創作用ボード
聾唖者にとって手話とは何か?
2002/06/23 05:16:57, written by
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「障害者の普通学級通学」という問題がある。これと対峙するのは「特殊学校」であろう。ここで話題を聾唖者の手話について、普通学級通学の場合と特殊学級の場合を考える。
なぜこんな事を考えるかというと、言語学の一部に「手話は音声言語同様の自然言語である」という認識がある、という事から始まる。手話の習得は聴覚健常者の音声言語獲得とほぼ同様のプロセスを経ているとの研究報告もあるし、それを利用して手話で起こる現象から音声言語の性質を推し量ることも行われている。
その中にこんな話がある。中米の戦乱続く国で、聾唖者教育が十分に行えない地域が多数あった。戦乱が終わり聾唖者教育が復活した後、子供達の手話習得を観察したところ、15歳辺りに習得の臨界点があるとの結果が得られた。
ここで問題なのはその結果ではなく、これが聴覚健常者の音声言語だったらどうか、という点である。
周りに言葉が話せる人が全然いないという事はなかなかありえない。しかし周りにきちんと手話が出来る人がいないという状態は十分ありうる。だからこそ上のような研究がなされ、その結果から音声言語獲得の臨界点を推測するのに使われたのである。
ここで一つ目の仮定を置く。「手話は自然言語であり、音声言語同様、多くの言語接触によって獲得される」。これを仮定すると、聾学校の一つの役割が見えてくる。多数の年長の聾唖者との日常的な接触を通して手話を獲得する事である。
学校教育としては確かに手話は教えられていない。しかしそれをいうのなら、普通学級でも基礎的な音声言語を学科として教えている訳ではない。自然に獲得した基礎的な音声言語を前提として書き言葉を教えているだけである。
このような手話獲得は、例えば1日1時間とか、週1回の特殊学級通級で実現出来るだろうか?これを例えて言えば、アメリカ人の両親に育てられ、アメリカの公立学校に通い、1日1時間の日本語授業、または週1回の日本語学校通いで native language として日本語が学べるのか、という話と同じである。この点は研究の対象であろうが、音声言語から類推するとちょっと絶望的である。
二つ目の仮定は「健常者にとっての音声言語同様、手話は聾唖者にとっての認知の基盤である」。つまり健常者同様に native language としてきちんと手話を獲得しないと、認知や思考に問題を生ずるのではないか。そうだとすると、普通学級通学を安易に勧める事は発達上の問題を引き起こす事になりかねない。
もちろん手話以外の認知の基盤になりうる方法があるかもしれない。ただ、「手話通訳」というのは「手話は聾唖者の native language である」との仮定の下に存在している訳で、聾唖者の native language としての手話獲得を十分保証しないで手話通訳ばかり持ち上げて見せてもあまり意味がない。むしろ手話不用論の方が前向きにさえ思える。
三つ目の仮定は「音声言語同様、手話コミュニケーションは文化のひとつである」。すなわち、音声言語のはまた違った形の文化ではないのか?
現在の手話が「聾学校コミュニティ」という、ある意味で意図的な社会の中で育まれた特殊な文化であり、保護するに値しない、という意見ももちろんありうる。その場合は「手話文化の根絶」をすることになるが、その決意はあるのか?
日弁連解体論
2002/06/20 01:39:00, written by
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今必要とされているのは「専門知識を持った弁護士」と
「弁護士資格も持っている専門家」のどちらか?
