レトロ選手紹介その2
バーン=ガニア
1926年生まれ 身長 182p
得意技 スリーパーホールド
大学時代はアマレスの名選手として鳴らし、ジュニアヘビー級の選手
としてプロデビュー。NWAヘビー級王座への挑戦権を与えられなかった
ため、脱退しAWAを設立。オマハとミネアポリスの両AWA王座を
統一し、NWAに対抗する勢力を築いた。強豪選手を数多くスカウトし、
「AWAの帝王」として君臨したが、ニック=ボックウィンクルや婿の
ラリー=ズビスコを重用し過ぎたことと、WWFの全米侵攻作戦のあおり
を受け、選手の離脱が相次ぎ、91年AWAは崩壊した。
フレッド=ブラッシー
1926年生まれ 身長 183p
得意技 ネックブリーカー
「銀髪鬼」「噛みつき魔」の異名をとった往年の悪役レスラー。
1961年ロサンゼルスに設立されたWWAの初代王者となる。
力道山の抗争相手として来日した際、TV中継を見た老人が
噛みつきにショック死する事件が続出したことは有名。
引退後は多くの悪役レスラーのマネージャーを務めた。
入院をきっかけに日本人女性ミヤコさんと結婚。
WWFのチャリティ担当役員を務めていた。
2003年死去。
パット=オコーナー
1927年生まれ 身長 185p
得意技 ローリングクラッチホールド
ニュージーランド出身。アメリカのプロモーターにスカウトされプロデビュー。
1959年、NWAヘビー級王者となる。
いぶし銀のファイトで力道山、ジャイアント馬場とも名勝負を繰り広げた。
魔術師の異名をとり、回転エビ固めとドロップキックの名手だった。
1990年死去。
ビル=ミラー
1927年生まれ 身長 196p
得意技 ネックハンギング
ビッグ ビル=ミラーのなで知られる大型パワーファイター。
アマチュア時代はアマレスとフットボールの選手として鳴らし、
大学卒業後プロレス入り。
ドクター・X、ミスター・Xなどのマスクマンとしても活躍。
弟のエド、ダンとのタッグでも数々のタイトルを獲得している。
引退後は獣医の仕事をしていた。1997年死去。
レオ=ノメリーニ
1927年生まれ 身長 192p
得意技 フライングタックル
プロレスとプロフットボールの両方で活躍した強豪。
名門サンフランシスコ・フォーティーナイナースの名タックラーであり、
プロレスでもNWAタッグ王座、AWAタッグ王座を獲得している。
ルー=テーズの連勝を936で止めた(反則勝ち)ことでも知られる。
2000年死去。
エドワード=カーペンティア
1927年生まれ 身長 178p
得意技 サマーソルトドロップ
フランス出身で元体操五輪代表選手。プロレス入りしてからも
身の軽さを活かして活躍。1957年、ルー=テーズを破って
NWA王座を獲得したが後に判定を覆された。
これを不服としたカーペンティアはNWAを脱退し、オマハ版
AWA王者を称した。1970年、国際プロレスに初来日。
サマーソルトキック、サマーソルトドロップの開発者でもある。
ジン=キニスキー
1928年生まれ 身長 193p
得意技 キチンシンク
カナダ出身で元プロフットボーラー。
1966年ルー=テーズを破り、NWAヘビー級王座を獲得。
ジャイアント馬場ともインターヘビー級王座を賭けて名勝負を繰り広げた。
「荒法師」の別名でも知られるラフファイター。
引退後はカナダ地区でプロモーターの仕事をしていた。
アントニオ=ロッカ
1928年生まれ 身長 176p
得意技 アルゼンチンバックブリーカー
イタリア生まれの怪力レスラー。移住したアルゼンチンでスポーツ選手として
才能を発揮、レスラーとしてアメリカに渡る。
MSGでのジン=スタンレーとの対決は戦後最大の興業収益を上げた。
必殺のドロップキックと背骨折りで数々の強豪を苦しめた。
1976年、アントニオ猪木対ルー=テーズのNWF選手権試合に
レフリーとして初来日。
翌77年、49歳で死去。
アントニオ猪木の名の由来でもある。
ディック=ハットン
1929年生まれ 身長 188p
得意技 カナディアンバックブリーカー
全米の学生アマレスチャンピオンでで五輪にも出場経験を持つ。
1957年、ルー=テーズを破ってNWA王座を獲得。
1962年に初来日、力道山と対決し、カナディアンバックブリーカーで
完全にギブアップさせた。
コブラツイストの使い手としても知られる。
ウィルバー=スナイダー
1929年生まれ 身長 195p
得意技 ドロップキック
プロフットボーラー出身で、ジン=キニスキーと同チームで
プレイしていたことがある。
レオ=ノメリーニとのフットボールタッグでAWAタッグ王座につく。
大型でありながら抜群のテクニックを持ち、ジャイアント馬場にも
技を教授している。来日した外人組の中のボス的存在で
ディック・ザ・ブルーザーの親友でもあった。1991年に死去。