藤子不二雄先生の日記のページです。藤子先生の歴史が一目で分かるぞ!!
年月(年号表記) 日記 |
19.9 富山県高岡市立定塚小学校に、安孫子が転校。藤本の同級生になる。 19.9 転校生・安孫子のあだ名は”熱電器”。ものすごい赤面恐怖症だった。 19.9 藤本、安孫子のノートにマンガを発見。マンガ同好会に引き入れる。 |
20.8 藤本は高岡市、安孫子は疎開先で終戦を迎える。共に小学6年生。 |
21.4 藤本は工芸専門学校中等部。安孫子は高岡中学校へ進学。学校は隣どうし。 21.8 反射幻燈機を製作。フィルムマンガを二人で作る。初めての合作。 21.9 幻燈用マンガ『天空魔』は、近所の子供の間で、大好評。 21.11 幻燈用マンガのシナリオを巡って意見対立!!結局、企画は流れた。 |
22.4 手塚先生の『新宝島』を見て、大ショック。1ヶ月がかりで、1冊を模写。 |
23.2 模擬試験のまっただ中、映画館に通い詰め。 23.2 学業そっちのけでマンガと映画にのめり込む。2人の結束は固まる。 23.8 2人だけのマンガ誌、『RING』を発刊。全てが手作り。 |
24.1 手塚先生の『ロストワールド』に感激。ファン・レターを出す。 24.2 ディズニーの短編映画を初めて見る。2度見て、翌日を約して帰宅。 24.3 『キング』より、1コママンガの稿料500円届く。上京資金に積み立てる。 24.3 ディズニー映画『白雪姫』の招待試写会に行き、感激して泣く。 24.3 ディズニー氏に、英文のファン・レターを出す。辞書と首っ引きで書く。 24.5 ディズニー氏から、返事が届く。ボクたちの英語が、通じたんだ!! 24.5 手塚先生から、初めてのハガキをもらう。ただ、ただ、狂喜するのみ。 |
25.2 地方新聞に、4コママンガを投稿。 25.4 肉筆回覧誌『少太陽』を創刊。マンガの他、読み物や広告が満載。 25.5 『漫画少年』に投稿を始める。入選の常連達に、ライバル意識を抱く。 |
26.3 この頃から、全作品を合作形式に切り替え、投稿を続ける。 26.4 2人のペン・ネームを“手塚不二雄”とし、4コマものなどを多作。 26.4 『漫画少年』『サンデー毎日』『キング』『アサヒグラフ』などに投稿。 26.4 投稿の成果2300円、不二雄金庫に納まる。高校3年生の春。 26.4 単行本の企画を立案。候補の中から、『UTOPIA』に決める。 26.4 『UTOPIA』の配役も決まる。1人30枚ずつのページ配分とする。 26.10 『天使の玉ちゃん』2人合わせて10枚を、『毎日小学生新聞』に投稿。 26.12 突然、2400円の郵便為替が届く。『天使の玉ちゃん』が掲載されたのだ。 26.12 『天使の玉ちゃん』の原稿を送り、安孫子宅にて、忘年会を開く。 |
27.3 安孫子は高岡高校、藤本は高岡工芸高校を、それぞれ無事卒業。※ 27.3 藤本、津田製菓に、安孫子、富山新聞社に就職が決まった。しかし…。 27.3 卒業式から入社日までの間、手塚先生を訪問することに決める。 27.3 先生宅訪問予定の前日<アス マッテイマス>という先生の電報が届く。 27.3 夜行列車で高岡を出発。手塚先生に会える期待と興奮で、一睡もできず。 27.3 兵庫県宝塚市の手塚先生宅で、感激の対面。仕事部屋に通される。 27.3 『来るべき世界』の未発表原稿を見せられて、大ショック! 27.3 先生の引き留めも断り列車に乗る。夜11時大阪駅着。そのまま朝を迎える。 27.4 藤本、製菓会社に勤めるが、3日で辞める。以後、マンガに専念する。 27.4 安孫子、富山新聞の学芸部に勤める。(昭和28年12月に退社。) 27.8 足塚不二雄名義で、『西部のどこかで』を、『冒険王』に投稿する。 27.8 『西部のどこかで』が採用され、『漫画王』から別冊原稿の依頼がある。 |
28.2 『冒険王』に、足塚不二雄名義で『四万年漂流』の連載を開始。5回で中断。 28.8 『最後の世界大戦』を出版。藤本の労多く、安孫子、内心焦る。 28.12 映画『君の名は』を見て、安孫子机上強を決心。新聞社を辞める。 |
