ポケモンサイドストーリー「ピカチュウの誕生」 テキスト版 “右端で折り返す”設定でご覧ください。 ============================================================== Vol.1 深夜2時を過ぎたにもかかわらず、付属診療所の手術室だけはこうこうと明かりが灯っていた。 その中では一人の医師と二人の看護婦に囲まれたストレッチャーの上に、点滴や人工呼吸機を繋がれた一匹のピカチュウが横たわっている。どうやら、出産間近のようだ。 「どうだ?」 若い医師が医療計器の画面をのぞいている看護婦に尋ねる。 「血圧、心拍数ともに低下しています。このままだと・・」 困惑した表情で返事をする。 「困ったな・・、これじゃ親子とも死んでしまう」 「先生・・」 医師はしばらく考えたあと、決断を下した。 「仕方ない、切開しよう。母親はあきらめるしかないが、子供だけでも助けられるだけ助けないと。保育器の用意、メスをとってくれ」 「・・わかりました」 「ごめんなあ。だけど、子供はきっと助けるから・・」 医師はほおを軽くなでたあと、右手に持つメスに力をこめた。 「・・ぴか?」 ここは、とあるポケモンセンターのトレーナー用寝室。 ピカチュウが、突然体を起こして、あたりを見まわした。窓の外はまだ真っ暗、隣を見ると、男の子が静かな寝息を立てて眠っている。どうやら、このピカチュウのトレーナーのようだ。 ピカチュウは、なにやら夢を見たかのようだった。楽しくもなく、怖くもない、不思議な夢だった。 「ぴかぴ・・?」 そのトレーナーの寝顔を見て、また布団にもぐりこんだ。 ------------------------------- Vol.2 ここで、この国のポケモン管理システムをおさらいしておこう。 基本的に、ポケモンに関する業務はすべて国の所管となっている。これは、全国的に管理・統計を行うとともに、野生資源の保護をも目的としているからだ。もちろんポケモンセンターも国営の施設であり、10歳になると取得できるポケモン捕獲免許も国家資格なのである。 無論、国が管理するものについてはなにかとダーティな面も存在する。とくにポケモンの国家管理は厳しいので、闇の動きもまた活発なのだ。その代表的な組織がロケット団であることは、公然の秘密となっている(しかし、とりあえず彼らはこの話には関係はない)。 ここ、“国立中央携帯獣試験場”は俗に「ポケモン工場」とも呼ばれ、トレーナー配給用ポケモンの生産・発送および研究を担当しており、ポケモンの種類によっていくつかの部署に分かれている。 今回は、そのポケモン工場のとある部署においての、ピカチュウと若い研究者(ここでは“彼”と呼ぶ)のお話です。 「主任、おはようございます」 白衣を着た若いスタッフが部屋に入ると、すでに50歳は超えた主任の研究者がデスクで書類を読んでいた。 「あ、おはよう」 「あれ、これはなんですか?」 机の上に置いてあるタオルに包まれた籐カゴを見て、尋ねた。 「今日の朝送られてきたんだよ。事情があってここで肥育しろだとさ。うちらはピカチュウ担当じゃないのになあ」 書類をわき目に見ながらため息混じりに答える。 彼がタオルの包みをあけたところ、体長が5センチにも満たないちいさな黄色い生き物が眠っていた。 「ピカチュウ・・?うわー、かわいい・・。僕の家マンションだったんでピカチュウを飼ったことないんですよ」 「キミ、そのピカチュウの面倒をしばらく見てみないか?まだ目覚めてないから、キミになつくはずだよ」 「え、いいんですか?ポケモンの世話は大学での実習以来なんですけど・・。でも・・なんでウチに来たんですか?」 「そのピカチュウの母親の出産がうまく行かなくてね、結局切開したんだけど子供は2匹しか助からなかったそうだ。普通は人工肥育システムを使うんだけど2匹だけだと効率が悪くてね。そんなわけで、手が空いてる部署に1匹づつまわして、合間を見て育てろときたんだ」 「うちらそんなにヒマじゃないのに・・。