1963年、アイルランド北西部、ドニゴール州グヴィドーに生まれる。かつてショウ・バンドのメンバーで、現在はパブを経営する父と、やはりかつてダンス・バンドのメンバーであり後に音楽教師となった母を持つ。一家は9人の大家族であり、常に家の中に音楽が流れる家庭だったという。母親により数々の音楽コンサートに出場させられたこともあり、自然とトラディショナル・ミュージックを中心として音楽に親しんでいった。
11歳の時に家族と離れて寄宿学校に入り、やがてカレッジに進み本格的にクラシック・ミュージックとピアノの勉強に打ち込むようになる。しかし1980年、18歳の時に、彼女の兄や姉が組んでいたクラナド(CLANNAD)というグループに参加しないかという話が持ち上がる。2年後にソロとして独立するまで、バンドのピアノやシンセサイザー担当としてツアーにも参加し、「Crann Ull」「Fuaim」の2枚のアルバムにも参加している。このクラナド時代に、トラディショナルとハイテクサウンドをブレンドさせた、現在のスタイルを見つけだしたとのことである。
バンドを辞めた後、クラナドとも関係のあったプロデューサー、ニッキー・ライアンとその妻ローマ・ライアンに支えられ、自分の音楽を作りはじめるようになる。それまでに書きためていたピアノ・インストゥルメンタルに、ゲール語の歌詞を乗せるという方向性もはっきりと示された。
1985年、彼女のソロ最初の仕事は、映画「The Frog Prince」の音楽担当だった。そして次にやってきたのが、イギリスBBCのドキュメンタリー・シリーズ「The Celts」の音楽担当だった。彼女の音楽を聴いた番組担当プロデューサーがそれをいたく気に入り、当初は一回一回別のミュージシャンに担当してもらうつもりだったのが、シリーズ全体を通して彼女に担当してもらうことになったという経緯がある。その番組内で使用された局を集めたのが、アルバム「The Celts」(1987)である。その1年後、セカンド・アルバム「Watermark」発表。イギリスを始め日本などでも大ヒットし、全世界で400万枚ものビッグ・セールスとなる。先行シングル「オリノコ・フロウ」に続き、「イブニング・フォールズ…」や「ストームス・イン・アフリカ」などもヒット。1990年には日本ゴールド・ディスク大賞出席のために来日し、「ニュー・アーティスト・オブ・ジ・イヤー」を受賞。1991年、サード・アルバム「Shephard Moons」発表。
そして1996年、フォース・アルバム「The Memory of Trees」発表。同年12月には、初のボックス版「Enya Collection」発売。1997年11月10日には、新曲2曲を含むベスト版「The Best of ENYA」を発売。
2004年10月には、松下「VIERA」のCM曲として初の日本語による曲「sumiregusa」が採用された。