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東京、日野紀行


7月20日(月)快晴

暇な一日をどう過ごそうかと思案した結果、日野市民の自覚をちょっとだけ持とうと日野史跡巡りを行う事にしたのが前日の事である。
テルテルボーズを作り、興奮して眠れず当日の朝を迎えたわけでもなく、寝過ごしたらまあいいやという軽い気持ちで20日の朝ではなく昼を迎えた。

さあ、いざ日野市巡りだぞ!と思いっきり喝を入れ(入れなければまた布団に入ってしまいそうだった)、何処からいくべと間際になって具体的なプランを持っていない事に気づいた。
そこで早速、インターネットに接続、「新選組」をキーワードに検索、プラン無しとは云うもののやはり「土方歳三」から行こうという気はあったのだ。
結局「多摩の人と歴史」というサイトを食い入るように眺め頭にインプットした。

まず、高幡不動金剛寺に行き、そして石田寺、「土方歳三資料館」、佐藤邸というプランにする。時間潰しと考えていたが結構面白そうになってきた。これも先に見たサイトのおかげであろう。

閑話休題

土方歳三について。
わざわざ書くまでも無いが、幕末倒幕派を震え上がらせた新選組の副局長である。
局長は近藤勇、他に沖田聡士(字が違うかも知れん)、山南敬介、井上源三郎などがいた。
もともとは尊王思想を掲げていたが、京都の王城警護をしていた会津藩のお預かりにて、武闘派集団の印象が強くなる。
池田屋の変から戊辰戦争まで一貫して幕府側として闘いつづけ、土方に至っては函館戦争まで転戦、5/11戦死。享年35歳。
あの激動の時代に自分の行く末をどのように感じていたのだろうか?
特に王政復古から戊辰戦争に至る経過を見れば徳川家の存続に関しては100%安泰といい切れない物を感じなかったのだろうか。
新選組がある限りという意気があればこそ内部粛正してまでも鉄の団結を保持してきたわけだが。
彼の写真(総髪、洋軍服)を見ると決して先を見る目が無いわけではなく時勢に鋭そうな頭のよさが伺える。
その彼があえて選んだ選択を、あくまで結果論でしか言えないが、首尾一貫した行動には人間として尊敬してしまうし、切なくなってしまう。
この時代は、間違いなく無名の人に至るまで老若男女問わず、このような人が多かったのだと思う。


さて日野史跡巡りである。
それではまず、高幡不動に行こうと出発。ズボンのポケットにデジカメを詰め込み、財布、ライターを押し込んだらパンパンになった。
行く前に見晴らしのよいところから高幡方面を撮る。外で撮った記念の一枚目である。



向こう側が高幡不動である。
田舎だ。





高幡不動に到着。
所用時間約15分。
近いのだ。が、じっくりと金剛寺は見た事が無かった。よい機会である。
駅前に来るのも久しぶりである。駅前はこんなに狭かったかな?と思いつつ歩く。古本屋は以前のままだ。
で到着。


そんなに人はいない。
天気もよいし、
多摩テックや多摩動物園は
混んでいるのであろう。





入るとすぐ左側にある。
「土方歳三」像である





と、このように写真を撮ったが実は結構恥ずかしかった。
誰かバシバシ撮ってるやつがいるわけでもなく、ズボンのポケットに押し込んだカメラを最初は出すタイミングを逸してたりしたのだ。




中は結構広い。
歩いてくると暑さのせいもあるが汗がじんわり噴き出すほど歩き応えがあった。



鬱蒼と茂った山の中に入る。
上り坂は誰に合う事も無かった。






そんなこんなで、ここはお終い。
別に時間が押してるわけでもないが、やはり間が持たない。
その前に、駅前にいつ出来たか知らんが立派な本屋があるので入った。
石田寺の場所を確認しようと思ったのである。行く前に食い入るように見た地理が薄れていた。
日野高の近く、だったはずだと地図のコーナーに行ったら多摩の旅行案内があった。
読んでいたら行った気になってもう帰ろうかなどと考え始めたが、ここは踏ん張った。

で、石田寺である。

所用時間5分。
うーん、近い!
住宅街の中である。
胡散臭いおっさんが歩いている印象であろう。
何か事件が起きたら私の人相書きがばらまかれるのだな、と思い「資料館」を探す。 が無い。 日野高の方へ行くがやはり無い。


こんなのがあった。
日給3万円、とある。
集中力が欠けてきたのだ。(最初もあまり無かったかもしれない)




そんなことで紀行は終わる。
佐藤邸はいつか思いっきり気が向いたときにしようと固く心に誓った。
歳三まんじゅうを買い忘れた事に気づいたが、躊躇なく自宅へ向かったのであった。





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