風といっしょに
最終更新日 :2010/03/29
ボクの生まれたところは、ホイクエン、ってよばれていた。
白い木のさくでかこまれたオニワと、赤いやねのオウチ。
オニワのまんなかには、リンゴの木が一本。タンポポもさいてる、ふかふかのしばふに、すなあびしたり、あそんだりするのにぴったりの、さらさらのすなばもあった。
オウチには、ボクとおんなじ、小さいくみのヒノアラシがいっぱいと、もうちょっとだけ大きいくみの子もいっぱい、それから、年をとったバクフーンのオバアチャンと、やっぱり年をとった人間の、オジイチャンがすんでいた。
ボクらは、ここでまいにち、ごはんやおやつを食べたり、オニワであそんだり、おひるねをしたりした。ときどき、人間の子どもたちがきて、あそんでくれたりもした。それから、ボールに入るれんしゅうとか、オウチの中でやたらにウンチしちゃいけないとか、デンキのコードをかじるとあぶないとか、人間といっしょにくらすための、いろんなことをおそわった。
ある日、大きいくみの子たちが、みんないなくなった。こんどは、ボクらが大きいくみになって、かわりにはこばれてきたタマゴからかえった子たちが、小さいくみになるみたい。
大きいくみの子たちは、ソツギョウして、トレーナーのところに行ったんだよ、って、オバアチャンがおしえてくれた。人間の子どものだれかと、トモダチになるんだって。
「どうせなら、おいしいものをいっぱいくれる子がいいな」
「あたし、たくさんあそんでくれる子!」
「強くなりたいから、バトルがすきな子がいい!」
ボクは……どんな子がいいのかな? よくわかんない。
それよりボクは、ソトを見てみたい。さくのむこうからふいてくる風は、いろんなしらないにおいがして、なんだかむねがドキドキするんだ。ソトって、どんなところだろう。
ある日、オニワであそんでいると、さくに、なんとかくぐれそうな、すきまがあるのを見つけた。ボクは、むりやりすきまをくぐりぬけて、むこうがわに出てみた。
そこには、ボクよりずっと大きな草や、オウチのてっぺんよりずうっと高い木がどこまでもいっぱい生えていた。見たことのない小さな生きものもあちこちにいる。しめった土のにおいや、しらない草のにおい、ほかにもいろんな、かいだことのないにおいもする。
このむこうには、いったいなにがあるんだろう。
わくわくしながら、どんどん歩いていくと、草むらの中から、いきなりなにか、とびだしてきた。ボクよりちょっと大きくて、うすむらさきで、大きな耳と、くるっと丸くなったしっぽの生きものだった。
そいつはなんだか、すごくおこってるみたいで、長いまえばをむきだして、ボクにむかってきた。びっくりして動けなくって、かたまっちゃった、そのとき。
「うちの子に手を出すんじゃないよっ!」
って声といっしょに、すごい火が、ボォーッ!ってそいつの頭の上の葉っぱをまるこげにした。
びっくりしてふりむくと、そこにいたのは、いつもとぜんぜんちがう、するどい目つきのオバアチャンだった。さっきの火ののこりが、まだ口の中にちらちらしてた。
後足で立ち上がって、首のまわりから火をふきだしているオバアチャンはとっても強そうで、いつもよりずうっとずうっと大きく見えた。ちりちりこげた葉っぱをかきわけて、オバアチャンがやぶから出てくると、長いまえばのそいつは、あわててにげていった。
「オバアチャン!」
「やれやれ、やんちゃ坊主は無事だね」
よっこいしょ、と前足をついて、せなかの火がすうっ、ときえると、オバアチャンは、もうすっかり、いつものやさしいオバアチャンにもどっていた。
「さ、帰るよ」
ボクはオバアチャンにくわえられて、ホイクエンにもどった。もちろん、すごくおこられたけど、そのあとオバアチャンは、ぎゅ、ってだっこしてくれて、みんながおひるねしてるとこにもどってから、いっしょにねんねしてくれた。
「オバアチャン、」ボクは、オバアチャンのふかふかのおなかによりかかりながら聞いてみた。
「オバアチャンはどうして、そんなに大きくって、すごい火がはけるの?」
「それはね、」オバアチャンはにっこりして言った。
「友達といっしょに、遠くまであちこち旅をしたからだよ」
「オバアチャンのトモダチって、どこにいるの?」
「おやおや。ちゃんとここにいるだろう? おじいちゃんだよ」
ボクはちょっと、びっくりした。
「え、オバアチャンのトモダチがオジイチャンなの? トモダチって、子どもじゃないの?」
