仲間との貴重な関わり

(MBI CROSSROADS No.34 March 2001)

大東敏治(24期)

@2001年24日(日)、久しぶりに大学時代の仲間3人に会った。

  学外の勉強会で知り合った友人である。皆、大学は別々。卒業後の進路もばらばらなのになぜか気が合う。毎年、忘年会ではなく新年会として年初に会うことと決めて、近況を報告している。昼食を共にしながら1年ぶりの積もりつもった話を楽しんだ。

  一人は損保会社から今、生保子会社に出向中。その会社が今年、親会社とともに他の旧財閥系保険会社に吸収される。一人は転職を繰り返し、現在は大手家電メーカーの部品製造下請会社に就職している。連発するコスト削減の要求に悩まされているという。もう一人は大学勤め。公立大学も少子化の波が押し寄せて合併の動きが始まった。

  彼らは複雑な仕事環境を率直に話してくれる。プライベートなこともお互いに打ち明けられる。団塊の世代は死ぬまでもまれっぱなしだ。「こういう大変化の時代に遭遇して大変ではあるが、考え方によれば話に事欠かないから幸運だね。それぞれ世の中をよ〜く見て、来年また会おうや」

A私は3年前にJTBと共同出資で「バンカーズパートナー」という会社を設立した。

  仕事は、銀行に対して個人顧客向けのサービスを提案すること。そしてその提案が受け入れられれば、それを実行する。ただし実際に行うのは外部のパートナー。その方が良いサービスが提供できる。社内になんでもかんでも抱えていると硬直化してしまう。

  因みに我が社のスタッフも基本的にパートナーの関係。半年俸制で出入り自由、役割分担、勤務時間、勤務形態とも自由。なぜか誰も辞めない。私の方がいつか辞めさせられるのではないか、と内心びくびくしている。

B大学時代に一年間休学して世界一周した。

  その時、カリフォルニアのラグナビーチという洒落た港町に半年住んだ。住み込みのアルバイトを新聞で見つけて、日系二世が経営するローカルレストランで働いた。夫婦は農場で苦労して働いて貯めたお金で、海岸を見下ろす一軒家とこのレストランを手に入れた。

  この夫婦は太平洋戦争中、ユタ州の強制収容所に入れられていた。収容所で同じ経験をした親しい人達とは、その後もずっと連絡を取り合っていた。

  比較的近いところに住んでいる人たちは、時折週末にピクニックと称して集まってバーベキューを楽しむ。ちょとしたことでもお互い情報交換する。私がその日系人の家に住み込むようになったということは、あっという間に連絡網で知れ渡ってしまった。

  中にはカリフォルニア州以外の人もいるが、冠婚葬祭となれば必ず連絡が来る。誰かが出世したとか不祥事をしでかしたというニュースは、たちまちのうちに広がってしまう。

  それまで話に聞いてはいたが実態がよくわからなかった日系アメリカ人の社会にたまたまに接することができた。

Cこれは、10年後の想像の話。

  私はバリ島の山の中腹に住んでいる。近所の礼儀正しい人たちとすっかり仲良くなって平穏に暮している。

  朝食後のんびりテレビを見ていると、東京の会社から電話が入る。現役ではないが、時折、状況報告がてらに連絡が来る。受話器を取ると同時に作動する画面からオフィスの様子が映る。「銀行のVIPが銘柄指定でイタリアワインを欲しがっているが、どうやって仕入れたらいいか困っている」と言う。早速ミラノの知人に依頼のメールを送る。夕方には返事が来るだろう。

  さて、今日は昨日の続きで水田の草取りでもするか!

  ネットワークとは普段特に気にすることもないが、このような人と人とのさまざまな関係を言うのだろう。