あ、目を覚ましたのかな?」 籠の中のピカチュウが、すこしだけ動いた。 「ぴ・・か・・」 「かわいい・・おはよ、ピカチュウ」 「ぴ・・か・・・ちゅ・・」 「そう、キミの名前はピカチュウ」 「ぴか・・ちゅう・・」 「そう、キミはピカチュウ。今日からよろしくね」 「・・ちゅう・・」 ピカチュウはまた眠りについた。 「うう・・かわいい!」 「あんまりいれこむなよ」 やれやれ、といった表情でふたたび書類に向かった。 ------------------------------- Vol.3 大量生産のポケモン工場においては、嗜好という面はほとんど無視され、動物栄養学には完璧なポケモンフードでの促成肥育が行われている。 味覚というヨロコビに出会えるポケモンは、出生直後のDNA検査においてごくまれに発見される特殊能力を持つ(と思われる)ポケモンか、もしくはこれまたごくまれに「にんげん」とのふれあいを持つことができるごくわずかのポケモンのみである。 数週間後。 ピカチュウの体もぐんぐん大きくなっている。まさに育ち盛りだ。 彼が研究室の奥にあるキッチンに立っていた。 「ふんふん、今日はオムライス〜あとはケチャップをぐじゅぐじゅと・・」 フライパンに油をしきごはんを炒める音がする。台所にトマトの匂いが充満し、その匂いは部屋にも広がった。 「ピ?」 くんくん、とあたりを嗅ぐピカチュウ。匂いをあてた鼻の先には、キッチンがあった。 「ピカ!」 ピカチュウはカゴを抜け出し、キッチンに向かった。 金網でできているピカチュウのカゴにはカギがついていないので、自由に部屋を歩き回ることができる。世話をしてる彼自身がまだペットポケモンとしての意識を捨てきれないのかもしれない。こういうことは本当は許されないのだけれども、見て見ぬふりをされていた・・ 「さあ、あとは塩コショウをすればケチャップライスのできあがりぃ・・あれ?」 ピカチュウがすぐ横にちょこんと座ってる。 「どーしたの、ピカチュウ?匂いにでもつられたのかい?」 「ピカチュウ!」 ケチャップライスを皿に盛ると、ピカチュウの目の前に湯気とともに甘酸っぱい匂いが漂った。 ピカチュウはじーっとケチャップライスを見つめている。 「ピカチュウ、食べたいの?」 「ピカチュ!」 「ピカチュウは雑食性だっては聞いてるけど・・。じゃ、ちょっとだけね」 ちいさなスプーンにライスをすくい、ふうふうと息をかけて冷ましてからピカチュウの口に持っていった。 ピカチュウはおそるおそるライスを口にした。数秒後、ピカチュウの耳がピン!と立った。 「ピカチュウ、大丈夫?」 「ぴかぴかちゅ!」 スプーンのライスをあっという間に平らげて、皿に盛られたライスにまで手を出してしまった。 「あ!ダメだよ、それは僕のご飯なんだから。でもなんだろ?炭水化物にこんなにハマるはずないし、もしかして・・」 今度はスプーンにケチャップだけをなみなみと盛ってピカチュウの前に差し出した。 ケチャップライスを取り上げられて不機嫌なピカチュウの前に現れた赤い液体。おそるおそる匂いをかいで、ちょっとなめてみた・・ 「ピ!?」 全身をぶるぶるっと震わせて、スプーンを一気にくわえてしまった。 「ピッピカチュウ!」 「え、おいしいの?へー、やっぱりケチャップが好きなんだ」 「ピカチュ?」 「これはケチャップ」 ケチャップのチューブを指していった。 「ぴ・・ぴかっちゅ?」 「そ、ケチャップ。でもね、これはしょっぱいから、あんまり食べちゃダメ。また今度ね」 「ピカァ・・」 -------------------------------- Vol.4 「ふう・・」 ピカチュウはすくすく育っている。でも、ここのポケモンはただ肥育させるのではない。トレーナーがまずいちばんに出会うものだから、トレーナー用ポケモンとしての適性を確認しなくてはならない。そのためのレポートを提出しなければならないのだが、“モンスターボール適性”の欄はまだ空いたままだった。 