「初めて会って一緒に旅に出た時は、おじいちゃんもまだ子どもだったし、おばあちゃんも、おまえみたいなちっちゃなヒノアラシだったんだよ」
「こわくなかった? ねえ、外って、ほかにはなにがあるの? どんなとこに行ったの?――」
「これこれ、そんなに一度に聞かれても、答え切れないよ」
オバアチャンは、笑いながら話してくれた。外っていうのは、どこまでもすごく広くて、ヤマとかウミとかマチとかっていういろんなものがあったり、いろんなほかのしゅるいのポケモンがいたりして、あぶないこともあるけど、トモダチといっしょなら、だいじょうぶだよ、って。
「オバアチャン! ボク、うーんと遠くまで行って、たくさんいろんなものを見て、いろんなポケモンにあって、そして、オバアチャンみたいな、おっきくって強いバクフーンになりたい!」
オバアチャンは、まるでボクらみたいに目を細くしてにっこりした。
「ひとつ、大切なことを教えてあげよう。おまえがどこまでも遠くに行って、いろんなものを見て、いろんなポケモンに会って、立派なバクフーンになりたいなら……」
そして、ボクの耳もとに顔をよせて、ささやき声で言った。
「風の匂いのする子についておいで。きっとその子は、おまえをどこまでも連れて行ってくれるだろうよ。
……さ、いいかげんにおねんねをし。寝る子は育つ、ってね」
その後しばらくして、ボクたちは、ホイクエンにサヨナラした。
ソツギョウシキだよ、って、いつもよりおいしいごはんをもらって、それからボールに入れられて、どこか遠くにあるらしい、ケンキュウジョ、ってところにつれてこられた。そこで、なんだかいろいろしらべられたあと、ボクたちは、チコリータとか、ワニノコとかって子たちのとなりのへやの、同じような小さなかこいに入れられた。
ごはんはちゃんとくれるけど、へやの外には出られないし、だれも遊んでくれなくって、つまんない。早くだれか、トレーナーの子が来ないかなあ、って、まちくたびれていた。
そしてとうとう、人間の子どもがやってきた。
はじめに来た子は、メガネをかけた男の子だった。
「この子は、風のにおいのする子かな?」ボクは思ったけど、その子のにおいは、かげなかった。「コタイチ」がどうとかって、ぶつぶつ言いながら、ボクたちじゃなく、ケンキュウジョの人からもらったカミのたばをいっぱい見くらべて、ずーっとうーうー言ってただけだったんだ。
それでもさいごに、その子はとってもうれしそうに、いちばんバトル好きの子にきめて、えらばれた子は、はりきってついていった。
つぎに来たのは、なんだかすごく、あまーいにおいのする、ひらひらリボンの女の子だった。『キャー、カワイィーッ!』って大声を出してとっしんしてきて、ボクらをかたっぱしからグリグリなでまわしたり、ギュウギュウだっこしたりしたので、ボクはびっくりした。
その後、ボクらがみんなもみくちゃにされて、ちょっとくたびれてきたころ、その子はやっと、いちばんのんびりやで、あまえんぼな子にきめた。そして、にこにこしながら、その子におそろいのリボンをつけて、だっこしてつれていった。えらばれた子は、さっそく、おやつをもらって、おいしそうにモグモグしてたっけ。
そしてまた、だれか来たみたいだ。
元気なあいさつの声が聞こえて、入ってきたのは、かみのけを二つにしばった女の子だった。ひらひらリボンじゃなくって、さいしょの男の子みたいなかっこうだったけど。
また、もみくちゃにされるのかな?と思って、あんまり近よらないで見ていたら、その子は、ボクたちが見えるところまで来て、うれしそうに目をきらきらさせて立ち止まった。そして、そうっと近づいてきて、ボクらをよく見ようと、かこいのふちに手をかけた。
そのとき、ボクのむねはドキっとした。その子が動いたとき、ふわりと外の風のにおいがした気がしたんだ。
いつのまにか、ボクの足はその子に向かってふみ出していて、気がつくと、ボクはその子のすぐそばまで近づいていた。その子は、だれをなでようかな、って、まよってたみたいだけど、ボクが近づいてきたのに気がつくと、にこっとしてこっちに手をのばした。ボクは、ドキドキしながら、そうっと鼻先を近づけてその手のにおいをかいでみた。
いろんなにおいがした。
この子の朝ごはんかな。おいしそうなトーストのにおいに、ココアのにおい。ほんの少し、せっけんのにおいと、その子のあせのにおい。……そして、外のにおいがした。
