じ。
「そうかあ、今度男子の歌聴く時は気をつけ
て聞いて見るね。」
「そういえば、昨日は放課後、みんな急にい
なくなったけど、どうしたの?」
「ん?……んー、なんでもないの」
「なんでもないって……みんないなくなった
し……あっ、もしかして、が…」
「おねがい、これ秘密なの、他のクラスの人
には黙っててね。他のクラスが始める前に、
出来るだけ音楽室使って練習するためなの。
実は今日の放課後もやるの。だから今日も先
に帰っててね、由香」
「う、うん…」
「それでね、昨日分かったんだけど、飯田く
んって、しゃべり声もかわいいんだよ。今ま
でわざと声枯らしてたみたい。これからはそ
んなしゃべり方しちゃだめっ、てみんなで言
って聞かせたの。それに、いつも顔しかめて
たでしょ?」
「そうかな…」
「それもやめなさいってね」
ふと前見ると、飯田くんは女子五人と楽譜
を見ながら楽しそうにしゃべっていた。飯田
くんの顔、確かに前より明るくてなんだか可
愛くなった感じがする。
そして今日の授業が終わった後。
「それじゃ練習行ってくるね」
美代ちゃんが小声で言う。
「絶対秘密だからね。じゃバイバイ」
「……バイバイ」
美代ちゃんが飯田くんと一緒に教室を出た
後、一人で学校を出て、うちへと歩いている
と。
「おっ、伊藤だ、ちょっとこっちこい」
矢田くんが呼んでいる。隣には菊地くん。
「今日気づいたんだけど、こいつの声渋いん
だぞ」
「本当かぁ」
「そんなことないって」
「伊藤、歌って見ろよ」
「えっ、こんな所で…」
「ほら歌えって」
「もうほんと…」しまった、力を抜いたら声
が低くなっちゃった。
「ほら、こんな声なんだ」
「別にいつもじゃ」
…元に戻らない。
「…今度の音楽の時間に近くで聞いてみよう」
小さく声を出しながら、なんとか元に戻す。
「…いつもこんな声じゃないって」
「あっ、さっきの方がかっこいいよなぁ」
「そんな苦しそうに声出されると、こっちま
で苦しくなるよ」
そんなこと言われたって…
結局家の近くまで矢田くん菊地くんと一緒
に帰ってしまった。
月曜日の音楽の授業。今日も男子と女子、
別々の部屋で練習。
最初は4人ずつで少しずつ歌って、先生が
個別に色々注意してくれる。私は木田くんと
矢田くんと道井と一緒に歌う。この人数だと
自分の声が分かってしまう……こんな声が自
分ののどから出るなんて、本当にいや。声も
小さくなってしまう。先生に何か言われるだ
ろうな。
「木田くん」
「はい」
「もうちょっと声出るんでしょ?いつもみた
いに元気良く歌いなさい。次は矢田くん」
「はい」
「音程いい加減よ。今は男子だけで歌ってる
からいいけど、女子と一緒に歌うとそっちに
つられておかしくなるから気をつけなさい。
次は伊藤さん」
「はい」…またこの声。歌った後ではこの声
しか出ない。先生もちょっとびっくりしたみ
たい。
「……ちょっと声出てなかったわね。もっと
大きな声出しなさいね。で、道井くん」
……こんな声で大きな声出せなんて。
全員終わって1回みんなで歌ったところで
休憩、先生が隣の部屋に行った。
「確かに渋いや」
菊地くんが言った。
「俺よりかっこいい声出すなよ」
「菊地、お前の声が情けないだけだよ」
「そんな無茶言って伊藤くんをいじめるなよ」
伊藤くん、でみんなが笑う。
「そうそう、伊藤くんだよなぁ、その声」
「その声で女子の制服着てると変だよ」
「男子の制服着ろよ、せめて練習の時と本番
の日くらい」
「そうだ、俺の兄貴の中学の時の制服、借り
てこようか」
「なんでそんな話になるのよ」この声出した
くないけど、言わないとこいつら図に乗る。
「その声で『のよ』はやめろ」
やめろって言われても……でも、自分でも
変だと思った。
「それより、女子は先週の木曜と金曜の放課
後、練習してたみたいだけど」
「そういえば確かに女子と飯田が音楽室の方
にぞろぞろ歩いてたな」
「俺たちもやるのかぁー」
「でも伴奏はどうする」
「下田は出来ないのか?」
「鳥居さんほどうまくないよ」
「音楽室は空くのかな?他のクラスもやりそ
うだし。」
「ピアノは体育館にもあるけど……あとで先
生に聞いてみる」
そんな話をしていると、戸が開いて先生と
鳥居さんが入ってきた。
「しばらく伴奏を鳥居さんにしてもらいます」
よかったぁー、女子がもう一人いるってだ
けで、なんだか安心しちゃう。
しばらく練習した後、最後に指揮者付きで
全員で歌う。
授業の後、学級委員長が先生に音楽室の使
用について尋ねに行った。鳥居さんも何か尋
ねているみたい、女子もまたやるのかな?
