タナカユキエ
| 「コミトレのホームページをつくろう!」そう発案したのは去年のちょうど今
ごろ。 CTTTでプロジェクトをつくって推進させるというプログラムの中でのこ と。 気が多いのか(?)わたしは数多くのプロジェクトをつくって、挑んでい た。 コミトレを大学のゼミ形式でやる!音とコトバと絵の企画展をやる! 本を出 版する!ホームページを立ちあげる!などなど。 突拍子もないように見えるが、 同じ時期に自分の中からでてきたもので、同じ 線上にあるプロジェクト達。ひと つ動かしていると、実際に手をかけていない プロジェクトも推進しているなぁと 感じられるようになったのは、このホームページ プロジェクトの動きを見られる ようになってからのこと。 わたしにとって、このプロジェクトは自分が機能して いるのか、停滞しているのか 計るものさしにもなるし、作業を完了させるごと に、新しい突破が開いてきたりと 本当に自分をうつす鏡。 今は、このエッセイを 依頼されてから、ずいぶん経っているのに、形にできなくて ちょっと重荷だ…と 感じる反面、実はわたしはタイトルを与えられて、 作業をすることに二の足を踏 むことが多いなぁと掴んでみたりする。 実は、先日はCTTTのメンバーと共催して いるストーリーボックスを開催。 その報告書を書かなきゃ書かなきゃと思えば思 うほど、筆は進まない。(笑) こちらは、メンバーの花森さんの力を借りて、電話をしながらモチベーションを あげて一気に書き終えたんだけれども。 |
| さて、このホームページプロジェクト。 ここまでくるのに、本当にいろいろあ った…と書いてみて、そんなに何が あったっけ…?ととぼけているところもある んだけど、昨年の10月あたりから 地獄のような(?)毎日だった。 人と一緒に プロジェクトを進行するということがこんなに苦しいことだとは…・ 今までひと りでやり進めていたんだなぁと実感。 人とやってるツモリ、本当はひとりよが り、だったっていうこと。 人を含んで物事動かしていくということはものすごい ストレスを伴うことだった。 「あ〜、もういや。やめてしまいたい。」と思ったこともしばしば。 いつでもや められる、という自由さの中で、やめるということを選択するのは 勇気がいるこ となのかも。 やめるという決定をだせないまま、混沌としたわたしの毎日は続い ていった。 今年に入って、1月。この混沌さからなんとかでてきたわたしは、 もう一度や ろう!って決める。 やっぱりどんなときもわたしを放り出してくれるのはミスチ ルだった。(笑) 何度も何度も聞いては、そのときどきの意味を聴く。 たしか混沌から出てきたときも、「なぁんだ、そっかそっか。」みたいな感触だったと 思 う。(ここ、なんのこっちゃ?と思ってる人も多いと思うけど、コトバで 説明で きない…コトバで飯食ってるんでしょ!とやじも聞こえてきそうですが(笑)) そして、でてきたとき、そこには「このプロジェクト形にしようよ」と待ってく れている メンバーがいた。 そこからは、自分で言うのもなんだけど、いや〜許容 のスペースって いうんですか〜押し付けのない、勝ち負けのゲームのないスペー スが 広がったのでは?と ふりかえるとそう見えたりする。(本当のところ、どう だったんでしょう…?) 結局、わたしはwebに関する知識も技術も一向に身に つかないまま、 オープンまでこぎつけてしまった! いや〜、naoさんお疲れさ ま。すっかりwebの世界に足を踏み入れてしまったね(笑)。 みなさんのおかげで、こうして立ちあげることができたコミトレホームペー ジ。 感謝!感激! このスペースでより多くのコミュニケーションが起こって、コ ミトレのセンスでも なんでも使って楽しく自分の人生を謳歌できる人がひとりで も増えたらいいな、と 感じています。 自分の命に意味をつけるのは自分なんだからさ。 |
1999.05.03
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