Housing Project

 

別にみたくねぇから戻る  前説長いよ。早く写真みせろや

 

[はじめに]

自宅の建設記録です。21世紀を前に築45年の実家を建て直すと言うものです。

築45年といっても10年と開けずに増改築を繰り返してきたため、一見はそれほどポロくは見えませんでした。でも特に1階の最古の部分では、和室の前に板の間の廊下があったり、和室を横切らないと奥のダイニングキッチンへ行けないなど、昭和30年代の文化住宅の名残を色濃く残していました。いかにも寺内貫太郎がちゃぶ台返しをしそうな、あんな雰囲気です。

解体から建ち上がってくる様子をご紹介します。写真が多いのではっきりいって重いです。

 

[設計施工]

私は建築学科を出て、勢いで一級建築士の免許も持っています。しかし都市計画の道へ進んでからというもの、設計実務は全く経験しておりません。基本設計ぐらい出来ないことはないけれど、実施図面から現場管理まで自分でやるのはシンドイと判断しました。

そこで設計は大学の友人のK君に依頼することになりました。K君は大学卒業後、大手設計事務所の数年を経てイタリアに留学しました。ミラノで修行した後、帰国して設計事務所を設立しました。最近設計した住宅はデレビで渡辺篤が来ちゃったり婦人雑誌に載っちゃったりしています。(あの番組はかなり当たりはずれがあるけど・笑)

施工はK君の懇意にしているA工務店に依頼することになりました。神奈川県内では大手に入るそうです。

 

[設計段階]

1999年のGWに初めてK君に相談しました。庭でパスタとワインで食事をしながら、彼の作品集(手作り・笑)を見せて貰い、いろいろ希望やら条件やらを相談しました。

実際の設計作業は秋頃から始まったようです。K君いわく「いや放っていたワケじゃないんだよ。ずっっっと、構想を練っていたんだよ〜」

プランやフォルム決定まではかなり変更を加えました。自分で図面に赤を入れてK君にFAXしたこともあります。しかし私も素人ではありませんので概ね彼のコンセプトは分かりました。いや、実はこの先如何にシロウトだったかということを詳細設計の中で思い知らされることになります。いずれにしてもプランはなかなか上手くまとまったのではないかと思っています。

さて2000年の年が明けて春頃にはおよそのプランが決まり、内装とかキッチンなどの話になると私の興味は急速に失せていきます。私が建築の道に進まなかったのはこの辺に理由がありそうです。私にとって建築の興味はプランとカタチだけなのです。

この辺から、それまで図面を見てもチンプンカンプンだったYumiがすずずいっと出てきて、細かいことを打ち合わせ、その間私はAriaの相手をしていました。(笑)

 

[問題発生]

ボロ家には唯一立派な大谷石積みの塀と鉄平石の門がありました。Hiro画伯が退職金の一部を当てて10数年前に私が設計して作り直したものです。ところが今回は建物建設のため、この塀が2項道路のセットバックに引っかかってしまいました。

当初は図面だけ引っ込めて描いて、実際には工事しないという常套手段を使うつもりでいました。ところが、麻生区役所が実際に工事しないと中間検査を通さないと通告してきたのです。建設費には住宅公庫を使うつもりで申し込みまで済ませていたのですが、中間検査に通らないと公庫のお金が出ないのです。2項道路については同じようなケースが多いので、この数年厳しくなっているそうです。

セットバックはほんの数10センチだけですが、道路のほうが敷地よりも高く、実際に工事をするとなると下の基礎、擁壁から全部壊して作り直さなければなりません。柔らかい大谷石は積み直すことも出来ません。そのための費用が何百万円も余分にかかることになりました。役所を恨んでも仕方ありません。

敷地は反対側も道路に面しており、こちらは道路の方が低くて広く児童公園に面しています。実はこちらにガレージを新設する計画だったのですが、このために予算が足りなくなり断念せざるを得ませんでした。

 

 

[2000年5月2日]

いよいよ引っ越ししました。40年以上暮らしたボロ家からの移動ははっきりいって半端でなく大変でした。その辺の経過はBBSで報告していますので、過去ログを参照して下さい。

 

更地になる

[5月27日]

解体も終わりすっかり更地になりました。左手前のカーボートには引っ越し先へ持っていけなかった荷物が青い防水シートにくるまれています。大谷石の石積みと擁壁は泣く泣く解体しました。門扉と門柱だけはセットバックにかからなかったので残っています。

更地になった部分と、手入れされずジャングル化し始めている庭とがシュールな対比を見せています。この日はいわゆるスミダシ(建物位置の確認)。神主抜きのささやかな地鎮祭のまねごとをしました。

 

 

[またまた問題発生]

今年から工務店には10年保証が義務づけられています。そのため地質調査をさせて欲しいと言われました。

そしてボーリングの結果、軟弱地盤であることが判明。45年間もポロ家が建っていたのだから大丈夫だろうとたかをくくっていたのでショックでした。そういえぱ若干傾いていたような気も・・・(笑)

