古代日本の呼称。
倭人のルーツは土着人・渡来人説があり、韓とも異なる独自の言語・風習を持つ。
三国時代当時、卑弥呼の邪馬台国を中心とした小国家連合と狗奴国他の国があった。
邪馬台国の場所については畿内説と九州説があり未だに結論が出ていない。
 
前1世紀頃に100余りの国が分立。
57年、その中の一つ奴国の王は後漢に朝貢し、光武帝から金印を授けられた。
後漢末、小国家同士の争いが続き、人々は共同で卑弥呼を女王に立てた。
卑弥呼は238年、魏に朝貢し、親魏倭王の称号を与えられた。
卑弥呼の晩年、邪馬台国と狗奴国の間に戦争が起き、魏は張政を派遣して
停戦を命じた。
卑弥呼の死後、一族の壱与が後を継ぎ、邪馬台国の女王となった。
邪馬台国の名はここで消え、以後東晋末期に倭王(讃)が朝貢するまで、
中国の史料に倭は登場していない。
その間、4世紀頃から大和王権による国家統一が進み、朝鮮半島への
進出も始められた。
400年頃倭は百済・新羅を征服して臣民としていたという記録が広開土王碑
に残っている。
421年、倭讃が宋に朝貢し、以後珍・済・興・武の五人の王が宋に遣使を行った。
この通称倭の五王はそれぞれ応神〜雄略の天皇に比定されている。

天皇家系図

中国皇帝 年号 王・族長 事跡
成王 前11C
倭人が暢草を献じる。(論衡)※中国の記録上の倭の最初の記述

前660
神武天皇、橿原宮で即位する。(記紀)

前4C頃
倭、燕に属する。(山海経)
始皇帝 前3C後半
始皇帝、仙薬を求めて方士徐福を東海に派遣する。(史記)
武帝 前97
崇神天皇が即位する。(記紀)

前1C頃
倭、百余国が分立する。(漢書地理志)
平帝 1C初
東夷の王、大海を渡り珍宝を献じる。(漢書王莽伝上)
光武帝 57
倭の奴国王、後漢に使者を送り、光武帝から金印を賜る。(後漢書)
明帝 77
倭人、新羅の脱解尼師今と戦う。(新羅本紀)
和帝 107
倭国王帥升、後漢に生口160人を献上する。(後漢書東夷伝)
順帝 131
成務天皇が即位する。(記紀)
桓帝

この頃倭国に大乱が起こり、王不在となる。(魏志倭人伝)
霊帝 173 卑弥呼 卑弥呼、新羅に使いを送る。(新羅本紀)
献帝 190
成務天皇死す。(記紀)
献帝 192
成務天皇の甥の仲哀天皇が即位する。(記紀)
献帝 200
仲哀天皇死す。(記紀)



神功皇后、新羅に親征し、新羅王を降伏させる。(記紀)



神功皇后、筑紫で応神天皇を生む。(記紀)
献帝 201
神功皇后、摂政となる。(記紀)

204
神功皇后、新羅に親征し、金韓加羅国を平定、済州島を百済に与える。(記紀)
曹叡 238? 卑弥呼 卑弥呼、大夫難升米を帯方郡に遣わす。(魏志倭人伝)



帯方太守劉夏、難升米らを洛陽に送る。(魏志)



難升米、魏から率善中郎将に任じられる。(魏志)



曹叡?、卑弥呼を親魏倭王とし、金印を授ける詔を発する。(魏志)
曹芳 240 卑弥呼 帯方太守弓遵、梯儁を倭に遣わし、卑弥呼に金印を授ける。(魏志)
曹芳 243 卑弥呼 卑弥呼、大夫伊声耆・掖邪狗を魏に遣わして朝貢する。(魏志)



伊声耆・掖邪狗、魏から率善中郎将に任じられる。(魏志)
曹芳 245 卑弥呼 難升米、魏から黄幢(旗さしもの)を授けられる。(魏志)
曹芳 246   神功皇后、斯麻宿禰を百済に派遣して国交を開く。(記紀)
曹芳

卑弥呼、狗奴国王卑弥弓呼と対立し戦争を行う。(魏志)
曹芳 247 卑弥呼 倭人の載斯烏越が帯方郡に到り、邪馬台国と狗奴国の戦争を伝える。(魏志)


