| ぶつぶつ日記 2001年 |
| 文句言いの編集長兼下働き colacacoが日々考える いろいろなこと・・・。 |
| そして天使に出会う夏 天使の羽音は聞こえなくても、 彼らはそうっと私に会いに来る。 その時、そう気付くわけではないけれど、 なんとたくさんの天使たちに、 私たちの人生は彩られていることだろう! そして、私自身が誰かの天使になることも、きっとあるはず。 清らかな心のままで 生き続けていられるわけではない。 でも、 逃げそうになるそんな心を繋ぎとめて生きていけたら、 天使たちはまた、 私のもとを訪れる。 (これは1996年、ラベンナにいた夏に書いた詩です。でも今も、常に、私はこう感じます。) |
| 偶然の積み重ね 2001年8月22日 そのメールは一見すると今までにもらった何通ものリンクお願いメールと同じように思えた。 しかし、差出人の全く心当たりのない名前を見た瞬間から、心当たりがないはずなのに、 私の心はなぜかざわざわと落ち着かなくなった。 それは、嫌な感じではないけれど、でも、なんだかとても気になる。 早速メールにそえられたHPのアドレスにアクセスしてみると、 とても素人が取ったとは思えない4枚の写真。 どんな人なんだろう? とりあえずプロフィールを開いてみた。 そこには・・・。 懐かしい本の題名があった。 「チュニジア・旅の記憶」。 カメラマンを目指す女性が、何の予備知識もなく旅したチュニジア。 今も、私の本棚にある一冊。 カイロに行くことを夢見て働いて資金を貯め、アラビア語の勉強を続けていた時に読んだ本だった。 その時、私はどっちにしろ、自分が結局逃げているだけなんじゃないか、という思いから どうしても逃れることができないでいた。 「きちんと準備をしてから・・・。」という決心は、言葉も通じない、知り合いもいないカイロに住むのが 本当は怖くて、行くのを先延ばしにしているだけのように思えたし、 じゃあ、すぐに行ってしまうと言うのは、仕事や社会や、自分にはどうにもならない様々な現状から 逃げ出すだけのように思えた。 その女性の、向こう見ずさ、でも純粋な旅への思い。 なんだかふーっと軽くなった。 そう、私も絶対にカイロに行こう。 それが例え、失敗に終わったって、行ってみればいいんだ。 彼女の本を読んで、私はこう思い、筆者の女性に感謝の手紙を書いた。 返事もいただいたように思う。 あれから、実際にカイロに行って、そして日本に戻ってきて。 巡りめぐった偶然が私たちをまた引き合わせた。 こういう時、確かに私は思う。 「生かされている。」と。 |
| 勝てば官軍、負ければ・・・ 2001年8月14日 とある教科書が出版されて、ワールドカップを控えて仲良くしなくてはいけないはずの 日韓間はなんだかギクシャクしている。 私はその本を読んでいないので、何ともいえないが、 それを読んだ「日本人」に言わせると、どこがどうしてあそこまで韓中がエキサイティング! しているか、ちょっとわからないと言う。 んで、確認してみたところ、「あいまい表現だから危険」ってことらしい。 朝鮮併合にしろ、南京にしろ、いくらでも逃げ道がある、教師によっては謝った認識を 植えることも可能、ってことらしい。 本国でエキサイティング!している人たちを横目に見ながら、 日本語学校に通う学生達は、以外に冷静だ。 もちろん、折に触れその話が出ることもあるが、騒げば解決するものでもないと思っているのか、 今自分達が生活しているのが、当の日本だから、彼らなりに気を使っているのか、 それはわからないが。 そんな学生を横に、妙にエキサイティングしているのがいわゆる戦中派の 経済人、政治家の人たちのように思える。 自分が、そして友人が、命を賭けて戦ったあの戦い。 それを頭ごなしに否定されては、浮かばれるものも浮かばれない、そう思っているかもしれない。 「大東亜戦争には、いい部分もあった。」といっていた人がいた。 多分、それはインドネシアなどの東南アジアがヨーロッパ列強から 独立したことを指しているのだろうか。 「戦争は勝てば官軍なんですよ。」と言っていた人もいたけれど、 そう勝てば官軍。 そして日本は負けたのだ。 この事実はこれから先、未来永劫変えられないことだ。 どんなに美辞麗句を並べ立てたところで、「被害者意識」を持っている人たちを 納得させることはできない。 そして、その戦争を「国の誇り」とするほど、この国は他に誇れるものはないのか。 現在の繁栄、それを誇りに思って何が悪い。 経済の発展を願って願って願って、それがかなわず七転八倒している国がこれほど多い中で、 これだけの国を作って来れたこと、それに誇りを持たずして、 なぜ「負けた戦争」にこだわるのか。 同じように戦争に行き、生き残ったある人が言っていた。 「戦後50年以上、一度も戦争で血を流していないこと以外、 どんなに誇ることがあるのですが。」 その通りだと思う。 この国は現在、確かに何かが狂っているかもしれない。 しかし、自分達を最低に卑下するほど、ひどい国ではないはずだ。 過去の過ちから目をそらさないこと、そのことと、誇りを持つこと、 それはなんら矛盾しないことだと思う。 焼け野原から、這い上がってきた。 何もない状態から、これだけの国を作ってきた。 戦争で負けたことは、決して恥ではなく、一つの転機だったと私は思いたい。 そして、今また、新たな転機がやってきている。 自己肯定の脆い鎧を脱ぎ捨て、自分の本当の姿を見つめなおすこと。 戦争をしていたのだ、日本は。 戦争は、綺麗事ではすまないもののはずだ。 自分の最悪な姿を一度見つければ、人間はまた、強くなることができると思う。 どん底を知っている人間の方が、強く生きられるのだから。 国も同じではないのだろうか。 |
