格言集(作者のぼやき)
ここでは日ごろからこのホームページの作者が思っていること(ぼやき)を色々と載せてみました。
あまり真剣に受け止めずに読んでみてください。
自分の行った行為は善・悪、意識・無意識、に関係なく必ず自分の身に対して帰ってきます。良いことをすれば良いことで、悪いことをすれば悪いことで帰ってくるのです。そして、苦労をすればその代償として幸福が帰ってきます。
それらがいつどのような形で帰ってくるは分かりません。
ただ、今のあなたが幸福であれば、それはあなたが何か良いことをしたのであり、不幸なのであれば悪いことをしたか悪いことをしているのです。
これからあなたの身の上に起こる出来事も、今までや今のあなたの言動が大きく関わっているのです。
なぜか?
人間とは不思議なもので、ちょっとした事で忘れたと思っていても、しっかりと潜在意識の中に記憶として残っているのです。たとえば、空缶を投げ捨たり、人の悪口を言ったり、人を悲しませるようなことをしたり、、、些細なことでも人である以上悪いことをすれば罪悪感は必ずついて回ります。そしてそのようなことが積み重なると大惨事となって自分の身に帰ってくるのです。
そうです、良いことも悪いこもすべては、実はあなた自身が選択しているのです。
悩んだり、苦労をしたりしている人を見ると助けたくなるのが人情です。
本当は、そんなつらい気持ちを当事者以外の人間が完全に理解することは不可能に近いのですが、人の気持ちを理解しようとしたり相談に乗る努力をすれば心が通じ、苦しんでいる人を少しでも救ってあげることができるのです。
だから相談に乗ったり、話を聞くときは本気で対話しなければいけません。
年や性別に関係なく、あの人は悩んでいるとか、あの人は元気がなさそうだ等、気がかりになるようになって始めて相談に乗ってあげる事ができるのだとといえるのではないでしょうか。
心無い人が上辺だけの気持ちで無理するぐらいなら、いっそのことそっとしておいたほうがよいのかも知れません。
仕事が忙しいからといって、友人や家族となかなか交流できないでいる人がいます。仕事が忙しいのは大いに結構なことですが、仕事を理由にするのは自分が悪いのを人のせいにしているのと同じです。自分の時間も無いという人もいますが、その人は時間が無いのではなく時間が作れないのです。工夫をすればプライベートな時間は結構作れるものなのです。それでもだめでなおかつ何とかしたいのであれば、自分の人生と仕事を天秤にかけ、自分にとって大切な方を選択する時です。
会社は言い換えれば営利目的の団体です。ですから利益を追求するのは当然で、逆に言えば利益を追求しなければ困るのです。だからといって不正なことをしたり人に迷惑をかけたりしてまで利益を追求してはいけません。
売り上げ、数字、業績、実績、口を酸っぱくして激を飛ばしている幹部をよく見かけます。法外な高給を支給しているなら話は別ですが、社員の気持ちや個性を踏み潰してまで実績を上げようとするのは、人に迷惑をかける事と何ら変わりはないのでしょうか。
「仕事なのだから」とか「会社のため」とかいって都合よく社員をこき使ってもそれ以上の成果は絶対に出るわけありません。
もしあなたが幹部だったら、実績を追求し過ぎて返って部下のやる気をなくさせ、実績向上のマイナス要因を作ってはいませんか。
技術系の職場で働くにはその職場で通用する技術がないと勤まらないのは当然のことです。技術は大事です。技術力があればより高度な仕事ができ、それによって会社の業績も向上します。
しかし、技術系の職場で良くありがちな事ですが、特定の技術のことしか視野にない上にそれをすべての評価や判断基準にしてしまう場合があります。
例:ある職場の2人
Aさん:常識や礼儀が全くなっていないが、そこの職場で通用する技術を持っている
Bさん:常識や礼儀がありそこそこの人格者であるが、そこの職場で通用する技術は今一歩
・Bさんは職場外では実際に高い評価を受けているのですが、職場内ではだめ印のレッテルをはられています。
・反対にAさんはBさんとは逆で職場外での評価は低いのですが、職場内では高く評価されています。
つまり、ここの職場では特定の技術のことしか視野に入れないですべての評価を行っているのです。結果的に常識や礼儀を知らない人の非常識がまかり通り、常識ある人間の意見が通らないと言った異常事態が起きています。
大海原に出ればすぐに沈没するようなたいした事のない自分の技術力に酔いしれて、それだけで会社は成り立つ思っているような視野が狭くて頭の悪い人には困ったものです。経営者も大抵の場合、そんな社員は要らないと言っています。
