レトロ選手紹介その5
ミル=マスカラス
1942年生まれ 身長 180p
得意技 フライングクロスアタック
「千の顔を持つ男」と呼ばれ、華麗な空中殺法で一世を風靡した選手。
ボディビルダー出身。名伯楽ディアブロ=ベラスコの指導を受けメキシコでデビュー。
ナショナルライトヘビー級王座を獲得後、アメリカ進出。
キラー=バディ=オースチンを倒してロスのアメリカス王座を獲得。
1971年、日本プロレスに初来日、全日本参戦時にはテーマ曲「スカイハイ」
が大ヒットし、日本プロレス界にテーマ曲の使用を浸透させた。
弟ドスカラスとのタッグでも活躍。地元メキシコでは映画にも多数出演している
英雄的存在。
ドリー=ファンク・ジュニア
1942年生まれ 身長 190p
得意技 スピニングトーホールド
父のドリー=ファンク・シニアに鍛えられ1963年にプロレス入り。
1969年、ジン=キニスキーを破ってNWA王座を獲得、1973年、
ハーリー=レイスに敗れるまで防衛を続けた。
その頭脳的なレスリングはそれまでのチャンピオンとは一線を画す
ものであった。
弟テリーとのファンクスで全日本の第1回最強タッグに優勝。
以後、全日本の常連として長きにわたって活躍。
現在はWWFの若手をコーチする立場にいる。
ハーリー=レイス
1943年生まれ 身長 185p
得意技 ダイビングヘッドバット
「ミスタープロレス」の称号を受けた名レスラー。
1965年にラリー=ヘニングと組んでAWAタッグ王座を獲得。
その後NWAに進出し、1973年、ドリー=ファンク・ジュニアから
NWAタイトルを奪取。通算7度もチャンプの座に着いている。
全日本プロレスの常連としてジャイアント馬場、ジャンボ鶴田らと
名勝負を繰り広げた。
事故で現役を引退、その後はレックス=ルーガー、ビッグバン=ベイダー
らのマネージャーを務めた。
スーパースター=ビリー=グラハム
1945年生まれ 身長 195p
得意技 カナディアンバックブリーカー
ボディビルダー出身。ジェリー=グラハムにスカウトされ、グラハム兄弟の
末弟を称した。AWA圏で活躍し、ビル=ロビンソンを破って国際プロレスの
IWAタイトルを獲得。日本で防衛戦を行い、マイティ井上にタイトルを奪取された。
その後、WWF入りし1977年ブルーノ=サンマルチノを破ってWWF王座
を獲得。
NWA王者、ハーリー=レイスとダブルタイトルマッチを行ったこともある。
ステロイドの使用により体を壊し引退、その薬害を全米に暴露し
プロレス界と絶縁した。
ジミー=スヌーカ
1945年生まれ 身長 195p
得意技 ダイビングボディアタック
フィジー出身、ハワイでボディビルダーをしていた。
デビュー後は西海岸を中心に活躍、パシフィックノースウェスト王座を
何度も獲得している。1981年、ブルーザー=ブロディとのコンビで
全日本の最強タッグに優勝。新日本にもブロディとのタッグで参戦、
WWFでも活躍した。1992年、ECWの初代チャンピオンにもなる。
「スーパーフライ」の異名を持つ空中殺法の使い手。
ディック=マードック
1946年生まれ 身長 188p
得意技 カーフブランディング
テキサス出身。アマリロのファンク道場の一員となる。
ダスティ=ローデスとテキサスアウトローズを結成し、各地区で暴れ回った。
全日本の常連となり人気を誇ったが、1981年、新日本に引き抜かれた。
1989年のFMW参戦後はインディを主体に活動。
WCWにもスポット的に参戦した。1996年、49歳で死去。
得意技のカーフブランディングとは仔牛の焼き印押しの意味。
アンドレ・ザ・ジャイアント
1946年生まれ 身長 223p
得意技 ボディプレス
フランスの農家の出身でその巨体を見込まれてプロレス入り。
1970年、モンスター=ロシモフの名で国際プロレスに初来日。
バーン=ガニアの目に留まってアメリカに渡り、人気選手となる。
1973年からはWWF入りし、新日本プロレスにも来日しアントニオ猪木
との格闘技世界一決定戦を行った。
ハルク=ホーガンとの抗争で売り出し、1988年にホーガンからベルト
を奪取した。
1990年からは全日本に参戦、ジャイアント馬場と大巨人コンビを結成した。
1993年、47歳で死去。
ブルーザー=ブロディ
1946年生まれ 身長 198p
得意技 キングコングニードロップ
本名フランク=ゴーディッシュ。ユーゴスラビア移民の子孫。
スタン=ハンセンと同じ大学でフットボール選手として活躍していた。
卒業後はスポーツ記者をしていたが、フリッツ=フォン=エリックに
スカウトされてプロレス入り。
1979年、ディック・ザ・ブルーザーからWWAタイトルを奪取した。
同年、エリックに帯同して全日本プロレスに初来日。
1981年にはジミー=スヌーカとのタッグで最強タッグに優勝。
インターヘビー級王座をめぐってはジャンボ鶴田と幾多の死闘を繰り広げた。
1982年にハンセンが全日本に移籍してくると超獣コンビを結成。
文字通りの最強タッグとして猛威を振るった。
1985年に新日本に移籍し、アントニオ猪木とも対決。
その後、再び全日に戻ったが、1988年プエルトリコでサーキット中
、レスラー同士の喧嘩で刺殺された。
タイガー=ジェット=シン
1947年生まれ 身長 190p
得意技 コブラクロー
「インドの狂虎」の異名をもつ悪役レスラー。
シンガポールでデビュー後、カナダに渡りヒンズー=ハリケーンの名で
暴れ回った。1973年に初来日し、新宿の路上でいきなりアントニオ猪木
を襲って因縁を作った。
NWF王座をめぐって猪木と死闘を繰り広げ、一度は腕の骨を折られている。
上田馬之助とのコンビで全日本プロレスでも極悪ぶりを発揮。
FMWでは大仁田厚と電流爆破マッチを行った。
息子のタイガー=アリ=シンをWWF入りさせ、母国では事業を営む。
マスクド=スーパースター
身長 198p
得意技 ジャンピングネックブリーカードロップ
本名ビル=イーディ。その他の経歴はいっさい不明とされている。
デビュー時はボロ=モンゴルと名乗り、ベポ=モンゴル(ニコリ=ボルコフ)
とのモンゴルズで活動していた。
その後、マスクド=スーパースターに変身、新日本の常連として活躍。
スーパー=マシンとしてマシン軍団の一員だったこともある。
1987年、WWFにペイントレスラーのアックス=デモリッションとして
登場。スマッシュとのデモリッションズでWWFタッグタイトルを獲得した。
1991年、カナディアン=ジャイアントを帯同し新日本に来日。
現在は米インディで活動を続ける。