| 反英語至上主義その2 2001年8月13日 イタリアのラベンナで一夏を過ごした時、モザイクのサマースクールを手伝いに来ている 女子高生アドリアーナと仲良くなった。 彼女は町のモザイク学校でそれを専攻して勉強していて、もちろん英語は全然話せなかったし、 私もおちゃらけた挨拶程度しかイタリア語はわからなかったのだけれど、 はじめてあったときから、年も、国も、言葉も越えて、なんとなくいつもくっついていた。 彼女の家に招待されたり、バイクのお尻に乗っかって、友だちの家に遊びに行ったり…。 言葉はとても重要だけれど、言葉抜きでも友情と言うのは案外成立するものだ。 そんな中で、彼女が合わせてくれた友達の一人に、スイスからモザイク留学(!)してきている ギリシャ系の女の子に紹介されたことがあった。 彼女はさすがヨーロッパの落し子という感じで、 母語であるギリシャ語、家族が住んでいるスイスの言葉であるドイツ語とフランス語、 そしてイタリア語も完璧に話せるようだった。 しかし、英語第一!の日本から来た私には衝撃的だったことに、 これだけの語学能力がありながら、彼女は英語が全然話せなかった! しかし、今考えるとそれも当然だと思う。 英語は確かにワールドスタンダードの地位にあるけれど、 全ての国で通じる言葉、全ての階級に通じる言葉ではない。 ある意味、上流階級では「英語なんか」より、フランス語が尊ばれる国も多いし、 アメリカのテキサス(だったと思うけど)では、州の公用語がスペイン語になったくらいだ。 なんで、国を挙げて英語にばかりおべっかを使わなければいけないのか。 もし、子どもが中国語を勉強したいんだ!と思っても、まず英語をマスターしなくちゃだめなわけ? ビジネス用語は英語だから・・・というのが大義名分のようだけど、 そんなに英語を屈指してビジネスする人が、人口の割合的に多いのか、この国は。 完璧な英語を話せる=プレゼンテーション能力があるということでは決してない。 以前テレビで見た、ブロークン英語をぶちかまして、 フランス人とやりあっていたサラリーマンを思い出す。 単語は分からない、文法はめちゃくちゃ、でも自分の意志を持っている。 自分の意志を伝えたい。仕事で負けたくない、だから英語が変でも尻込みしない。 そういう能力を子どもに与えることが、果たして私たちにできるだろうか。 もしそれができたら、学校で英語英語と騒がなくても、 日本人のコミュニケーション能力は、確実に上がっていくだろう。 言葉は道具でしかない。 それをどう使うのか。 それこそが、第一に学ぶべきことだと思う。 |
| 反英語至上主義その1 2001年8月13日 上級の教科書の中に大好きな向田邦子さんのエッセイが入っていると知り、 なんだかとてもうれしくなった。 ところが、実際に授業で教えてみると、これが凶悪的に難しい(^^;)。 自分で読んでいる時には、かなり流して読んでいるのだ。 学校文法的に?なところでも、ニュアンスでわかってしまう。 いや、わかった気になっていると言うべきか。 微妙な言葉の選び方、背景にある思い、時代・・・。 外国人学生に、文法事項を取り混ぜて教えるとなると、 毎日嫌になるほど難しい。 そう、母語ってのは偉大である。 こんな難しい文章を、「読みやすい」と感じることができるのだから。 来年から公立校でも試験的に一般科目を英語で教える試みがあるそうだ。 果たして文部省は、そういう学校教育の弊害をきちんと調査したんだろうか。 日本語やアラビア語のように結構習得が難しい言語になると、 こういう風に教えた場合完全に英語に食われてしまう。 母語である日本語力は見る見る低下してしまう。 第2言語教育が日本よりも盛んであるエジプトの私立学校で、 実際にアラビア語を失いつつある子ども達をたくさん目にした。 親がそのことに気がつき愕然とした時には、すでに手遅れ。 一度母語を見失ってしまうと、 それを取り戻すのは第2言語を習得するよりも難しいのになあ。 そう言う意味でも、安易に英語化に走らないでもらいたい! と思うのは、「日本語教師」の私だからでしょうか。 |
| 外国籍の「鈴木さん」 2001年7月28日 久々に六本木に行って来ました。 しかしすごい街です。夜の12時でもわさわさ人が歩いているし、 朝の5時でもどの店も満席(って自分もその中の一人じゃん)。 外人度も、相変わらず高いしね〜。 それにしても、ここにいる日本人女性の見ていてちょっと痛々しい一生懸命さと、 外人男性の腹抱えて笑っちゃうほどの勘違いさは、いつ見ても気持ちが悪い。 私は恋愛に関してはお互いが真剣なら、どんな関係も成り立つし、 他人がとやかく言うことではないと思ってはいるのですが、 よくいる白人男性と日本人のカップルをみると、意地悪く思ってしまうことがあります。 「あんた、その男性が、同じかっこ、同じ髪型、同じ雰囲気の「鈴木さん(まあ誰でもよろしい)」だったら、 果たして付き合っている?」という事を。 特に、女性がファッションに力をいれていれば、入れているほど、 そのアンバランスさが滑稽で、男性の勘違い振りもおかしい。 ど〜考えても本国では地味で、目立たなくて、女性にもてるなんてことは夢のまた夢だっただろうに、 たまたま日本に来られたことが、彼の人生の一番華やかな思い出になるんだろうなあ。 そして、自慢気に「外国人の」彼にしなだれかかって、一生懸命に着飾っている女性の、 他の人と自分は違うのよ、「外国人の彼」と歩いてるんだから!というオーラが、 こういうカップルの雰囲気を妙にいやらしいものにしている。 私には国際結婚をした友達も多いが、そう言う人たちはそれなりに自然な出会いで、 無理な感じがしない人が多い。 何が違うんだろ?と思う六本木の夜であった。 |
