藤子不二雄A先生の不朽の名作

少年時代「疎開日記」

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このページは、故・柏原兵三氏の「長い道」を原作に藤子不二雄A先生のアレンジを加えた名作漫画「少年時代」のストーリーを、主人公・進一の当時の日記として紹介するページです。日付は適当です。
お断り:このページは本文を読み易くする為の対策として、本編「少年時代」に日付的な編集をしていますが、(例えば、本編で1日のストーリーを長すぎる為、3日分に分けるなど)本編の内容自体にはなんら変更をくわえていません。
少年時代 「週刊少年マガジン」昭和53年37号〜54年34号連載。
平成2年8月、東宝系にて映画化。企画・製作 藤子不二雄A 脚本/山田太一 監督/篠田正浩
井上陽水のヒット曲「少年時代」は、この映画のために作られた主題歌である。

 夏のある夜、僕は上野駅21時18分発の寝台特急「北陸」に乗った。
次の朝の4時頃…寝台車の窓に夜明けの日本海が見えてくる…。
4時10分、北陸本線「泊駅」に止まる。僕はここで降りた。
 駅前にタクシーが一台、そのタクシーに乗りこむ…。
僕は34年ぶりにここへやって来たのだ。まるで、タイムマシンに乗って昔に戻るような気持ちだった。

 やがて、かすかに記憶が残る風景が次々に現れ、僕は興奮を抑えることが出来なかった。

僕はとうとう戻ってきたのだ!この長い道に!!

 僕の名前は風間進一、当時、世田谷国民学校の5年生だった。
だが、昭和19年の夏、この富山県下新川郡泉山村まで学童疎開してきたのだ。
あの日の、あの頃の日記帳が引っ越しの時の棚卸しで見つかり、急に懐かしくなってこの地に戻ってきた。
 稚拙な文だが、思い出すには充分な内容だった。それだけで、当時の匂いが伝わってくる。そんな日記だ。

 今日はこの思い出の地で、ボロボロになって変色してしまった当時の日記を読みながら、じっくり噛み締めたいと思う。タケシを初めとする、あの懐かしいやつらの想い出、ぼくの『少年時代』を…。

夏の日記

 昭和19年8月6日                                      
                                              
 今日、泉山村についた。これからぼくと弟の進二のふたりは、この村で暮らさなければならなくなった。縁故疎開で、東京から富山県までやって来たのだ。ぼくたちは東京の暮らししか知らない。東京とこの村でのしきたりとはちがいがあるだろう。                         
 だからぼくたちは色々いやな思いやつらい目にあうことが多いと思う
けど、兄弟仲良く団結していけばつらいこともはねのけていけると思う。                          
 お母さんが光禅庵の前で待っている。ここが、これからぼくと進二が暮らす場所だ。       
どうやら庵主さんがいなかったらしいけど、あとから庵主さんがやって来た。ぼくたちを迎えに泊駅まで行って行き違いになっていたみたいだ。                           
 庵主さんはぼくたち兄弟がお世話になる所の人で、
最初見たときは男か女か分からなかったとても 
優しくていい人だ。でも、初めての場所ということで、今日はなかなか寝付けなかった。      
                                              
 昭和19年8月7日                                     
                                              
 なかなか寝付けなかったので早く起きて近くを散歩することにした。まわりには田んぼや畑しかなくて
人も農家の人ばかり、ぼくをじろじろ見ているのが気になった。村外れまで行くとひとりの男の子に出会った。「おまえ、光禅庵に来た進一だろ」どうして知ってるのか聞いたら、どうやら村中に僕らのことは
知れ渡っているらしかった。村の人たちはそれを知っててぼくを好奇の目でみてたのだ。       
 その子は、タケシという名前で、庵主さんの話だと泉山村一番感心な子らしい。お父さんが体が弱い
から、毎日田んぼから山までよく働くらしい。成績も一番の優等生だと庵主さんとお母さんがうわさ話を
していたら、偶然そこにタケシがやって来て、ぼくにスイカをくれた。自分で作ったという。    
 ぼくはタケシといい友達になれると思った。五年生らしいので、ぼくと同じくラスになるかも知れない。そう思うと学校に行くのが楽しみになった。                        
                                              