葉っぱの上のあさつゆのにおい。雨上がりの土のにおい。ふまれたヨモギに、やぶの中を歩いたときの草のにおい。タンポポにクローバーに、ほかにも何か知らない花のにおい。少し青くさいような水のにおい。そして、ボクがまだ知らない、いろんな、たくさんのもののにおい。
春風のにおい。
この子だ。
ボクが待ってたトモダチは、この子だ。
――この子と、いっしょに行きたい。
ボクは、いつのまにか、後足で立ち上がっていた。少しでもその子に近づきたくて。
――おねがい。ボクをつれていって。ボクはキミと、いっしょに行きたい。
その子にそう言いたかったけど、ボクらには、人間のことばはしゃべれない。それでも、いっしょうけんめい心をこめて、ボクはその子におねがいした。
むねがはじけそうにドキドキしながら、その子を見上げてたときくらい、人間のことばがしゃべれたらなぁ、と思ったことはなかった。
もちろんボクらの言うことは人間に通じない。……はずだったけれど。
その子は、ボクの言いたいことをちゃんとわかってくれた。
『あたしといっしょに来たいの?』
少しおどろいたように目を見開いたその子の顔が、ふわあっ、とお日さまみたいにキラキラしたあったかい笑顔になった。
その子は、そっと手をのばして、ボクのことをだき上げると、とてもとてもうれしそうにボクにほほずりして言った。
『あたし、サトコ! ……こんにちは、あたしのヒィノ』
あれから、何年経っただろう。
大きな街に氷の洞窟、広い海の真ん中の渦巻きに囲まれた島まで、いろいろな場所を旅して、たくさんの物を見て。サトコはぼくの背丈よりも少し少なく、ぼくはサトコの背丈よりもう少し多く、大きくなった。
トレーナーに鍛えられたポケモン達とのバトルもしたし、強い野生のポケモンが向かって来たこともあったけれど、サトコと一緒なら、どこへ行っても平気だった。
大きくなったサトコは、今では、ポケモンの事を本に書く仕事をしている。ぼくや仲間たちのことだけでなく、あちこちに旅をしては、出会ったポケモンのことを書くこともある。
今日もどこかへ向かっているけれど、なぜか、いつもと違ってポケットの中に入れられているから、何も見えない。ぼくはいつのまにか、ボールの中で眠り込んでしまった。
『ヒィノ、もう出てきていいよ!』
その声で目を覚まして、ボールから飛び出したぼくは、驚いて立ちすくんだ。
そこは、ぼくが生まれて育った「ホイクエン」だった。
「オウチ」の赤い屋根も、「オニワ」の真ん中のリンゴの木も、みんなで遊んだ芝生や砂場もちゃんとある。空気の匂いさえそのまんまで、なんだか鼻の奥がつーんとした。
でも。……「オウチ」はこんなに、小さかっただろうか。芝生も砂場も、こんなに狭かったのか。まるで、ぼくが大きくなった分、代わりに縮んでしまったようだった。
驚いて、そのまま立ち尽くしているぼくの脇で、サトコが言った。
『驚かせてごめんね。
……一度、見てみたかったんだ。ここが、ヒィノのふるさとなんだね』
サトコが呼び鈴を押すと、出てきたのはやっぱり、昔のとおりのオジイチャンだった。
『初めまして。すみません、電話でインタビューをお願いした……、』
『いらっしゃい。はいはい、うかがってますよ。どうぞ、お入りください。
……おぉ、立派になったなぁ。大事に育ててもらったんだね』
オジイチャンは、ぼくを見て、顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。
『私の一番の友達なんです! ……あ、お話をうかがっている間、この子をお庭で遊ばせてもらっても、よろしいですか?』
『どうぞどうぞ。きっと、あれも喜ぶでしょう』
リンゴの木の下で昼寝をしていたオバアチャンに、ぼくは、そうっと近づいて声をかけた。
「オバアチャン。ぼくのことを覚えてる?」
目を覚ましたオバアチャンは、驚いて目を丸くした。
「おまえは、勝手に一人で冒険に出て行った、あのやんちゃ坊主だね?」
そして、泣きそうな笑い顔でぼくをぎゅっと抱きしめた。
「………おかえり、ぼうや」
別れた時のまま、オバアチャンはちっとも変わらなかった。目尻にシワがほんの少し増えていたし、並んでみたらぼくの方が大きかったのには驚いたけれど。
「ぼくは、ヒィノって名前をもらったんだ。……オバアチャンにも、名前があるんでしょう?」
オバアチャンは、昔と同じ笑顔で、にっこりと笑った。
「あたしの名前はね、ヒバナ」
「ヒバナおばあちゃん、……」