| 肌が弱い(・・?) 2001年7月26日 この頃ちょっとしのぎやすいが、今年の夏は壊滅的に暑い。 バリより暑いとか、タイより暑いとか、インドより暑いとか、マラリア蚊が北上中とか、 勘弁して〜という話が飛び交っている。 そして、湿気がすごくないっすか? おかげで、今年の私はジンマシン。 元々寒冷蕁麻疹っぽい体質ではあったのですが、 今年はじぇんじぇん直りません(−−;)。 全身くまなく出るんですよね〜。 しかも出物腫れ物所構わず。 一日に何回もぼりぼり掻いてます。 一回の痒さの時間が短いのが、せめてもの救いでしょうか。 医者に行って直径2センチ、長さ15センチの注射をうってもらってもだめ。 とりあえず今は毎日薬の後厄介になっています。 そんなことを言っていたら、私に突如、「肌が弱い疑惑」が浮上しました。 肌が弱い(・・?)、私がですか。 化粧品はドラッグストアコスメで、ブランドの使うとかえってだめなこの私が(・・?)。 そりゃ、子供の時から蚊にさされると人の3倍以上腫れ、へたすりゃ膿んだりして、 しかも痒さも長〜く続いたりしますが。 ま、ピップエレキバンとか張ると、すぐカユカユになっちゃうからつけられないけど。 バンソコをはっておいたところは後日皮がむけたりするんですけど。 アルコールアレルギーなんで、香水も直に肌につけると丸く赤くなったりしますが。 この間は生理用品にめちゃくちゃかぶれて、赤ちゃんのオムツかぶれみたいになってしまい、 実際赤ちゃんのお尻拭き用のウエットタオルを持って外出していました(爆)。 これって、肌が弱いんですか? う〜ん、人生○○年生きていて、全然気がつかなかったわ・・・(−−;)。 |
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不公平な人生の幸福 2001年7月7日 クントゥ=I was、どのくらいの期間、彼は学校に通ったのだろうか。 それでも彼らはまだいいかもしれない。 |
| どたばた、のちワクワク 2001年6月30日 いつになったら教える仕事に戻るのかしらね〜、などと言いながら、コンピュータールームで ダルダルしていた私ですが、いきなり始まることになりました。 しかも、それは当初予定していた部署(というか科)ではなく、全く違うレギュラーな科で、ビックリ。 別に大抜擢と言うわけではありません。 その証拠に、私はこの学校では模擬授業なるものをしていないのです。 PC関係の仕事をもう2年以上やっているので、その流れで今毎日働くようになっただけですし。 もともと私が関わることになるだろう科で教えるために、 模擬授業をしてもらうと言う話もあったのですが、なんだか立ち消えていました。 それが、いきなり本授業です(^^;)。 ご家族の具合が悪く、どうしても7月から来られない先生が出てしまい、 学校中を見回してみても、もう手駒がいなかったらしいです。 そしてまた、今の日本語業界けっこう人手不足。そんなにすぐには人が集まらない。 ふと見ると、一応の資格と、一応の経験を持った人間(私ですね)が、 何をしているかわからずに、ふよふよと浮遊していたと言うわけ。 背に腹は変えられない。この際これでとりあえず何とかしようと言う感じでしょうか。 その学校はけっこう大きなところで、学校独自のメソッドをと〜っても大事にしています。 よその学校のメソッドとは違うのよ!と言う感じ。 だから経験者の先生であっても、研修をしっかり受けなければなりません。 ところが、私にはそんな時間もないのです。 できるんでしょうか? それはわかりませんが、まあやるしかないでしょう。 いつも、何だか自分の思いもかけないところでどたばたし、何かが始まります。 オイオイ(^^;;;;;)、と正直思いますが、 もしかしたら、こういう風に、自分の思いもかけなかった時期に、 思いもかけなかったことで、カイロや中東に再び向かう日もあるかもしれない。 そう思うと、どたばたもなんだかワクワクします。 |
| 穢れ 2001年6月29日 私には日本人ムスリマの友達もいるし、エジプト人の友達もいる。 自分自身では普通の人よりもイスラムに対しての感情は良いものだと思っているし、 出来るだけ普通に、良き隣人として付き合っていきたいと思う。 だからこそ、自分なりにイスラムについての知識を持とうと色々な本を読んだり、 イスラムの集まりに参加したりして、誤った、そして偏った目を持たないようにしたいと思っている。 そんな中で私をがっかりさせるのはイスラムそのものではなく、ムスリムの人たちのことが多い。 パレスチナ人の先生がいみじくも 「イスラム自体は素晴らしい。でも残念ながら現在のムスリムは良いとは言えないことが多い。」 と言っていたが、イスラム理解を阻むもの、それはムスリムの人たちのことが多いような気がする。 例えば、ある女性が気にしていたこと。 それは日本のようなダールルハルブ(戦いの家=イスラム国家以外の国々)に住んでいて、 万が一不測の事態、手術をしなければならない時。 非ムスリムからの輸血はハラームではないのか?ということ。 ハラームかどうか、知りたい気持ちは否定しないし、知識として知ろうと言うところまでは まだこちらも平静に受け止められる。 しかし彼女はこう言っている。 「豚肉、おさけ、その他あらゆる不浄なものが交ざっている血を、ムスリムがもらうことは ハラームではないのでしょうか。」 確かに私達はイスラム教徒にとってはハラームなものを日々摂取している。 しかし、それだけで、私達はそんなに不浄な存在なのだろうか? 私達だって、精一杯生きていることは、より良い世の中にしたいと思うことは、 ムスリムの人たちにと何ら変わりはないはずじゃないのだろうか。 こういう言葉をムスリムから聞くとき、私は目の前で冷たい鉄の扉を閉められたような、 とても寂しい気持ちになってしまう。 そんな風に言われてしまったら、どうやって「普通に」付き合えるんだろうか。 ムスリムの人たちに世間が冷たいのは、それは全部、不浄な私達の責任なんだろうか。 |