 昭和19年8月10日                                     
                                              
 タケシが海に泳ぎに行こうとさそいに来た。庵主さんは「タケシくんといっしょなら心配ない」とワラゾウリをくれたので、それをはいて出かけた。タケシはとても足が速くついていけないと言ったら、山に登って足腰を鍛えるといいと言われた。                            
 途中で、地元の子供達にぼくがからかわれたけど、タケシが「進一は東京から疎開してきたんやぞ!!それをからかったりする奴は泉山村のはじや!!」とぼくをかばってくれた。うれしかったのと同時に、タケシがこの村の子供達にただならぬ力を持っていることを知った。                 
 1時間かけて着いた石浜村の海はとてもきれいだったけど、ぼくは海で泳いだことがないのでしばらくタケシの泳ぎを見ることにした。そしたら、うしろから石浜村の子供達がやってきてぼくの周りをかこんだ。「ここは石浜やというのに、東京もんがよく泉山からきたもんよなぁ」とにらみつけた。     
 タケシはそのことに気が付いて海を上がってぼくの方へ来てくれた。この時タケシが救いの神のように見えた。「おっ、泉山村のタケシやが!」ここでもタケシは有名らしい。こんなのに構わないで泳ごうとタケシが言ったので、二人で海に入ったら、うしろからやつらが石を投げてきた。石はぼくの背中やタケシの頭に当たった。怒ったタケシは石浜のボスの鼻をへし折って気絶させ、それでもあきたらず鉄拳制裁を浴びせた。血だらけになったボスを見てぼくはタケシを止めた。                
 帰り道、石浜の連中が仕返しに来ないかと不安だったけど来なかった。ぼくは助けてくれたタケシに感謝したけど、怖がって二度と手出しが出来ないように徹底的にやっつけたタケシが少しだけこわかった。 帰りにタケシが本を貸してくれと言うので「少年倶楽部」をかしてあげた。タケシは嬉しそうに少年倶楽部を借りていった。さっきの凶暴なタケシとはまるで別人の顔だった。              
                                              
 昭和19年8月13日                                     
                                              
 庵主さんが2学期から通うことになる学校に下見に連れていってくれることになった。庵主さんと進二の3人で歩いていると、背中に赤ちゃんを抱えたマサルという太った男の子にあった。マサルくんが学校に連れていってくれると言うので、ぼくと進二は庵主さんと別れてマサルくんと学校に向かった。  
 後ろを山に囲まれた学校に着いた。夏休みなので、学校の中には誰もいなかった。        
学校を出ると、今度は裏山に連れていったくれた。マサルくんが百合の根っ子を掘って水洗いをして食べ
させてくれた。甘いようなほろ苦いような不思議な味。マサルくんは他にも「すっぱいけとうまいぜ」
と言いながらスカンポという植物を食べていた。彼はぼくの知らない知識をいっぱい持っている事を感
心した。                                          
 それから泉山に登って泉を見せてもらった大きくてとても奇麗だった。それからマサルくんは小粒のイチゴを採ってくれたりもした。甘くてとてもおいしい。進二も大喜びだ。              
 そうやって遊んでいると、タケシが山にやってきていきなりマサルくんを殴った。庵主さんがぼくらの
帰りが遅いことを心配だということをタケシに言ったらしい。だからタケシが飛んできたのだ。   
 それまでマサルくんや進二と楽しく遊んでいたのに、雰囲気はぶちこわしになった。ぼくはタケシに
「山を案内してくれとマサくんに頼んだのはぼくだ」と言った。でも、マサルくんは「おらが悪かった」と言っていた。マサルくんに罪はないのに…。                         
 タケシがぼくに帰ろうと言ったけどぼくはマサルくんと帰る。と断った。タケシの高圧的な態度ががま
んできなかった。でもマサルくんはタケシと帰ってくれと困った顔でぼくにお願いした。しかたなくぼく
はタケシと帰った。タケシはムスッとした表情だった。タケシの命令に従ったみたいでいやな気分になった。                                            
                                              
 昭和19年8月14日                                     
                                              
 ぼくと進二は、庵主さんとお母さんと一緒に、校長先生に転校のあいさつに行った。       
道の途中でマサルくんにあったけど、妙によそよそしかった。ぼくにはこれがタケシのせいだと分かっていた。校長先生にあいさつをした後、校長先生は親せきの女の子を紹介してくれた。       
美那子さんといって、ぼくと同じように東京から疎開してきたという。結構カワイイ子だったのでちょっと
緊張してしまった。それよりも、その日に東京にお母さんが帰ってしまったので、寂しくなってしまった。
 これからは進二とふたりぼっちでやっていくことになると思うと心細い。             
                                              
