スペインと日本の交流コーナー

このコーナーではスペインと日本の交流風景を紹介したいと考えております。日本は一般のスペイン人には遠いそして余り関心にない国です。また日本人にとっては スペインは闘牛、フラメンコ、パエリアぐらいしかイメージできない遠い国です。しかし お互いを知るとこんな面白い国はない。そんなことで、これからスペインと日本の交流を紹介して相互理解を深める場としたいと考えています。


アンドゥーハル(Andújar) 銅像磨きの旅

安東 春

アンダルシアの東北部、コルドバからバスで街道を東へ向ったところに、アンドゥーハル市があります。市といっても人口は数万人、1時間もあれば市街の名所は充分に見て回れる、こじんまりとした町です。とはいえその歴史は古く、ローマ時代から開けた町でもありました。4月下旬に行なわれる《ビルヘン・デ・ラ・カベサの巡礼祭》は、アンドゥーハルの守護聖母に捧げたローカルな祭でありながら、近隣からも幾多の人が訪れる大きな催しとして知られています。そしてこの町は、フラメンコ・ファンにとって大切な場所でもあります。独特の渋い声と歌唱として一世を風靡したカンタオール(フラメンコ歌手)ラファエル・ロメーロ”エル・ガジーナ”が、この町に生れているからです。
ロメーロ翁は幾度か日本を訪れ、滋味あるれるカンテ(フラメンコの歌)を披露しました。その歌と飾らない人柄に魅了された人は日本にも多数いて、彼が1991年に亡くなったときには、多くの人がその死を悼みました。それがきっかけとなって、故郷のアンドゥーハルにロメーロ像を建立しよう、という募金運動が起こったのです。東京フラメンコ倶楽部、スペイン音楽こだまの会の両者が中心となって集められた募金をもとに、フラメンコギタリストのエンリケ坂井氏、音楽評論家の濱田滋郎氏が現地との交渉にあたりました。

その結果、アンドゥーハルのペーニャ(フラメンコ愛好会)《ロス・ロメーロス》と市役所の協力を得て、像を建てることが決ったのです。ここで像の制作をボランティアで請け負ってくれたのが、マドリード在住の画家(兼カンタオール)堀越千秋さんです。ロメーロ翁の親しい友でもあった堀越さんの手になる実に芸術的なブロンズ像が完成し、町の一角を占めるサン・エウフラシオ公園で除幕式が行なわれたのは、1992年9月初旬のことでした。濱田滋郎氏による詩を刻んだ台座には、ロメーロゆかりの人々はもちろんのこと日本からもグループが参加、和気あいあいとした式となりました。
それから10年が過ぎた2002年10月、東京フラメンコ倶楽部の若手6名が、像を磨くためアンドゥーハルの地を訪れました。
建立当時はまだ整備の途中だった公園はすっかり美しく整えられ、季節の花が咲く散歩道の奥に、これもぐっと大きく育った数本のオリーブに囲まれるようにして、ロメーロ像は建っていました。数年前にネオ・ナチの手で激しく落書きされたという話も届いていましたが、おそらく地元の人々が懸命に磨いてくれたのでしょう、汚れは予想よりずっと少なく感じられました。台座にはいささかの欠けも見られましたが、像そのものは嬉しいことにまったく無傷で、人間でいえばまさに健在といったところ。

しかしやはり、日本に残った仲間から託された持参のタワシ、タオルなどを手にいざ磨き始めてみると、明らかに輝きが違ってくるようでした。公園を散歩する善良な市民から「あんたらのお国の人かね」と屈託のない声をかけられて力が抜ける一幕もありましたが、とにもかくにもすみずみまで磨き上げ、最後は各人タワシとともに、祈りを捧げ、記念撮影をして、無事に銅像磨きの目的を果たしたのでした。
ちなみにこの訪問の際には、上記のペーニャ《ロス・ロメーロス》の人々とのふれあいを、持つこともできました。今の会長は、92年の除幕式でギタリストのひとりをつとめたアントニオ・ゴメス氏。彼をはじめペーニャの人々からは、銅像磨きの前夜、純粋で熱い歓迎を受けました。これもロメーロ翁のお導きと、深く感謝しながら、一同アンドゥーハルを後にした次第です。なお余談ですが、この5月には東京フラメンコ倶楽部が、《ロス・ロメーロス》から栄誉ある《ラファエル・ロメーロ賞》を受けることになりました。ロメーロ翁のお導きは、有難いことに、まだ続いているようです。


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