結果として基礎工事の前にくい打ちをするハメに。また150万円ほど余分な費用がかかります。

 

 

上棟式飾り

[7月7日]

七夕だというのに(だからかもしれないが)台風が接近で大雨になる直前です。夕刻時間を早めて、大慌てで上棟式を行いました。

中央上部に上棟飾りが付いているのが見えます。

基礎工事の養生が済んでから、上棟までは本当にアレヨアレヨという間に建ち上がってしまいました。

A工務店は自前の加工工場を持っているので部材は殆ど加工してから持ってきているようです。

 

 

上棟式宴会

 

上棟式の後の宴会です。刻々と雨が強くなり、雨よけの防水シートも危なくなってきたので、早々にお開きにしました。

左隅にHiro画伯の膝でおつまみのあられを頬張っているAriaが見えますが、ほろ酔い大工さんのガハハ笑いに少々怯えています。数カ月経った今でも、ふいに思い出して。

「大工のオジチャン、怖いね〜」

と真顔でいいます(笑)。

 

 

骨組み

[7月9日]

嵐の後、晴天の日曜日です。上棟日のままの外観です。来てみると新しく作る塀の型枠工事をしていました。

工程では基礎と同時に塀もコンクリート打設する予定でした。ミキサー車の手配が一度で済むからです。

ところが6月中雨がちで工事が遅れたため、上棟の日程に間に合うように基礎工事を先行させたのだそうです。

型枠屋さんは休日返上です。

 

 

内部

 

基礎はベタ基礎なので大雨が20センチほども溜まっていました。

Ariaは大好きなプールと勘違いして大喜び。今にも入ろうとしています。(笑)

ポンプで排水したのか、翌週には抜けて乾燥していました。

骨組みだけなのでYumiはまだどこが何だかわからないと言っていました。

 

 

7月

[7月のとある日曜日]

防護ネットに覆われてまだ外観の全貌は分かりかねます。外壁の下地、傾斜屋根の仕上げなどが進行しています。

塀のコンクリート打設が済んで、上に養生シートが被せてあります。

 

 

8月

[8月のとある日曜日]

概ね外壁の下地板が張り終わりました。不思議な外観で近所の話題になっているようです。

窓サッシは早い段階から入っており、断熱材もカーテンもないので、夏の日差しに内部は蒸し風呂状態になっています。

塀は打ち放しコンクリートで作り直しました。

既に床下地が入っていますが、階段がないので2階にあがるには梯子を使います。Ariaは私が支えて梯子をよじ登ってしまいますが、高所恐怖症のYumiは登れません(笑)。

 

 

8月俯瞰

 

反対側の丘の上から見下ろしました。こちらから見るとシンプルな箱です。木造だというのに屋上があります。

K君との初期の会話。

E:「オレは大学で木造陸屋根をやったら絶対イカンと習ったぞ」

K:「20年たちゃ技術は進歩してるんだよ。大丈夫だよ」

E:「雨漏りしたら責任取れよ〜」

K:「絶対大丈夫だって〜。景色いいよ〜」

結論は何年かたって見なけりゃ分かりません。

 

 

 9月

[9月のとある日曜日]

外壁にモルタル下地のシートとラス金網が付きました。

なんとなく外見では進捗が感じられなくなりましたが。内部では断熱材、天井下地、壁下地、床仕上げ、階段、あこがれの暖炉など、着々と工事は進行しています。

 

 

10月15日

[10月15日]

外壁の仕上げを吹き付けたために再び防護ネットに覆われています。内部は1階の一部以外の間仕切り下地はほぼ完成。システムキッチン、浴槽などが設置されて仕上げを待っています。

間仕切りが入ると部屋の大きさ、光線の具合などが具体的に分かるので、いよいよ妻がカーテンやら家具選びに乗り出してきました。

古い鉄平石の門柱と新しいコンクリート打ち放しの壁との違和感が有りすぎるので、K君の提案で門柱はモルタルで塗り込めることにしました。

11月4日にオープンハウスを行う予定にしました。

 

 

10月22日

[10月22日]

防護ネットの覆いが取れて外観仕上げの全貌が現れました。

若干グレーの入った白ですが、見た目は真っ白に感じます。内壁も同様に明るいグレーを基調に仕上がりつつあります。門扉はモルタルで塗り込められました。

建設記録はここまでとします。

オープンハウスを11月4日に開催しました。

当日は午前中はご近所の方々(郊外住宅地は村社会なのだ)、我々が現場へ行った午後からは、高校や大学の同期の友人たち(みんなそろそろマイホーム計画を持っている)、K君関係のアートな人々(自分でそう思っているだけという方々も含め)などなど、非常に盛況で十分にお客様と対応できないほどでした。

ネット上のお客様もいらっしゃいました。どうもありがとうございました。

 

 

 

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