| おもろい顔 2001年6月28日 電車の中で化粧をする。 これって、どうおもいます? 確かに誰に迷惑をかけてるわけでもないんですが、私はやっぱり「やめれ。」と思います。 それでもまだ、高校生は許そう。 何だかんだ言って、そう言うお年頃。 いきがってみたり、大人ぶってみたりしたいし、学校の規則とか、親の目とか、 ハードルもそれなりにあるから。 ただただ真面目にばかりしていれば、いい大人になるってわけでもないし。 しかし、ちょっと待て、OL。 どう考えたって、20代のおね−サン達、下手すると30過ぎてても、やってます。 ある時、朝の電車のうたた寝から目がさめたら驚いた。 斜め前に座っている会社員の女の子。 良い服着ています。バックはもちろんブランドもんです。 で、一生懸命化粧していました。前髪を特大のクリップで留めて・・・。 首から上だけ見たら、家の洗面所にいるのかと思いましたわ〜。 またある時は、隣りに座ってた人。 おばちゃんだと思ったんですよね、だっていきなり電車の中でピップエレキバン、はがし始めたんだもん。 そしたら出てくる出てくる、超高級化粧品。 もちろん下地からです。 最後にシルバーネックレスを身につけ、電車を降りたその人は、多分30代半ば・・・。 やる気満々のデート前って感じだった(でもピップエレキバンをその日にとっても後残るよね)。 だったら15分早く起きろつーの。 化粧をしている女の顔って、すごい真面目です。 真剣そのもの。 目は半開きになっちゃったり、妙に鼻の下延びちゃったり。 真剣なだけに滑稽です。 少なくとも、人様にお見せするような顔じゃない。 一度、電車の中で化粧している人をビデオにとって、本人に見せてあげたいなって思うんだけど。 ど〜れだけおもろい顔しているか。 それで気取って立ち上がっても、ぷぷぷ、って感じだよなあ。 |
| 思う壺 2001年5月26日 誰の思う壺なのか? それは富山でクルアーン(コーラン)を破り捨てた犯人である。 まんまとそれに乗せられ、(多分)犯人が意図したように行動してしまって 貧乏くじを引いたのは、在日ムスリム(イスラム教徒)だろう。 日本人のイスラム教に対するイメージは 「怖い、乱暴、思い込みが激しい」等々、今回のことでこの印象が良くなったわけがない。 クルアーンが破かれた段階で、完全に問題の論点がすりかえられてしまったのだ。 問題は地域の利権が絡んだ経済的な問題であり、 ありがちな外国人嫌悪と排斥だったはずだが、 いつの間にか受け取り側の意識が『宗教差別』になってしまった。 そしてこれが一般的な日本人の神経を逆なでしてしまい、 差別されているはずの彼らにはほとんど同情が集まらない状態だ。 いみじくも一般市民の代表みたいな我が母が言ったが 「別に〜、イスラムの神様に頭だって下げるよ。難しいこと言わなければ、ね〜」 これを多神教と嫌うなら嫌っても良い。 しかしこのメンタリティーこと日本人なのだ。 そして、一見全ての神様に寛容なこの国の人たちは、 一度『宗教』を前面に出し、それを盾に主義主張をされてしまうと、 「押し付けている」と、その態度を硬化させてしまう。 しかも先のタリバンによる遺跡破壊の記憶もまだ新しい。 「自分達の大切なものって、そっちだって平気で破壊したじゃん。」 と口には出さなくてもどれほどたくさんの人たちが、 シュプレーヒコールをあげるムスリムの姿を見て思っただろうか。 そう言う意味では今回の事件は完全に、クルアーンを破いた犯人の作戦勝ちであろう。 私が渦中にいたら、多分はらわたが煮え繰り返っていても我慢してこう言ったと思う。 「今まで色々な嫌がらせを受け警察にも相談したが、何一つ事態は改善しなかった。 それどころか、今度は私たちにとって命のように大事なものまで破壊されてしまった。 アフガニスタンの仏像が破壊された時は、あんなにそのことを憤った国の人たちが、 他の人が大切にしているものは、壊して平気なのですか?」 パレスチナ問題でもそうなのだが、はっきり言ってムスリムの人たちは あまりに真っ直ぐすぎるのだ。 直球で攻めても、所詮は主義主張が違うのだから、 話はいつも平行線、それどころか気がつくといつも「悪いのはイスラム」と言うことになっている。 今回のことも(地域住民との文化摩擦があったとしても)、 イスラムそのものが非難されるような問題ではなかったはずなのに、 気がつくと全てイスラムに責任があるような風潮になっている。 そして日本人も、人間あっての宗教と言うことをそろそろ認識した方がいい。 人間は弱い。そして思い込みが激しい。 「イスラム」はそれを信じている人の数だけある。 目の前の人が信じている「イスラム」が、イスラムの真髄を表しているわけではないこと。 そんなことは、自分達の勝手な行動を省みれば、わかることだと思うんだけどね。 生臭坊主ばかりでも、お釈迦様までそう言う人だったとは、絶対に思わないはずだから。 |