廊下で待っていたみんなに委員長が言う。
「ぼちぼち他のクラスも放課後とか朝早くと
か昼休みとか練習やるようになったみたいだ。
本番まで各クラス男女合わせて4回出来ると
いうことらしい。時間は早朝、昼休み、放課
後。ホームルームの時間は重なるからだめだ
って。で、いつにする?」
「朝早くはいやだ」
「早く決めて先生に言いにいかないと他の組
にいい時間を取られてしまう」
「もう今週と来週しかないんだ、部活の休み
だってみんな違うし、いつでもいいから放課
後取れよ」
「よし分かった、出来るだけ放課後、なけれ
ば昼休み、な。先生もう行っちゃったから、
昼休みに言いに行く」
ふと横を見ると、少し離れた所で女子と飯
田くんが廊下にいる。女子も練習の打合せや
ってるのかな?
昼休み、学級委員長が戻るのを待ったけど、
なかなか帰ってこない。みんな待ちきれなく
なって遊びにいっちゃった。結局、結果が聞
けたのは、掃除が終わって理科の授業の前。
男子は今週火曜と来週月曜の放課後。
「両方放課後か、よくやった」
「部活休めるぞ」
学級委員長の周りに固まっていた男子が席
に座る。女子はもうしばらく固まっていたけ
ど、先生が入ってきたら席につきはじめた。
……けど、飯田くんがきょろきょろしてる。
周りを見回すと、男子が座っている机は4つ
の席ともきっちり埋まっている。
「どっかから椅子もってこなきゃ…」
「ここに座りなさいよ」
幸子ちゃんが私達の机の、ひとつ開いてる
席に飯田くんをつかせた。
「…でも…」
飯田くんは何か言おうとしたけど、先生が
出欠を取りはじめたので、もう立てなくなっ
てしまった。
最初は固くなってた飯田くんも、実験が始
まって周りと話し始める。
「アルコールランプに火をつけてー」
「はーい」
「……つかない…つかない…」
「ついたっ」
確かに声は可愛いし、顔も、前は目つきが
悪い感じだったけど、今は全然違って可愛い。
いつも美代ちゃんが言ってたのはこれなんだ。
理科が終わった後、飯田くんは矢田くんと
一緒に教室に戻った。
「お前、さっき女子と一緒だったな」
「座るところに困っただけだよ」
「ふーん…」
「別にいちゃついてたわけじゃないよ。お前
の方こそ、伊藤さんといちゃついてるんじゃ
ないか」
「え?あんなのといちゃついて楽しいもんか」
火曜日。一時間目と二時間目は美術の時間。
ちょっと遅れてきた飯田くん、またどこに座
ろうかと迷っているのを、幸子ちゃんがまた
隣に座らせた。飯田くんは、もういいや、っ
て感じで座る。
「昨日言ってたマンガ、持ってきたよ。後で
見せてあげるね」
「わーい」「ありがとう」美代ちゃんと飯田
くんが喜ぶ。
「……昨日言ってたマンガって何?」
「あっ由香ちゃんいなかっだ。音楽の授業の
時に話出たんだ。由香にも見せてあげるね」
ふーん、音楽の時間の間に、そんな話して
たんだ。
国語の授業が終わって、体育の授業。更衣
室に行かないといけないけど、幸子ちゃんと
美代ちゃんと飯田くんがマンガ見ててなかな
か行こうとしない。
「早くしないと時間なくなっちゃうよ」
「え、うん、今行く」
「じゃあ、飯田くん、また後でね」
「うん、また後で見せてね」と飯田くん、に
っこり微笑む。
体育の授業は、女子はバレーボール。音楽
の時と違って女子だけだから、ちょっと気が
楽。今日は私が準備体操係。みんななかなか
集まらないから大きな声を出す。
「準備体操しまーす」
しまった、この声で叫んじゃった。
「えー、今の声だれ?」
「伊藤さん?びっくりしちゃった」
「なんか結構かっこいい声じゃない?」
「うん、そうね」
「それに最近顔つきも男の子っぽくてかっこ
いいし、背もちょっと高いし」
「私の彼になってぇー」
「私が先にてぇ付けたのよっ」
「ほら準備体操しなさい」先生がやってきた。
ようやく準備体操が始まる。出来るだけいつ
もの声で掛け声を出そうとしたけど、体操し
ながらだから、たまに低い声が出ちゃう。
昼休みになって、幸子ちゃんと美代ちゃん、
飯田くん、それに真代ちゃんも加わってマン
ガ読んでる。私も加わろうかな。横を見ると
男子が何人か集まってる。なんだろう。
「ねぇ、今日の放課後の練習の話してるの?」
「おう、今日の放課後、忘れるなよ」
「うん」あっ、この声でちゃった。男子相手
だと、どうも緊張感がなくなっちゃう。元に
戻さなきゃ。
大したことじゃなさそうだから、みんなと
マンガ読んでよっと。
そして放課後。
「今日は男子の練習なんだね。じゃがんばっ
てね。バイハーイ」
美代ちゃんと幸子ちゃんは飯田くんと一緒
に帰っていった。
音楽室に行こうとすると、道井くんと木田
くんがやってきた。
「伊藤、昨日言ってた兄貴の制服、持ってき
たぞ。兄貴の身長、だいたい伊藤と同じだか
ら合うはずだ」
「どっかでさっさと着替えて、練習始めよう」
「えっ、ちょっと、私着るなんて言ってない」
「せっかく持ってきたんだから着ろよ、こっ
ちの方が似合うって」
「いやっ」私は早足で音楽室の方に向かった。
「えー、せっかく持ってきたのに。どうしよ
う?持って帰るのやだよ。兄貴ももういらな
いって言ってるし」
「うーん、伊藤の用具箱の中に入れとくか」
練習は結構長くやった。何十回歌ったかな?
