公孫氏

(2C後半〜238)
2世紀後半、後漢の地方官だった公孫度が遼東に築いた政権。
民族・風習は漢とほぼ同じ。
朝鮮半島中西部の帯方郡を境に南は韓と接し、東北は高句麗、
西北は烏丸・鮮卑、西南は漢・魏の幽州と接する。
漢・魏は公孫氏政権があった為、遼東以東を絶域とみなし、
東夷諸国との通交を行わなかった。
 
2世紀後半、黄巾の乱後の混乱に乗じて公孫度が遼東地方に半独立政権を樹立。
高句麗・後漢と争いながら、楽浪郡・山東半島まで勢力を伸ばす。
204年、公孫度の子公孫康が楽浪郡の南に帯方郡を設置、韓を勢力下に置いた。
公孫康は後漢に服属し、左将軍の官位を授けられた。
228年、公孫康の子公孫淵は叔父公孫恭から位を奪いとった。
公孫淵は魏に臣従を装いながらも、呉と同盟工作を行うなど密かに独立を謀っていた。
236年、皇帝曹叡から上洛を求められると、公孫淵は魏に反旗を翻し、燕王を称した。
一度は魏の幽州刺史カン丘倹の軍を退けたが、238年、太尉司馬懿の討伐を受け、
国都襄平に包囲され、一族ともに滅ぼされた。

公孫氏系図

中国皇帝 年号 王・族長 事跡


公孫延 公孫延、役人の追及を逃れ、玄菟郡に移住する


公孫度 公孫豹(度)、玄菟太守公孫[王或]の庇護を受ける


公孫度 公孫豹(度)、玄菟郡の官吏に登用される
霊帝
公孫度 公孫度([王或]?)、高句麗王伯固と協力して富山の賊を平定する
霊帝 184 公孫度 公孫度、高句麗王男武と戦う
霊帝
公孫度 公孫度、冀州刺史となるが流言により罷免される
献帝 189 公孫度 公孫度、徐栄の推薦で遼東太守となる
献帝 190 公孫度 公孫度、遼東侯・平州牧を称す



公孫度、遼東郡を分割し、遼西中遼郡を置く



公孫度、渡海して東莱郡を征服し、営州刺史を置く
献帝
公孫度 公孫度、扶余国王尉仇台に一族の娘を娶せる
献帝
公孫度 公孫度、楽浪・玄菟郡を勢力下に置く
献帝 196 公孫度 王烈・管寧・ヘイ原らが遼東に難を避ける
献帝
公孫度 曹操、上表して公孫度を武威将軍・永寧郷侯に任じる



公孫度、任命を不満とし、印綬を封印する
献帝
公孫度 ヘイ原、遼東を去り、北海に帰る
献帝 204 公孫度 公孫度死す、長男の公孫康が後を継ぐ


公孫康 公孫康、楽浪郡の南に帯方郡を置く



公孫康、帯方郡の移民を募り、韓ワイを討ち勢力下に置く
献帝 205 公孫康 曹操の武将張遼、海岸沿いに北上し公孫康の部下柳毅を破る
献帝 206 公孫康 公孫康、亡命してきた<>烏丸の速附丸を斬る
献帝 207 公孫康 公孫康、亡命してきた袁尚・袁煕を殺害し、首を曹操に送る



曹操、上表して公孫康を左将軍・襄平侯に任じる
献帝 209 公孫康 公孫康、高句麗を攻める



高句麗王伊夷模の兄抜奇、公孫康に帰順する



高句麗王伊夷模、公孫康に追われ、都を移す
献帝
公孫康 この頃、公孫康没し、弟の公孫恭が後を継ぐ
献帝 218 公孫恭 王烈、遼東の地で没す


公孫恭 公孫恭、公孫康の長男晃を人質として送る
曹丕 221 公孫恭 曹丕、公孫恭を車騎将軍に任じ、公孫康に大司馬を追贈する

223 公孫恭 管寧、曹丕の招きに応じ、遼東を離れる
曹叡 228 公孫恭 公孫恭、甥の公孫淵に位を追われる


公孫淵 曹叡、公孫淵を揚烈将軍・遼東太守に任じる
曹叡 232 公孫淵 呉の孫権、周賀・裴潜を遣わして公孫淵に勅書を届ける



公孫淵、宿舒と孫綜を遣わして孫権に朝貢する
曹叡 233 公孫淵 孫権、張弥と許晏を遣わして公孫淵を燕王に封じる



公孫淵、張弥と許晏を殺害し、首を魏に届ける



曹叡、公孫淵を大司馬・楽浪公に封じる
曹叡
公孫淵 曹叡、カン丘倹を楽浪郡南に派遣して呉と高句麗に備える
曹叡 236 公孫淵 公孫淵、曹叡の入朝命令を拒み、魏に反旗を翻す
曹叡 237 公孫淵 カン丘倹、遼東に侵入したが、出水に逢い兵を引く



公孫淵、自立して燕王を称し、元号を紹漢と定める



公孫淵、鮮卑の単于に働きかけ、魏の北辺を荒らさせる
曹叡 238 公孫淵 魏の司馬懿、4万の兵で遼東に侵入する



公孫淵、孫権に謝罪し、救援を求める



公孫淵、襄平城で司馬懿に包囲される



公孫淵、襄平を脱出して逃走を図り、司馬懿に斬られる



劉[日斤]と鮮于嗣、海路朝鮮半島に渡り、楽浪・帯方郡を平定する



公孫淵の兄公孫晃、洛陽の獄中で金屑を飲まされて死ぬ