| B | 我が故郷・・・ |
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輝かしい寒川の位置と詳細
(1999年04月01日現在) |
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![]() | 町章 |
寒川の「サ」の頭文字を示し、町の平和(円)と町民の団結(クサビ)を表しています。(昭和25年10月11日制定) |
面積 | 13.42ku | |
人口 | 46,965人 | |
世帯 | 16,017数 | |
町の花 | 水仙 | |
町の木 | 木犀 | |
町の鳥 | ダイサギ |
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輝かしい寒川の年表 |
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| 紀元前 | 縄文式土器を持つ人々が台地に住む。(県営岡田団地遺跡跡) |
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| 727 | 神亀4 | 寒川神社建立と伝えられる。 |
| 775 | 宝亀6 | この頃、旧東海道が本町を通ると伝えられる。 |
| 791 | 延暦10 | 坂上の田村麿呂が田村の渡しを通ると伝えられる。 |
| 931 | 承平年間 | 「和名抄」に高座郡寒川郷の名が見える |
| 1182 | 寿永元 | 源頼朝、嫡男誕生につき寒川神社に神馬奉納(吾妻鑑) |
| 1190〜98 | 建久年間 | 梶原一門、一之宮に住み寒川付近を領す |
| 1191 | 建久2 | 明神社の浜降祭はじまる |
| 1569 | 永禄12 | 武田信玄、小田原攻めに向かう途中、寒川神社に戦勝祈願のため兜を奉納(文部省指定重要美術品) |
| 1604 | 慶長9 | 家康が往復するなど、この頃中原街道がにぎわう |
| 1842 | 天保4 | 寒川の戸数633戸 |
| 1873 | 明治6 | 咸章(宮山)も雍和(小谷)、明章(岡田)、博習(一之宮)、特許(倉見)の各学舎(学校)がそれぞれ開校 |
| 1889 | 明治22 | 11カ村が合併し、寒川村となる |
| 1916 | 大正5 | 旭・一之宮各小学校と寒川高等小学校が合併、尋常高等寒川小学校となり、旭・一之宮両校は仮教場となる |
| 1920 | 大正9 | 初めての国勢調査 寒川村の人口5,364人 世帯数907戸 |
| 1921 | 大正10 | 相模鉄道、茅ヶ崎・寒川間開通(当時は相模川の砂利運搬が主) |
| 1923 | 大正12 | 関東大震災 死者37名 家屋倒壊575戸 |
| 1926 | 大正15 | 相模鉄道、倉見まで開通(全線開通は昭和6年) |
| 1936 | 昭和11 | 寒川浄水所より県下に送水開始 |
| 1940 | 昭和15 | 町政施行、寒川町誕生、人口6,772人、世帯数1,146戸 |
| 1944 | 昭和19 | 国は相模鉄道を買収、相模線となる |
| 1947 | 昭和22 | 寒川町立寒川中学校 開校 |
| 1953 | 昭和28 | 寒川町と神田村(現平塚市)を結ぶ神川橋完成 |
| 1955 | 昭和30 | 大野町(現平塚市)の一部を本町に編入し、工場誘致をはかる |
| 1961 | 昭和36 | 旭・一之宮各分教場が寒川小学校より独立、それぞれ小学校となる |
| 1965 | 昭和40 | 人口16,229人、世帯数3,594戸 5年間で1.4倍 |
| 1972 | 昭和47 | 寒川町立旭が丘中学校 開校 |
| 1976 | 昭和51 | 寒川町役場現庁舎完成 |
| 1978 | 昭和53 | 県立寒川高等学校 開校 |
| 1980 | 昭和55 | 寒川町立小谷小学校 開校 |
| 1989 | 平成元 | 寒川町立寒川東中学校 開校 |
| 1990 | 平成2 | 町制施行50周年 |
| 1991 | 平成3 | 人口45,400人 世帯数14,800戸 |
今はなき夢の跡・・・ |
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| ドリームランドモノレール | JR大船駅北口から戸塚『ドリームランド』までの全長**kmの路線。線路の耐久性が車体の重さに耐えきれないという「設計ミス」により現在運休中。運転再開の見通しは今もなお立っていません。 |
| 旧国鉄相模線西寒川駅 | (『廃線跡をたどって』を参照して下さい。) |
| 鎌倉シネマワールド | JR大船駅近くの松竹撮影所を一般開放したアミューズメント・パーク。1998年12月に閉館しました。 |
おらが町周辺の物産品 |
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| 都[みやこ]まんじゅう | JR平塚駅前やJR茅ヶ崎駅前に店があります。直径4cm厚さ1cmほどの丸型の大判焼のような饅頭で白あんが詰まっています。 |
| 湘南ビール | 茅ヶ崎市香川にオープンした「ビアホール」で味わえる地ビールです。オリジナルの瓶がとてもお洒落で人気があります。 |
| 寒川最中[もなか] | 実はあまり口にしたことのない銘柄です(*^_^*)。幼い頃から店の前を横切ること多かったのでいつの間にか覚えてしまいました。 |