みんなで歌うから、そして周りの声が私に似
てるから、自分の声が気にならなくて、結構
大きな声で歌ったような気もする。そのせい
か、途中の会話はもちろん、帰り道でもなか
なか声が戻らなかった。
「伊藤、社会の宿題やったか?」木田くんと
矢田くんが帰り道に聞いてきた。
「うん、一応やったけど」
「明日朝、速攻で写させてくよ」
「他の人はどうなの」
「どいつもやってないって言うんだ、今夜は
今からだと時間ないから当てにできないし」
「明日の朝言って。忘れるかもしれないから」
「おーさんきゅ」
「しかしさぁ、せっかく道井が持ってきたの
によぉ」
「いやだって」
「その声と顔にその制服着て、合唱コンクー
ル出るのかよ」
「声はともかく、顔って何よ」
「鏡見てないのかよ。最近お前の顔、男みた
いだぜ」
そういえば、今日の体育の時間にもそんな
事言われたっけ……
うちに帰って、お風呂上がりにふと鏡を見
ると、男の子みたいな顔……だれか顔に似て
る……鈴木くん……なんでだろ……飯田くん
……そうだ、飯田くん、以前はこんな顔だっ
た。飯田くんの顔について、誰か何か言って
たけど、なんて言ってたかなぁ。私、前はも
うちょっとかわいかったと思うのに、どうし
たんだろう。
水曜日の朝。学校に来てみると、女子が全
員来ていた。
「あっ、今朝、女子の練習だったの?」
「由香ちゃん、昨日男子の制服着なかったん
ですって?」
「え?ええ……なんでその話知ってるの?」
「道井くんから、由香ちゃんに男子の制服着
せるつもりだって話聞いたの」真代ちゃんが
言った。
「それなら飯田くんも女子の制服の方がいい
ねってことになって、今朝練習の時に着ても
らったのよ」
ドアからビニール袋を抱えた飯田くんが入
ってきた。
「これ、洗濯とかどうしたらいい?」
「今朝ちょっと着ただけだし、まだしばらく
いいわ」
「由香ちゃんが着ないと困るじゃない、少な
くとも本番の時には着てちょうだいね」
「……ええ」
美代ちゃんにこんなこと言われるなんて…
着なきゃいけないのかな。
そこに木田くんがやってきた。
「おっ、伊藤来てたか。社会の宿題写させて
くれ」
「あっ、木田くん、今度は由香ちゃんに男子
の制服、ちゃんと着せてくださいね」
「うん、俺はそのつもり」
「飯田くん女子の制服着たんだから、釣り合
い取れなくなっちゃいますもんね」
「おっ、飯田は着たの?それなら是非とも」
社会の時間の前。木田くんがまだ宿題を返
してくれない。
「ねえ、早く返して」あっ、またこの声でち
ゃった。すぐには戻らないんだよね。こいつ
の前だからまだいいけど。
「矢田のところに行った」
「もう」矢田くんのところに行く。
「私の宿題返して」
「一緒に出しといてやるから、まだ写させて」
あきらめて席に帰る。前を見ると、飯田く
んの周りに女子が集まっている。何してるん
だろう。見に行こうかな、と思ったところで
先生が入ってきた。
社会の次は体育。なのに、また飯田くんの
周りに女子が集まっている。
「何してるの?次は体育だよ」
「あっ、そうだった。続きは後でね」
体育の授業中。美代ちゃんはともかく、他
の人達はなんとなく近くに寄ってくれない感
じ。体育では整列するから、ほんとはすぐ近
くのはずなのに。声かけてくれないのか。男
子の制服着なかったこと怒ってのかな?なん
となくいやな感じ。掛け声かけさせられると
またあの声でちゃうし、ほんと嫌になっちゃ
う。
掃除の後の理科の時間。飯田くんは真代ち
ゃんと一緒に理科室に行く。飯田くん、しば
らく男子の席を見てたけど、そのまま真代ち
ゃんと一緒の席に座る。残り二つもすぐに埋
まって、何か楽しそうに話している。私の方
は、美代ちゃんは話しかけてくれるけど、幸
子ちゃんと滝本さんはあんまり話しかけてく
れない。楽しそうな飯田くんの顔を時々横目
で見る。
木曜日の音楽の授業。今日もまずは男子と
女子、別々の部屋で練習。伴奏は鳥居さん。
でもみんな騒いで、なかなか始まらない。
「みんな静かにしてくださーい、練習始めま
ーす」
声の小さな鳥居さんが一生懸命男子に言っ
ているけど、男子は全然言うことを聞かない。
何度言っても聞かないから、私、我慢出来ず
に言ってしまう。
「ほら鳥居さんが練習始めるって言ってるよ」
…自分でもちょっと驚くくらい大きな声だ
