PRIDE



<歴史>

1993年の第1回アルティメット大会以来、総合格闘技は徐々にプロレス に代わる格闘技興業として知名度を上げ、1994年のVTジャパンに おけるヒクソン・グレイシーの活躍は日本の格闘技ファンに衝撃を与えた。
1997年10月、格闘家の頂点を決める対決として高田延彦vsヒクソン・グレイシー をメインとする興業PRIDE1が開催。 以後、不定期格闘技興業として定着。総合格闘技人気の基礎を築く。
2000年、第1回ヘビー級GPトーナメントを開催。 2001年PRIDE17ではヘビー級・ミドル級王者決定戦が行われ、 アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、ヴァンダレイ・シウバがそれぞれ初代 王者となった。 2003年には第1回ミドル級GP、2004年には第2回ヘビー級GP、 2005年には第2回ミドル級GP、第1回ライト級・ウェルター級GPが 開催された。
PRIDE4まではKRSにより、以後はDSE(DREAM STAGE  ENTERTAINMENT)により運営されている。 2006年6月、2000年以来TV放送をしてきたフジテレビから一方的 に契約解除を申し渡され運営危機に陥った。10月にアメリカに進出し、 ラスベガスで大会を開催したが、危機打開には至らなかった。 2007年3月、UFCの実質上のオーナーロレンゾ・フェティータ氏に 運営譲渡が決定。4月のPRIDE34を最後にDSE体制は終止符を打った。 9月、後継会社PRIDEFCの解散が宣告され、団体としても完全に消滅、 10年に渡る歴史に幕を閉じた。




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