赤松健先生の裏情報

外部   漫画家   個人   スタジオ


    【外部的なこと】

  • 「シブヤニアファミリー」(久米田康治・小学館)ネタ

    • 20話で、政治家のタマゴとして、「自悶党公認 赤増健」という街頭演説をする赤松先生似の人物が描かれていました。 西仁亀エル「受かるといいな。」 美桜ロスチャイルド「どーでもいい。」と言っていました。

  • 2017年3月18日〜26日(18日12〜18時、19・20・25・26日11〜18時、21〜24日13〜20時)、 東京ソラマチ 5F スペース634で、「赤松健原画展」が開催されました。

  • 「さよならマガジンスペシャル」(マガジンSPECIAL 2017年No.2掲載)で、 休刊するマガスペのために、森川ジョージ先生が漫画家15人に「マガスペとは?」を訊ね歩くルポ漫画が掲載されました。 赤松先生もインタビュー され、「少年マガジン総オタク化計画のために力を蓄え傷を癒した場所」と答えていました。

  • 2016年7月16日14〜16時、熊本市内のくまモンスクエアで、 くまモンスクエア3周年祭の一環として、「くまモンがんばれ絵サイン会」が開催され、 赤松先生の他、森川ジョージ先生、月山可也先生、瀬尾公治先生、川崎のぼる先生のサイン会が行われました。 当日10時から整理券が配布されました。(連載作家各30枚、川崎のぼる先生15枚)

  • 2016年3月17〜20日、ドイツのライプツィヒで行われた ブックフェア「Leipzig Book Fair」に赤松先生が参加されました。

  • 2015年10月10日発売の「Febri(フェブリ)」VOL.31(2015年11月号)に、 赤松先生のインタビューが掲載されました。

  • 2015年7月2〜5日、フランスのパリ・ノールヴィルパントで行われた 第16回「ジャパンエキスポ」に赤松先生が参加されました。 サイン会、記者会見他、「マスタークラス」の会場では現地の若者たちに作画手法をコーチされました。

  • 2015年4月29日放送の「Nスタ」に赤松先生が出演されました。 TPPからコミケを護れという内容で、前週に取材を受けたそうです。

  • 2015年3月2日放送の「ビートたけしのTVタックル」に赤松先生が出演されました。 「TPP(環太平洋経済連携協定)でコミケがなくなる?」という話題で話し合われました。 2月25日に収録したそうです。

  • 「オカダ・フナツの連載ガチバトル ルポ魂!」(週刊少年マガジン2015年No.9掲載分)より
    マガジンの忘年会(正式には年末交流会)で、岡田有希先生と船津紳平先生のどっちが多く 参加作家にサインを描いてもらえるか競う勝負をしました。 (サインは一人一回まで。結果は岡田先生が勝ちました。) 赤松先生は岡田先生の色紙にカモのサインを描きました。その際、 「ふふ いいですよ ふふ・・ 勝ち負けの基準は何なの? カリスマ性? 売り上げかな? ふふ」 と言っていました。

  • 週刊少年マガジン2014年No.52で、「森川ジョージVS.マガジン3誌連載作家80名一問一答ガチスパーリング!!」 という企画があり、赤松先生と森川先生のQ&Aは以下のものでした。
    Q.久保ミツロウ先生のことを、本当はどう思ってるんですか?(赤松)
    A.……まいったな。ここで答えられるはずがないだろ。(森川)

  • 2014年9月23日13:20〜14:00、15:00〜15:30、アニメイト秋葉原 7階イベントフロアで、赤松先生のサイン会が行われました。 9月6日よりアニメイト秋葉原にて「UQ HOLDER!」4巻を全額内金で予約した人に先着順で整理券が配布されました。

  • 「ちょっと盛りました。」(週刊少年マガジン2014年No.29掲載分)の最終回で、赤松先生も寄せ書きして、 「取材のとき、顔は笑ってるけど目は笑ってないぞ!」と書かれました。

  • 「ちょっと盛りました。」(週刊少年マガジン2014年No.12掲載分)より
    西本先生がマガジンの大忘年会で、人気作家の合同サイン色紙(1時間以内に10人以上集める)を作ることになって、 その内の一人が赤松先生のサインでした。(結果、12人のサインが集まった。)