29.4 2人を代表して、安孫子が上京。トキワ荘に、手塚先生を訪ねる。 29.4 手塚先生は、寺田ヒロオ氏を紹介して消えた。1週間、寺田氏宅に居すわる。 29.4 『漫画少年』入選番付の横綱・寺田ヒロオ氏は、あこがれの的だった。 29.4 藤本と上京したら、マンガ家のグループを作ろうと、寺田先輩と誓う。 29.6 家族の見送りをうけ、2人は出発。“青春の志”と、少しの不安を抱き上京。 29.6 朝、到着。トキワ荘に寺田先輩を訪ねる。夕方、東京・両国の寄宿先に……。 29.6 両国・森下町の伯父一家全員が、歓迎してくれる。上京第1夜は、雨。 29.7 学童社で小切手をもらい、トキワ荘へ。グループ結成の件で打ち合わせ。 29.7 グループの名前は“新漫画党”。会費は100円。同人5名で結成された。 29.10 トキワ荘に引っ越し。4畳半、家賃4000円。敷金3万円は手塚先生が…。 29.10 ケーキ持参で、手塚先生を訪問。多忙振りを見て、退散。 29.10 4畳半の窓際に机を置いて、仕事始め。後ろの空間が気になる。 29.10 新年号の原稿依頼が、続々…。しかし、これが恐怖の事態を招く!? 29.12 10月から年末まで、連日奮闘。頭割りの電気代に気兼ねしつつ、徹夜。 29.12 正月明け締め切りの原稿を、山ほど抱えて、高岡へ帰る。 |
30.1 忙しさの反動で、2人ともダラけてしまう。えらいこっちゃ。 30.1 発送を約束した原稿、当日になっても、1枚もできておらず。 30.1 藤本宅に届いた、出版社の電報や速達便を見て、事態を憂う。 30.1 『なかよし』から<マニアワズ ヨソヘタノンダ ナカヨシ>の電報! 30.1 督促の電報、次々届く。こちらからも、電報を乱打乱撃。 30.1 『少女』『漫画王』より電報。<イマカラデモ オソクナイ…> 30.1 『漫画王』5ページ完成、発送。寺さんから速達届く。 30.1 寺さんは、『ぼくら』に穴を開けた分を、代わりにかかされたという。 30.1 藤本、様子を見に上京。代表して、各社編集者からどなられる。 30.1 この正月の大失敗は、以後2年に渡って、ボクらに試練を与える。 30.4 第1次の新漫画党解散。第2次新漫画党を、5月に結成する予定。 30.5 “第2次新漫画党”結成。党員は、寺田、鈴木、つのだ、石森、赤塚と藤子。 30.9 学童社の『漫画少年』休刊となる。残念だが、試練の時と内心思う。 30.9 安孫子、サラリーマン転向を、本気で考える。結局、お流れとなる。 30.9 新漫画党の初の機関誌『ながれ』を発行。(3号でお流れになる。) 30.9 仕事少なし、仲間とのハイキングも、金がなくて行けそうもない。 30.9 森安なおや氏、安孫子宅に、田河水泡氏からいただいた、大机を持ち込む。 30.9 安孫子、大机に向かうが、仕事をする気にならず、職業に疑問抱く。 30.12 隣が空き部屋になり、藤本の部屋として借りることにする。 |
31.2 仕事は相変わらず少ない。自主作品の長編をかこうと、2人で決意。 31.2 フトコロぐあい悪くとも、映画館通いは続く。入場料150円。 31.2 藤本、案コツコツためている。安孫子アセルが、読書して寝る。 31.2 絵本の原稿料が入る。とたんに、ユッタリした気分になる安孫子。 31.2 税金の申告用紙届く。「税金を取るつもりなのか」と、2人で驚く。 31.2 『幼年クラブ』から、久々の原稿依頼。自主作品は、しばらくお休み。 31.2 『幼年クラブ』再度のかき直し、2人でぼやくうちに、気力復活。 31.3 『ぼくら』から、連載の話来る。カムバックの好機と、2人で喜んだ。 31.3 『幼年クラブ』の案、決死の覚悟で届ける。“OK”が出て、ホッと一安心。 31.3 待望の原稿料が届く。2000円ずつ分け、残りは公金に貯めておく。 31.3 『ぼくら』に、新連載の原稿を持っていく。好評に胸をなで下ろす。 31.4 フトコロ寒し。また、寺さんから借金だ。寺さんは、2人の太陽だ。 31.5 石森章太郎氏、トキワ荘へ引っ越し。盛大なお祝い深夜まで。 31.5 長い航海終わる。寺さんからの借金を返しても、3000円ほど余る! 31.5 税金を喜んで納める。なけなしの490円。なみだがポロリ。 31.8 椎名町のラジオ店にて、ラジオを購入。以前から迷っていたもの。 31.8 手塚先生に、例の敷金3万円を返すが、あわてて、お礼をいわずじまい。 |