った。もちろん男子は静かになった。
「……あ、ありがとうございます、伊藤さん」
鳥居さんはびっくりしたような、怯えたよ
うな、顔をしていた。
一応男子は真面目にやるようになったけど、
先生がいないからいい加減にしか歌ってない
人もいる。その分、みんなの声が小さくなっ
て、自分の声が際立ってしまう。でも鳥居さ
ん一生懸命伴奏してるし、大きな声で歌って
しまう。
先生がやってきて、しばらく休憩するよう
言われる。鳥居さんはピアノの前から立ち上
がって、しばらく私を見て、
「あっあの、伊藤さんの声って、本当に低く
て、男の人みたいで……なんかかっこいいで
すね」
ぺこんとおじぎして、女子のいる方の部屋
に行った。
「伊藤、もてるねぇ」
「うるさいっ」
「声なら僕も伊藤も大差ないのに…」
「そりゃ声だけじゃ駄目だろ」
金曜日の体育の時間の前。また直前まで飯
田くんと話をしていた幸子ちゃん。
「なんか飯田くん、体育の時間、なんとなく
いづらいみたいなの。二人一組でやるような
体操も、余った同士で組んでるとか」
「最近私達とばっかり話してるもんね」
「体育も私達と一緒だったらいいのにね」
体育の授業中、鳥居さんは、なんとなく私
から逃げているような感じ。レシーブの練習
で並んでいる時は、出来るだけ距離を開けよ
うとしているみたい。遠くにいると周りの人
と楽しそうに話しているのに、私が近くにい
ると黙ってしまう。よく見たら、鳥居さんだ
けじゃなくて、他に何人も。なんでだろう。
まだあのこと怒ってるのかな?
体育が終わった後、美代ちゃんが寄ってき
た。
「あのね、鳥居さんが、由香ちゃんのこと、
かっこいいけどちょっと怖いって言ってるの」
「怖い?なんで?」
「分からない。私はそんなことないって言っ
てるんだけどね」
……分からない。
午後は技術家庭科。その前に。
「おい伊藤、今日の放課後練習だから忘れる
なよ」
「うん、大丈夫だって」
「伊藤には言ったと。木田はまだ?」
「あれ?今日は日直じゃなかった?小田さん
は準備室に行ったみたいだけど」
「それなら木田も一緒かも。うん、ども」
学級委員長としばらく話して、女子のいる
方の席に向かって、座る。すると周りに座っ
てる人達がほんの一瞬、黙る。すぐにおしゃ
べりを始めたけど、なんか居心地悪い。しば
らくして先生が来て授業が始まった。
授業が終わって音楽室に行こうとすると、
女子が固まって、私の前に来た。
「あの…今日は男子の制服着て、練習してく
ださい、伊藤さん。伊藤さんが着替えるまで、
みんなで見張ってますから」
鳥居さんが緊張したような声で言った。ち
らっ美代ちゃんの顔を見る…みんなと同じよ
うに、私をにらみつけるように見ている。
「…でも、男子の制服に着替えるのに女子更
衣室は…」
「そこのトイレの前でみんな待ってます。他
の人が入りそうになったら止めますから」
「…はい」
「じゃあ、これ、男子の制服です」
みんなに見守られながらトイレに入る……
これ着なきゃいけないのかぁ、私だけ。袋の
中を見ると、ちゃんと下着まで入っている。
スリップの上にズボンもないよね。裸になっ
て全部着替えて、外に出る。
「あっ、やっぱりかっこいいじゃない、由香
ちゃん」
美代ちゃんが嬉しそうな顔で言う。そんな
に嬉しいのかな。
「それじゃ練習、頑張ってくださいね」
「バイバーイ、由香ちゃん」
みんな帰っていく。私は男子の制服を着て、
音楽室に行く。
「伊藤はまだか、伊藤は……おお」
「似合うじゃん」
「よし、早く練習始めよう」
周りの人達と同じ制服になると、今まであ
った違和感がちょっとだけなくなったような
感じ。今まであった「自分は別」って気持ち
が少し薄らいだ感じ。声も周りと違わない…
それが気に入らない。でも練習が進むにつれ
て、没頭していった。
練習が終わって着替えるためにトイレに入
った時、ふと鏡を見る。似合ってるのかな。
分からない。でも、女子の制服に着替えた後、
もう一度鏡を見たら、今までなかった違和感
があった。今まで一緒に練習してた男子と同
じ制服を着ていたのに、違う制服に自分だけ
着替えてる。でもそれだけじゃない。
「なんだ着替えたのか、そのままで帰ればい
いのに」
「お母さんにどう説明するの」こいつらの前
でこの声なのはもう仕方ない。
「合唱コンクールは朝からじゃなかったっけ?