工学部、薬学部、経済学部、家政学部などに興味を持ち
入学し卒業した人が、その知識や技術を活かす上で
「弁護士資格も持っていたらいいかも」と考えるのと、
弁護士になりたいと思った人が「これからの弁護士は
他の分野の専門知識も必要だ」と考えて工学や経済学を
勉強するのと、物の見方という点で大きな差が出てくる。
見方の問題を超えて、アイデンティティの問題である。
「私の専門は工学で、特に特許制度について詳しく、
弁護士資格も持っている」
というのと
「私は弁護士で、特許制度に詳しい」
というのとでは、その人が有する文化的メンタリティに
差があるといわざるを得ない。
現状では、まず「弁護士になりたい」という人達ばかりが
弁護士になっている。学部段階で法学部がないアメリカでさえ
その傾向が強い。弁護士コミュニティの常識に囚われた
人達ばかりである。このような現状を打破するためには、
弁護士のアイデンティディを打ち壊す必要がある。
このような弁護士アイデンティティを今まで保護してきた
モノは一体何か?日弁連が弁護士アイデンティティの
溜まり場になっていたのではないか?弁護士という資格が
社会の多様な側面に対応するにあたり、日弁連という組織が
足枷になっていたのだとすれば、まずは「日弁連解体」を
口にせざるをえない。
社民党用コピーを作ってみました
2002/06/19 06:46:16, written by
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「社民党は悩んでます」
平和憲法の素晴らしさを説き、国際社会でいくら「話し合い解決」を訴えても、
「北方領土問題さえ解決出来ない『平和憲法』『話し合い解決』に何の意味もない」
と言われれば、我々は何も反論出来ません。反論しても、誰にも聞いてもらえないでしょう。
我々社民党は、「物分りのよい優等生」になっていたのではないか。
世界の人々は「素晴らしい」「ありがとう」と言ってはくれるが、それだけ。
「物分りのよい優等生」の存在などほとんど気にかけられることなく、
国際情勢は動いていく。小学校の二宮尊徳像程度の存在感しかない。
最近は「物分りのよい優等生」もイジメの対象になる時代、二宮尊徳像に
落書きがされないとも限らない。その時、我々は「話し合い解決」を訴えていく
ことが出来るだろうか?出来ても、それが社会に影響力を持ちうるだろうか?
そして、それが我々の望んでいたことなのか?
ま、いろいろと
2002/06/15 02:38:16, written by
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新聞を全部片付けてスペースを確保するべく、せっせと読んでます。
読むからネタが出来ます(^^;;)でもてんぷら揚げる時とかに必要だから、
1ヶ月分くらい残しておいた方がいい?
・「女性の感性」は女性に売れるのか?
・最近のアメリカとヨーロッパの対立は、ほとんどが米英法と大陸法と
対立とみなせるのではないか?
・「むやみに遺灰をまかないで」
・路面電車は便利さだけを都会に残し、排ガスを地方に押し付ける傲慢な
システムだ
(notitle)
2002/06/14 03:10:40, written by
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介護の専門家は人間的に劣っている場合が多いので、
家事のように人間的資質を問われる仕事をさせると
とんでもないことになる。介護の専門家に家政婦並み
の高度な業務を期待してはいけない、単純な介護業務
のみをやらせるべきなのである。
(notitle)
2002/06/09 00:07:48, written by
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議員を辞めた後なら何百年かけて議論してもいいから、
まずは議員を辞職しなさい>菅民主党幹事長
「批判的」という言葉
2002/05/31 06:02:48, written by
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メディア論やメディアリテラシー論などで「文章を批判的に読み解く力」
という言い方をよくする。しかし、この言葉は非常に誤解を招きやすい
言葉の使い方である。
私の体験上、メディアに接する上で、あるいはメディアに限らず他人の
話を聞く上で必要なのは「提起された話題や問題点の別の側面に着目する」
という事であろう。他の人が提起した問題の別の側面を掘り起こす事を
指して「批判的に」というのは、間違いとは言わないが何か違和感の残る
言い方である。
それ以上に「批判的に」という言葉の持つ問題点は、「批判をすれば何か
やったような気分になれてしまう」という点である。これは大変非生産的
であり、なにより「批判する」という事にこだわって「別の側面を掘り起
こす」という本来やるべき作業を怠ってしまう結果となる。
もう一つ問題点を挙げるとすれば、「別の側面を掘り起こし見つけ出す」
という作業を最も必要とするのは「権力者」である。権力者だからやら
なければならない事だし、権力者になる上での必須事項である。ところが
「批判」というのは「反権力」を標榜する人達に満足感を与える言葉である。目的も結果も大きく相違してくる。
さて、ジャーナリストに必要とされる能力は「別の側面を掘り起こす」事
なのか「批判する」事なのか?
へ?個人情報?
