コロコラム
「コロコロ超名鑑」を作成中に、色々と発見があったので、コラムとして綴ってみました。
その1 コロコロ編集部はいい加減!?1〜「第1部・完」が2回も!1
この現象はふたつの作品で見受けられた。ひとつ目は大林かおる先生の「ラジコンボーイ」。
1983年から1989年と6年間の長期連載になった人気作品だが、この連載は1987年1月号で「第1部・完」と称し一区切り、
翌2月号から「第2部・ドラゴンソルジャー編」というサブタイトルが付いて再スタートしている。
ここまではよくある話だが、連載が進むにつれ、そのサブタイトルもいつの間にか消滅し、
1989年12月号に本当の最終回を迎える際の最終ページには「第1部・完」の文字が…!
ちなみにその時点で、「ドラゴンソルジャー編」も完結しており、正確には第3部だと思うのだが…(汗)
編集者は以前「第2部スタート」と書いたのを忘れてしまったのだろうか?
無理やり好意的に考えれば、その続編(ストーリー的つながりはない)の「ラジコンリッキー」が本当の第2部なのかもしれない。
その2 コロコロ編集部はいい加減!?2〜「第1部・完」が2回も!2
続いて藤子不二雄先生のアシスタントとしても知られるたかや健二先生の「かっとび!童児」。
ファミコンディスクシステムでゲーム化もされた人気作品だが、この作品は1987年1月号から3回連載され
「第1部・完」という形で終了している。
恐らくこの後は読者の反応を見て続編があるかどうかを検討したのだろう。
連載終了から3ヵ月後の6月号からめでたく「第2部スタート」を実現している。
時は流れ1990年1月号、「かっとび!童児」の3年にわたる連載は「第1部・完、第2部をお楽しみに」という形で終了した。
そしてそのまま第2部だか第3部だかよく分からん新作が描かれる事はなかった…。
その3 コロコロ編集部はいい加減!?3〜不遇の作品!?
さて、今回取り上げられるのは1992年8月号からスタートした小林よしのり先生の「いなか王兆作」。
「おぼっちゃまくん」のコミックスが600万部を越え、全盛期の頃に同時連載として始めた作品だ。
そんな「兆作」に1993年6月号に思わぬ不幸が訪れる。6月号では、兆作が動物たちと山登りをし、ひょんな事から
釣り橋が落ちて帰れなくなるという大ピンチの状況でストーリーは終わっている。次号はどうなるのか?
その回の最終コマの煽り文句には「帰れなくなったのに7月号に続けれるのか?」と書かれている。
結論から言うと、続けられなくなったらしい。7月号には載らなかったのだ。
7月号で「兆作」をお休みしてまで「長編おぼっちゃまくん」を執筆したよしりんは、翌8月号も「兆作」を休み
その号の
コロコロの巻末コメントで「兆作は来月もお休みするぶぁい」と宣言。9月号まで3ヶ月連続休載が決定してしまう。
そしてそのまま「兆作」が戻ってくる事はなかった…。
ちなみに「○月号につづく」と書かれてそのまま終わってしまった作品は他にもあるので一部を紹介しよう。
ビリ犬なんでも商会(藤子不二雄A)アニメ化された大御所の作品にこの仕打ち…。しかもこれが藤子A作品最後のコロコロ連載である。
ゲームの鉄人(中西早苗)作者急病で休載。回復次第連載再開とアナウンスされたが、その後コロコロに中西作品が載る事はなかった…。
その4 妙技!同時連載
上記の「兆作」のように、コロコロでは人気作家の2本同時連載というのもよく見受けられた光景だ。月刊誌のなせる業といえよう。
これは初期の頃から見られた現象で、創刊当初は方倉陽二先生が「ドラえもん百科」と「藤子不二雄のまんが入門」を同時連載していた。
ここでは、そんな同時連載作品の代表的な例を挙げてみようと思う。これ以外にも多くの作家が他にも同時連載をやっているので「名鑑」で調べて色々と新たな発見をして欲しい。
樫本学ヴ「嵐のJボーイ ぶっとび闘人」と「やったね!ラモズくん」。
藤子不二雄賞佳作受賞直後に「刑事ボットB.B」でデビューして以来、コロコロの看板マンガ家のひとりとなっている樫本学ヴ先生。
「江戸っ子ボーイがってん太助」「学級王ヤマザキ」「ヨシモトムチッ子物語」「コロッケ!」とアニメ化作品も多い。
「闘人」と「ラモズ」はそんな氏の人気作品。両方ともサッカーを題材にしながら片や本格派スポーツ漫画、片や2頭身4コマ(時には1ページ丸々使った1コマも)ギャグ漫画とマルチな才能振りを見せ付けた。
河合じゅんじ「かっとばせ!キヨハラくん」と「やったぜ!クワタくん」。
「キヨハラくん」で人気だった悪魔のような性格のクワタを主人公に、当時キヨハラがいた西武ではなく、ジャイアンツの面々をメインに描かれた作品。これに関しては毎号2本立てのようなものだ。
ここで面白いのは、「キヨハラくん」にもクワタが出ていて、「クワタくん」にはキヨハラが出ていないこと。
更に「キヨハラ」終了後の「マツイくん」では当然巨人が舞台なのでクワタがでしゃばり。
その後キヨハラが巨人入りし、マツイがメジャーに行く事で、再び「キヨハラくん」になるわけだが、やっぱりクワタの活躍が光る。
河合漫画の世界では、
クワタは引退しても大暴れするに2000コロコロ(なんだそれ)賭けたい気分だ。
こしたてつひろ「炎の闘球児ドッジ弾平」と「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」。
ギャグ&ギャグ、ストーリー&ギャグという同時連載は数多くあるが、これは両方がそれなりのページ数を有するストーリーものという点で珍しい例だ。
「弾平」連載中の1994年7月号に「レツゴー」が始まり、1995年6月号の「弾平」連載終了までの実に1年間、同時連載していた。両方とも
こしたてつひろ先生の代表作であり、アニメ化され子供たちにスーパードッジ、ミニ四駆ブームを巻き起こしたのもポイント。ちなみに、その後連載された「4V4嵐」はゲーム化止まりで終わっている。
その5 コロコロランキング 最多連載作家は誰?