  • 2013年3月27日に発売される相沢舞さんのアルバム「moi」の初回盤に付く写真集のジャケットデザインを赤松先生が描きました。

  • 2012年3月25日12時30分から、 「ふくしま再興祭り」(会場:郡山カルチャーパーク)の「有名漫画家来場イベント」に、赤松先生が参加されました。 他の参加者は、森川ジョージ先生、福本伸行先生、山本航暉先生、雷句誠先生、西本英雄先生です。

  • 「さよなら絶望先生」の第283話で、 「情報番組や雑誌でベスト10作る苦労の大半は順位決めではなく10コ見つける事なのです」と言っている背景に、 以下のような書き込みがありました。
    10大赤松作…
    1位 ラブひな
    2位 ネギま!?
    3位 AI止ま

  • 2011年9月14日発売の読売新聞夕刊のpopstyleで、赤松先生と畑健二郎先生の対談が掲載されました。

  • 2011年9月9日0時55分からNHK総合で放送された「MAG・ネット 〜マンガ・アニメ・ゲームのゲンバ〜」に、 赤松先生と畑健二郎先生が出演されました。

  • 赤松先生が代表取締役社長を務める「株式会社Jコミ」によって、 絶版漫画を電子書籍にして配信するウェブサイト「Jコミ」が、2011年4月12日に正式公開されました。

  • 2010年12月1日に発売された「モンスターハンターポータブル3rd」に登場する「ホウマノツルギ」という大剣を赤松先生がデザインしました。 「デザインのコンセプトは、明日菜のハマノツルギに、ネギの闇の魔法をプラスしたものです。 剣にネギの闇の魔法の紋様が入っているのがポイント。防御も攻撃もできる万能型のつもりです。」とコメントされています。

  • 2008年5月4日放送の「大胆MAP 2時間スペシャル」に赤松先生が出演されました。 「漫画家」の職業として登場し、年収は5000万円と申告しました。 「収入は大きく分けて原稿料(1ページ26000円)、単行本の印税(単行本の10%。海外分印税 年間3000万円。)、 版権著作権料(年間7000万円)の3つ。 中でも単行本の印税が収入のメインになります。」とのことです。 この収録は4月14日に行われたそうです。ちなみに、ノーギャラだそうです。

  • 2007年8月8日放送の「世界バリバリバリュー」に赤松先生夫妻が出演されました。 「一発当てて大金持ち マンガ家って儲かるんです」というテーマで、バナナマンの2人が赤松スタジオと自宅を訪問しました。 出題された問題は「特注レースクイーンコスチュームのお値段は?」で、正解は45000円。
    (番組中、アシスタントのミノルさんは、バナナマンから「貧乏神」と命名されました。)
    「さよなら絶望先生」の第105話で、スルーライフの例として、 TV画面に「パリパリバリュー 金持ちの漫画家」と書かれたコマがありました。 第123話では、我慢しない事の例として、「我慢しないヨメ自慢」というのがありました。
    アニメ「懺・さよなら絶望先生」第5話のスルーライフネタのとき、この放送を再現した絵が流れました。

    2008年3月19日放送の最終回では、「これが増えちゃいましたグランプリ」で奥さんが第1位になりました。

  • 2006年3月15日発売の「蘇るPC-8801伝説 永久保存版」(アスキー出版)の中の 「PC-8801がスーパークリエイターに育てた」で、赤松先生のインタビューが掲載されています。

  • 2005年11月5日深夜1時からの「本谷有希子のオールナイトニッポン」の「今、マンガ家さんに会いに行きます」コーナーで、 赤松先生の自宅に直撃レポートした内容が放送されました。先生の奥さんも出演されました。 収録は10月31日19時半より行ったそうです。 これは有馬啓太郎先生からの紹介で回って来た企画で、赤松先生は西本英雄先生につなぎました。

  • 2004年11月22日発売の「げんしけん OFFICIAL BOOK」に、 赤松先生のインタビュー「コミケのススメ」が10ページ収録されています。

  • 2004年3月下旬、(株)トーハンの企画の「あのマンガ家がすすめるこの作品!」で、 人気マンガ家が描き下ろしの手書きPOPでコミックをアピールする催しがあって、 赤松先生は、「School Rumble」(1)(2)を推薦しました。 現「スクールランブル」の担当者Y氏が、以前先生の担当だった関連らしいです。