2002/05/31 05:45:03, written by
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公的情報の開示を求めた人間が「個人」ってのは納得いかないなー。
公的情報利用を国民的に監視するためにも「今日の情報請求者」って
新聞欄を作って欲しいものだが。
社民党用コピー
2002/05/31 05:41:25, written by
ftinfo
実現しないから語れる夢がある
実現しないから傷つかない夢がある
……どうでっしゃろ(^o^;)
ま、いろいろと
2002/05/23 01:43:27, written by
ftinfo
・「介助犬」という言葉は、働かない犬や他の動物に対する差別である
全国盲導犬普及キャンペーンのポスターも働かない動物に対する差別
意識に満ちている
・ドイツの動物愛護ナチズム
似たネタが続いたので、残りは後日(^^;;)
↓
2002/05/03 10:13:30, written by
ftinfo
「さらなる弱者が必要だ」というわけか。
「弱者がいないと話にならない」のだね。
いやはや。
ほほー
2002/05/03 09:53:37, written by
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ヨーロッパリベラルといえども、さすがに中学生の爆弾テロを
「弱者の抗議」と放置できるほどには寛容ではなかったようだねー。
これが一番効いたかな?ヨーロッパリベラルどももようやく
パレスチナ人を責任の主体として認めるくらいに成長したって訳だ。
ただ、欧米介入が目立つ地域だから効いた、と言えなくもないが。
子供を弱者と捉える(さらには中学生を子供と捉える)事自体が、
欧米や東アジアの一部地域特有の文化なのだが。
個人情報保護法案
2002/04/30 00:15:23, written by
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「言論・報道・表現の自由が含み持つ責務を明文化したに過ぎない。
これらの責務を認めないというのは、言論・報道・表現の自由を
放棄したに等しいのではないか。こうした責務の明文化は、本来
報道や言論に携わる人々が自ら行うべきものなのに、未だに抽象
的な表現でお茶を濁している。あなた達は本当に言論・報道・
表現の自由を守る気があるのか?本当に守れるのか?単にデモ
行進をして騒ぐ口実として言論の自由を口にしているだけじゃ
ないか?」
くらいの事を言ってあげてもいいのじゃないの?
久し振りにいろいろと
2002/04/27 02:03:30, written by
ftinfo
・社会不安障害は米国より日本の方が多いという意見があるが、
逆ではないか?社交性を強要する米国の方が、社会不安障害の
人にとっては支障が多いのではないのか?
・危機バブル/不況商法/不況利権
・メディア関係者の本音:中学生以下にはあまり見て欲しくないし、
自分の子供にはなおさら見て欲しくないのだが、「言論表現の自由」
という建前を守り通すためなら、子供が見てしまっても仕方ない。
・食肉のOEM供給
・「子供達と共に成長」と教師が言うのは、自己中心的ではないのか。
お手盛り報道
2002/04/27 01:13:19, written by
ftinfo
「プライバシーとは何か?何を守るべきで、何は守る必要がないのか?」
という議論をするきっかけとして個人情報保護法案はいいものなのに、
未だに「言論の自由を弾圧」などと都合良く被害者の振りをして議論を
ねじ曲げようとしている。こういう態度が、クリントン大統領不倫疑惑
の際に「マスコミ不信」という形で現れた事を、もう忘れているらしい。
「言論の自由の危機」などとわめいている人もいるようだが、私には
「言論の自由」が報道業界の利権になりさがっている事の方がはるかに
危機だと思うとだが。
↓
2002/04/24 03:01:41, written by
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ただの「自動車事故」ではちとおとなし過ぎて申し訳ないな。
ここは「大衆の暴力とかけて、暴走族の事故ととく」くらいが
ちょうどいいか。
(notitle)
2002/04/23 07:27:10, written by
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「国家の暴力と大衆の暴力」とかけて
「飛行機事故と自動車事故」ととく。
そのココロは、………宿題にしておこう(笑)。
ほほー
2002/04/22 06:24:47, written by
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一週間で百人殺せば虐殺だが、毎週ひとりずつ4年かけて二百人殺せば
「弱者の抗議」になるのか。小さな事からこつこつと。出る杭は打たれる(笑)
やはり…
2002/04/11 00:59:52, written by
ftinfo
, URL: http://www.yomiuri.co.jp/02/20020410i415.htm
これにタイトルを付けるとすれば、
「人体実験はアメリカで!」
でしょうか(笑)
「金八先生」最終回
2002/04/03 00:57:31, written by
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ラストシーンの河原でのダンス、あれはやはりフィクション性を
強調するために入れたのであろうか?普通に考えればそうだよなぁ。
「『金八先生』はよく出来たファンタジー」という評は以前から
あったけど、自覚してあれをやったんなら大したもんだなー。
他人を叩く事でしか議論を出来ない議会制度の問題点を考慮しつつ、
2002/03/26 07:21:54, written by
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身を持って問題点を提起してくれた辻元議員に敬意を表し、
議員辞職を求めない。ってのはどうだい?>与党諸君
↓書き忘れた
2002/03/25 00:25:02, written by
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実は先週
「北海道の恫喝男は叩かれるのに、大阪の恫喝女はなぜ叩かれない?
