レトロ選手紹介その1


フランク=ゴッチ
1878年生まれ 身長 178p
得意技 トーホールド

初代世界ヘビー級王者。
アイオワの農家の出身。アメリカンプロレスの父といわれる ファーマー=バーンズに弟子入り。 1908年、アメリカ王者としてヨーロッパ王者の ジョージ=ハッケンシュミットと対決。 勝ったゴッチは世界王座を獲得した。 1913年不敗のまま引退、1917年、39歳でこの世を去った。 「ゴッチの後にゴッチ無し」といわれたが、日本ではカール=ゴッチの方が有名。

ジョージ=ハッケンシュミット
1876年生まれ 身長 175p
得意技 ハーフネルソン

「ラシアンライオン」の異名をとったロシアの強豪。ヨーロッパで行われた 世界選手権トーナメントで優勝。アメリカン王者トム=ジェンキンズにも勝利した。 初代統一世界王者の座を賭けてフランク=ゴッチと対戦、2時間以上におよぶ 死闘の末敗れた。1967年没。

エド=ストラングラー=ルイス
1882年生まれ 身長 185p
得意技 ヘッドロック

大学で人体解剖学を専攻していたというインテリレスラー。 ジョー=ステッカー、スタニスラウス=ズビスコらと世界王座を争い、 3度王座を手にした。後にルー=テーズのマネージャーにもなり、 多くの後進を育てた。晩年は視力をなくし、1966年死去。 ストラングラーとは「絞め殺し屋」の意味。

ルー=テーズ
1916年生まれ 身長 191p
得意技 バックドロップ

936戦無敗の記録をうち立てたマット界の鉄人。 16歳でデビューし、20歳でNWAチャンピオンになる。 1948年から55年の間、無敗のチャンピオンとして君臨。 インターヘビー王座をめぐり、力道山とも名勝負を繰り広げた。 1991年に75歳で引退、UWFインターの最高顧問も務めた。 バックドロップの元祖としても有名。 2002年死去。

カール=ゴッチ
1924年生まれ 身長 188p
得意技 ジャーマンスープレックス

ルー=テーズと並び称されるプロレスの神様。本名カール=イスタス。 イギリスのビリー=ライレージム(蛇の穴)でテクニックを磨き、 カール=クラウザーの名で渡米。妥協を許さぬファイトスタイルのため プロモーターたちからは敬遠され、チャンスには恵まれなかった。 新日プロの旗揚げ戦では猪木の対戦相手を務め、コーチとして藤原、前田ら を指導した。旧UWF、第二次UWF、藤原組の最高顧問を務めた。

バディ=ロジャース
1921年生まれ 身長 180p
得意技 フィギュア4レッグロック

リック=フレアーのモデルともいえるショーマンスタイルのレスラー。 「ネイチャーボーイ」と呼ばれ、大ヒールとして一世を風靡した。 華麗なファイトスタイルを誇り、NWA王者にもなったが、その専横ぶりに 怒ったカール=ゴッチらに暴行を受け腕を骨折させられた。 WWWFの初代王者にも認定されたが、わずか3ヶ月でブルーノ=サンマルチノ にその座を追われた。その年棒は1960年当時で1億円を超えていたといわれる。 1992年死去。

ベン=シャープ
1921年生まれ 身長 197p
得意技 ドロップキック

兄弟タッグで有名なシャープ兄弟の兄。第二次大戦後の1947年にデビュー。弟のマイクと組んで NWAタッグ王座を17度も獲得。1954年に日本プロレスの 第1号外人選手として来日、力道山組との試合で日本のプロレス ブームの火付け役となった。

マイク=シャープ
1923年生まれ 身長 199p
得意技 スリーパーホールド

日本でも有名なシャープ兄弟の弟。兄と組んで多くのタッグ王座を獲得。 当時の他のレスラーと比べてかなり大型。息子もマイク=シャープ・ジュニア としてレスラーデビューした。1988年に死去。

ハンス=シュミット
1923年生まれ 身長 192p
得意技 シュミット式バックブリーカー

ドイツ系カナダ人レスラー。必殺の背骨折りとラフファイトで他のレスラー から恐れられていた。バックブリーカーの開発については ボディスラムの失敗から偶然に生まれたという説が流れている。 テーズ、ロジャースらに敬遠され、ビッグタイトルには縁がなかった。 43歳で日本プロレスに初来日し、ジャイアント馬場とも対決した。

キラー=コワルスキー
1924年生まれ 身長 198p
得意技 フライングニードロップ

大物悪役レスラー。フライングニードロップで対戦相手のユーコン=エリックの耳を 削いだことで有名。現役時代には数多くの強豪を倒し、AWAヘビー、 WWWFタッグなどのベルトを獲得。引退後はジムを開き、HHHを はじめ優秀な選手を輩出している。