| 傷つくのはいつも子供 2001年5月15日 降り注ぐ銃弾を避けるため、ドラム缶の陰で父親の背中に必死にしがみついてた少年の映像、 そして彼の死から数ヶ月。 パレスチナ紛争は一向に収まりそうにない。 そして私たちが目にするのは棺に入れられた女の赤ちゃんの亡骸。 日々繰り返される報復で、被害者は双方ともに増えるばかりだ。 日本の報道はやはりイスラエル(アメリカ?)よりで、パレスチナ=テロというイメージを 未だにたくさんの人が持っている。 パレスチナ人の方が、より一層危険にさらされていると言うのに。 パレスチナにはできるだけ清廉潔白でいて欲しいと思う。 しかしそんなことを守っていたら、パレスチナはどんどん追いやられていってしまう。 自己防衛と過剰防衛との境界線はあまりにもあやふやで、 世界はあまりにも偏った目しか持っていない。 イスラエルで兵役にとられているのはまだ幼さの残る10代。 人々は日々起こるパレスチナのテロに怯え、軍民問わず犠牲者は確実にでている。 パレスチナの人々はイスラエルの国家的な攻撃に日々晒され、 身内に犠牲者がいない家庭を探すのは至難の業、死が日常的な生活。 そして今日も死んだ兄弟や友達を乗り越え、死との境界線に率先して進む子供達がいる。 そのどちらもが現実だ。 そしてパレチナ側も イスラエル側も、 憎しみや危険や、死に最も近いのは子供達。 まことしやかに言われていることだが、イスラエル兵が「石を投げるだけ」の パレスチナの子供達に銃を向けるのは 子供達の投石を利用して、その背後からイスラエル兵を撃つ大人の存在があるためだと言う。 そういった噂もパレスチナの評判を落とすための陰謀、と言う説もあるが、 そんなことも、あって当然だと私は思う。 それが戦っているということ。 憎しみあっているということだ。 ありとあらゆる機会をうかがって相手を打ち負かそうとする。 戦っているもの同士、手段を選んでいるわけがあろうか? ましてや自分達が劣勢だとしたら? どんな卑劣な事だってするだろう。 多少の犠牲を出すことも厭わないだろう。 そして犠牲者の中にはたくさんの子供達がいる。 私はそんな現実がやりきれない。 |
| 壊れる。 2001年5月14日 初めて原爆被害の方の写真を見た時からいままでずっと、 爛れた皮膚は原爆での火傷のせいだと思っていた。 しかし、東海村で被爆され3ヶ月の闘病の後になくなった方の記録番組を見ていて、 それが全て火傷と言うわけではなく、放射能により体が破壊されていったためだということを、 私は初めて知った。 東海村の事故が起こったとき、広島の原爆以上の放射能をあびた後の状態というものがどうなるのか、 無知な私には全く理解できなかったが、 被爆者の体は大量の放射能によって毎日「壊れていく」のだ。 それは大量の放射能によって、体を日々作っていく染色体までもが破壊されてしまったからだ。 まず皮膚から。 人間の皮膚は21日間でターンオフし、毎日一番上に見えている皮膚ははがれ、 その下の皮膚が表面に上がってくる。この当たり前の体の仕組み。 しかし被爆者の体は、すでに皮膚を作る、という単純な作業を停止してしまっていた。 点滴の針を止めていたテープをはがす度に、その下の皮膚まではがれてくる。 私が火傷だと思っていた人の何人かは、まさにこの状態だったのかもしれない。 体中のほとんどの皮膚は失われ、染み出る体液と血液、乾燥から守るために 半日かけてガーゼで体を覆っていく作業の繰り返し。 担当の看護婦はふと思う。 「これは、なんなんだろう?この横たわっているものは?」 助けたいと思う。 助からないことを知っている、家族とは違う絶望的な日々。 そして内臓へ。 胃腸の粘膜がはがれ、蘇生されないその部分から大量の血が流れ出す。 下痢と血と。 一日に3リットル分の下痢を起こした日もあり、10リットルの輸血を施したこともあったという。 血液再生のために移植された妹の遺伝子は確実に彼の中に根付いたのに、 彼の体の中にはそれすら破壊する変化が起こっていた。 放射能を浴びたことで細胞が変化し、体内で放射能を発する細胞が出来ていたのだ。 その間に呼吸困難に陥り、人工呼吸器を使用。 一度の心拍停止から蘇生した時、被爆者は重い脳障害と腎不全、その他の内臓にも支障をきたし、 家族の呼びかけにも反応しなくなった。 壊れつづける体。 外部の異物から体を守ってくれるはずの免疫力は暴走し、正常な白血球までもを襲っていた。 白血球は急激に下がっていく。 繰り返される輸血。マラソン選手が全力で走っているのと同じくらいの心拍数。 それでも、心臓は動きつづけた。 被爆から80日以上、家族が待合室で折り続けた1万羽に及ぶ千羽鶴は無菌室に飾られることはなく、 体全体を乾燥から守るためにガーゼでぐるぐる巻きにされた状態で、 その人の心臓はやがて止まった。 通常最も放射能に汚染されにくい筋肉細胞までもがずたずたに壊されていたのにもかかわらず、 心臓の筋肉への放射能の影響はほかに比べかなり少なかったという。 原子力発電は「クリーンな」エネルギーだそうだ。 しかし作業過程での危険性、 そしてこれから先果てしない年月封印しておかなければならない廃棄物。 そんなものが「クリーン」なんだろうか? そしてどんなにクローン技術が進んでも、壊れていく体は救うことは出来ない。 もし記憶をそっくり移し変えられる技術が開発されたとしても、 壊れていく被爆者からは、クローンを作り出すことすら出来ないのだ。 最先端技術。 絶望的な日々を過ごした医師や看護婦の、その絶望の中から生まれてくるものにこそ期待しよう。 科学至上主義から生まれてくるものには、恐ろしさしか感じないが。 |