朝から着てくるなら、今から言っておかない
と。あっ、俺たちが言ってあげようか」
「いいよ」
「でも、一度男子制服姿見ると、もうその恰
好は見られたもんじゃないなぁ」
「うるさいっ」気にしてるのに。
土曜日。今日は休み。美代ちゃんとでも遊
ぼうかな?電話をかけてみよう。
「はいっ、鎌田でございます」
「あの、」しまったこの声、元に戻さないと。
「あの、伊藤ですけど、美代ちゃんはおられ
ますか」
「あら、どなたかと思ったら由香ちゃんです
か。美代は学校に行くと言って出掛けました
が」
「…そうですか、分かりました。どうも失礼
しました」
学校…何も言ってなかったけど、今日も練
習するのかな?秘密なのかな?じゃあ女子は
みんな学校で練習してるんだ……私は……う
ちにいようっと。
月曜の朝。
「おっす」道井くんが私に声をかけてくる。
「おはよう」
「お、伊藤おはよう」下田くんがあいさつ。
「おはよう」
「あっおはよう」矢田くんがあいさつ。
「おはよう」
前の方では、女子と飯田くんが何かやって
るから見に行きたいけど、男子とのあいさつ
で忙しい。
「由香ちゃんおはよう」美代ちゃんがやっと
きた。
「美代ちゃん、土曜日電話したんだけど…」
「あっ、ママに聞いた。ごめんね、秘密の練
習してたの。もう土曜くらいしか空いてる時
間がなくて。本当は日曜もやりたかったけど、
先生がダメだって」
ふーん。
「でね、土曜は朝から昼過ぎまで練習したの。
お弁当持参で。もちろん飯田さんもその間中、
女子の制服着てたわよ。やっぱりみんな同じ
制服だと気分が違うわよね、楽しかったし、
練習もうまく進むし。学校には他に誰もいな
いし、なんだか女子中気分」
…ふーん…
「でね、練習終わった後、飯田さん着替えさ
せないで、六人が飯田さんちまでついて行っ
て、本番の日は朝から着てくるようにしてく
ださい、って飯田さんのお母さんに頼んでき
ちゃった」
…えっ…
「今度、由香ちゃんちにもお願いに行くね」
「そんな…」
「じゃあね」美代ちゃんは言うだけ言って、
飯田くんのいる方に行った。
「あっちょっと…」
「あっ、伊藤、理科の宿題やってるか」木田
くんがやってきた。
「え、あっ、うん、やってる」
机の中を急いで探したけど、なかなか出て
こない。ようやく出て来て、渡した時に、先
生がやってきた。
音楽の時間。今日は男女別の練習は一回ず
つだけ。その後、何度か一緒に歌って、さら
に本番と同じような感じで、ピアノの横に並
ぶ。飯田くんは女子の真ん中付近にいる。私
はどこにしようかな…とりあえず境目付近の
後ろの方にしよう。今は女子の制服、そして
音楽の時間に女子と一緒に並ぶなんて久し振
り…私と、隣にいる石川さんとの間に、ちょ
っと距離があるけど気にしないでおこう。で
も、歌うパートは男子と一緒。
「おい伊藤、もちっと大きな声出るだろ」
木田くんがつついてくる。そう、出るんだ
けど…
音楽の授業が終わった後。
「ちょっと男子は残ってください」
学級委員長が叫ぶ。私は立ち止まる。女子
は出口に向かっていく。
「明日の昼休みは女子の練習時間になってま
すが、男子も一緒にやります。明日の昼休み
は音楽室に来ること。以上」
「はーい」みんなと一緒に返事する。
もう女子はすたすた先に行っている。私は
木田くんや矢田くん達と一緒に教室に戻る。
給食の時間。今日は担任の先生がうちの班
と一緒に給食を食べることに。でもさっきま
で音楽で歌ってたから、声が元に戻らない。
しゃべりたくないなぁ。
「そうか男子は野球やってるのか、女子の方
は体育は何やってる?」
先生がこっちを見る。見られると反射的に
答えてしまう。
「バレーボールです」…やっぱり。
「……伊藤はそんな声だったか」
菊地くんがうれしそうに答える。
「ええ、そうなんです。だから音楽の先生に
男声パートやれって言われたんですよ。そし
たら、こいつうまいんですよ」
「ほー、そりゃあさってが楽しみだ」
「で、飯田さ…くんが女性パートなんです」
滝本さんも嬉しそうに話す。
「そういえば、飯田はそんな感じの声だった
かな」
「で、やっぱり女子の制服で男声パートに並
ぶって変じゃないですか。だから伊藤さんに
は男子の制服を着てもらおうってことに」
「んー、コンクールなんだから、変な恰好さ
れるとなぁ」
…あっ、先生が何か言ってくれるかな…
「変じゃないです。ちゃんと校則のお手本み
たいになってますから」
「そおかぁ。あんまり変なことするなよ」
「はーい」
「で話は戻るが、女子はバレーか」
…それだけ?