  • 2004年1月17日20時30分より1時間、 池袋サンシャイン文化会館710会議室で、赤松先生のサイン会がありました。 「アニメエキスポ東京」の企画です。

  • 2003年8月17日の夏コミで、赤松先生はいくつかの取材を受けたそうです。 (有名テレビ局から、朝から密着取材をする申し入れもあったそうですが、売り子のことを考えて断ったらしい。) その中で、フランスのアニメ専門誌の「なぜコミケに参加するのですか?」という質問に、 「コミケは常に最新の『絵柄』の発信地であり、出来ればそれを吸収したいから。」と回答したそうです。 しかし先生は、最新の絵柄の発信地は、コミケからネットに移りつつあるのでは?という疑問も抱いているようです。

  • 「ゲームラボ」(三才ブックス)2003年1月号で、同人業界についての赤松先生のインタビューが載っていました。 「初期投資のわりには当たるとデカイいちばん有利なメディアだなって…だから漫画家を志したんです」 「私はメジャーな人ってことで同人の人たちは部外者扱いするけど仲間に入れてほしいなと」 「ほかの作品を吸収しながら最先端のところに居続けたいと思います」 「コミケの役割は終わりに近づいてる でも、もうしばらくは楽しんでいたいと思いますね」 と、珍しく砕けた回答をしていました。

  • 「RAVE」単行本17巻巻末に、赤松先生が描いたセリアとレイナのイラストが載りました。

  • 赤松先生が、マガジンの「第68回新人漫画賞」「第42回ギャグ漫画新人賞」の特別審査委員長をやりました。 (新人漫画賞…特選なし、入選4本、佳作4本、選外佳作6本。ギャグ漫画新人賞…特選・入選なし、佳作1本、選外佳作1本。)
    【赤松先生の総評】
    ☆多くの読者を獲得する工夫を
    絵が上手い人が増えました。今までコミケや同人誌で描いていた人が、メジャー誌(少年マガジン)にも投稿するようになったのでしょうか。 しかし、広く一般読者を相手にする場合、もっと「インパクト&分かりやすさ」に重点をおく必要があります。 ”わざわざ即売会に買いに来ている客”と違って、”日常生活の途中に読ませる”にはそれなりの工夫が必要というわけですね。 この点に気づかないと、「自分の美学が好きな人だけ、同人誌を買って下さい」という方針の作家にならざるを得ません。 今回見せていただいた応募作品は、それが出来ているか、出来ていないかで大きく2つに分かれました。 インパクトがあって分かりやすい作品は、絵がまだまだ。独特の美学と絵柄で魅せる作品は、どうも分かりにくくて読みにくい。 さりとて、バランスが取れていると案外目立たないという状況で、どうも一筋縄では行きません。

  • 2002年4月19日〜21日、アメリカ・イリノイ州ローズモント(シカゴ近郊)で開催される「Anime Central 2002」に、 赤松先生がゲストで呼ばれ、サイン会・講演などが行われました。 先生は、18日に日本を出発し、23日に帰国しました。

  • 2002年2月19日の15〜17時、台湾の台北で開催される「国際書展」で、赤松先生のサイン会が行われました。 先生は、18日〜21日の期間、台湾に滞在しました。

  • 週刊少年マガジン2002年No11から、赤松先生が「漫画家への花道」の執筆をしました。
    • 第1回(2002年No.11) 基礎編 戦略を持ってマンガを作ろう!!
    • 第2回(2002年No.12) 企画編 広く、深く、考えよう!
    • 第3回(2002年No.13) キャラクター編
    • 第4回(2002年No.14) 「二重化」編 その1
    • 第5回(2002年No.15) 「二重化」編 その2
    • 第6回(2002年No.16) 大予想編

  • 「カラフル PUREGIRL」2002年3月号の中の「読者が選ぶ好きな漫画家」編で、 赤松先生が1位(得票数403票)になっていました。 以下、2位:CLAMP(389票)、3位:藤島康介(334票)、4位:大暮維人(270票)、5位:あずまきよひこ(242票)、 6位:CARNELIAN(215票)、7位:冬目景(152票)、8位:ぢだま某(141票)、9位:七瀬葵(118票)、10位:高橋しん(107票)。