『大阪人が恐いのは当たり前だが、田舎者が恫喝するのは許せない』のか?」
ってネタを用意したのだが、結局大阪の恫喝女も叩かれましたね(^^;;)
しかし、「声の大きな奴」が二人も叩かれる結果となったのは、時代の
雰囲気を表しているのだろうか?
平等を期すために辻元議員も擁護してみるかね~(笑)
2002/03/25 00:19:15, written by
ftinfo
タイトルは「僕達は~、似た者同士さ~」
鈴木議員の問題もそうだけど、税金問題風に言えば「認識の違い」ってやつ
ですね。鈴木議員の場合は外務省関係者やマスコミが、辻元議員の場合は
秘書や関係した他の議員が、実情を知っていた。にもかかわらずそれらの
人達は、多少の引っかかりは感じていたかもしれないが、問題視することは
なかった。
特に鈴木議員の場合は人間同士の意思疎通のあり方の問題でもある訳だし、
「この程度は世間一般に良くある」レベルでもある。
辻元議員の場合は、自民党の「偉い議員が金を集めて、下っ端にばらまく」
構図ではなく、「組織が口実を付けて下々から金を吸い上げる」という
社民党・共産党特有の構図が背景にある。共産党だったら開き直るところ
だろうなぁ。そのせいで票を100万くらい損してるんだろうけど。
どちらも文化の問題で、「構造的な問題」と言われればそうかもしれない。
社民党の場合は、別にそういう「社民党文化」に未練はないだろうから、
「構造改革」をやるかもしれんなぁ。自民党の場合は、建前はともかく、
「本音の市民文化」という側面が強いから難しいかもしれんし、
潔癖症の都会人以外は変える必要性を感じていないだろうし。
地域に1社しかない場合の産業振興策
2002/03/19 07:33:26, written by
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「地域に1社しかない場合の産業振興策は特定企業への利益誘導」
という批判を、国策で産業振興や人材育成の恩恵を受けた都会の
近代産業の従事者が口にするのは自分勝手といわれても仕方ない
でしょう。その地域の産業振興をするには企業育成が必要、でも
企業を実際に立ち上げるには人材が必要。まずは最初の1社で
人材を育て、独立なり他業種からの参入なりの形で2社目以降を
誘導し、そこに都会の人間を呼び込む。これが一番やりやすい
産業振興策でしょう。東京だってこれと似た方策で発展してきた
事をきちんと自覚するべきです……って10年前の事も忘れる
東京人にそんなこと期待するのは無理か…
地域意識はないのに東京の常識を持ってないと排除する傾向が強い東京の問題点について
2002/03/19 07:02:14, written by
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これも根源的な問題ですね(^_^;)
「地域文化」とレッテルが貼られた文化はともかく、地域文化の意識が
薄い文化というのが結構あります。北海道民が「自分たちは標準語を
話している」と思いこんでいるのと同様、東京の人間は自分たちの文化
を当然視し他人にもそれを求めてはいないか。
社会学者はこういった「東京地方文化」の解明に動くべきなのでしょうが、
社会学者自体が取り込まれているのでどうしようもないか(^^;;)
ジャーナリストは馬鹿ばっかりだし、ここはやはりFT-pic!が動くしかない
のか。困ったなぁ…
他人を叩く事でしか自己主張出来ない議会というシステムの問題点について
2002/03/19 06:54:14, written by
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これはとても根源的な問題ですね(笑)。
つまり議会という制度も実は特定文化に深く根ざしている訳で、
特定文化への便宜供与する制度は行政システムから排除しなければ
なりません(爆笑)
鈴木宗男叩きで共産党は地方票を失った
2002/03/19 06:09:40, written by