お昼休み。前に集まっている女子と飯田く
んのところに行ってみる。
「何してるの?」
「えっ、えっと、明日の練習の話なんです」
「うん、そうなの」
「明日、四時間目が体育ですよね。だから、
飯田さんと伊藤さんは、体育の後に着替えれ
ば、ちょうどいいんじゃないかな、って」
「え、ちょっと、つまり給食時間も」
「そうです」
「あ、それいいねぇ」学級委員長が後ろから
叫んだ。
「昼休みはあんまり時間ないから、そっちが
いい。じゃそういうことでよろしくね」
「…で、でも先生が…」
「先生、変でなきゃいいって言ってたでしょ?
前もって見せておいた方がいいよ」
「そうだね。でさあ、飯田さん、体育も一緒
にしたいよねぇ」
「でも先生が…」
「今度、体育の先生にお願いしてみる」
「お願いします。体育の時、一人でつまんな
いんです」
「でね、これ、土曜に言ってたマンガ」
「わーい」
……私がしゃべる隙がない。それよりも、
話しかける事がない。しばらく眺めてたら、
木田くんが声をかけてきた。
「伊藤、朝借りた宿題だけど」
「返してくれるの?」
「いや、もちょっと待って。ここさあ、ちょ
っと意味が分からないんだけど」
そして理科の時間。
「早く返して、先生きちゃうよ」
「もちょっとだから」
「何も全部写さなくても」
「もちょっとだから」
などと引っ張られているうちに、先生が来
てしまった。
「もう向こう行くよ」
「向こうってどこ?近いんならもうちょっと」
周りを見回す…女子のところには空きがな
い…美代ちゃんは、幸子ちゃんと真代ちゃん、
そして飯田くんと座っている。どうしよう。
そして先生が出欠を取り始めた。私は木田く
んの隣に座ったまま。
火曜日の美術の時間。みんなより少し早め
に美術室に行って、座る。女子が次々と席に
座るけど、私の隣にはこない。私の周りはな
ぜか男子。
「由香ちゃんおはよっ」
ちょっと遅刻してきた美代ちゃんがあいさ
つしてくれる。けど、飯田くんの後ろの席に、
真代ちゃんと一緒に座る。
結局私の隣には、最後に来た菊地くんが座
った。
ついに体育の時間。
「それじゃあ、体育の時間終わったら、女子
更衣室の方に来てね。制服は私が持っていっ
て、置いておくから」
「はいっ」
「で、伊藤さんの今着てる制服は、私が持っ
て帰ってきますから、男子に男子トイレへ入
れてもらって着替えてください」
「…はい」
「じゃ、飯田さん、また後でね」
女子更衣室、そういえば私、部屋の隅で着
替えてる。だって、みんな私から少し離れた
ところで、こっちを気にしながら着替えてい
るんだもの、無意識に端に来てしまう。
体育の授業中も同じ。先生があれやれこれ
やれと指示するから、その分距離は縮まるけ
ど、やっぱりなんとなく離れている。
「由香ちゃんうまいよね」
たまに美代ちゃんや幸子ちゃんが話しにき
てくれる。でもしばらく話したら、みんなの
所に戻る。合唱の練習の時の方が、まだ色々
話しているかも知れない。…なんだかつまん
ない。
体育が終って、更衣室に……ではなかった、
今日は教室に戻って、制服を取ってトイレに
向かう。
「伊藤、どこに行く」
「トイレで着替えてくる」
「ここでいいじゃないか」
うるさい。
着替えて教室に戻る。
「あ、それ見ると久し振りにほっとする」
矢田が一言そういった。
もう飯田くんは来ていた。周りを女子が守
っているみたいに取り巻いている。
「おーい何してる、早く給食の準備しろ」
あっ、先生がやってきた。先生は給食の準
備をするようにみんなをせかしてる。私にも
飯田くんにも気づかない。給食が始まっても
気づかない。とうとうしびれを切らして、菊
地くんが先生に言う。
「これ、伊藤さんです」
「…ん?確かにそうだな、ハンサムハンサム」
「むこうが飯田くん」
「…ふん、確かに校則通りだな。石川、お前
スカート短過ぎ。飯田くらいにしろ」
…それだけ?