「ピカチュウ、こっち来てー」 「ピカチュウ!」 いつもと同じように、カゴを抜け出しトコトコと机の上に乗った。 ことん、とピカチュウの目の前にまるいボールが置かれた。野球ボールくらいの大きさで、赤と白で色分けされて真ん中になにかボタンのようなものがついている。 「ぴか?」 ピカチュウが不思議そうにたずねる。 「これはね、モンスターボールっていうんだ。ポケモンは、みんなこのボールに入る能力があるんだ。さ、ピカチュウも入ってみよう」 真ん中のボタンを押してボールをパカっと開けて見せた。 「ぴぃ・・??」 ピカチュウはあやしそうにボールをくんくんと嗅いでみた。特になんのにおいもしない。前足でモンスターボールをおそるおそるさわってみた。とくになにも起きない。 ピカチュウはモンスターボールを持ち上げた。そしてしばらくしたあと、 「ぴかちゅ!」 ぽいっとボールを投げてしまった。コロコロと机の下へ転がっていく。 「あーあ、ピカチュウ、何てことするんだい?」 「ピッカァ!」 嫌なもんは嫌、とでもいいたげなにぷいっとそっぽを向いた。 「うーん」 とため息をついてしまう。前から試して見たけれども、いつもこうだ。以前はまだ笑って許していたけれども、そろそろレポート提出の期限も近い。 トレーナー用ポケモンとしての適性を持たないポケモンは“処分”されたり、動物実験用に払い下げられたり・・残酷なようであり、一部の動物愛護団体から非難されることでもあるが、人間にも危害をおよぼしかねない“ワザ”を持つポケモンに一定のクオリティを保たせるためのやむをえない手段・・とは当局の公式見解である。 「やっぱ放し飼いにしてたのがまずかったのかなあ・・」 いまさら取り返しがつくわけでもないが、どうにかしなくてはならない。ここは強引にやらせるしかない、と自分に言い聞かせる。 「あのね、ピカチュウ。ポケモンはモンスターボールに入らなきゃ。今日ばかりは、絶対にやってもらうからね。わがままはダメ。モンスターボールに入るまでは、ご飯抜きだから!」 「ピカ!」 ピカチュウはくびねっこをつかまれて、カゴの中へ逆戻り。モンスターボールもいっしょにいれて、カギまで閉められてしまった。 「わかった?モンスターボールに入ってね、絶対に!後で見に来るから。じゃ」 「ピカァ・・」 食堂でコーヒーを前にしながら、またまたため息をついている。 「はあ、これで良かったんでしょうか・・。あんなにきつくピカチュウにあたったのはじめてですよ。僕のこと嫌いになったんじゃないのかなあ・・」 「いや、よくやったよ。だいたい、モンスターボールに入らないと、トレーナーを困らせることになるじゃないか。あとでごほうびでもあげれば、機嫌を直すさ」 「そうだといいんですけど・・」 -------------------------------- Vol.5 あかりを消された、薄ぐらい研究室。 「ぴぃ・・」 こちらにも横に置かれたモンスターボールを見てため息をつくピカチュウがいる。 「・・・」 「ぴか」 意を決してモンスターボールの真ん中にあるボタンを押した。 ボールがパカっと開き、中からまばゆい光がピカチュウを包み込む・・ 30分後、ドアが開いた。 カゴの中にあったモンスターボールを取りだし、ボタンを押すと光とともに、ふたたびピカチュウが現れた。 「あの、ピカチュウ・・」 ぶるるる・・と首を振ったあとも、ピカチュウは目を合わせずにむこうを向き、返事もしない。 「もしかして、怒ってる?」 ピカチュウの態度は変わらない。 「そっか、やっぱり、モンスターボールに入るのいやだったんだ。そだよね、暗いし、狭いし、僕だって入りたくないし・・・ごめん」 ピカチュウはちらりと謝っている姿を見た。 「でも、ピカチュウがモンスターボールに入れることを確かめないといけなかったんだ。そうしないと、いっしょにいられなくなるかもしれない・・」 「だけど、もう無理やりボールに入らせることなんてしないから。