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最近暇が無かったのでしばらく深く考えていなかったのだが、
ちょっときっかけがあったのでちょっとだけ深く考えて得た結論でも。
確か共産党議員が証人喚問で
「入札対象地域内の企業で、実績のある企業は1社しかない」
という指摘をして、特定企業への意図的な利益誘導ではないか、という
批判をしようとしていた。が、これは企業がありあまるほどある都会の
感覚で、企業が少ない地域の実情を十分理解せず批判したものといわざる
を得ない。地元にその業種の企業が1社しかなければ、地元の人間として
はそれを応援するのは当然の市民感覚であり、それを政治家が持っていた
としても当然、というかそういう市民感覚を欠いた候補者が当選するはず
がない。松山千春が鈴木叩きを怒っていたそうだが、田舎者として当然で
ある。強いて鈴木議員を批判するとすれば、「地域」の大きさについての
バランス感覚に問題があった、という程度か。
この辺が共産党議員が地方で当選出来ない理由でもあろう。というよりは、
共産党も都会の資本主義にしっかりと染まっている訳だ(笑)。もうちょっと
地域の実情に通じていないと、地方の党組織が解体するぞ。
しかし、竹下さんの心配がますます現実になりつつあるぞ。単なる税金の
無駄遣い批判ではなく、都会にはない「目に見えない地域文化、地域の
結束感」が批判の対象になっているのだから。
とりあえずリンク(^^;;)
2002/03/17 00:52:03, written by
ftinfo
, URL: http://www.yomiuri.co.jp/05/20020316i312.htm
とりあえず…
2002/03/15 03:20:52, written by
ftinfo
, URL: http://www.tanutanu.net/economy/econ092.html
リンクだけ張っておこう…
辻元清美議員など社民党議員の暴力発覚
2002/03/15 03:20:12, written by
ftinfo
社民党、全員所属除名の方向か。
辻元清美議員の暴力容認発言問題
2002/03/12 00:11:11, written by
ftinfo
社民党は辻元議員に議員辞職勧告の方向か
都会のお坊ちゃまは田舎者が大嫌い
2002/03/11 14:08:10, written by
ftinfo
都会育ちで有名大学を出て国会議員や官僚になったお坊ちゃまたちは、
田舎育ちのやんちゃ坊主が大嫌い。そんなやつらが田舎者の支援を
受けて国会議員などという要職に就くなんて我慢ならないのです。
そんなやつらが国会議員なんかになると、おっとりした外務省官僚を
威圧してしまうのです。都会のおっとりした外務官僚に田舎者の相手
などさせられるものですか。だから田舎者は国会議員にしちゃいけない
のです。都会のお坊ちゃまと田舎のやんちゃ坊主は共存できない、
しちゃいけない。だから国会議員は都会のお坊ちゃまが独占すべきなのです。
インターネットやくざ
2002/03/11 02:43:16, written by
ftinfo
ネット社会での法規制に反対し、手前勝手な「ネチケット」を
大声で叫んで他人に押しつける。
そんなインターネットやくざが、あなたの身近にいませんか?
証券アナリストの意見
2002/03/10 14:27:42, written by
ftinfo
構造改革のためには失業増が不可欠だ。
小泉政権は失業を増やす具体的施策を提示せよ。
そうすれば証券会社は納得して株価を上げてやる。
…ってところですかね?
「人権擁護法案」に関するFT-pic!声明
2002/03/07 20:29:03, written by
ftinfo
今まで取材・報道の自由を過剰に神聖視し、よりよい方法を検討する機会を
奪ってきた事は、ジャーナリストを除くすべての国民にとって憂慮すべき
事態であった。今般政府が「人権擁護法案」を提案した事が、このような
閉塞状況を打破し、報道が人権や社会と競争的共存を試みる良いきっかけに
なることを強く切望する。
……ま、こんなところか?
