レトロ選手紹介その4


ブルーノ=サンマルチノ
1935年生まれ 身長 185p
得意技 カナディアンバックブリーカー

イタリア出身。同国出身のアントニオ=ロッカにスカウトされプロレス入り。 ビンス=マクマホン・シニアに抜擢され、1963年、MSGでバディ=ロジャース を破り、WWWFヘビー級タイトルを獲得。以後7年間にわたってニューヨークの 帝王として君臨。 ジャイアント馬場とは若手時代からの友人であり、全日本プロレスの旗揚げシリーズ に参戦した。 WWWF王座に返り咲いた後、当時若手だったスタン=ハンセンにより 首を負傷させられ、その怪我が元で引退。 マクマホン・ジュニアの新日本プロレスとの提携路線に協力せず、WWFと絶縁した。 類いまれな怪力とスタミナで「人間発電所」とあだ名された。

アブドーラ・ザ・ブッチャー
1936年生まれ 身長 186p
得意技 エルボードロップ

スーダン出身を自称していたが、本当はカナダ生まれといわれている。 ザ・シークにスカウトされ、プロレス入り。 全日本プロレスの常連として、ジャイアント馬場、テリー=ファンクらと抗争。 地獄突き、ヘッドバット、凶器攻撃、毒針エルボーなど数多くのムーブメントで 大ヒール人気を博した。 新日本、WCW、東京プロレスと多くの団体で暴れ回り、現在も現役としてリング に上がっている。

アイアン=シーク
1938年生まれ 身長 185p
得意技 キャメルクラッチ

イラン出身。アマレスの強豪として五輪代表経験を持つ。 バーン=ガニアにスカウトされてプロレス入り。 新日本、全日本プロレスに来日し、実力者ぶりをを発揮した。 その後アイアン=シークとしてWWF入りし、キャメルクラッチで ボブ=バックランドからWWF王座を奪取した。 ニコリ=ボルコフとのコンビでもWWFタッグ王座を獲得。 1992年、UWFインターの格闘技世界一決定戦に参戦した。

ニック=ボックウィンクル
1938年生まれ 身長 188p
得意技 フィギュア4レッグロック

AWAの最盛期に王者として君臨した名レスラー。 父のウォーレン=ボックウィンクルのコーチを受け、 ルー=テーズを相手に破格のデビューを飾る。 AWAに転戦後はタッグ王座、ガニアからヘビー級ベルトを奪取した。 ガニアの引退後、王者に指名されたが反則防衛が多く「ダーティチャンプ」 と呼ばれた。1984年、ジャンボ鶴田との死闘の末、王座を奪われる。 1987年にWWFにコメンテイターとして引き抜かれAWAを離脱、 後にWCWの会長も務めた。

ビル=ロビンソン
1939年生まれ 身長 191p
得意技 ダブルアームスープレックス

イギリス出身。カール=ゴッチの「蛇の穴」での後輩に当たる。 ヨーロピアンヘビー級、大英帝国ヘビー級王座を奪取。 1968年に国際プロレスに来日し、ダブルアームスープレックスを日本 初公開し「人間風車」のニックネームがつけられた。その後は新日本、全日本 に参戦し、多くの名勝負を残した。 アメリカでもAWAタッグ王座を獲得している。 テクニシャンとして知られ、グラウンド技も得意としていた。 後にUWFインターの特別顧問を務めた。東京の高円寺近くに在住。

ビル=ワット
1939年生まれ 身長 193p
得意技 オクラホマスタンピード

「オクラホマにワットあり」と唄われたフットボールの名選手で 大学の先輩ダニー=ホッジに勧められてプロレス入り。 レオ=ノメリーニの再来といわれ、注目を集めた。 各地を転戦し、日本ではターザン=タイラーと組んでインタータッグを獲得。 数々のローカル王座を獲得したが、メジャータイトルにはあまり縁がなかった。 後にプロモーターとしてUWFを設立、WCWの副社長も務めた。 オクラホマスタンピードはワットのオリジナル。

ワフー=マクダニエル
1940年生まれ 身長 190p
得意技 トマホークチョップ

純系のインディアンとして生まれる。学生時代はアマレスとフットボール の名選手として鳴らし、プロフットボールの花形選手として活躍していた。 ディック・ザ・ブルーザーにスカウトされプロレス入り。 AWAでスーパースター=ビリー=グラハムと抗争を繰り広げ、 国際プロレスではストロング小林からIWA王座を奪取した。 マーク=ヤングブラッドとのインディアンコンビでNWAタッグ王座についている。 ラフファイターとして知られ、デスマッチでも強さを発揮した。 2002年死去。

ジャック=ブリスコ
1941年生まれ 身長 188p
得意技 フィギュア4レッグロック

インディアンの血を引き、大学時代はアマレスの全米大学選手権で2連覇 を達成した。 1973年、ハーリー=レイスからNWA王座を奪取。 ジャイアント馬場に王座を奪われたが1週間で奪回している。 最大のライバルであるドリー=ファンク・ジュニアとは幾多の名勝負を残した。 実弟ジェリーとのタッグでもフロリダタッグを何度も獲得している。 後にGCW(現WCW)の株をマクマホン・ジュニアに売り渡したことで米プロレス界の 恨みを買った。

ジョニー=パワーズ
1941年生まれ 身長 192p
得意技 パワーズロック

初代NWF王者。1966年、旧東京プロレスの旗揚げシリーズに初来日。 アントニオ猪木とはそれ以来の縁で新日本旗揚げ後にはNWF王者として来日 し、必殺の8の字固めを武器に猪木・坂口と名勝負を繰り広げた。 性癖が悪く米マット界での評判はあまり芳しい物ではなかったらしい。 猪木30周年記念試合にゲストとして来日。