| 寂しい気持ち。2001年4月13日 春なのです。日本的には新学期なのです。 日本語学校も新学期なのです。 日本語のおぼつかない、生活にもなれていない学生がたくさん校内をうろうろしています。 先生方も受け入れ、クラス編成と忙しい日々を送っています。 学校全体がバタバタと、でも生き生きと動き始める時期ですね〜。 んで、私は? わはは。コンピュータールームでDTP屋と化しています。 学校中の印刷物を作ってる感じ(^^;)。 色々手順をぶっ飛ばしてここに入ってしまったので、なかなかあやふやな立場です。 そしてどこでもばたばたしている日本語学校、 気を使ってくださる方はいるもののご本人達も思ったように計画が進まず。 まあ当初の私の読みの通り、教える仕事は始められるとしても夏以降になりそうです。 それまでは私の存在をアピールするために今の仕事に精を出すしかありません。 それでも、やはり教科書を抱えて忙しそうにしている姿や、学生の話をしている同僚を見ると 一抹の寂しさと焦りを感じます。 我慢をする時期ってことでしょうか。 |
| 「さようなら」 2001年3月24日 言葉というものはその国のメンタリティーや習慣・風習などと深く結びついており、 その国の考え方の傾向を学ぶと、言葉自体の運用能力も高まるような気がする。 日本語のはっきりと言い切らない言い回しに苦い思いをすることが多くても、 それは自分達のメンタリティーとのギャップであり、 私たち日本人の中ではそのはっきりしない言い回しの中に様々な意味が見出され、 コミュニケーションは連綿と続いてきた。 日本人の特徴として、良く言えば「運命論者的」な、悪く言えば「事なかれ主義的」な 「仕方がない」という精神があげられると思う。 先日読んだ本の中で見つけた美しい日本語についての話は、まさにそれを裏付けるようなものだった。 「おはよう」とか「こんにちは」って言う言葉は、元もとの意味がはっきりしている。 「おはよう=早いですね」は朝の挨拶に、 「こんにちは=今日は(どうしますか?どうですか?)」は日の中で会った人に。 でもずっと、「さようなら」はどういう意味なんだろうって不思議だった。 はっきりとした意味が掴めなかったからだ。 先週、大好きな人の本を読んでいたらその謎が解けて、 「さようなら」って言う言葉は、なんて美しくて儚く、 そして日本人のメンタリティーを、良い意味でも悪い意味でも表している言葉なんだろう、と思った。 それはアン・リンドバーグが日本にリンドバーグと不時着した時のこと。 横浜から船に乗って帰国する時、人々が「さようなら」と言っている。 その意味は「さよう(=そう)なら(ば)」。 つまり「(別れていくことが決まっていることならば、仕方がありません。」という意味なんだそうだ。 彼女はこう書いている。 「西洋の伝統の中では、多かれ少なかれ、神が別れの周辺にいて人々をまもっている。 英語のグットバイは、神がなんじとともにあれ、だろうし、 フランス語のアディユも、神のみもとでの再会を期している。 それなのに、この国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬのなら、 とあきらめの言葉を口にするのだ。」(須賀敦子・遠い朝の本たち「葦の中の声」より) 宗教離れが進んでいるといわれる現在でも、生活の要所要所でキリスト教が顔をのぞかせる国々と、 何もかも運命論的に「そうならねばならぬのなら」と口にのぼせる国である日本と。 経済や政治、そして生活にどんどん影が差している現在、 この「そうならねばならぬのなら」と全てを受け入れあきらめる姿勢と、 私たちは「さようなら」しなければならない時期に来ていると思う。 けれども、西洋式が全てではないことも確かで、 「さようなら」にこめられているような奥ゆかしさや、儚さ、そしてその陰に隠れる強くしたたかな精神力は いつまでも残していきたいとも思った。 |
| タリバン、あるいは宗教の持つ暗い闇 2000年3月7日 アフガニスタン現政府(と言えるのか)タリバンによるバーミヤンその他の仏教遺跡破壊の宣言は、 世界中からの非難を受けている。 過剰ともいえるイスラムバッシングの発言も多く見られるようになった。 元々どうしてもタリバン的イスラームの考え方を受け入れることはできず、 イスラムに対してどちらかというと肯定的であり身贔屓的な見方をする私は、 そのことにもイライラして、歯がゆい思いを隠せない。 「預言者の時代に戻れ!」と言って、兵士達にも民族服着用を義務付け、 女性から教育を奪い、満足に医療を受ける権利さえ奪い、 それなのに最新兵器を使うことにはまったく問題なし、としているタリバンの理念は、 明らかに、自分達(一部上層部)のご都合主義でしかなく、 今回のことも、預言者ムハンマドがカーバ神殿に飾られていた様々な神の像を壊したこととは 何ら関連がなく、言及する権利さえないと思われる。 預言者の時代、女性達の権利は現在のアフガニスタンよりもずっと守られていたはずだし、 ただ単に家の中に閉じ込められていたわけではない。 何人もの女性が、男性に混ざって戦地に赴いていたという記述もある。 最初のイスラム教徒、預言者の最初の妻は、やり手のキャリアウーマンだった。 先日ハディースを読んでいたらこんなハディースを見つけた。 『アブー・フライラによると、預言者は「イスラームは行うに易しい教えであるから、 掟を守るのにあまり厳格にならぬよう。さもなくば人は耐えられない。それで正しい方向を目指し、 完全に近づくようにつとめ、良い行いを望み、朝の祈り、夕の祈り、そしていくばくかの夜の祈りに 助けを求めよ。」と言った。』(ブハーリーのハディース29-1) 『アーイシャによると、或る日、預言者が彼女の家に入ったとき、もう一人の女が居たので、 誰か、と尋ねると、彼女はその名を告げ、この女性が行った礼拝を数え上げた。 すると預言者は「もう沢山。