給食の後、すぐに音楽室に行く。ピアノの
右側に男子、左側に女子が集まっている。私
はもちろん右側。今までだったら、どちらの
方にも違う制服が一人混じっていたけど…今
日は同じ制服同士で別れている。これが確か
に普通だよね。私の隣に並んでいる人達は、
私と同じ制服。
だけど、美代ちゃんも幸子ちゃんもあっち
側。美代ちゃんと幸子ちゃんと飯田くんが何
か話している。ここからじゃ聞こえない。本
当なら、私もあの制服を着て、あっちにいて、
美代ちゃんや幸子ちゃんと並んで、あの会話
を聞いているはず……そう、飯田くんの立っ
てる場所で。なんでこの制服着て、こっちに
いるんだろ。本当なら、女子の秘密練習に全
部参加して、そこで起きたことを見聞きして
知っているはず。なんで私だけ知らないんだ
ろ。本当は、男子の放課後練習の事は知らな
いはず。なんで知ってるんだろ。
練習が始まる。私のパートは隣の人達と同
じ、低いパート。飯田くんは、あっち側で、
女子の制服を着て、高いパートをあっちでみ
んなと歌ってる。あの場所、あの服で私が歌
っているのを、想像する。想像するだけ。
昼休みが終わった。練習終わり。しばらく
は声、元に戻らないな。
「あのー、伊藤さん」鳥居さんが話しかけて
きた。
「えっ、なに?」
「かっこいいですね」にっこり笑った。
「あー鳥居さんが手付けてるよー」
「私が先っ」
「違いますぅ、掃除の場所が一緒なだけです。
早くいきましょう」顔を真っ赤にして言って
る。
「でも、着替えないと」
「掃除の後でもいいのでは?着替えていると
掃除の時間が終わってしまいますよ」
「…ええまあ」
教室に戻りながら、そして掃除の間中、鳥
居さんはたまにちらっ、とこちらを見ては、
嬉しそうな顔をする。
早く掃除が終わったので着替えに行こうと
したら、
「あのぉー、伊藤さん」
と鳥居さんがまた声をかけてきた。
「なに?」
「放課後に何人かで、飯田さんのこと体育の
先生に頼みに行くんですけど……あの、伊藤
さんも体育の時間、一人じゃつまらない、で
すよね」
……え?私が、体育の時間に、一人?
「体育の時の伊藤さん見ていると、一人でつ
まらなそうだし。やっぱり、木田くんとか矢
田くんとかと一緒の方が楽しいですよね」
別に…木田くんとか矢田くんと一緒だと楽
しいって訳じゃないけど…でも、今日の体育
はつまらなかった…一人だったから?
「だから、飯田さんのことと一緒に頼んでき
た方がいいかなって思ったんです。そっちの
方が伊藤さんが楽しいかなって。つまらなそ
うな顔見てると私もなんだかつらいですし」
別に鳥居さんに嫌われてる訳じゃないみた
い、あまりしゃべらない鳥居さんがこんなに
一生懸命に、そして嬉しそうに話している。
でも、こんな用でもないと、もう、口聞いて
くれない。それよりは…
「どうでしょう?」
「…はい」
「それじゃ、一緒に先生にお願いしてきます」
嬉しそうにそういうと、他の女子が集まっ
ている所にかけていった。
着替えて戻ってくると、
「えー、もう着替えてきちゃったの?」
「それやめろー」
という声が。
「次、数学だよ」
「明日は朝から着てこなきゃダメよ」
「放課後、由香ちゃんちに押しかけて、お母
さんにいっといてあげる」
結局放課後はしばらく足止めされた。その
間に母さんに言いに行ったらしい。帰って来
たら
「あの制服、洗って乾燥機で乾かしとくから」
とうとうコンクール当日。
朝起きると、洗濯が済んで、畳んで置いて
ある制服や下着。いつも着る制服が壁にかか
っているけど、今日は壁にかけたまま。しば
らく眺めていたけど、あきらめて、着る。い
つもと違う着かた。いつもの朝とは違う感触。
木田くんや矢田くんはこれが毎朝なのかな?
でも、美代ちゃんや幸子ちゃんは知らない。
「あら、お父さんの若い頃にそっくり」
なに喜んでるのよ、母さんは。
「いってきます」
いつもの通学路を歩く。でも違う感触。今
まではスカートだった。男子の制服では初め
て通る……恥ずかしい?