  • 「アニメイトEXPO 2002」のオフィシャルパンフレットに、赤松先生がイラスト・メッセージを描きました。

  • 「Newtype.com」2002年3月号の「最強サイトカタログ」コーナーの「注目クリエーター厳選サイト集」の「漫画家」の欄で、 「AI Love Network」が紹介されました。

  • 2001年12月28日の朝日新聞の夕刊14面「アニマゲDON」に、赤松先生が「ウルティマオンライン」に関する執筆をしました。

  • 「日経エンタテインメント!」2001年7月号No.52の「第1回Zaurusエンタテインメント!」のゲストとして赤松先生がインタビューされました。

  • 2000年12月23日に「けやきホール」で行われた 岡崎律子さんの恒例年末コンサートのパンフレットにイラストを描いたそうです。

  • 赤松先生の最初のサイン会は、1994年12月11日15時から、秋葉原の「書泉ブックタワー」で行われました。 「AIが止まらない!」単行本1巻か2巻の購入者先着100名に整理券がもらえました。 現在では信じられないことですが、当日になっても整理券は余っていたそうです。


    【漫画家としてのこと】

  • 週刊少年マガジン2008年No.20の巻頭で、創刊50周年記念特別企画「漫画家が選ぶ思い出の名セリフ、名シーン集」が載りました。 その中で赤松先生は「あしたのジョー」を選びました。 「力石のアッパー対策で、おやっさん(段平)と西が二人がかりでブーン、ブーンとアッパーを打ってくるのをかわす練習をしていて、 誤って段平がパンチをもらってしまう。段平は意識を失ってしまうんだけど、そこで『気つけ薬』だといってなんか付けられて? 段平が目覚めるシーンです。締め切り前にこの薬、欲しい!」とコメントされました。

  • 週刊少年マガジン2006年No.38に載った「漫画家への花道 〜連載作家一斉アンケート〜」での赤松先生の回答。
    Q1.新人時代の思い出を教えてください!
    デビューできると思っていなかったので、新人賞の作業と同時に就職活動をしていました。 逃げ道は必要ですよ(笑)。
    Q2.新人さん達へ、一言応援メッセージを!
    上達への道は模写!参考にするものをとなりに置いて、顔からキャラクターの作り、ネームの運びまでを学ぶ。 自己流だけではなかなか実力は伸びませんよ。

  • 赤松先生は、「どこかを直すと、必ず他のどこかに皺寄せが来る」という言葉をよくスタジオで言うそうです。

  • アニメ化の話は、普通なら3〜7巻あたりで各社からオファーがあって、一番条件が良いアニメ制作会社と手を組むのだそうですが、 赤松先生の場合、かなり初期段階からあるそうです。

  • 「烈火の炎」の最終巻で、「SPECIAL THANKS」として赤松先生の名前が入っていますが、 特に作画などで協力したわけではなく、安西信行先生の所に遊びに行ったり、同人誌を書いたりして、お付き合いがあったせいみたいです。

  • 週刊少年マガジン2004年No.30に載った西本英雄先生の 「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」ロンドンプレミア試写会のレポート漫画によると、 当初、赤松先生が行くことになっていたようです。

  • 赤松先生は、デビュー時に講談社と10年間の専属契約をして、2004年に契約を更新したそうです。 そのため、他誌では描けないんだそうです。(アニメやゲームの仕事はOKらしい。)

  • 2000年の「長者番付」その他の部門18位に赤松先生がランク入りしました。(漫画家としては5位)
    所得税額は6825万円、推定所得額は1億9100万円でした。
    2001年の「長者番付」その他の部門20位に赤松先生がランク入りしました。(漫画家としては5位)
    所得税額は4606万円、推定所得額は1億3000万円でした。
    2003年以降、赤松スタジオは法人化して、赤松先生は取締役社長になったため、先生の名前は長者番付に載らなくなりました。

  • 赤松先生は、漫画を描く作業自体は楽しくないそうです。 でも、紙を目の前にすると思わず美少女やメカを描いてしまう「描くのが楽しい」系の人は、 意外と漫画界で生き残れなかったりするらしいです。

  • 赤松先生は、「あらかじめ決まった基本ルールの中で、色々と創意工夫をして楽しみたい」という概念で動いているそうです。 プロ漫画家としては珍しく、自分の可能性や表現の限界に挑みたいという芸術家のような欲求はないらしい。

