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「高度情報化社会って?」


高度情報化社会とは?なんてことは随分前からいわれているし、科学技術分野は日々発展、発達を遂げている以上その中身も大きく変貌しかるべきである。
個人レベルで考える時には、要はその人にとって必要な情報をいかに早く、適切に抽出出来る社会の実現に他ならないと思う。

情報をいかに適切に抽出するかであるが、現代においてはあまりにも多様な多くの入手手段があり情報そのものは垂れ流し状態と言っても良いであろう。意識的に追っかけていかないとなかなか思うような結果は得られない。そういう意味では情報を求める側の判断、意識が大きく物を言うので個人の意識向上に与える影響は大きいものであろう。

しかしながら情報の氾濫(氾濫といおう、意識、無意識に関わらず多くの情報は否応なしに飛び込んでくるものなのである)は、個人の世界を広げると同時に実際の行動範囲を狭くしているような気がする。
何か事を起そうという時、出来る限りいろいろ知っておきたいと思うモノだが、その事を起す必要を無くすぐらい情報は集まる。
それによってその後の行動にどう影響が出るかはその人次第なのだが。

「耳年増」が増えてきているのが何とも残念なのである。
先人の教えに従って人類はきっと繁栄してきたのだろうし、過去から学ぶことは多く、またその道の第一人者から多くのことを学ぶことも同じ事であろう。
ただね、自分が今いる場所、スタンスが曖昧な状態でどうして適切な情報が得られようか?
我が身ばかり振り返ってても大物にはなれんかも知れんが、スタートはみな同じなのだ。
何もやりもせんで、やった気になってしまう一種の覚醒状態の人が多いのだ。
2.3段の階段を駆け上がるのは可能だけど、10.20段はそうはいかないものだ。
登ったと思うのなら周りを見て自分の位置をその時こそ確かめるべきである。
砂上の楼閣の上にいても、後どうなっても知らないよ、と思うわけである。
やはり何事もこの手で、この足で、その他あらゆる機関、機能を使って実感してゆくべきだと思うのである。

おやじの能書きでした。

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