汝らはできる範囲のことをすればよい。神にかけて言うが、 アッラーは疲れ給うことはないが、汝らはすぐに疲れる。神にとって最も好ましい信仰は 最も長く続く信仰である」と言った』(32-1) 何も大それたことをすれば良いと言う事では、全くない。 身分不相応なことは、不信仰と同じように身を滅ぼす。 タリバンはもともとアフガン・ソ連の戦い、その後の内戦の中でレイプされたりする女性を助け、 国内の秩序を取り戻したいと考えた神学生たちの集まりだった。 最初は血気盛んな情熱と正義感にあふれた集まりだったのだろう。 毎日、クルアーンとハディースに親しんでいるだろうに、 それが今では自分達の都合の良いようにしか受け取れなくなっているのか。 それはイスラム的にはハラームだと思けれど、、自己肯定が強すぎるとまわりがみえなくなる。 今回のタリバンの選択は、イスラムの名を語った暴挙としか言いようのないことで、 このことによりまたイスラム全体が非難される状況になっているはとても残念なことだ。 その点でより早く非難声明を出したイラン、エジプトの宗教指導者の見識は 評価されるべきものだと思う。 日本のニュースなどでは、他のイスラム諸国がどのような声明、 対応をしているかまでは逐一知ることはできないので、日本国内のイスラムバッシングを呼んでいる。 イスラム諸国にもイスラム国家への不当な身贔屓的発言ではなく、 イスラム国家だからこそできる非難を、タリバンに対して行って欲しいと切に願うだけだ。 それにしても、タリバンの今回の破壊宣言が、 一部で言われているような政治的駆け引きであることを切に望んでいる。 もしそうなら、交渉によっては破壊も免れることがあるが、 今回のことが真に「信仰」からきているものだとしたら、遺跡を救うことはできないかもしれない。 それが例え「間違った信仰」であったとしても、彼らにとってはそれがこそが「信仰」だからだ。 私は「宗教を持つ」、ということの恐ろしさは、そういうところだと思う。 宗教を持つことにより、人間を高め自分を律せられる人はあまり多くはない。 多くの者が宗教の持つ選別性に酔い、自らの愚挙を宗教の名のもとに正当化する。 それはイスラムだけではなく、全ての宗教がもつ暗い側面であり、 同じような『不寛容』『自己正当』『選民意識』は、古くはキリスト教の現地文化の破壊、 ユダヤ人への迫害、新しくはアメリカの中絶反対派による医師殺害、 パレスチナ問題やユーゴ問題などにも深い影響を与えてしまっている。 宗教を持つことは時に素晴らしい。 しかしすべての宗教がこのような暗い側面を持ってしまうのは、 やはり人間が不完全だからだろうか。 |
| 留学生の死 2001年2月10日 1)日本人が失ったもの、失いつつあるもの 新大久保の駅で、一人の韓国人留学生が日本人のために命を落としたニュースは、 多くの日本人に感動を与えた。 自分だったらどうしただろう? 多くの日本人が自分自身にそう自問したようである。そして、そのほとんどの日本人が出した答えは、 多分自分だったら助けなかっただろうというものだったのではないだろうか。 仕事柄、一般の人よりも外国人留学生に接する機会は多い。 彼らと接していると、時折古き良き日本人の懐かしい姿を感じたりすることがある。 例えば、高校生の喫煙をどうして大人は注意しないのか。殴られたって向こうは文句は言えない立場だし、 大人はいけないことはいけないと教えなくてはいけないんだ、それは大人の責任なんだ、とか、 年上の人には(一応)遠慮をして礼をつくすとか。 それは普段気がつかないことなのだけれど、私達がある日どこかに忘れてきた、 捨て去ってきたものだと思う。 今回の事件が日本でここまで取り上げられたことに、韓国ではとまどいさえ生まれていると言う。 誰かを助けると言うこと。それはあまりにも当たり前過ぎることだから。 今回のことは、不幸にもそれによって命を落としてしまったけれど・・・。 考えてみると、韓国人留学生と一緒になって救助のために命を落とした日本人男性、 彼は40台半ばである。戦後のまだものが少ない時代に生を受け、成長した最後の年代である。 日本人が失ったもの、失いつつあるものを、まだ辛うじてその身に残している、 そう言った人だったのだろう。 古臭いと、捨て去るのはとても簡単なことだ。 しかしその価値に気がつき取り戻したいと思っても、一度この身からなくなってしまったものを とり戻すのはとても難しい。 外国人から見た日本人の良さ、それはきっと、私達が命を落とした留学生に今、感じるような すこし不器用な、でも愛すべき無骨さではないかと思う。 出来るだけ、そういうものを握り締めていたい。 学校の玄関に置かれた遺族への募金箱で笑う彼の写真を見ながら、私はそんなことを考えた。 2)二つの死 どんな死も「死」であり、家族の悲しみや無念さは変わらない。 でも残念ながら、死と言うものの価値は決して一つではなく、死に方によって残された家族が その後どう生きるのか、そんなことにまで関わってきてしまう。 留学先で日本人を助けるために命を落とした留学生のなんとなく華々しいニュースを目にする度に、 私は誰にも知られることなく、異国で眠るもう一人の留学生のことを思い出す。 あれはもう一年前。 やはり、まだまだ寒さの残る時期だった。 同じ学校に在籍するいとこの男性宛てに、学校にまだ在籍するある学生から手紙が届いたのは、 ある月曜日のことだった。彼らは金曜日の夕方までは一緒にいたという。 手紙を読んだそのいとこは顔色を失った。 手紙を見せてもらった同国人の事務員は、びっくりして泣き出してしまった。 その手紙は、明らかに遺書だったのである。 