 昭和19年8月25日                                     
                                              
 田舎の暮らしにもだいぶ慣れてきた。むしろ東京では見ることの出来ない植物や山や谷など毎日遊ん
でもあきない。これは結構予想外だった。タケシやマサルなども、東京にはああいう子はいないので 
新鮮だ。                                          
 今日は、タケシがお宮さんに連れていってくれた。お宮さんには4人の子どもがいた。その中にはマサルの姿もあった。タケシは4人にぼくを紹介してくれたけど、ノボルという子が、校長先生の家に行った
のは「自分を級長にしてほしいと頼みに行ったんだろ」と意地悪を言った。タケシが止めてくれたので、
とりあえずケンカにはならずにすんだ。ぼくはもともとケンカをするつもりはないけど。       
 みんなが西瓜を取りに行くというので着いていった。どうやら、畑から盗むらしい。       
タケシ達が盗んだ西瓜を川に流すという作戦を決めてみんなが配置に付いた。ぼくはマサルくんと一緒
に流れてきた西瓜を受け取る係りだ。ぼくは不安だったけど、マサルくんが「タケシに任せておけば心配ない」というのを聞いてタケシには人望があることがよく分かった。              
 流れてきた西瓜を川から取り上げていると、畑の持ち主らしい人に追いかけられた。なんとか逃げの
びたけど心臓が縮む思いをした。その後、盗んだ西瓜をお宮さんで食べた、甘くておいしい黒部西瓜と
いうらしい。悪いことをしたので、ちょっと気が引けたけど、あんな思いまでして手に入れた西瓜なの
で、その味は格別だった。でも困ったのが、夕飯が西瓜の食べすぎで入らなかったことだ。     
                                              
 昭和19年8月31日                                     
                                              
 いよいよ夏休み最終日だ。夕方タケシが散歩に誘いに来て進学について話した。タケシやぼくは進学
予定だけど、他にはみんな進学しないと言う。こっちではそれが普通みたいだ。          
 更にタケシは中学の途中から少年飛行兵になりたいと言ってた。ぼくがそれまで戦争が続くかなと言っ
たら、たけしは猛烈に怒った。タケシがはげしい愛国少年だと分かった。ぼくも日本が負けるとかは思っ
てないけどタケシみたいに強い考えはなかった。やっぱり東京人は冷めてるのか?          
 道ばたで、校長先生の親せきの美那子さんに会った。ぼくが美那子さんにあいさつすると、タケシは
帰ると言った。ぼくが呼び止めたのも聞かずに行ってしまった。どうしたんだろう。        
 美那子さんとは東京と言うこともあって、とても話が合った。途中でタケシの話になったとき、美那子
さんはタケシのごうまんな感じがするところが気に入らないと言った。おどろいた、ぼくもタケシの人を見下すような態度はいやだったんだ。美那子さんは直感がするどいな。             
 途中でノボルくんに声を掛けられたので、美那子さんを紹介したら紹介した言葉をマネされた。   
それは腹を立てた美那子さんが「いきましょう進一さん」と言うと、ノボルくんも、「いきましょう進一
さん」とマネをした。ぼくは急にゆううつになった。明日、学校へ行ったらきっとこのことで、ノボルく
ん達にひやかされるに違いない。                               
 夜、マサルくんが家にきた。毎朝学校へ行ったら竹の束を木刀で20回たたかないといけないからと言
って、木刀を持ってきてくれた。それから7時にお宮に集まってから学校に向かうことも教えてくれた。 
ぼくは、そんなこと知らなかったので、大事なことをわざわざ教えに来てくれたマサルくんに感謝した。
マサルくんは親切な子なのでいい友達になれそうだ。                      
                                              
