時間と満足感
朝は目覚し時計がわりにラジオを使っています。予定の時間の1時間くらい前にセットしてあるので、スイッチが入っても安心して、うつらうつらしているうちに、大抵は寝すごしてしまうのですが、たまには、時間前にすっきりと目が覚めることがあります。そんな事は、天気のよい日に多く、何となく得をした気分になり、ベランダからぼんやり空など眺めていると、つい出かけるのが遅くなってしまいます。
出勤時の駅前は、多くの人が引き締まった顔で早足です。中には、電車の中でも移動している人もいます。都心に着き電車を降りてからも、エスカレーターの上を人をかきわけ進んでいく人もみかけます。この傾向は、僕が昨年4日ばかり大阪に滞在した時の経験では、東京よりも大阪の方が強いようです。阪急梅田駅では、通勤時に限らずエスカレーター上は、普通の階段同様歩くものらしく、止まって乗っていると押し倒されそうな勢いです。初日、2日目は、せかせか歩く気にもなれず、エスカレーターの隅で小さくなり、そんなに急ぐこともないのにとか、何か得することでもあるのかなとか、批判的に観察していましたが、3日目からは、知らず知らず、まわりと調子を合わせる様になっていました。
忙しく動きまわるのは、できるだけ早く目的地に着きたい(本当は、あまり行きたくないけれど、行かなくてはならない人も混っているのでしょうが)という本能の現われかもしれません。もう少し拡張して考えれば、人間はお金を貯めるのと同じ感覚で、時間を節約することに、大きな満足感を得る動物なのかもしれません。実際、発車間際の電車に飛び乗った時には、他人の迷惑など考えず興奮と緊張の伴った何ともいえずいい気持になったり、逆に慌てて走りこんだホームでタッチの差で電車のドアが閉まった時には、腹立たしく惨めな気特になったりします。もっとも、乗り遅れた時など自分自身を客観的にみて馬鹿なことやってるなと、妙に、愉快な気分になったりもします。
このような気分の変化は、人それぞれに備わった競争心と、のんびりやりたい気持ちのバランスによるものと思われます。いずれにしても、夕食時には、一升瓶に2・3合のお酒が残っていれば、明日も飲めるなとにこにこした心持ちでいたいと思います。(『轍』1984 より)