「あ、着て来たな」
菊地くんだ。一緒に歩く。
「よーし、これで問題なしと。」
横の道から、鳥居さんと飯田くんが来た。
「あっ、おはようございます」
「おはようございます」
二人ともかわいくおじきして、私の少し後
ろ離れた所を歩いた。
「由香ちゃんおはよう、かっこいいね」
美代ちゃんがきた。あいさつした後は、す
ぐに鳥居さん飯田くんの所にかけて行った。
矢田くんといると楽しい?別に楽しくはない。
でも、落ちつく。矢田くんがいなければ、女
子だけ、体育の時と同じ。それに比べれば…
…でも、楽しくはない。
そして、合唱コンクール。教室から並んで
ぞろぞろと体育館に向かう。私はもちろん男
子の列。後ろの下田くんが話しかけてくる。
すぐ横に女子の列、その中に飯田くん。周り
の人とおしゃべりしている。今まではあっち
だったのに。今日はずっとこっちの列。
私達の番になった。そういえば、一年の時
は合唱コンクールってなかったよね。文化祭
が三年に一回、体育祭が三年に二回だっけ。
文化祭がない年に合唱コンクールだったっけ。
だから、女子として合唱コンクールに出たこ
とないんだ。来年も男声やったら、女子とし
て合唱コンクールを体験しないまま、男子の
体験だけで、卒業しちゃうのかな?あっちに
立っているみんなとは違うんだ。美代ちゃん
や幸子ちゃんや飯田くんとは違うんだ。木田
くんや矢田くんと一緒なんだ。
結果は、総合一位だった。みんな大喜び。
「やったー」
「秘密練習した甲斐があったよね」
「伊藤、お前がうまかった、お前のおかげだ」
私もちょっとは嬉しい。私は男子の制服を
着て、男声として参加して、優勝して、合唱
コンクールは終わった。
「えっ、五時間目六時間目、授業あるの?」
「ある」
「教科書持ってきてない」
「着替え持ってきてない…」
「そのままでいいじゃないか、伊藤」
「伊藤さんをおうちに帰しちゃダメよ」
昨日に続いて、男子の制服のままで給食、
昼休み、掃除。昼休みは教室に閉じ込めら
れていたけど。
そして着替えられないまま、五時間目の理
科。菊地くんと一緒に理科室へ。女子の方を
見る…あっちに座りたい。でも誰と?美代ち
ゃんは、幸子ちゃんと真代ちゃん、そして飯
田くんと一緒…そのまま菊地くんと一緒に座
った。
結局、コンクール、授業の時間でほとんど
の先生に男子制服姿を見られてしまった。
そして、帰宅の時間。
「明日も着てきなさいよ、伊藤さん」
「だってもう合唱コンクールは終わったのに」
「だって、伊藤さんの女子制服姿見せられた
ら困るじゃない」
「体育の件、先生にしっかりお願いしてきた
から、大丈夫です。安心してくださいね」
翌日。女子の制服を着ていった。
「えーそっち着てきたのー」
「明日は、頼むから男子の方の着てきてくれ」
「いや昼休みにでも帰って着替えてきてくれ」
女子の制服を着ていたけど、文句を言われ
る他は昨日と何も変わらなかった。話しかけ
てくるのは男子だけ。女子は緊張した口調で
用事だけ言っていく。だから私も女子に話し
かけにくい。
昼休み、体育の先生から呼び出された。飯
田くんと一緒に。みんながぞろぞろついて来
た。
「こないだ言ってた件、明日の体育の授業か
ら認めます。体育がつまらない、なんてのは
良くないからね。合唱コンクールでも二人と
も真面目にやってたようだし。でも飯田くん
の着替えは、他のクラスの子もいるから、気
をつけるように。」
みんな大喜び。飯田さんも、美代ちゃんも、
幸子ちゃんも、真代ちゃんも、鳥居さんも。
木田くんも、矢田くんも、学級委員長も。
「よかったですね、伊藤さん」
「もう明日から女子の制服着てくるなよ」
「……うん」
翌日、男子の制服を着ていった。誰も何も
言わない。当たり前のように男子が話しかけ
てくる。飯田くんと鳥居さんが何か話してい
る。私には聞こえない。鳥居さんは時々ちら
っとこちらを見て、嬉しそうな顔をする。
社会の授業が終わると、美代ちゃんと飯田
さんがすぐに立ち上がって、女子更衣室に向
かう。私は教室から出ず…ベランダの陰で着
替える。男子と一緒に外に出ると、体育館に
女子が入っていくのが遠くに見える。男子と
一緒に準備体操をしながら、体育館の方を見
る。女子が何をやってるのか、分からない…
あっちの方が見たい?でもあっちにいても誰
も話しかけてくれない。居心地悪い。こっち
はいつから始終話しかけてくる。居心地は悪
くない。だからこっちに来た。でも楽しくは
ない。
家庭科の授業。女子の制服を着た飯田くん
が、美代ちゃん幸子ちゃん真代ちゃんと同じ
机で、楽しそうに話している。本当は私が、
あの場所であの服を着てあの話を聞いている
はずなのに。本当は…でも、あの場所に私が
いたら、みんなあんな風に話しかけてくれる
の?隣からの話声に相槌を打ちながら、遠く
にいる女子と飯田くんを見る。
家に帰って、壁にかかっている女子制服を
見る。着てみる。この服を着て、あの場所に
いて、みんなの話を……でもみんながどんな
話をしいるのか知らない、想像もしてもきっ
と違う。そして、ここはあの場所じゃないし、
みんなもいない。私の家の私の部屋の中だも
の。もう外にも着て行けない。ただ、みんな
と同じ服を着ている、それだけ。
月曜日の六時間目、道徳の時間。
「えー、修学旅行が近づいてきたので、とり
あえずこの時間は班分けをして、修学旅行当
日までにやるべきことを説明する。そんなに
時間がある訳ではないので、各班が各自時間
を見つけて決めたり調べたりしておくように」
遠くの方で、美代ちゃん、幸子ちゃん、真
代ちゃん、そして飯田くんがすぐに集まって、
さらに女子が何人か集まっている。みんなき
ょろきょろしている。まだ後一人くらい大丈
夫なのかな?私じゃだめかな、もうだめだろ
うな…そんなことを思いながら、私は木田く
んと矢田くんがいる方にゆっくり歩く。美代
ちゃんのグループにもう一人加わって、数が
そろったみたい。
そして私の目の前にいる木田くんが
「よし、伊藤、と。これで人数はちょうどい
いのかな?」
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