約束する。だから、仲直りしない?リンゴむいてきたんだけど・・いっしょに食べよ」 “リンゴ”のことばにピカチュウの耳がピンと反応し、後ろを向いた。 フォークに刺したリンゴがピカチュウの目の前にさし出される。 「ぴかちゅ!」 ぴょんと肩に飛び乗って、首筋をぺろぺろなめはじめた。 「あはは、くすぐったいよ。じゃ、こっちで食べよ」 テーブルにリンゴの皿を置き、ピカチュウはさっそくシャリシャリと音をたてて食べ始めた。 「おいしい?」 「ピカ!」 「良かった。あのさ、すぐにじゃないんだけど、後でさ、もう一度ボールに入って欲しいんだけど・・」 「ぴかぁ?」 えぇー?といいたげな顔をする。 「いや、ずーっと後だし、1回だけだから。お詫びにごほうびあげるから・・さ。お願い、このとおり」 テーブルに手をついてお願いする。 「ぴぃ・・ぴかちゅ」 ピカチュウはリンゴを食べながらいやいやげに答えた。 「わかってくれた?よかった。ありがとう、ピカチュウ」 ピカチュウの頭をなでた。 「ピカピカ!」 「うん、僕がお願いするのはあと1回だけ。約束。じゃ、もう遅いから寝ようか」 「ぴぃ」 「じゃ、おやすみ」 若い研究者が部屋を出ると、声をかけられた。 「入ったようだね。ともかく良かった。明日レポートの決裁をするから、うまくかいといてな」 はい、ありがとうございます、といって別れた後、ふうと一息をついた。 「あと1回だけ、か・・」 -------------------------------- Vol.6 ある朝。 「おはようございます」 「あっ、おはよう」 「・・・」 なにかを隠したような、表情をする。 「どうしたんですか?」 「あ、あぁ。ピカチュウの様子はどうだい?」 「もう、元気ですよ。僕にもすごくなついてくれましたし、ずいぶん大きくなりました。まだちょっとわがままですけどね(笑)」 その言葉を聞いて、 「そうか。じゃ、そろそろだな・・」 「そろそろって・・なんですか?」 「これを読んでくれ。今日上から届いたんだ」 一枚の紙が渡された。 「これって・・」 文章を読んでいくうちに顔がみるみる変わる。 「そう、明日には転送だ」 「ちょっと・・まだ・・早いんじゃ・・?」 突然の通告に信じられないような表情だ。確かに、一般的な配給用ピカチュウの転送時期よりずいぶん早い。その理由は、こういうものだった。 「最近のポケモンブームでトレーナー配給用ポケモンの生産がひっ迫してるんだ。だから生産ラインから外れてるポケモンはさっさとしかるべき研究所に送って本来の業務に専念しろとのお達しだ」 「そんな・・まだまだこれからなのに・・。ところで、どの研究所に?」 それ以上、抵抗はしなかった。研究所といえども官僚システムであり、いっぱしの研究員ができることの限界は、“公務員”になって真っ先に思い知らされることでもある。 「聞いた話だと、マサラタウンのオーキド研究所らしい」 「オーキド・・え、まさか、あのオーキド博士の?」 意外な名前に、目を輝かせる。 「知ってるのかい?」 「ええ、憧れですよ。僕もオーキド博士の参考書使って勉強してましたし。あぁ、あのオーキド博士かぁ・・」 「へー、時代は変わったもんだねぇ。私が受験生のときなんかニシノモリ教授の古い研究書を必死になって読みこんでたもんだが・・」 「いまじゃ“オーキドのポケ単”は受験生必須アイテムですよ」 「私にいわせればね、オーキドがヒトカゲとゼニガメとフシギダネを初心者向けポケモンだとかなんとかいって大々的に宣伝するもんだから、需要が偏りすぎていい迷惑なんだ。余計なことをしてくれるもんだ」 「そんなもんですか・・?」 「ま、そういうわけだから、きちんと用意しておきなさい。明日の9時には転送するから」 「はい・・」 ふっと現実に引き戻されてしまった。 -------------------------------- Vol.7 午後5時を過ぎた研究室。 