25年以上にも及ぶコロコロの歴史で、連載作品を一番多く持った作家は誰だろうか?調べてみた。
「超名鑑」の中からデータを抜き出して紹介したいと思う。ちなみにこのデータは2001年までのものなので、
2006年現在既にランキングに変動がおきている可能性は充分にある事を付け加えておきたい。
2位・樫本学ヴ(10作品)
刑事ボット B.B 樫本学ヴ/1987年4月号〜6月号
ぼくらはドラゴン少年団 樫本学ヴ/1988年1月号〜5月号
爆走!ダッシュクラブ 樫本学ヴ/1989年4月号〜12月号
江戸っ子ボーイ がってん太助 樫本学ヴ/1990年3月号〜1991年6月号
嵐のJボーイ ぶっとび闘人(ファイト) 樫本学ヴ/1992年4月号〜1995年6月号
やったね!ラモズくん 樫本学ヴ(キャラクターデザイン:イワタナオミ)/1993年8月号〜1998年1月号
学級王ヤマザキ 樫本学ヴ/1995年9月号〜2001年2月号
ヨシモトムチッ子物語 樫本学ヴ/1998年3月号〜2000年4月号
ぞくぞくヒーローズ 樫本学ヴ/2000年6月号〜12月号
コロッケ! 樫本学ヴ/2001年4月号〜
キャリアは長いがコロコロ看板作家になったのは「ラモズくん」辺りから。それ以降は長期連載が多いが、初期作品の打ち切り作品の多さがランクインの要因になったようだ。
2位・のむらしんぼ(10作品)
ケンカばんばん のむらしんぼ/1979年5月号(13号)〜10月号(18号)
とどろけ!一番 のむらしんぼ/1980年2月号〜1983年5月号
男トラゴロウ のむらしんぼ/1983年5月号〜1984年9月号
Dr.ゴックン のむらしんぼ/1984年11月号〜1985年2月号
つるピカハゲ丸 のむらしんぼ/1985年4月号〜1994年1月号
ほのぼの恐竜チラノくん のむらしんぼ/1990年11月号〜1991年5月号
かげきベイビー バーブー赤ちん のむらしんぼ/1993年12月号〜1996年夏連載
ほっとけ!コジゾウくん のむらしんぼ/1996年12月号〜1998年6月号
どすこい!サイぼん のむらしんぼ/1998年8月号〜1999年5月号
あっぱれ メガバカBoys のむらしんぼ/2000年9月号〜
コロコロ月刊化直後から活躍している大御所。やはり「つるピカハゲ丸」の大ヒットが光る。「ドラゴ○ボールZ」の裏番組にならなければ
アニメももっと続いていたはずなのが悔しい。今でもファンの多い「とどろけ!一番」を除くと、いまいちパッとしない作品が多いのも特徴。
1位・玉井たけし(11作品)
肉戦士ブタマン 玉井たけし/1986年1月号〜5月号
魔界ゾンべえ 玉井たけし/1986年10月号〜1988年5月号
ウルトラ怪獣かっとび!ランド 玉井たけし(SDキャラ原作:横井孝二)/1988年10月号〜1993年4月号
ウルトラ怪獣4コマ大笑いショー 玉井たけし/1989年3月号〜11月号
ナンジャ忍者!もんじゃくん 玉井たけし/1992年12月号〜1994年11月号
突撃記者 シュッポッポくん 玉井たけし/1994年12月号〜1995年2月号
ウルトラ怪獣かっとび!グレート 玉井たけし(SDキャラ原作:横井孝二)/1995年6月号〜11月号
超念写探偵団 霊怪念写!イッパツくん 玉井たけし/1996年4月号〜12月号
かなり桃たろう 玉井たけし/1998年8月号〜1999年6月号
なぞなぞ怪人?ゾナーくん 玉井たけし/1999年10月号〜2001年5月号
ろぼっとポリス ゴヨーダくん 玉井たけし/1997年1月号〜1998年6月号
初期から現在まで、作品の雰囲気がほとんど変わらないという貴重な逸材。個人的にも「ゾンべえ」と「かっとび!ランド」は楽しみにしていた作品。残念ながら玉井たけし先生は、2004年11月7日に鬼籍に入られてしまいました。ご冥福をお祈りいたします。