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小田原編
12月26日(土)快晴
本来ならばもう少し早い時期に行くべきであった小田原へ、年内残りわずかという26日にやっと行く予定を立てることが出来た。
茨城、埼玉北部に行くことと比較するとずっと気分的には近く感じる小田原である。
今回は同僚N君とやもめ男2人で行くことになった。(結局お互い暇なんだな)
前日(12/25)の疲れ(公演、忘年会)を体のあちこちに残し、朝9:30日野駅前待ち合わせという誠勝手なスタートでいざ小田原へ。
日野駅前「新選組」ショップ。
土方頼みの日野なのだ。
とりあえず厚木から小田原厚木有料道路で小田原城を目指すのが最初の目標である。
その後は向こうで考える腹であった。
そして16号で厚木方面へ。
しかしやっぱ混むんだな。で面倒くさくなり厚木は止めて町田から東名に乗ることにした。
時間的には同じか。(東名1区間分、余計に費用がかかったが)
走行中の1コマ。ハンドル握る手は私の手なのだ。
12:00頃小田原着。
とりあえず腹ごしらえしたく城址公園の駐車場に車を置き駅前散策。
「釜市」という釜飯屋にて五目釜飯を食べたが美味しかった。
さて小田原城である。
小田原と言えば「小田原評定」、戦国時代、北条氏の夢の跡である。
小田原城が最大規模を誇ったのは秀吉の小田原攻めに備えるべく整備された時である。
小田原には北条氏が拠点を構えるまでは大森氏が城を構えていた。が北条早雲以降北条氏の関東経営の中心となった。
そして早雲〜氏綱〜氏康〜氏政〜氏直と5代96年、秀吉の小田原攻めまで栄華を誇ったわけだな。
氏康の時代は「関東3国志」時代で、武田信玄、上杉謙信、北条氏康3つ巴で時には手を握り、時には互いに攻め合い織田信長の天下統一つを助けたとも言えなくはない。
小田原城は謙信率いる10万の軍勢にも耐え、信玄の来攻にも耐え、5代目氏直で実質的に滅んでしまった。氏康と氏政、氏直親子の能力差で城が落ちたといったら実も蓋も無い話だが
天下取りの競争に入れるに充分な資格を持っていただけに残念である。
北条氏が領内で行っていた政治は他の諸侯には見られないほどの良政であっただけになおさらだ。
ちなみにこの北条氏滅亡の際、主を失った浪人が関東を横行、それを一気に召し抱えたのが江戸入部後の家康で「八王子千人同心」がそうである。
その小田原城。
ぽつぽつと日向ぼっこしている人もおりのんびりした雰因気である。
そして象がいた。
疲れはててるN君も・・・。
象だけでなく他にもいろいろいた。
その後天守閣に昇り中を廻る。
北条氏だけでなくその後入場した大久保氏や江戸時代、小田原の人々の暮らしなどの資料展示でした。
そして小田原城をあとに箱根でも行こうか、ということで足早に立ち去ったやもめ男2人であった。
国道1号線に入り箱根駅伝の大変さを感じながら箱根を通過・・・。
知らない間に138号に入っていたのだ。
標識は見て走らないとだめだな・・・。
戻るのも面倒なので帰りは中央高速にすることにして、ひたすら北上。合間合間に富士山を見ながらの走行となる。
夕暮れの富士山。
奇麗でした。
途中N君が突然悲鳴をあげた。
「げっ〜ベルトが切れたぁ〜」ズボンのベルトが切れたのか。
そういうこともたまにはあるな。
帰り際立ち寄った山中湖。
寂しい感じ。
そして日が完全に暮れ
帰路についたのだ。
お疲れ様でした〜。
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