イクノディクタス
〜鉄の女〜
イクノディクタスは北海道にある中堅牧場に生まれた。父ディクタス、母ダイナランディング。
普通繁殖牝馬は毎年交配相手が変わる事が多いのだが、ダイナランディングはディクタスと5年連続で結ばれている。ディクタス−ダイナランディングとの間に生まれた5兄弟(姉妹)の2番目の子がイクノディクタスだ。
2歳の夏イクノディクタスは市場のセリにかけられた。彼女の落札価格は930万円。同じセリで売買された57頭中37番目と言う低評価だった。彼女の馬主は中央競馬の馬主登録を済ませたばかりで、それまでは地方競馬専門だった。もし馬主登録が遅れていたら、イクノディクタスの活躍はなかったのかも知れない。これも一つの運命の赤い糸なのかも知れない。
そんなイクノディクタスは、夏の小倉の新馬戦を見事な勝利でデビュー続くフェニックス賞もレコードで勝ちデビュー2連勝を飾る。
しかし、早くも高くて分厚い壁にぶち当たる事となった。イクノディクタスはデビュー2連勝の後、14連敗を喫してしまうのだ。4歳クラシック戦線に出走するも、桜花賞は最低人気での11着、オークスでも9着。満を持して出走したエリザベス女王杯では4着と復活の兆しが見えたが結局勝てないままだった。
勝てない、何度走っても勝てない。しかしそんな彼女にも勝利の女神が微笑んでくれた。5歳の春京都のオープン特別で見事勝利したのだ。3歳の小倉デビューの時から数えて、1年8ヶ月ぶりの勝利だった。このレースの2走後、京阪杯にも出走・勝利し見事重賞初勝利を飾る。これらの勝利でイクノディクタスは何かを掴んだのかも知れない。これらのレースの後しばらく勝てない時期が続くも、デビューの地小倉に戻ると小倉日経賞を3着、北九州記念(GV)を2着、小倉記念(GV)を3着の活躍をする。
とにかくタフな馬だった。小倉での3歳夏のデビューから7歳の秋に引退するまでの間レースに出走する事51戦。セリ市でたった930万円で競り落とされた馬が、その生涯で稼いだ賞金額は5億3000万。
GT勝ちこそないものの、一戦、一戦走り続けついに歴代牝馬の賞金女王の座にも一時期であるがついた。彼女の特筆すべき点は一度もGT勝利がない事だろう。歴代牝馬の賞金女王の名前を見るとみんな、GTウィナーである事が分かる。
イクノディクタスは生涯7つの競馬場を渡り歩いた。その中でも、デビュー勝ちを飾った小倉競馬場は非常に相性の良い競馬場だった。小倉競馬場で走った計9戦のうち3着以下に敗れたのは、たった2戦だ。そんな相性の良い小倉競馬場で果たした重賞勝ちが、平成4年夏、6歳で迎えた小倉記念だった。牝馬には辛い57kを背負った彼女は、2ヶ月後に天皇賞馬となるレッツゴーターキンの猛追をハナ差抑えて見事勝利を飾った。
続くオールカマーも勝利して4つ目の重賞を手にしたイクノディクタスは翌年、安田記念、宝塚記念と2つのGTで2着に入った。ホントにタフな馬だ。7競馬場で計51戦。無事是れ名馬と言うけれど、彼女はまさに名馬の一頭だった。晩年彼女が出走したレースの主なものは以下のようなものだった。
6歳・秋
毎日王冠(2着)→天皇賞(9着)→マイルCS(9着)→ジャパンカップ(9着)→有馬記念(7着)
7歳・春
日経賞(6着)→大阪杯(6着)→天皇賞・春(9着)→安田記念(2着)→宝塚記念(2着)
晩年、彼女が出走したレースを見ると彼女のタフネスさ、強さが手に取るようにわかる。GT勝ちこそないもののイクノディクタスは名牝である事に違いはない。たった930万で競り落とされた馬が、走りつづけて歴代賞金女王にもなれる事を教えてくれた。
彼女の走りを受け継ぐ牝馬が現れる事を期待したい。
1999年05月23日
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