急いでアパートに駆けつけるとそこはもぬけの殻で、お金も大事な外国人登録証も、 部屋に置かれたままだった。 彼らの言葉がわからない私達は翻訳された手紙を読んだ。 確かに、それは遺書のようなものだったが訳されてしまっているので、事務の女性が泣き出した程の 文の激しさまでは、私達には伝わってこない。 金曜日の夜から土曜日、日曜日、そして月曜日。 彼に会った人はいない。しかしたった3日半である。 誰もがひょっこり帰ってくるかも・・・という考えを捨てきれなかったが、 とりあえず警察に捜索願は出した。 事件に巻き込まれた可能性が低い、どちらかというと自主的にいなくなってしまった行方不明者の 捜索願なんて、出したところで探してくれるわけではない、当たり前だが。 その人に似たような人が見つかったら(つまり遺体で)連絡してくれる、その程度のものだ。 ・・・そして。 3〜4日経って。 彼は見つかった。隅田川で・・・。 遺体を確認したのは、教務主任の先生と遺書をもらったいとこだった。 ささやかな学校葬を行ったとき、私達は彼にかわいい日本人ガールフレンドがいたことを知った。 彼女も、そしていとこも、彼がそんなにまで思いつめていたと気がつかなかったという。 けれど、彼は決心した。自らの命を絶つことを。 始まったばかりの彼女との交際、彼女の存在も彼を死の淵からは呼び戻せなかった。 母国の両親は彼を日本に来させるためにすでに多額の借金をしており、 遺体を引き取りに来ることなど不可能だと言う返事だった。 それどころか、遺体を引き取るお金さえないという返事が返ってきて、 仕方なしに学校は彼を区の無縁仏の墓に収める手配を整えた。 彼は大きな夢を抱いてやって来て、しかしその夢に敗れ自分自身を押しつぶされ、 自らの命を絶つことになった異国で、誰にも知られることなくひっそりと永遠の眠りについた。 人の命を助けようとして失った命はまぶしい輝きを残し、それは親御さんの悲しみを いくらかは慰めてくれるはずだ。 しかし、彼の両親は今どうしているのだろうか? もしかしたら、息子の死を誰に告げることなく、ひっそりと隠れるように暮らしているかもしれない。 時折、彼の遺書を思い出す。 『僕達が、日本に来たときのことを覚えていますか。 大きな夢をもって、希望とともにこの国に来ました。 でも今の現実はどうでしょう。』 そして、そんなに思いつめなくても良いから、結果が出せなくても良いから、 毎日元気に生活してほしいと、クラスの学生の顔を眺める。 生きていれば、何か楽しいことも、またあるはずだから。 君達の存在だけで、幸せを感じる人も、いるのだから。 |
| ありがたい 2001年1月24日 年が明けて、のんきにマドリッドでレバッハス(バーゲン)三昧の日々を送っていた私に、 届いたメールは、なんと仕事その1(メイン)をいきなりリストラされると言うもの。 新学期の授業開始まであと6日のことでした。 驚くやら、あきれるやら。 でも前々から経営者が望む勤務日数より少ない日数で働いていたので、 来るもの来たか、といった感じもありました。 それにしても、せめて一ヶ月前には言ってよね・・・・。 さてさて、どうしましょうか。 どうしましょうかといっても、他の仕事に鞍替えをする気もなく、 新たに働けるところを探さないわけにはいきません。 実際、ちょっと気が滅入ってしまうのは、仕方がないこと。 でも・・・。 元気だしてね〜、と掲示板に書き込んでくれる人、 「どうして先生はいないの????」と困惑気味に電話をかけてくれる生徒や、 「先生がいなくてつまらないよ。」とメールを送ってくれる生徒もいます。 そして、養成講座時代に教授してくれた恩師たちも、 私の今後を心配し、業界の体質を愁いてくれます。 ああ、ありがたいなと思う今日この頃です。 たくさんの人から気にかけてもらえるというのは、幸せなことですよね。 それだけで、元気が出てきます。 |
| 今年の目標 2001年1月3日 ・英語をきちんと勉強しなおす。 ・も、もちろんアラビア語もサボらない。 ・アートクレイシルバーのインストラクター資格&ネットショップ開店。 ・でもあんまりネットに時間を取られないようにする(^_^;)。 ・引き続き、労働&貯金。 ・筋力アップ! ・見知らぬところに旅行に行きたい(^_^;)。 |
| 年頭所感 2001年1月2日 簡単に、あっという間に21世紀が来てしまった。これからの100年、一体どんな100年になるのだろうか。残念ながらそれを見届けることは出来ないけれど、それもまた一興というものだろう。 初夢は、あまりに個人的過ぎてここではとてもお話できないようなものだった(^_^;)。ただ、自分の気持を夢で突き付けられたような、そんな感じの夢で、朝起きて何となく苦笑いをしてしまった。「そっか〜、やっぱりそうなのか〜。」って感じである。 今年。 私は「何」をすれば良いのか、さっぱり検討がつかない。 「するべきこと」はたくさんある。でも私は「何をする」? 昨年1年が丸っきりの無駄な時間だったとは思わないが、ばたばたばたと、走りつづけていたようなそんな感覚しか残っていない。 そして多分今年も同じようにばたばたばたと、ひたすら走っていくような気もする。 それが嫌なわけでは全然ないが、やはり何かを目指していくことも必要だと思ったりする。 日々の生活に流されることはさして難しくない。 でもその流れを自ら意識していくことは難しい。 ましてや流れを変えることは・・・。 流れていても必死で「目的地」を探していたいな、と思う。 その「目的地」にはうまく着岸できないかもしれないけど、できるだけ近くに上陸出来るように。 今年もまた、流れの上でじたばたしていこうと思う、そんな年の初めである。 |