32.9 郵便局より家へ、5000円送金。そんな身分になれたかと、うれしい。 32.10 公金の貯金が15万円に。「史上最高額だねぇ。」と、2人で喜ぶ。 32.10 サラリー支給。今月からベース・アップすることになり、4000円。 32.10 寺田、赤塚、石森、つのだ、長谷氏らと、野球チームをつくる。 32.12 『たのしい三年生』の別冊で、『名犬ラッシー』の続編をかくことになる。 32.12 『幼年クラブ』が休刊。「ボクたちの連載した本は、よくつぶれるな」…。 32.12 午前3時、チャルメラが。すぐ飛び出す。石森、赤塚氏も。ラーメンうまし。 32.12 年末特別手当て15000円。帰郷費が含まれているので使い込めない。 |
33.7 第2次新漫画党の事務所を、東京の中野に作る。 33 この年の日記は、なぜかほとんどない。多分、忙しくてヒマがなかったのだろう。 |
34.1 池袋の西武デパートにて、意を決して、コロムビアの大型電蓄を購入。 34.1 賀状くる。米沢(中田)、山崎、寺田、つのだ、柳田氏、以上5枚。数少なく寂しい。 34.1 頼まれていた『怪人二十面相』の、テレビ用小道具の紙芝居製作。 34.1 スキーへ出発。みんなおかしなスタイル。つのだじろう氏だけ本格的。 34.1 岩原スキー場に到着。ひどい雪降りの中、場違いな恰好で、スキーをやる。 34.2 小学館の記者、突然来る。『少年サンデー』創刊予定。『警視庁物語』を頼まれる。 34.2 講談社のI氏、『少年マガジン』の依頼に来る。2日遅い。残念だが断る。 34.2 いよいよ少年誌も週刊誌の時代が。そら恐ろしい気がする。 34.2 小学館の記者来る。『警視庁物語』をやめ、『海の王子』に変更とのこと。 34.2 喫茶店にて、『海の王子』の相談。オリジナルがだめなら引き受けぬと決心。 34.2 『海の王子』を引き受ける。明後日までに、キャラクターをかくことになる。 34.5 トキワ荘の向いの、新築アパート“兎荘”に、仕事部屋を借りる。 34.5 これでぼくらの部屋は、4畳半が3つ。両国の2畳から、7倍の出世。 34.6 夜、『小学六年生』のK氏来る。朝届けた『ロケット五郎』の表紙かきかえ!! 34.6 こった表紙のかきかえは、被害を最小限にとどめるが、大いに文句をいう。 34.6 税金の還付金の通知が来る。2人合わせて14万円。夏のボーナスだ。 34.6 『小学四年生』編集長来る。『Xくん』をかってくれる人なので、好感を抱く。 34.8 午前中、『Xくん』の案をまとめようと思ったが、まとまらず呆然と過ごす。 34.8 わが野球チーム・エラーズ、対小学館戦、7対5で勝利。 34.8 『少年サンデー』記者来る。『海の王子』好評なので、10回延長となる。 34.8 昨夜、案1ページもできず。スタンドつけっぱなしのまま、兎荘で寝る。 34.8 猛暑はなはだし。思考力完全にゼロ。虚無的な倦怠感に襲われる。 34.8 『海の王子』は低学年に、寺さんの『スポーツマン金太郎』は、低高層に支持。 |
35.1 兎荘にて、赤塚氏らと麻雀をしながら、テレビで除夜の鐘を聞く。 35.1 ファンからの年賀状100枚近く。半数が『怪人二十面相』の読者からだった。 35.1 仕事がたまりすぎて、前途不安。暮れの28日から、休業しているのだ。 35.1 明日はいよいよ記者諸氏来襲の日。2ページのみ完成。 35.1 ドスン、ドスンと、階段を上ってくる足音の度、心臓が苦しくなる。 35.1 編集者A氏がこわい。「あなたがたは正月中何をしとったんですか。」 35.1 A氏、顔は怒ってない。もう一本連載を頼まれる。連載10本!! 35.1 『Xくん』の案、『怪人二十面相』のクイズの案もあるし、混線状態。 35.4 『小学一年生』に『ロケットけんちゃん』を連載。 35.4 『たのしい一年生』に『てぶくろてっちゃん』を連載。 35.6 『少年』に『シルバークロス』を連載。 |
36.10 住み慣れたトキワ荘を出て、川崎市生田区へ転居。藤本、安孫子、隣同士。 |