  • 赤松先生が、いままで読者にもらった贈り物の中で、 一番驚いたのは、100枚くらいに渡って詳細に書かれた卒論みたいな感想文だそうです。 高価な贈り物は、あんまりないそうです。 実際、少年誌のファンレターだと、レポート用紙に鉛筆書きというのが最も多いらしい。 総じて、超激ウマなイラストは心に残るようです。

  • 赤松先生による漫画が天職であるかどうかを判定する「紙見式」。
    まず、ファミレス内でも授業中でも構いませんので、白い紙を用意します。 それを判定したい相手の前に出し、色々話をしてみましょう。 10分後、その紙に落書きがしてあれば、その内容によって、そのまんま判定できるそうです。
    ・ 何も書いてなかった場合 → 絵を描くという表現欲求が無いです。
    ・ 描いたけど消すor捨てる → 表現欲求はありますが、技術が無いです。
    ・ 女の子が描いてある場合 → 好きなものを描いて、まだ見せられない状況です。
    ・ メカやロボットが描いてある場合 → 絵は憧れの対象で、見せる必要がないと考えています。
    ・ ネタを字で書いてある → 表現欲求がドラマに偏っています。 「紙に何か描いてしまう」という衝動は、漫画家にとって非常に大事です。 あなたを判定すると、「何か描いてしまうor描きたい」という点が評価できますので、 オリジナルか模写かに関わらず、数千枚描き続ければ、そこそこ上手くなっていることを保証しましょう。量です。

  • 連載版は、とにかく間に合わせるために、納得いかなかったり不都合に気づかなかったりしても提出するそうです。 だから、単行本収録時には加筆修正することは多いようです。 また、担当編集者は単行本には口を出さない傾向にあるので、 作者的にあんまり気に入ってない箇所を、単行本でわざわざ直すこともあるようです。

  • 赤松先生の収入内訳の基本は原稿料で、1ページいくらという計算になります。 これに対して単行本印税はボーナスみたいなもので(コミックスは必ず出るとは限らない)、こちらは1冊につき定価の10%前後なんだそうです。 (源泉徴収を引いて、30円ぐらいもらえるそうです。) グッズやアニメ化だと商品化権使用料、iモードの画像だと著作権料、海外版コミックだと出版社と折半になるらしい。 そこから、累進課税の税金で大きく持って行かれるそうです。 支出は、人件費もかなり出していますが、これは必要経費になるので、申告すると税金が減る仕組みになっているそうです。
    高校時代の1985年に作った「パラディン」というゲームは、企画と制作をやったので、定価の10%くらいを取ったらしいです。

  • 赤松先生は、絵が上手な作家の「ラブひな」同人誌だったら、どんなジャンルであろうが快楽に感じるそうです。 アニメも同様で、上手いアニメーターが描いた「ラブひな」キャラの絵を、バンバン見たいんだそうです。 彫刻でも絵画でも、ジャンルの概念よりも、上手いと感じるかどうかだけが気になるらしい。

  • 普段心掛けてることは、漫画家としては「徹夜をしない」こと。 月刊やコミケなら徹夜して原稿上げても平気らしいが、週刊連載だとすぐ次が来るから、体力が回復できない分、かえって不利らしい。 人間としては、「存在証明としての労働をし続ける」ことだそうです。

  • 設定資料は、紙に書いてファイルしてあるらしいが、 他のマンガよりもかなり多いので、細かいところは決めていなかったりして、穴はいっぱいあるそうです。 キャラの呼び方なんかも、ネームの時に適当に書いているそうです。

  • 描く上でわからないことがあったら、主にネットで調べるそうです。 各キャラの私服は、女性用のファッション雑誌やカタログを コンビニや通信販売などで大量に購入して、参考にしているそうです。 流行りモノは大体読んでいるらしい。

  • 内容が多くてネームがギチギチなときは、扉絵を入れるページがないので作らないそうです。 完全に赤松先生の都合らしい。 扉絵は、あった方が楽なので、ページに余裕があれば、喜んで入れるそうです。

  • 赤松先生は写真トレスで背景を描いています。 普通のカメラで写真を撮って来て、それを漫画で使いたい大きさにコピーして、 0.01mmのロットリングや丸ペンで輪郭をなぞって描いているようです。 現在の主流はこれで、パースで背景を描くとかなりダサい印象になってしまうらしいです。