 昭和19年9月1日                                      
                                              
 登校初日だというのに遅刻してしまった。庵主さんが起こしてくれたのが7時半だったのだ。ハッキリ言
って遅すぎる。ぼくは進二とかけ足でお宮さんに向かったけど、当然お宮さんにはだれもいなく、学校での竹たたきも一人でやった。                               
 校舎にはいると、場所がよく分からないので小さな子に校長室の場所を聞いたら、逃げ出してしまっ
た。田舎の子どもは人見知りがはげしいんだな。                        
 ぼくの担任は山本先生という優しそうな先生だったので、少しホッとした。先生はぼくがタケシと友達になったというと、自分の個性を見失わないように気を付けなさいと言った。それから「友達になるのと子分になるのとは違うんだよ」と言われたけど、ぼくにはよく意味が分からなかった。      
 一時限目は国語の授業だった。前の席のシゲルくんという子から今やっている内容を聞いたら、東京
ではもうすんだところだった。ぼくは遠慮して朗読しないつもりだったけど、タケシしか手をあげないし
 ぼくも手をあげるしかなかった。ぼくの朗読に教室の中にざわめきが起こった。自分でも今回はうま
く読めたと、すこしだけ得意になっ朗読が終わってタケシの方を見ると、まるで無関心な顔で前を見てい
るだけで、ぼくはガッカリした。ぼくの最初の成功を喜んでくれると思ったのに。          
 ぼくの後でタケシが朗読した。ぼくはタケシの朗読にとても感心したので、授業が終わってから、その
ことを言おうとしたら、とっとと行ってしまった。シゲルくんは、ぼくがうまく読んだから、タケシが腹を
立てたのだと言ったけど、そんな事で腹を立てるタケシじゃないと思った。でも、夏休み中に遊んだタケ
シと違って、学校では妙によそよそしい。ぼくは不安になった。                  
 そんなことを考えていたら、教室には誰もいなくなっていた。タケシが呼びに来てくれたので助かった
けど「われがもたもたしているから先生に怒られた」と、言い方が冷たい。            
 講堂に着くとみんなが縄ないをやっていた。今日は奉仕日といって家からワラを持ち寄って縄をない、
その売り上げを国に寄付するという。ぼくはマサルくんに教えてもらいながら縄をなった。      
 そしたらノボルが縄をぼくの耳に入れてきた。やろてくれというと、また口マネをされた。ぼくはノボルを無視して縄をなった。とりあえず完成したのでマサルくんに見せようとしたら、ノボルが勝手にとっ
て引きちぎってしまった。ノボルはなんてことをするんだろう。ぼくが縄を取り返そうとしたら足をけられ
 「ほら、返してやるよ」と、口の中に縄を詰め込まれた。ぼくはがまんできずに泣いた!いたくて泣いたんじゃない。みんなの前ではずかしめを受けたことがくやしかった。              
途中でフトシくんが止めてくれたけど、タケシは無視して、助けに来てくれなかった。        
 帰りに美那子さんに誘われたけど一緒に帰ってまたノボルに冷やかされるのがいやだったのでことわった。帰り道、電柱にぼくと美那子さんの相合い傘があった。その先の道ばたにはタケシ達がいた。ノボルやキスケ、マサルくんもいた。電柱にぼくと美那子さんとの落書きをしたのはノボルに違いない。
できれば文句を言ってやろうと思ったけど、いい方に考えることにして「タケシくん、ぼくを待っててくれ
たの?」といってぼくが近づくとみんないっせいに歩き出した。しかもノボル達は歌まで歌い出した。 
「東京 東京といばるな進一〜 縄をくわせりゃ すぐ泣くくせにィ…」ぼくは必死に涙をこらえた。 
「東京 東京といばるな進一〜 すぐに美那子といちゃつくくせにィ〜〜」歌ってないのはマサルくんと
タケシだけだった。でもノボルがマサルくんをおどすので、マサルくんも歌い出した。ぼくはたまらず走って家に帰った。                                      
 うちに帰ると、お母さんから小包が届いていた。中身はぼくの愛読していた「亜細亜の曙」と「豹の
目」、「吼える密林」だった。疎開したときに持ってき忘れたのをお母さんに送っておいてとたのんでたものだった。さっそく一番好きな「亜細亜の曙」を読もうとしたけど、今日の出来事のせいで、そんな
気になれないでいると、タケシが家に来て、サツマイモをぼくにくれた。それからまた何か本を貸してくれというので「豹の目」を貸して上げたら、喜んで帰っていった。学校での冷たいタケシとはまるで別人だった。                                            
                                               
 昭和19年9月2日                                      
                                               
 今日の朝、タケシは僕を先頭にしてみんなで登校した。タケシの横はどうやら特等席みたいだ。   
タケシに本を貸したから、ぼくはタケシから特別扱いを受けたんだと思う。             
「豹の目」はタケシにとても喜ばれてうれしかったけど、ノボルがぼくに貸して欲しいといってきたら、タ
ケシは「われに読めんような字がいっぱい出てくるからやめろ」といった。貸すか貸さないか決めるのは
ぼくなのに、ノボルがなんかミジメに見えた。更にぼくは「吼える密林」や「亜細亜の曙」を持っている
ことを話したら、タケシは当然のように「それも貸してくれ」と言った。ぼくの大事な宝物をタケシに取ら
れているような気がして、言わなきゃ良かったと思った。                     
あっ、もうノートがないや。明日買いに行かなきゃ。                       

泉山村を跡にする