男声合唱団

志木グリークラブ
      こんなこと・あんなこと        

◆ 「ファミリーふれあいコンサート
が終わって (2009.3.31)

 「ファミリーコンサートを市民会館大ホールでやろう!」こんな無謀とも思える提案が、現実のものとなった。
「ファミリーふれあいコンサート」(FFC)が、3月15日に市民会館大ホールで開催され、約400名のお客様に、男声合唱を楽しんでいただいた。

 FFCは、4部のステージ構成で行った。
 第1部は、おとうさんコーラス大会で歌った曲の中から“ローリングホーム”“ふるさと”“シェナンドー”の3曲を初谷先生の指揮で演奏した。第1部は、    FFCの出来映えを左右する重要なステージである。皆が初谷先生の指揮棒に合わせ集中して、1曲目“ローリングホーム”「Rolling  Home・・」と歌い始めたが、なかなか練習通りにはいかなかった。縦の線が揃っていない。途中で持ち直したが、ビッシッと決まらないまま、1曲目は終っ てしまった。2曲目の“ふるさと”は、室生犀星がふるさと金沢でみやこを想い出しながら作詞した心にジーンとくる名曲である。初谷先生からは、自分の故郷 をイメージしながら丁寧な言葉で感情を込めて歌うよう指導されていたが、気持ちの表現が難しい。表情タップリに指揮をされる初谷先生についてゆくのかやっ との演奏になった。3曲目の“シェナンドー”は、トップテノールの出だしが鬼門である。高い音域とリズムに練習の時からトップテノールは泣かされてきた が、本番の時も苦労していた。この曲は、音の強弱とテンポの変化を表現できるか否かで曲の良否が決まる。

 第2部の前半は、愛唱歌4曲(“Heilig””叱られて”“歌え若人”“ヴォルガの舟歌”)を足達さんの指揮で演奏した。後半は、春に因んだ“早春 賦”“朧月夜” “花”を会場の皆さんと一緒に歌った。

 20分間の休憩後、第3部は、ドン・キホーテ男声合唱団(DQ)の登場である。山田耕作作詞、多田武彦作曲の男声合唱組曲「柳河風俗詩」から、“柳河” “紺屋のおろく”“かきつばた”“梅雨の晴れ間”を演奏した。DQは、昨年暮れのYARO会でもこの曲を演奏しており、歌い込んだ成果を十分に発揮してい た。特に“かきつばた”は、ピアニッシモが綺麗に表現できていて素晴らしかった。DQは、過去7回演奏会を開いており、その度に、男声合唱組曲、黒人霊 歌、宗教曲、日本民謡等々を演奏してきた実力派であり、我々グリークラブとは、数段上を行っている感じがする。DQが今回賛助出演し、組曲を演奏してくれ たことでFFCが締まったものになった。

 第4部は、グリークラブとDQとの合同演奏。総勢43名の男性による日本民謡4曲(“そうらん節””斎太郎節””中国地方の子守唄””最上川舟唄”)の 演奏は、迫力満点だった。歌っていても、声の厚みが伝わってきて、これぞ男声合唱の醍醐味というステージでした。特に“最上川舟唄”は、各パートの掛け合 いがこの曲の持ち味であるが、十分会場の人に伝わったのではないか。最後のエンヤコラ、エンヤコラも大きなミスもなく歌い終わった。民謡4曲の合同演奏が 終ると初谷先生と河田さんに花束の贈呈があった。その後、アンコール曲(“ふるさと”“遥かな友に”)を歌い閉演となった。会館コンコースで“いざ起て戦 人よ”“希望の島”“夜のうた”を歌って来場者を見送った。パルシティ2階で打上げパーティを開き、FFCの成功を称えあった。

 当日の運営にあたっては、志木第九の会の皆さんに全面的な協力をいいただいた。総括責任者に岡嶋事務局長、ステージマネージャーに永田さん、アナウン サーに野口麻衣さん、その外に受付係、ドアー係等々色々お世話になり、スムーズな進行ができた。ここで、FFC実現までの経緯を振り返ってみたい。