「威圧的な話し方規制」
2002/03/04 14:45:07, written by
ftinfo
共産党、社民党の議員が規制の対象になる可能性が高いとの見方大勢。
両党で話し方講習会開催へ。
(notitle)
2002/03/04 10:00:17, written by
ftinfo
・中国は場合によっては台湾に対する武力行使もありうると名言している。
つまり台湾有事を想定した日本の対応策策定には中国のお墨付きが
出ている訳である。むしろ議論しない方が失礼に当たる。国民的議論を
巻き起こしても一向に問題ない。
(notitle)
2002/03/02 01:04:40, written by
ftinfo
市民が自らの力で問題解決を図るチャンスを、
ドイツは移民受入れという形で放棄した。
箱物批判
2002/03/01 08:21:44, written by
ftinfo
, URL: http://www.yomiuri.co.jp/04/20020228i215.htm
「ふるさと創生資金、14年ぶり使途決定」という記事を読んで。
税金を箱物に使うのは時代遅れだ無駄遣いだ、という批判があります。
それでも、議論を進めていくとやっぱり金の使い途として箱物は落ち着き
がよく、その議論に加わらなかった者が後から箱物批判をするという
不毛な事が延々と続いているわけですね、はい。
で、なんで箱物は落ち着きがいいのか。
まず資産として物が残る。金の使い道としてこれは安心感がある。
最悪売り払えば、土地代くらいは戻ってくる。
次に「後世に残せる」と言えるのも大きい。現代の箱物なら、まともに
作れば五十年、うまく使えば百年は持つ。
似た事ですが、「使い方次第で誰にでも使える」ってのも大きいですね。
逆に言えば、箱物以外、例えば「人に投資する」なんてのは言うは易しで、
抽象的な議論だともっともらしく聞こえるけれど、投資する人間が具体化
してくると話がスムーズにいかなくなってくる。幼稚園児や小学生や年寄
ならばまだ市民の目も甘いだろうけど、例えば中学生の修学旅行なんかに
余分に金を使ったとして、「中学生の修学旅行なんてほとんどお遊び旅行
じゃないか」なんて思っている市民は決して少なくないのでして、さすがに
口には出さないけど、なんか町内に重たい雰囲気が流れて、マスコミの取材
に匿名で陰口叩いたりする訳です。
これが成人以上になろうものなら大変で、「この補助金は本当に効果があが
っているのか」なんて批判は良い方、原爆被害者給付金でさえ「あの人は
うまいことやって認定を受けた」なんて陰口が叩かれるくらいですから、
もう政治資金批判と同じレベルなのです。
こんな空気が町内に流れるくらいなら、政治家が箱物批判や業者との癒着
批判を受けるくらい安い出費なのでありました(笑)
証人喚問
2002/03/01 00:48:37, written by
ftinfo
野党にとって必要なのは真相究明をすることではなく、
真相究明をしないで国民に与党に対する不信感を与えることである。
だから不適切な時期に証人喚問を行い、不適切な質問で相手から
中途半端な回答を得る事が最大の使命なのである。
そんなことは過去の証人喚問を見れば明らかではないか。
国民は今、政治不信を必要としているのだから、これが野党としての
当然の責務である。
生物学者
2002/02/27 00:53:47, written by
ftinfo
物理学等で飛び級制度を導入するかどうかで議論していた頃、
「文系には適さない」という主張がありましたが、それと同様に
「生物学にも適さない」という主張がありました。「日常での生物
とのふれあいを大切にするべきであって、学問としての生物学は
遅くてもよい」という主張でした。
この主張、もっとではあるのですが、どうも気になる事があります。
「都会の子は『日常での生物とのふれあい』が出来ているのか?」
もちろん都会にも生物はいます。ペットや鑑賞用の動植物もいるし、
害虫雑草もいるし、食用となる動植物もいます。
が、どれも「目的意識が明確化された生物」ばかりです。人間の都合
によってお題目と境界線が付けられた生物ばかりです。こういった
お題目のつかない、ただの「生物」と子供たちはふれあいが出来て
いるのか?お題目のついた生物しかいない都会の子供にとって、
「生物学」というお題目がひとつ増えたところでなんの違いがあるのか?
それよりは、生物学を志す子供や学生に対して、大学が実験や観察を通して
「ただの生物」とのふれあいを用意した方がはるかにいいんじゃないのか?
(notitle)
2002/02/27 00:36:33, written by
ftinfo
・女性閣僚が客寄せパンダと呼ばれないためには
「ダメな奴はやめさせられる」
を徹底する必要がある。
・ヨーロッパの動物愛護の基本理念
「人間は自然界の食物連鎖の外にいるべきだ」
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