オバアチャンにも名前がある。あたりまえのことなのに、呼んでみようとすると、まるで知らない誰かの事のようで。なぜか不思議な感じがした。
「それより、ゆっくり座って、旅の話を聞かせておくれ」
ぼくがここを出てからの話を、オバアチャンは嬉しそうに聞いてくれた。
「……そうかい、良かったね。ずいぶんあちこちに行ったんだねえ」
「『風の匂いのする子』のことを教えてもらったおかげだよ」
「え?」
オバアチャンがなにか言おうとしたその時、後ろが急ににぎやかになった。
「あれー?」
「だれかいるー!」
それは、昼寝の時間が終わって遊びに出てきた、小さなヒノアラシたちだった。
「みんなおいで! ずっと前に卒業して、友達と旅に出た、おまえたちのお兄ちゃんだよ」
最初、みんな驚いて遠巻きにしていたけれど、ちょっと火を吹いて見せたら、どの子も大はしゃぎでわらわらと近くに集まって来た。
「すごーい!」
「ボクもやりたいー!」
驚いて、目をパチパチさせていた小さなヒノアラシたちの一匹が、ぼくに尋ねた。
「オニイチャンはどうして、そんなに大きくって、すごい火を出せるの? ごはんをいっぱいたべたから?」
まるで昔の自分を見るようで、つい笑ってしまったけれど、すぐにその子に答えてあげた。
「それはね。ごはんも一杯食べたけど、友達と一緒に、ずうっと遠くまでいろんなところに行って、いろんなものを見て、いろんなポケモンに会ったり、バトルしたりしたからだよ」
その子は、ぴょんと跳び上がって言った。
「あたしも、ずっとずーっととおくまでいって、いろーんなものを見て、オニイチャンやオバアチャンみたいな、おっきなバクフーンになりたい!」
「それなら、」
ぼくはにっこり笑って言った。
「風の匂いのする子についておいで。きっと、どこまでだって行ける。友達といっしょなら、なんだってできるさ!」
若いトレーナーとバクフーンを見送り、興奮してはしゃぎまわる小さなヒノアラシたちをやっと寝かしつけて、年老いたバクフーンはそっと外へ出て、月を見上げた。
今も思い出す、長年ずっと見守ってきた小さなヒノアラシたち。
「世界一強いバクフーンになるんだ!」と言っていた、負けん気の強いあの子。
小さな子どもと遊ぶのが好きだった、優しい性格のあの子。
いたずらをしでかしては大騒ぎになっていた、好奇心が強くてやんちゃなあの子……。
今ごろあの子たちも、この月を見ているだろうか。
ずいぶん長く生きてきたから、彼女はいろいろなものを見てきた。
人間と共にある絆と束縛、そして、ふとした事から味わうこととなった、野に生きるものの自由と労苦を。二つともに知ったその上で選んだ、友と歩んで来た道に後悔はない。
けれど世の中には、トレーナーに恵まれぬポケモンも少なくないことも知っている。
中にはポケモンを道具扱いするような人間さえもいるし、必ずしも気の合うトレーナーに選ばれるとも限らないのだということも。
だから彼女は、夜毎祈らずにはいられなかった。小さなヒノアラシたちの行く末が、少しでも良いものであるように。どうか、悲しい思いをするものがないように。
(――ここから旅立っていった子たちと、そのパートナーの子どもたちみんなが、今日のあの子たちのように、すこやかで、幸せで、楽しい思い出の残る旅ができますように)
祈り終えた彼女はくすり、と笑った。
(あの子はまだ、気がついてなかったみたいだね。
……そもそも、元気な子どもってものは、大体外の風の匂いがするもんだ、ってことを)
外に出て行く小さなヒノアラシたちが、少しでも相性のいいパートナーに出会えるようにと、それぞれの気性に合わせささやいてきた、ほんの一押し。
本当にその子の助けになったのか、いままで知ることはできなかったのだけれど。
(……無駄じゃあ、なかったんだね)
彼女は深々と溜息をついた。
「――それにしても、飛びっ切りのいい風を捕まえたもんじゃないか」
心地よい夜風に吹かれながら、彼女は会心の笑みを浮かべた。
「風と一緒にどこまでもお行き、ヒィノ。おまえが選んだ風と一緒なら、本当にどこまでだって行けるだろうよ」
---THANKS---
以上は、マサラのポケモン図書館製作の同人誌、「LAMP」に掲載された作品に、横書き表示に対応した行空けをほどこし、若干の推敲および描写追加をした最新版です。
推敲にお付き合いいただき、ご助力をいただきました岡崎和連さん他、ご助言いただきました皆様に深く御礼申し上げます。