  • 年齢については、ネームでは適当に書いているそうです。 そして、とにかく原稿を間に合わすのが最優先なので、誰もチェックしないまま、そのまま写植になっています。 数値的におかしければ、単行本で直すそうです。

  • 赤松先生がキャラクターを描く時に気をつけているのは、 同じコマの中で、それぞれ別々の表情や行動をしているようにすることらしいです。

  • 赤松先生は、顔→目→眼鏡 の順番で描くらしい。 単発のイラストと違い漫画だと1コマに複数人数がいるとか、体の大きさの対比方が重要なので、 輪郭や体型から描く必要があるんだそうです。
    ペン入れの際は、Gペンにインクをザボッといっぱい付けて、 長い髪の毛を一気に引いてしまうそうです。 背景は、全部アシスタントさんの仕事だそうです。 先生は最後に見て、「OK」とか「リテイク」とか言うだけなんだそうです。

  • ストーリーは、「妄想→整理→試し書き→他人に見せる→直す→また見せる・・・」 というような過程を経て作っていくそうです。

  • 絵の主線は、製図用インクとGペン(ゼブラ)で描いているそうです。 枠線は、ピグマの0.8mmです。 ホワイトは、無印良品の修正ペンです。 カラー原稿では、主線は鉛筆です。ペン入れしない方が、ちょっと柔らかい感じが出るからだそうです。 彩色は、MACのペインター。

  • サブタイトル、扉絵のあおり文句、前号までのあらすじなどは、 すべて、担当編集者さんが書いてるんだそうです。 単行本の話と話の間のカットは、単行本担当の編集者さんが選んでいるんだそうです。 なお、メイン担当のO氏は非常にパソコンが不得意なので、 インターネット上での「ラブひな」の状況を把握できないそうです。 (サブ担当や他の編集者から聞いているらしい)

  • ネタは、先生が編集者との打ち合わせで、練り込んでいくそうです。 赤松先生にとって編集者は「最初の読者」なんだそうです。 編集者が「何だコレ、つまらん」と言ったら、何が何でもつまらないのだと思って、感想を聞いて直していくそうです。

  • 週刊作品は通常、1話19枚です。 この19という数字は、何十年も前から、満足度やら作家の限界やら印刷やら、いろいろな要素が絡まりあって達した結論なのだそうです。 でも、赤松先生にとっては、つらい枚数なんだそうです。

  • 参考にしている漫画は、基本は「HUNTER×HUNTER」「ジョジョ第3部」で、原点は「BE FREE!」だそうです。

  • 赤松先生は、漫画家を目指していたわけではないので、究極的には一流ではないそうです。 基礎ができていないので、顔のデッサンが狂いやすいらしいです。(絵を裏から透かすとわかるらしい)

  • 赤松先生が自分の作品の中で好きなキャラは、 シンディ・青山素子・源しずな・長谷川千雨・高音だそうです。(2005年5月回答)

  • 赤松先生のデビュー作は、マガジンフレッシュに掲載された「ひと夏のKIDSゲーム」です。 週刊少年マガジンの第50回新人賞最優秀賞&審査員特別賞を受賞されました。

  • コミケのとき、赤松先生が参加していたサークルは、
    ・「ろり絵堂」冴樹高雄さんのサークルと合体するときの名称
    ・「LEVEL−X]先生のサークル名
    ・「LEVEL−XX」別の日に出す時の先生のサークル名
    なお、2004年の冬コミより、先生はコミケを引退しました。

  • 赤松先生のコミケ歴は、コミックマーケット39(1990年幕張最後の冬コミ)からです。 買い物は、研究用に絵柄だけで決めて買うそうです。

  • 赤松先生が同人誌を始めたきっかけは、「セーラームーン」だそうです。(当時大学2年生)

  • 赤松先生がマガジンに最初に持ち込んだのは大学3年のときで、フィギュアスケートの漫画だったそうです。 美人のフィギュアスケート選手の弟(主人公)が、当時世界で一人か二人しかできなかった4回転を跳んで、 姉の彼氏を超えるというシスコンスポーツラブコメでした。