卑弥呼 塞曹掾史張政、倭に遣わされる。(魏志)



張政、難升米に黄幢を授け、檄文を下し和平を促す。(魏志)


卑弥呼 この頃、卑弥呼死す。男王が後を継ぎ、倭国乱れる。(魏志)



卑弥呼の一族壱与が女王に立てられる。(魏志)


壱与 壱与、張政の帰国に伴い、掖邪狗を魏に遣わして朝貢する。(魏志)
曹芳 249   神功皇后、上毛野荒田別を派遣して新羅を討つ。
曹髦 253
倭王、大将于道朱君を新羅に遣わし、新羅の大将軍昔于老を殺害する。(新羅本紀)
曹奐 262
神功皇后、葛城襲津彦を派遣して新羅を討たせる。(記紀)



葛城襲津彦、新羅に寝返って加羅を攻める。(記紀)
曹奐 263
神功皇后、応神天皇とともに大和に入る。(記紀)
司馬炎 266 壱与 壱与、晋に使者を遣わして朝貢する。(晋書)
司馬炎 270
神功皇后死す。子の応神天皇即位する。(記紀)
司馬炎 272
応神天皇、百済王の無礼を咎め王を廃す。(記紀)
司馬炎 285
応神天皇、平群木菟宿禰を派遣して新羅を討たせる。(記紀)
司馬衷 297
太子菟道稚郎子、高句麗の使者の無礼を咎める。(記紀)
司馬熾 310
応神天皇死す。(記紀)
司馬熾 313
応神天皇の子の仁徳天皇即位する。(記紀)
司馬[耳冉] 346
倭、新羅の首都金城を包囲する。(新羅本紀)
司馬丕 364
倭、新羅を攻め、敗退する。(新羅本紀)
司馬丕 365
仁徳天皇、上毛野君竹葉瀬を派遣して新羅を討たせる。(記紀)
司馬曜 391
倭、朝鮮半島に渡り、百済・新羅を征服する。(広開土王碑)
司馬徳宗 397
百済の阿華王、倭に王子腆支を人質として送る。(百済本紀)
司馬徳宗 399
仁徳天皇死す。子の履中天皇が後を継ぐ。(記紀)
司馬徳宗 400
倭、高句麗の広開土王と戦って敗れ、新羅から撤退する。(広開土王碑)
司馬徳宗 403
倭、百済の阿華王に使者を送り、ともに新羅を攻める。(百済本紀)
司馬徳宗 404
倭、帯方郡で高句麗と戦い大敗する。(広開土王碑)
司馬徳宗 405
履中天皇死す。弟の反正天皇が後を継ぐ。(記紀)



百済王子腆支、帰国して百済王となる。(百済本紀)
司馬徳宗 410
反正天皇死す。弟の允恭天皇が後を継ぐ。(記紀)
司馬徳宗 413
倭、東晋に朝貢する。(晋書)
劉裕 421 倭讃(仁徳?)、宋に朝貢する。(宋書)
劉義隆 425 倭讃、司馬曹達を宋に遣わして朝貢する。(宋書)
劉義隆 430
倭王、宋に朝貢する。(宋書)
劉義隆 438 倭讃死す。 弟倭珍(反正?)、宋に使者を送り、※六国諸軍事安東大将軍の称号を求める。(宋書)



※(倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓)
劉義隆 440
倭、新羅に侵入する。(新羅本紀)
劉義隆 443 倭王済(允恭?)、宋に朝貢する。(宋書)
劉義隆 453
允恭天皇死す。子の安康天皇が後を継ぐ。(記紀)
劉駿 456
安康天皇、仁徳天皇の孫眉輪王に殺害される。(記紀)



安康天皇の弟雄略天皇が即位する。(記紀)



倭、宋に朝貢する。(宋書)
劉駿 459
雄略天皇、新羅を征討する。(記紀)(新羅本紀)
劉駿 461
百済の蓋鹵王、弟の昆支君を雄略天皇に仕えさせる。(記紀)
劉駿 462 倭王済死す 子の倭王興(安康?)、宋に朝貢する。(宋書)
劉準 478 倭王武(雄略)、宋に朝貢し、鎮東大将軍の号を授けられる。(宋書)
劉準 479
雄略天皇死す。(記紀)