 私は、2007年8月、グリーのメンバーに次のような提案を行った。

 『グリークラブが発足して16年。発足当時と比べて、練習会場、指導者、団員数、家族・周りの人の支え、合唱技術向上において隔世の感がある。毎週心置 きなく練習に参加できることは、大変幸せなことである。自分の努力もあるが、周りの人達の支えが有ったからである。市民会館大ホールでコンサートを開い て、感謝の気持ちと我々が成長した姿を周りの皆さんに見てもらおうではないか』

 『また、我々とほぼ同時期に発足したドン・キホーテ男声合唱団も同じ考えであろう。グリーとDQの合同演奏が出来れば、迫力ある男声合唱を皆さんに楽し んでいただけるのではないか』

 この提案には、賛否両論あったが賛成多数でやることになった。
独自のコンサートをやることに対するメンバーの意識には、かなりの温度差があり、皆をその気にさせることから、始めなければならなかった。そもそも、私達 は趣味の一つとしてグリーに参加しているのであって、体力的にも厳しいし、何も苦労して自前のコンサートなどやる必要は無い、やれないと思っている者が多 かったのではないか。

 しかし多数決で『ファミリーコンサート』をやると決まったからには、成功させなければならない。まず、推進母体となるプロジェクトチーム(PT)を立ち 上げることにした。リーダーには、言い出しっぺである私がなった。PTメンバーは、足達さん、深瀬さん、行川さん、金子さん、水田さんの6人衆である。月 1回の頻度で、打合せを駱駝亭で開いた。なんたって、手作りのコンサートであり、やることが一杯あって、打合せは、毎回3〜4時間に及んだ。私はPTで検 討した内容を必ずグリーのメンバーに報告・相談し、皆が納得して進めることに腐心した。日程調整、ステージ構成、演奏曲目、練習方法、コンサート費用、広 告宣伝、当日運営方法、DQとの打合せ等々やることは多岐に亘った。PTが推進母体として機能したことによって、課題を一つずつ解決し、演奏会にこぎ付け た。例えば、コンサート費用は、通常の会費の他に毎月千円をコンサート費用として積立てることにし、入場料は無料にした。多くの検討課題がある中で、ス テージ構成と演奏曲目の選定に多くの時間を要した。最終的に第4部は、コンセプトを日本民謡とし、民謡4を演奏することにした。最も難儀したのは、第2部 である。一時は、グリーを2つに分け、ダブルカルテット2組で歌うことも検討した。また、グリーと器楽とで“愛の挨拶”を練習したが最終的にはやらないこ とになった。更に残念なことは、全ステージを暗譜で演奏できなかったことである。

 色んな意見があったが、グリーの皆さんのやる気と協力があって、FFCを開催することができ、約400名の入場者があったことで、プロジェクトリーダー としては、ホット胸を撫で下ろしたというのが正直な気持ちである。特に、私がグリークラブ結成当時から、楽しみにしていた、グリークラブとDQとの合同演 奏が実現したことは、本当に素晴らしいことだと思います。

    ご存知のとおり、志木グリークラブは、1992年4月、野倉さんの呼びかけで、志木第九の会の男性5、6人を中心に発足した。当時を振り返れ ば、メンバーも全パート揃わず、練習会場の確保にも苦労した。それが、今では練習会場は確保できるし、初谷先生、初鹿野先生等にご指導いただいている。団 員は常時10数名が練習に参加し、アンサンブルの練習に支障はない。そして、今回FFCを開催することができた。これからは、寄る歳には勝てないが、年相 応に努力して、嘗て映画「歌えフィッシャーマン」のモデルになったヴェルベヴォーグ合唱団のように、地域に溶け込んで、皆仲良く楽しく合唱を楽しみたいも のです。

(2nd-Tenor:和氣敏夫)



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