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思ったこと



「私の先輩と日本人であるということ」


この歳なので多くの諸先輩方に教わりながら生きてきたが、基本的に私は個人崇拝はしないと思っている。(と意識的に思うことが 多分に怪しいが。)その代わり多分に影響を受けたと思うことにしているのだが、そういう先輩が少なくとも2人いるのでその人を絡めて書こう。
K先輩について。居合いの道場にいた頃の先輩であり、私が東京に戻るまでお付き合いさせて頂いた先輩である。(もちろん男)
この人の自慢を私がするのは妙な話だが、人に見せたい、会わせたい。話したくなる人なので書く。年齢は大分年配で私より一回り以上離れており、スーツを着ると何処にでもいる「おやじ」であろう。いや、あの背の高さに加えて、無駄肉のない体系は体育の先生を連想させる。もっとも顔だけ見るとインテリの学者風で、さらに喋らせると大学の助教授、高等学校の先生、といった感じである。
K先輩とは道場内での付き合いであったが、私のことをなぜか気にかけてくれていた。最初にいくらか話した後からだが、何か会い通じるものを感じたのだと思う。(だからといって私がK先輩のような人だといいたいわけではない)
この人は見かけと違い、古典的な精神を追求されており(とかくと安っぽい、それ以上になんだか分からないな。)その手段としてあらゆる武術に通じている猛者であった。
それこそ、居合いはもちろんのこと柔道、剣道、空手、合気道etc。
実際、K先輩と稽古に臨むそこにはインテリの風貌は無い殺気立った大男がいつもいた。
手を抜かない人なのだ。
そんな先輩であったので、結婚していないということについて何故だろう?と疑問に思う人が多くおり、私もその中の一人であった。
噂ではあったが、いろいろかんぐる人もいたようである。私はどう感じていたかといへば、なぜか?という思いはあったが、この人の行うことにはそれなりの意味があるような気がしていたものである。
といってもやはり尋ねてみたくなり、ある酒の席で尋ねてみることにした。(酔っ払ったいきおいがほとんどだが)
「結婚寸前まで行ったことはある」
「若い頃だった」
そんなことを話してくれた。それからK先輩は私にこう尋ねた。
「丸山君は人に差別されたことはあるか?」 唐突な内容だと思ったが、私は特別そのようなことを感じたことの記憶が無かったので「ありません、したことはあるでしょう」と答えた。
この話題についてその後大いに語ったというわけではない。ただ、そのあとK先輩が過去の「結婚寸前まで・・・」の話に多少の補足を加えてくれた。相手が異国の人であったこと、ということを。
その方が何処の国の方なのかわからないが、「差別されたことはあるか?」という問いかけにヒントがあったのかもしれない。そもそも、「差別したことはあるか?」と聞くべきことを、「・・・されたことはあるか?」ということにわざわざk先輩の配慮で置き換えたのか、k先輩自身差別されたのかわからない。
K先輩が独身で通しているのはK先輩の大きな理由があったということである。
日本国内の差別といへば、男女、在日、同和、少数民族、宗教etc頭に浮かぶ。K先輩の話でとっさに浮かんだのは在日朝鮮人だったのかな、ということぐらいだが。
「日本人とは?」という問いかけがこの問いにあったかもしれない。
私は歴史が好きで、日本人の魂は過去の歴史にあるのだなどと給ってしまう一人であるが、そう思えば思うほど、国籍とは?民族とは?の壁にぶち当たっている。

「上の続き」

日本国内で青い目の人を見ると無条件に異国の人である。この人の国籍は何であるかなどほぼ考えない、といってよい。
そしてこの人が日本人であれば、そして日本史は知ってるのだろうか?などと考えるだろう。(私は)
大きなお世話であり、例えば尊敬すべき美徳を持ち合わせるのに日本史は無用であってもだ。
日本史から引き出される、古典芸能的な習慣、あるいは無理に歴史そのものを押し付けようなら過去の繰り返しになるのにもかかわらず。
私自身結論らしいものはない話であった。改めることはあるであろう。





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