「ふう、仕事終わり・・」 書類をまとめながら横目でピカチュウを見ると、応接ソファの上でジャンプ遊びをして遊んでいた。しばらくそれを眺める。 「じゃ、お先に帰るから」 「あっ、お疲れさまでした」 部屋が1人になった事を確認して、コートを着てピカチュウのほうへ向かう。 「ね、ピカチュウ、一緒に帰ろうか」 「ぴか?」 「僕のうちに行こう。ごちそう用意するから。ここに入って」 「ぴかちゅ」 ぴょんと飛び乗り、コートの中に隠れる。 「さ、帰ろ。しゃべっちゃダメだよ」 しばらく歩くと、とあるアパートについた。 「ただいまぁ。さ、ここが僕のうち・・って、あーあ、寝ちゃったんだ」 コートの中で、ピカチュウはすやすやと眠っていた。 「しょーがないなあ」 部屋に上がると、手ごろなトレイにタオルを敷き、そっとピカチュウを寝かせた。 「さーて、僕はごちそうでも作りますかぁ」 料理の騒がしさに目を覚ましたのか、ピカチュウが鼻を頼りに台所に顔を出してきた。 「ぴか?」 「あ、ピカチュウ、起きたの?もうすぐできるから、待っててね」 「ぴかちゅ!」 しばらくすると、テーブルの上に食べ物が並べられた。もちろんリンゴも。 「さ、食べよ」 「ピカチュウ、おいしい?」 「ぴかぴかちゅう!」 「よかった・・」 ピカチュウのたべっぷりをしばらくぼーっと眺める。 「おいしいついでにお願いなんだけど・・明日、モンスターボールに入ってくれない?」 「ぴ?」 手にモンスターボールを出してきたので驚く。 「突然でわるいんだけど・・これが僕がお願いする最後だから・・」 「・・ピーィカァ」 さびしそうな目を感じたのだろうか、仕方ない、とでもいいたげに返事をしてリンゴをかじった。 「・・ありがと。お礼に、ケチャップあげよか」 「ピカッチュ?ピカピカァ!」 ピカチュウは“ケチャップ”の言葉を聞いて、上機嫌だ。 「さ、もう寝よ。おやすみ、ピカチュウ」 「ぴか・・ちゅう」 -------------------------------- Vol.8 翌朝。 研究所の転送ルームには、自動肥育システムで育てられたポケモンがモンスターボールに入ったまま、転送の順番を待ってずらりと並んでいる。しかし、それらポケモンは、自分がいつ転送されるかはわからない。 「ピカチュウ、じっとしてて」 「チュ?」 ピカチュウを抱え、右耳の付けねに軽く針を刺す。これはポケモンの個体識別のためのもので、ピカチュウの生年月日・DNAパターン・IDナンバーが記録されており、ポケモンセンターでの治療や転送などの際に利用されるものだ。 「痛くなかった?」 「ぴかぁ・・」 耳の後をかゆそうに右足でかく。 「おーい、そろそろ転送するぞ。他のポケモンはもう送っちゃったぞ」 「あ、ちょっと待ってください」 慌てたように返事をして、ピカチュウに話しかける。 「さ、お願い。モンスターボールに入って・・」 「ちゃあ・・」 さっきまではいやがっていたのだが、ぽん、と頭をなでられて、ピカチュウもすこし機嫌が良くなった。さすがに昨日ごちそうしてもらったのだし、約束はまもらきゃいけないと思っているのだろう。 「今日まで、本当にありがとう。絶対、忘れないから。未来のキミのトレーナーと、仲良くしてね・・」 「ぴかちゅ?」 まだ、ピカチュウは理解していない。 ふう、と、深呼吸してから、にっこりと笑おうとした。でも、うまくいかなかった。そして、言わないようにと心に決めていた言葉が、不意に出てしまった。 「さよなら・・」 「ぴ!?」 ピカチュウはモンスターボールから飛び出した閃光に吸い込まれた。 「僕が送ってもいいですか・・」 「・・ああ、いいよ」 モニターには“transfer OK?”のダイアログが点滅してる。 しばらく考えたあと、キーボードのリターンキーを軽く押した。 転送装置から光が発せられる。モニターには転送率のグラフがじわじわと100%に近づいていった。 数十秒後、“transfer completed.”というメッセージが表示された。 