クソール、1997年11月17

*いつもと変わらぬ、朝*

その日のルクソールもよく晴れていた。
当たり前だが、今日も一日良い天気、まだまだ暑くなりそうだった。
何も変わらない。先週ここを訪れた時と。先月来た時と。
そして今日も明日も、来月も何も変わらないと思っていた、あの朝。
銃声はさとうきび畑の空に響いていたのだ。


x*予兆*

予兆は果たしてあったのか。
それは「アイワ(イエス)」であり「ラー(ノー)」だ。
その頃のカイロ、エジプトはバブルな雰囲気がちょうど始まっていた頃で、
街にはいわゆる贅沢品がたくさん出回るようになっていた。
日本にもまだ少なかったのに、モハンディシーンにはインターネットカフェが早々に出来ていたし、
そう言った特殊なものだけではなく庶民が憩うカジノと呼ばれるカフェがナイル川にたくさん開店していた。
新しいピカピカの車(その多くは日本車だった)も、私達が来た2年前よりも明らかに増えていた。
しかしどう考えても人々の所得はそれに比例しているような感じはない。
持てるものはより一層の豊かな生活を、持たざるものは指を加えてそれを見ているしかない・・・。
貧富の差は開きこそすれ無くなるわけがなかった。

その頃私達は半分冗談、そして半分本気でよく言うようになっていた。
「こんなにものが増えて、きっと今にまた原理主義のテロでも起こるんじゃないの〜?」
テロが起こるかもしれない・・・。
そう思っていた人は多かったかもしれない。
でもきっと誰一人として、あんな事が起こってしまうとは想像はしていなかったはずだ。

しかし予兆は当たり始めた。
最初に起こったのは、天下のタハリールでの観光バス襲撃だった。


*第一の事件、そしてルクソールでのイベント*

そろそろ秋のベストシーズンが始まりかけていた9月18日、
カイロの観光で行かない人はいないカイロ博物館前でどいつ人観光客が乗った観光バスが襲撃された。
警戒中の治安警察が応戦したが、バスは全焼、外国人観光客9人が死亡エジプト人ら19人が負傷した。
この時私はまだ仕事に出ておらずアパートにいたのだが、
大使館からの連絡網で「しばらくタハリールに近づかないように。」という電話がかかって来た。
ちょうど博物館にいた人の話によると、いつもは開きっぱなしの正面ドアが閉じられ、
一時博物館内に閉じ込められていたという。

この事件で不謹慎だが私がまず思ったことは「これで今年の観光客数は減るだろうな〜。」ということだった。
しかし、日本で何か大きな事件があったようで、このニュースはあまり大きく報道されなかったようだ。
10月の声を聞いた途端に、たくさんの日本人観光客がエジプトにやってきていた。


その前の年あたりからエジプト政府は10月末か11月始めにルクソールの
(テロ事件の現場となった)デルエルバハリで、オペラ「アイーダ」を開催していた。
この年も行なわれたそのイベントが終わって、
ガイドとしても「やれやれ、やっと観光シーズン本番ね。」という時期がちょうど11月半ばであり、
ルクソールの治安警察にしてみたら、国家の威信をかけた大イベントが終わり、
やれやれホット一息、というのが正直のところだったと思う。

11月17日とは、そんな時だったのだ。



*ルクソール、11月17日、ナイルクルーズ船8時*

その日の私のツアーはちょっと時間がタイトだった。
午前中いっぱいで西岸の王家の谷を見学。昼食を食べて、午後の便でカイロに戻る。
どう考えても9時出発では短い。しかも今度の客は集合時間に遅れがちだ。
16日の夜の打ち合わせでローカルガイドのAに
「明日の朝、バスを8時に来させて。」と頼んだのだが、どうしても都合がつかないという。
結局折衷案というか、8時15分くらいに出発ということでなんとか話はついた。

当日、案の定なかなかきちんと集まらない客に添乗員のえりちゃんとイライラし、
それでも急き立てるように客をバスに乗せ私達は出発した。
その時私がただ一つ思っていたこと。
それは今日もきっちり時間配分ができるかしら〜?と言うことだけだった・・・。



*メムノン、8時32分*

以前は風流に「ナイルの渡し」を使って人間だけ西岸に渡っていたが、
観光客集客アップを見こんで、エジプト政府が作った東岸と西岸を結ぶ橋がこの年完成した。
客にははなはだ評判の悪いこの橋を渡って、西岸に着いたのは8時半頃。

私の西岸お気に入りのルートは、
@王家の谷→Aデルエルバハリ(ハトシェプスト葬祭殿)→
Bアラバスター屋でトイレ休憩→メムノン巨像で記念撮影
というもので、大体いつもこれで周っていた。
その日もそうしようとローカルガイドのAに言うと、
彼は今日は時間がないのでまずメムノンに言ってはどうかと言う。
「終わりにしたって、最初に行ったって同じさ。5分だもの。」
確かにその通りだ。
いいよ、じゃあメムノンからにしよう。
ラッキーなことにメムノン巨像の前にはバスが3台しかとまっていなかった。
記念撮影には持って来い。
添乗員のえりちゃんと2人、「最初に来て正解だったね〜。」と、写真を撮る客を見ていた。


すると、周りにいたエジプト人関係者が一所に集まって何か話し始めた。
そして3台の観光バスが王家の谷の方から東岸方面に向かってものすごい勢いで戻ってきた。
「どうしたの?」
「かおる、東岸に戻るんだ。」
「なんで???」
「イルハーブ。(テロだ)」
「フェーン?(どこで?)」
「フィー・デルエルバハリ(デルエルバハリだ)。」
とにかく客を集めてバスに乗せろという。
ただしまだ詳しいことはわからないから・・・、と言いながらエジプト人達は自分達のバスに戻っていった。
客をだましだましバスに乗り、言葉を濁しながら困っていた私達は
まさかことがそんなに重大だとは露とも思わなかった。
えりちゃんとぼそぼそと相談し、もう一度Aに「なんとか王家の谷まで行けないかな?」と
聞いてみると、彼は血相を変えて言った。

「ダ・ハイーイー・ヤ・カオル!」
これは現実なんだよ!君は銃声を聞かなかったか!?
え?銃声?

それでも私達は諦めきれなかった。
何より客になんて言うのだ。
西岸のポート(関所みたいなところ)でバスが治安警察に止められた時、
私はもう一度Aに王家の谷の入り口までなんとか行けないか聞いてみようと身を乗り出した。
身を乗り出してみたものの、すぐにそのままシートの身を沈める羽目になったのだが・・・。
バスの運転手やローカルガイドのAに話しを聞きながら、その治安警察官はショットガンに弾を込めた。
ランボーのように両肩から薬きょうを斜めにかけて。

ガッチャン!

という鈍い音が響いた。
私とえりちゃんは顔を見合わせて息を飲んだが、幸いにも客は全然気がついていないようだった。

浮かれた気分で渡った橋を東岸に逆戻りする道すがら、
たくさんの兵士を乗せたジープに何度もすれ違った。
そして、救急車とも・・・。

続く・・・

カイロふらふら滞在記