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d.p.s
THE DEAD P☆P STARS

「このままじゃ諦めきれない。
必ず、かまいたち以上のバンドを作って戻って来る。」

1991年、かまいたちを解散させたC.D.N.KENchanは、熱い想いを胸に翌年7月20日、帰って来た。
渋谷F.F.DにてTHE DEAD P☆P STARS(d.p.s)結成記者会見。
VocalのAKI、GuitarのHIROMI、BassのSEIGOという各々LIVE HOUSEで活動していた有名バンドのメンバーを引き連れ、KENZIはシーンに帰って来た。
夢の続きが幕を開けたのである。

d.p.s結成と同時に自らインディーズレーベル「Anarchist Records」を設立。
インディーズシーンにおいて台風の目的存在となる。
顔見せLIVEはd.p.sの誕生日と言われる1992年9月6日、渋谷La.mama。
シークレット、そのうえ深夜スタートだったのにも関わらず、チケットはSOLD OUTという状況であった。

同年11月、1st Album『THE DEAD POP 4 DRUGS』をリリース。
この頃から精力的に全国規模でワンマンツアーを展開する。
ハード性・過激性を全面に打ち出したDEAD-SIDE、バラードやポップなサウンドのPOP-SIDEといった聴覚的な二面性に加え、ダイヴ、火吹き、チェーンソーを唸らせての客席乱入、大合唱、メンバーと観客が一体化する等というステージング。
そんな彼らに魅きつけられたファンは数多い。
かく言う私もその一人である。

インディーズ界の風雲児と呼ばれたd.p.sはメジャーを振り向かせ、1997年7月にデビューを果たす。
しかし、考え方の方面で折り合いがつかず、デビュー1年にして自らインディーズへ戻る事を決めた。

「メジャーじゃなくなったと同時に解散したり、活動休止して自然消滅するようなバンドが多いけど、それは元々その程度だったって事でしょ。 僕らはそういう中途半端なバンドじゃない。」

ところが2000年2月12日、目黒鹿鳴館公演を最後にBassのSeigoが、同年9月29日高田馬場AREA公演を最後にGuitarのHIROMIが脱退。
遂に解散かとの噂も流れていたようだが、「僕らはd.p.sが大好きだから、d.p.sでやっていきたいから」というのがメンバーの答えであった。

そして2002年7月7日にseigoが復帰、続いて2003年2月13日、サポートとして参加してきたTAIJI・秀斗が正式加入し、初の5人編成となる。
2005年7月15日に清伍が二度目の脱退をするも、d.p.sは精力的に活動を続けて行く。
夢の続きは、まだ終わらない…終わらせることができない。

これまでにも数々の大きな壁を突き破り、爆進して来た彼らは今日も走り続ける。
いばらの道の向こうにあるという、まだ見ぬ世界を胸に抱いて…。
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