〜ふと思ったこと〜
ワタシはリプレイを読むのが好きです。TRPG(テーブルトークRPG)のプレイはしてないのに(笑)ソード・ワールドやらいろんなRPGのリプレイ本を買ったり、他の人のプレイ日記を読んだり。
キャラクターとしてのロールプレイも、プレイヤーとして知恵を絞る様子も両方楽しめるし、GMが用意した筋書きをも変えてしまうようなノリノリのプレイを見ている様は本当に楽しい。
なんで、リプレイってこう面白いのかなぁ、などとふと思ったり。
例えば、よりによって、一番非力で攻撃力などという言葉にはおよそ縁のなさそうな頭脳派キャラが、ダイスの神様のお陰で(笑)歴代最高記録のダメージを叩き出してラスボスを一撃で沈めちゃったりとか(笑)
破壊の限りをつくすはずだったラスボスが、プレイヤーキャラの説得に心打たれて改心したハッピーエンドを迎えちゃったりとか。
ゲームマスター(GM)の用意する物語(シナリオ)なしでは成り立たないけれど、最初から全てが確定された「物語」でもない。それはときに、GMの思惑すらも超えた美しい――あるいはとんでもない――展開を見せる。
偶然と必然、マスターとプレイヤーががっぷり4つに組んでせめぎあう様、ってのがTRPGリプレイの醍醐味なんだなー、とか思ったり。
ポケモンでは残念ながら、ホウオウを説得して仲間にする、なんてことはできないけれど。
リーグ制覇やら、図鑑の作成やらの目的を目指す道は、ある程度は制約があるとは言え、順番がある程度前後してもOKだったり、と完全な一本道ではないのである程度シナリオに自由度があるし。
(……例えば、タンバジムほっといて先にアサギジム行っちゃってもいいように(笑) ていうか、ジム戦なんぞで道草食わずに、先にミカンちゃんの依頼を済ますのが、あの場合は正しいロールプレイじゃないすか〜?(笑))
しかも、描写が比較的シンプルで、主人公が喋らない分、「物語の解釈」には余裕があるし、「描かれていない部分」は妄想、いや想像で埋められるし、パーティメンバーについてなら、これ以上自由度の高いゲームはめったにないし(笑)
TRPGほど自由度が高くないにしろ、100人いれば100通りのゲームの楽しみ方――100通りの物語がそこにはあるわけで。
……感情移入ができる共通部分を持っていながら、しかも、絶対にどこかしらが違う、新鮮さのある物語が。
ちと話はそれるけれど、プレイ日記とかポケモンの小説、ノベライズというのは歴史小説にも似ているなー、とか思ったり。
たとえば徳川家康という人物がいる。実在の人物だから当然確固たる事実が分かっている。当然、歴史小説を書こうとする人はそこから逸脱するわけにはいかない(歴史改変SFは別よ)。
しかし、「食えないタヌキおやじ」から「江戸の平和300年の礎を築いた智者」まで、描かれる徳川家康の人間像は、それこそ作者の数だけある。
「マサラタウンから、ポケモンマスターを目指し旅に出て……」という基本を同じくなぞっても、ポケスペも電撃ピカチュウも首藤剛志氏の小説版も、一つ一つそれぞれ異なるように。
要は、いかに膨らませるかが作者の腕の見せ所なんだなぁ、と。 いや、それだけの話なんですが。
(この文章は、2007/07/31、掲示板に書き込んだ文章に、ムラサキ博士他のご意見を参考に加筆・訂正したものです)