37.4 赤塚氏『おそ松くん』でホームラン。ボクらはヒットは打つが、ホームランなし。 |
38.3 『すすめロボケット』『てぶくろてっちゃん』で、第8回小学館漫画賞を受賞。 38.5 鈴木伸一氏、石森氏、つのだ氏ら6人で、有限会社“スタジオ・ゼロ”を設立。 38.6 『鉄腕アトム』の原動画の制作に、全重役大わらわで、1ヶ月半も掛かる。 |
39.2 われわれはアニメ製作には向かないと、スタジオ・ゼロに雑誌部を新設。 39.2 雑誌部最初の作品『オバケのQ太郎』が、『少年サンデー』に連載開始。 39.7 6月に、13回で連載を終了した『オバQ』を、読者の熱い支持で復活させた。 |
40.1 『少年マガジン』に風田朗名義で、合作『レインボー戦隊』を連載。 40.5 『オバQ』アニメ化の件でTBSへ。オバQの国際化案に、猛反対する。 40.8 『オバQ』TV放映開始。第1回から30%を超す高視聴率。大ヒットに大喜び。 40.10 スタジオ・ゼロ、中野本町のやお屋の倉庫から、新宿十二社の市川ビルへ。 40.10 ボクらや赤塚氏、つのだ氏も、市川ビルに仕事場を移す。 40.12 各ネット局やスポンサーが共催する“オバQ大会”に参加。日本全国を巡業。 40.12 “オバQ大会”では、何百人もの人前で、話をしたり絵をかいたり。 |
41.5 製菓会社のキャンペーンで、ケニア旅行。 |
42.2 『オバQ』の後番組『パーマン』を、東京ムービーと合作することになる。 |
43.8 スタジオ・ゼロの社員、80人に。下田へ大海水浴旅行。 43.10 松山英太郎主演のTV『丹下左膳』にゲスト出演。大殺陣をやるが、NG続出。 |
44.5 スタジオ・ゼロの重役、香港旅行。 44.5 藤本、くじ引きでスタジオ・ゼロの社長に就任。外車の送迎をうける!! |
45.1 『ドラえもん』を『小学一年生』から『小学四年生』まで、連載開始。 45.12 スタジオ・ゼロ解散。清算したら差し引きゼロに。 |
46.1 劇画『毛沢東伝』を『漫画サンデー』に連載。前からかきたかったので張り切る。 46.4 『新オバケのQ太郎』TV放映開始。 |
47.1 『少年チャンピオン』に連載していた自伝マンガ『まんが道』が単行本に。 |
48.4 『ビッグコミック』に、劇画『オバQ』をかく。 48.4 『ドラえもん』で、日本漫画家協会優秀賞を受賞。 |
50.4 TBSの『調査情報』に、『戦後児童漫画私史』連載開始。地獄の苦しみを味わう。 |
52.1 『少年ジャンプ』に『スタジオ・ボロ物語』をかく。 52.2 毎日新聞社から『二人で少年漫画ばかり描いてきた』を発行。 52.11 『少年キング』に『まんが道“立志編”』を連載。 |
53.10 中国旅行。北京、長沙、桂林、広洲など、劇画『毛沢東伝』の史蹟を回った。 |
54.4 『ドラえもん』2度目のTV放映で、大ヒット。『オバQ』以来のてんてこ舞。 |
55.2 小学館『コロコロコミック』で、“藤子不二雄賞”を設立。賞金30万円。 55.3 劇場用長編アニメ『ドラえもん のび太の恐竜』が公開される。 |
56.1 トキワ荘で同窓会開く。手塚先生を始め、ほとんどのメンバーが集合。 56.2 札幌の雪祭りへ。怪物くんの大雪像に子どもたちがいっぱい。 56.3 『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』公開。千代田劇場であいさつ。 56.5 NHK『わが青春のトキワ荘』放映。1年がかりのドキュメンタリーだった。 56.6 『アニメ・トキワ荘物語』の打ち合わせ。トキワ荘もスターになったもんだ。 56.9 光文社カッパブックスより、『トキワ荘青春日記』を発行。 56.10 フジテレビ系で『アニメ・トキワ荘物語』が放映される。 |
このページは昭和58年発行ビッグコロタン(1)「藤子まんがヒーロー全員集合」を基に作成されています。
※藤子両先生の出身学校について
藤子両先生の学生時代は、それまで日本で行われていた旧制の学校制度から戦後の新制高校への変更時にあたり
安孫子先生の通っていた高岡中学は在学中に高岡高校に、藤本先生の通っていた工芸専門学校は高岡工芸高校に変更になっているようです。