駒場くん、ありがとう

 数年前のことです。皆さんが今読んでいる教養学部報に書いた文章が縁で教養学部の西隣、駒場小学校の開校七十周年記念行事に招待されたことがあります。お隣ですが訪ねるのは初めてです。午前中は小学校の講堂で記念式典と学芸会、一年生の生徒たちが「くじらぐも」という劇を一生懸命に演じる様子を見ていたら何故だか涙が出たのを覚えています。夕方からは会場を駒場ファカルティ・ハウスに移し祝賀会が開かれました。ぼくが招かれたわけはそこでの記念講演を引き受けたからです。演題は「駒場・駒場野・駒場が丘」、以前学部報に書いたテーマと同じです。ちがうのは駒場に住んでいる人たちの前で駒場に関する話をすることです(最初に縁と言ったのは学部報の文章が偶々七十周年記念の世話役Tさんの目に留まったことです)。少し緊張しながらぼくの好きな上野教授とハチ公の話や駒場の自然に関する話をしました。話し終わりほっと一息、ビールを飲んでいる時だったと思います。会場がかなり大きくそしてゆっくり長い時間ゆれました。山古志村などに大きな被害をもたらした新潟県中越地震です。大きな地震があったせいでこの日のことは今もはっきりと記憶に残っています。思い掛けない縁で知り合いになったTさん、今も親しくさせてもらっています。

 ところで、ぼくが初めて駒場が丘(駒場Jキャンパスのことです)に来たのは昭和三十九年三月入学試験を受けに上京した時です。一次試験(当時は東大が独自に一次試験と二次試験を行っていました)の前日、一緒に上京した高校の同級生Sさんと試験会場の下見に来ました。会場となる第一本館(現在の一号館)を確かめた後、キャンパス内を歩き回りました。その時のことで覚えているのは竣工直後の真新しい学生会館の側に立って眺めた第一グラウンド(陸上競技場)です。長い汽車旅のせいで頭の中がなんだかゆらゆら揺れて落ち着かない気分と明日からの試験に対する不安な気持ちが広いグラウンドを見たことで少し和らいだ気がしました。試験には幸いSさんと一緒に合格、嬉しかった。Sさんとは今も時々会うことがあります。会えばとりあえずビール、そして何故だか高校ではなく旧制中学の校歌を歌い又ビール、ついつい飲み過ぎてしまいます。

 大学院の五年間は三号館三階北側の実験室で過ごしました。実験室からはラグビー場がよく見えます。夕方、ラグビー場に誰もいないことを確かめボールとバットを持って隣の植物学実験室にいるNさんに声をかけます。一人がノックしもう一人が捕球する単純な遊びをよくしました。広いラグビー場を二人占め、野球が得意なNさんの打球は鋭くうまくキャッチできた時は実験がうまくいかず落ち込んでいる時でもすかっとした気分になりました。何時も遊びに付き合ってくれたNさんは今も植物分子生理化学の研究を続けています。

 四月の末、好天の夕方、Mさんが駒場に顔を出します。目的はお花見。駒場球場(野球場のことを勝手に駒場球場と呼んでいます)の外野席、咲き誇る八重桜の下に腰を下ろします。この時期、一塁側のソメイヨシノ、三塁側のしだれ桜は葉桜になっていて他に花見の客はいません。淡紅色の八重桜、夕空を飛び交うツバメなどをぼんやり眺めながらビールを飲んでいるといい心持ちになってきます。昨春、Mさんは「来年も来るよ」と言ってくれました。ぼくは「来年は定年だよ」と答えました。

 第一グラウンド、ラグビー場そして野球場の北側を一本の遊歩道が通っています。現在は「知のプロムナード」の一つ「自然の道」と名付けられています。この道を大学に入学した当初よく走りました。陸上部(長距離)に入部したからです。この道は長距離の練習にはうってつけ、一緒に入部したKさんたちと走りました。Kさんは親分肌、陸上初心者のぼくをあれこれ元気付けてくれました。残念ながら陸上部の生活は夏学期だけで頓挫してしまいましたが、Kさんと走ったり話したりしたことが懐かしい思い出として心に残っています。Kさんは現在スポーツ科学の重鎮として活躍しています。

 この十年間、ぼくはキャンパス内の二カ所で仕事をしてきました。一号館二階の進学情報センターと十五号館三階の実験室です。午後二時頃、進学情報センターの昼の進学相談が終わり生協購買部で昼食用のサンドイッチを買って実験室に戻ります。雨の日以外は大抵「自然の道」を通ります。もちろん走るわけではなく周りを眺めながらゆっくり歩きます。スミレ、ハコベホオズキ、ヒガンバナなどの野草たち、チョウやバッタなどの昆虫たち、四季折々いろんな自然に出会えます。時には二メートル近くもあるアオダイショウに出くわしてびっくりすることもあります。この道で楽しみにしているものが二つあります。一つは二月中旬のフキノトウ。小学生の頃、雪の中から顔を出しているフキノトウを見つけた時の嬉しい気分を思い出させてくれます。ぼくの出身地は雪国富山です。もう一つはセリバヒエンソウ、駒場に来て初めてお目に掛かった野草です。漢字で芹葉飛燕草と書きます。花は名前の通りツバメが飛んでいるような形、色は薄紫です。入学式前後、キャンパス内の草地ではどこでも見かけることができます。しかし、駒場以外では滅多にお目に掛かりません。駒場が大好きな花なのかもしれません。

 この文章を書くこともあり構内を歩き回ってみました。どこを歩いても何か思い出がよみがえってきます。駒場くん、四十五年間ありがとう。(『教養学部報』2009 より)


                      

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