ところはかわって、とある田舎町の、ポケモン研究所。 約束の時間を過ぎても最後の1個がなかなか届かないのでいらいらし始めたときに、転送装置から現れたボールの中身を知った。 「おや、ピカチュウじゃないか。わしゃこいつを注文した覚えはないぞ?」 転送記録と共に送られた通信文をディスプレイで確認する。 「なになに、“・・昨今の需要の逼迫と共に、各研究所の希望に全てこたえることができなくなっています。特に同一種の複数配布は非常に困難な状況であります。したがって、今回は下記の携帯獣を配布することになりました”・・じゃって?」 「参ったなあ、ピカチュウなら飼っとるが、一緒にもできんし・・」 トレーナー配布用ポケモンはトレーナーに最もなつかせるように、他のポケモンとは隔離させて育て上げるのは基本である。特に、トレーナー同士でバトルをする際にポケモン同士がなついていると、バトルにならないから、という理由もある。 さらに、以前からゼニガメ・ヒトカゲ・フシギダネを推奨している手前、これ以外のポケモンを初心者トレーナー配給用ポケモンとしてはしばらく扱っていなかったのだ。 ぽりぽりと頭をかきながらぽん、とボールを投げると閃光と共にまだ幼さの残るピカチュウが現れた。 -------------------------------- Vol.9 さっきまでいた、黄色い生き物はもういない、転送ルーム。 「いっちゃった・・」 「どうだったい」 「なんだか、あっというまでした・・」 さばさばしていた。少しの充実感と、ちょっとの後悔と、大きな虚脱感がミックスされたような気分だった。 「30年ぐらい前かなあ、私も若いころ一匹のポケモンの世話を命じられてね・・」 「え?」 「それが突然、転送することになったんだ。あの時はまだ新入りだったから割りきれなくてね・・。一生懸命育ててきたのに急に別れさせられて、かなりショック受けたんだ」 「そんなことあったんですか」 「そういうことが何度もあってね、わかるようになってきたんだ。私たちはあくまで裏方なんだってことが。こういう仕事やってる人間はポケモンに愛を感じちゃだめだ。あくまで機械的に付き合ってかないとやってけないって・・」 「・・」 「ま、これはあくまで私の信念だから、キミは自分が思うようにやっていくといい。いつか、自分なりの答えが出ると思うよ」 「そうですね・・」 ボールに入るのはちょっとに時間だけだと思っていた。すぐに、あの人に会えると思っていた。 そして、まばゆい光を受けてボールから出てきたときには、そこはまったくの別世界だった。 元の場所に戻れないと知ったとき、「さよなら」という人間のことばの意味がわかったような気がした。人間が信じられなくなった。 そして、モンスターボールに入ることを極端にいやがるようになった。 『ボールに入ること=親しいヒトと別れること』と、思ってもしかたがないかもしれない。 のちに、オーキド博士をてこずらせながら(オーキド自身の不慣れさも手伝って)、ピカチュウは育っていく。そして、約束の日に遅刻をしたトレーナーと出会う−−それがだれであるか、あなたはもうご存知だろう。 =============================================================== ポケモンサイドストーリー「ピカチュウの誕生」 おしまい。 --------------------------------------------------------------- 作者のいのかりゆうすけ氏に、ご感想を送りたい方は、comet@mth.biglobe.ne.jp までどうぞ。(^^) (この物語は、いのかり氏のHP、旧「ライチュウでんきでちゅう」に掲載されていたものを、氏のご許可をいただき、私、管理人サトチのHP「グリフィンアイランド」(http://www2u.biglobe.ne.jp/~endo-c/)内に収録させていただいたものです。)