  • 赤松先生は、大学3年のときに、カジワラタケシ先生の所で3ヶ月くらい週刊のアシスタントをやったそうです。

  • 赤松先生は、大学生活の4年間で絵の習得をしたんだそうです。 専門学校へは行かなかったそうです。 金をかける割には必ず実るとは限らないので、リスクが大きいと判断したためらしいです。 浪人時代にも少し描いていたそうですが、それどころではなかったようです。


    【個人としてのこと】

  • 2021年12月16日、赤松先生が2022年夏の参院選に自民党から立候補することが報道され、 2022年7月10日に行われた第26回参議院議員通常選挙で、 比例区の全候補者の中でトップの528053票を獲得して当選しました。 (国会議員になった漫画家は史上初)

  • 座右の銘は「悲観的に準備して、楽観的に対処せよ」だそうです。(2008年3月22日現在 )

  • 2007年7月27日19時半から、Shibuya DUOで、結婚五周年記念“赤松夫妻ファンイベント” 「☆ナナヒカリ☆ツアーズ2007〜5th ウエディングパーティー〜」が開催されました。(司会:アニメ会) 赤松先生と奥さんの佳音さんによるトークと歌のイベントでした。22時閉演。 最後は、二人が参加者一人一人に引き出物を渡しました。

  • 赤松先生のパソコン履歴。
    中学生時代
     カシオのポケコンPB−100
     自作ソフトをパソコン雑誌「プログラム電卓ゲームの本」に発表したり、通販をしたりしていたそうです。
    高校生時代
     PC−8801mk2
     入学祝いにもらったそうです。翌年、ボーステック社から「パラディン」というゲームを出しました。
    大学時代
     PC−9801VX4(中古)
     MS−DOS3.3。その他、98DO(中古)とかもあったそうです。
    AI止ま時代
     ・COMPAQのノート、コンチュラ・エアロ。Win3.1。
     ・特注のカスタムタワーPC。初代ペンティアム。ディアブロやUOをやっていたそうです。
     ・パワーMAC9600。CG用。後にG3化。
    ラブひな時代
     ・VAIO(RX)
     ・MAC−G4。CG用。「ラブひな」のカラーは概ねこれで作っていたそうです。
    ネギま時代
     2代目のVAIO。CG用のMAC−G5(dual)。サブノートのVAIO−U101。

  • 2004年7月5日の誕生日は、アシのMAXさんから「Justin-Davis」というシルバーネックレス(6万円らしい)、 アシのYさんから本物のマサイ族の槍、奥さんからケーキと時計をもらったそうです。

  • 赤松先生の飲み友達の漫画家は、出口竜生先生や有馬啓太郎先生らしいです。

  • 赤松先生のストレス解消法は、ネットゲームと日本酒だそうです。

  • 赤松先生が一度でいいから対談してみたい著名人は、ビル・ゲイツ氏で、 BASICインタープリタの話をしてみたいそうです。

  • 赤松先生は国民年金を完璧に納めているそうです。(^^; 税金の控除になるため、国民年金基金も納めているそうです。

  • 赤松先生の心に残っているセリフ。
    アニメ
    「Zガンダム」のクワトロ大尉の 「まだだ・・・まだ終わらんよ!」。
    仕事中に、よくつぶやいるそうです。
    映画
    「プライベートライアン」のミラー大尉の 「敵は東から来る・・・規模は、タイガー戦車2両、自走砲2両、歩兵の数・・・50人以上か・・・(苦悩)(やっぱマズいかと迷う)・・・全員持ち場につけ!」。
    仕事中にブツブツつぶやいているそうです。

  • 赤松先生は、子供が生まれたら、 女の子なら平仮名の名前、男の子なら「○太郎」以外の名前を考えているそうです。

  • 赤松家にある車は「新型マーチ」です。 赤松先生は運転できないので、奥さんが運転しているそうです。

  • 2002年7月13日(先負)に、赤松先生が赤坂ホテルニューオータニ鳳凰の間にて結婚式を挙げました。 (3月10日(先負)に都内のホテルで結納、4月1日(友引)に入籍しました。) プロポーズの言葉は、 「すべての自由を君に与えよう。そして君の夢を片っ端から全部叶えよう。僕にはそれができるよ。」 だったそうです。
    ※最初の結婚の発表は、台湾のサイン会での記者会見のときで、日本より先に行われました。 先生は「相手と自分の関係は、成瀬川と景太郎の関係みたいです」とだけコメントしました。 この発言が誤訳されて、翌日の現地の新聞に「お相手は成瀬川みたいな人」と載ったため、 後に日本で大騒動が起こったのは有名な話です。(^^;