また、そういった人間が上に立つと下も同じようになってしまい、やがて閉鎖的な文化風土と融通の利かない幼稚な職人を作り出し、会社の業績を悪化させる一因となるばかりか、社会に対しても迷惑をかける事になるのです。
しかしながら、時代はそんな人達を必要としなくなってきています。例のAさんのような幼稚な技術者は今のままではいずれ時代の流れの中で溺れ死んで行くことになるわけでが、そのようになる前に目覚めてほしいものです。
今あなたは何をしていますか?。聞かなくても分かりますが、この文を読んでいるんですよね。
まあ、それはさて置いて、プライベートな時間をどのように過ごすかによって人生観や心のゆとりに与える影響は大きいと思います。何もしないことが好きな人は別ですが、、、
何か好きな事を持ってそれに没頭する!、好きなことが思いっきりできれば、自分の時間を有効に過ごすことができます。その結果として充実した人生が送れるのではないのでしょうか。
年配の方々から「最近の若者は礼儀がなってない」などと言った言葉をよく耳にします。
しかし、若い人に礼儀が無いのは最近に始まった話ではありません。紀元前2000年の遺跡から同じようなことが書かれた石版が見つかったように、いつの時代でも全ての人とは限りませんが年が若いうちは礼儀を知らないものなのです。
実は私もそうでしたから。
ではなぜ礼儀がなっていないのでしょうか。それは、他人のことを気にかける余裕がないからです。人に対してとった事と同じ事を自分がされたらどんな気分かを察する事ができないのです。
私思うに、男は25歳、女は23歳ぐらいで他人の気持ちを察する余裕が出てきて、自然と礼儀が身についてくるのではないのでしょうか。
以上の事を踏まえれば最近の若者は...と思っている人も今よりも半分ぐらいは若い人達の言動を理解できると思いますよ。
もっとも30歳近くなってもまだ一般的な礼儀作法を知らないなんて論外ですけど。
俗に言う仕事人間、会社で一生懸命仕事をして、仕事の話題に熱が入るのは良い事ですね。
ところで、これらの人達ついて知りたいことがあるのですが、仕事とは何ら関係のない話題はできるのでしょうか? また、仕事とは何ら関係のないことで熱くなっていることはあるのでしょうか?
つまり、スポーツでも文化的でも良いのですが、仕事意外で自分の趣味や特技を熱く語る事はできるのでしょうか。
私がなんでこんな疑問を持つかというと、21世紀はオタクの時代になるからです。今、オタクと言えば変わり者とか根暗のイメージを持つ方が多いかと思いますが、21世紀が近づくにつれ、オタクも市民権を得るようになり、一億総オタクの時代になります。
これからの世の中、今とは逆に何かのオタクでないと変わり者扱いされるようになって行くでしょう。但し、将来のオタクは普通の人が何かのオタクにもなるという事です。社会性や一般常識に乏しい、濃厚なオタクではありません。
仕事が人生の全ての人は特にそうなのですが、他に何か打ち込むものを見つける事のできない人は、地位、名声、実績等を残さない限り、一皮向けばただの仕事好きなオヤジ又はオバンと言ったような不幸な人生を送る羽目になるでしょう。
なぜなら、健全な企業はそんな人材は必要とはしていないし、仕事もいつまでも続けられるものではないのですから。
企業間での競争が特に厳しくなっている昨今、いろいろな意味で社員のレベルアップを図る事も競争に負けないための重要なポイントになっています。
そんな状況下、良くありがちな話で、経営者側と社員側で次のようなやり取りが繰り広げられています。
@.経営者は社員に対して自主的なレベルアップを呼びかける
A.社員はただ言われただけでは動かない
B.経営者側は講習会や勉強会などを開き、参加を促す
C.社員は講習会などにはあまり参加しない
D.経営者側は半強制的に参加を促す
E.社員は仕方なく参加する
F.結果として社員に雇われ意識が根づき、指示された事しかできない人材が育ってしまう
社員のレベルアップに成功している企業を見てみるとAの後の対応が違います。強制するわけではなく、社員が自主的なレベルアップを行うためのお膳立てをうまく行っているのです。例を挙げると講習会参加手当てや資格試験合格時の受験費用の負担などを惜しみなく行っており、人をやる気にさせるための方策を実にうまく行っています。
厳しい事ばかり言って、一方的な命令じみた指示を行う精神論的な発想は、もはや通用しない時代になっているという事ですね。