第1回 立花の歴史のミニ知識

足利将軍家のお側衆として同朋衆(どうぼうしゅう)がおり、供華(くげ、仏前に供える花)の 系統を引く座敷飾りの挿花をしていました。一方で、京都の六角堂執行の池坊専慶は花の名手ですが生け方は解りません。室町時代末期に池坊専応によって池坊立花は成立したと言われます。池坊の様式の一つ「立花」は、2代専好(寛永、江戸時代前期)により大成されました。時に明治には、立花を立華とし、各枝の長さ、形など細かいところまで定められて、一つの形が完成されました。形にこだわり過ぎると、当然創造性が乏しくなります。そこで形としての古典と明治はそのままに、続いて生まれた立華を立花正風体とし、平成11年に現在の専永宗匠により立花新風体が発表されました。新風体立花のポイントは「風の加減によって、凧の糸はピンと張り詰めたり、湾曲してしなったりする。その風の力そのものから、感じる何かを表現するのである。すなわち、見えない風の姿をとらえるのが、生け花である。見えない何かを、草木で表すには、生命の発端である水際に焦点をとらえること」です。また、正風体のように役枝にも出にもあまり制約はありません。下の図は専好と孫の専養の立花図です。のびやかで、素朴な草木の美しさが表れています。
【参考文献】立華 伊藤雅夫(講談社)

専好の芍薬立花 専好の立花 専養立花図


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