足塚不二雄
藤本 弘と安孫子 素雄の合作ペンネーム。
※ふたりが手塚不二雄と名乗っていた時期があり、さすがにそれはまずいだろうと「足塚」に変えた。
昭和20年9月、転校してきた安孫子素雄が小学校にてクラスメイトの藤本弘と出会う。
昭和27年「天使の玉ちゃん」でデビュー。
昭和28年。最初で最後の書き下ろし単行本「UTOPIA 最後の世界大戦」が出版される。
発売された当時は80円だったが、今では現存する実物が数冊しかなく、幻の単行本としてプレミアが付き、200万円以上する世界で最も高価な単行本となっている。
昭和2?年。工芸専門学校を卒業した藤本は、津田製菓に就職。しかし3日で退職してしまう。
同年。初の雑誌連載「四万年漂流」が連載されるが、あまりにもスケールの大きい構想だったためか
作者の力量不足で人気が全く出ずあっさり打ち切られる。
昭和30年
正月に高岡に帰省、気が抜けたためか原稿に穴をあけまくり、仕事を干される。
様子を見に安孫子が東京に戻ると、トキワ荘の鍵を高岡に忘れていた事に気付く。
昭和29年。『足塚』のままでは、手塚治虫を越えられないと言う理由から、「探偵王」に掲載された読み切り「宇宙鉱脈」から、二人のペンネームを『藤子不二雄』に変更。
藤子不二雄
藤本 弘と安孫子 素雄の合作ペンネーム。
代表作は「オバケのQ太郎」「海の王子」など。
両先生とも代表作と呼ばれるものは殆どこの時期に生み出している。
マンガに関してだが、二人とも遅筆である。
昭和62年「藤子不二雄」としてのコンビを解消。
解消の理由は「笑ゥせぇるすまん」と子供に夢を与える「ドラえもん」の作者が同じじゃまずいだろうという
事で安孫子先生側から藤本先生に提案した。(某テレビ番組より)
ただこの時点でまだ「笑ゥ〜」はリメイクされてなく、発表する作品の対象年齢が比較的高くなってきた
安孫子先生の藤本先生に対する配慮だったようだ。
ちなみにコンビ時代の収入は全て2人で折半だった。
もちろん藤本先生が「ドラえもん」で得た高額な印税も安孫子先生と山分けだったのだ。
解消後は事務所だった「藤子スタジオ」を安孫子先生が継ぎ、藤本先生は新たに「藤子プロ」を設立。
事務所こそ別々になったが、自宅は川崎市に仲良く隣り同士で並んで建っている。
昭和8年12月1日 富山県出身
「すすめろぼけっと」と「てぶくろてっちゃん」、その後「ドラえもん」で、小学館漫画賞を2度受賞。
他に2度受賞している漫画家に故・石ノ森章太郎がいる。
主な人気作品/ドラえもん、パーマン、オバケのQ太郎、T・Pぼん、キテレツ大百科、エスパー魔美
チンプイ、21エモン、モジャ公、海の王子、バケルくん、ウメ星デンカ、ジャングル黒べえ、ポコニャン
くじ引きでアニメ制作会社「スタジオ・ゼロ」の社長になったことも。
昭和54年 コロコロコミック創刊。今や200万部を誇る人気雑誌である「コロコロ」は、
元々「ドラえもん」の学年誌掲載分を再録するために創刊された雑誌なのである。
実際、コロコロ本誌用に描かれた「ドラえもん」は2本くらいで、後は大長編のみである(作品リスト参照)
昭和62年、長年続いたコンビを解消し、「藤子不二雄F」として再スタート。
このペンネームは現在「のび太のパラレル西遊記」「エスパー魔美 星空のダンシングドール」
のビデオで見ることが出来る。
昭和63年、「のび太と竜の騎士」で、日本アニメ大賞・脚本部門最優秀賞を受賞。
平成元年、「のび太の日本誕生」連載中に、石ノ森章太郎氏の薦めで
ペンネームを「藤子・F・不二雄」に変更。理由はカッコイイからだそうな。
平成8年9月20日
夕食後、川崎市の自宅にて「ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記」執筆中に
机に突っ伏しているのを家族が発見。病院に運ばれる。
平成8年9月23日
午前2時10分。再び目を覚ますことなく、永眠。享年62歳。
97年には、「ドラえもん」が、手塚治虫文化賞で第1回マンガ大賞を受賞。
喫煙家で、トレードマークはベレー帽とくわえパイプ。
ベレー帽は、安孫子先生の海外旅行のおみやげを譲り受けたものだ。
性格は温厚。口数が少なく、家族にもとても優しいお父さんだった。
睡眠時間は人間が健全に生きられる最低レベルとされる4時間を貫き通した。
自身の作品中では、よく猫のノミ取りシーンが見られる。
趣味は古代史、歴史などの取材で世界中を回ること。映画鑑賞。読書。
好きな作家にSFの大家・アイザック・アシモフがいる。「西遊記」や「アラビアンナイト」が大好き。
相棒の安孫子先生にして「僕にはといもマネできない」と言わしめたほどの天才漫画家。
昭和9年3月10日 富山県出身
主な人気作品/忍者ハットリくん、怪物くん、プロゴルファー猿、まんが道、オバケのQ太郎、笑ゥせぇるすまん
少年時代、ウルトラB、パラソルヘンべえ、魔太郎が来る!!、ビリ犬、ブラック商会変奇郎
昭和59年、60年に映画化された「忍者ハットリくん+パーマン」では、映画原作の連載を安孫子氏が担当。
見事なまでに藤本キャラであるパーマンを自分のものにして見せていた。
昭和62年、長年続いたコンビを解消し、「藤子不二雄A」として再スタート。
たまに「藤子・A・不二雄」と書く人(最初に見たのが、手塚先生が亡くなったときの報道番組のテロップ) がいるが、大間違いです。
平成8年。長年コンビを続けてきた相棒。藤子・F・不二雄が逝去。
現在も「プロゴルファー猿」の続編「サル」を99年1月から新連載するなど数本の連載を持ち
漫画界の最ベテランとして、意欲的に執筆活動を展開中。
趣味は、ゴルフとお酒。元々富山新聞社に勤めていたため文章がプロ級で、
それは作中のナレーションなどでいかんなく発揮されている。
嫌いな食べ物は肉で菜食主義者。大の犬好き。
藤本先生と比べると社交的でお喋りが大好き。大橋巨泉など芸能人の友人も多くいる。