  • 赤松先生の好きな女性のタイプは、赤松作品キャラだと、はるかとか素子だそうです。

  • 赤松先生の女性の好みですが、若い頃は「15歳以下25歳以上」にしか反応しなかったそうです。 アニメで言えば、榊原良子さんの演じる年増なんかが好きらしいです。 13歳くらいのピアノやバレエなど習い事で努力している少女も好きらしいです。

  • 「AI止ま」も「ラブひな」も主人公の妹はどちらも一本アンテナでブラコンですが、これは赤松先生の夢なんだそうです。

  • 赤松先生の林原めぐみさんの印象。
    「非常に聡明な人ですが、実際にはATフィールドが非常に固く、一見さんでは近づくことすらできないのでは・・・と思います。 (実際、私は閣下のATフィールドを突破できてません。中和もできません。) ただし、9巻で数時間も対談をさせてもらう機会があったので、かなり詳しく人柄や考え方などを観察させていただくことが出来ました。 一言で言えば林原さんは・・・綾波とミサトさんを足して2で割った感じです。 あの人は結婚してからマジで綺麗になった。」とのこと。

  • 2003年10月11日、人間ドックの検査により、 赤松先生の胃にポリープが見つかりました。 また、心電図で不完全右脚ブロックとST値上昇(心筋の一部が壊死している)が見られたそうです。 両方とも心配ないとのことです。

  • 赤松先生は結膜炎っぽいので、乾燥する時期は目薬を手放さないようです。 目の病気を患う漫画家は結構多いんだそうです。

  • 赤松先生は、空腹時にかなり胃痛があるという持病があり、 ドリンク剤(カフェインが胃を荒らす)と同時に胃腸薬も服用しているそうです。 胃の痛む部分は、数年前から同じ所なのですが、検査では異常はないらしい。

  • 赤松先生は、「ラブひな」連載中の3年間に、スーパーの弁当を食べ飽きたそうです。

  • 2003年6月17日現在、 締め切り間際の主食は「赤松軽食B(前菜が「パンシロンnow(舐める胃薬)」で、 メインディッシュの「ウィダーinゼリー」エネルギーを摂取した後、 並ユンケルで「キューピーコーワgoldA」錠剤を飲む。)」が定番なんだそうです。 もう少し時間があると、「赤松軽食A(コンビニおにぎり2個とコーラ)」を取るようです。

  • 赤松先生のよく食べる食事。
    赤松定食・・・ご飯+シーチキン
    MAX定食・・・お茶漬け+キムチ
    ラーメンライス・・・カップ(インスタント)ラーメン+ご飯一膳
    あとは、コンビニ弁当。
    講談社のネーム室でよく食べるのは、 カロリーメイト1個(チョコ味)+コーラ+デザートのユンケル、 または、サンドイッチ+コーラです。

  • 「AI止ま」では、リポD20本が常備されていましたが、「ラブひな」では、ユンケル20本常備にレベルアップしたそうです。 これが毎週追加されてるんだそうです。ヤバいのはわかっているらしい・・・(^^; ユンケルの上位バージョン「ユンケル・グランド」までは試したそうです。

  • 2003年7月5日、赤松先生の元に、 伊東岳彦、萩原一至、るりあ046、日下部匡俊の4先生の連名で、 グラモーラ卓上型の蓄音機が宅急便で届いたそうです。 誕生日祝いではなく、結婚一周年のお祝い品みたいです。 ちなみに、赤松先生はレコード機器マニアです。

  • 2001年7月5日、赤松先生の留守電に、 林原めぐみさんが、はるかさんの声で誕生日祝いのメッセージを入れてくれたそうです。 あと、岡崎律子さんやキングの大月さんからも誕生日プレゼントが届いたそうです。

  • 2001年4月15日に、赤松先生は岡崎律子さんとフグ料亭でお食事をしたそうです。

  • 赤松先生は、2000年を東京都日野市にある高幡不動尊の初詣で迎えたそうです。 この神社は、週刊連載などを叶えてくれた霊験あらたかな所らしいです。 実家(車で20分くらい。それでも年に1回しか帰らないらしい。)には帰ったそうですが、 もう自分の部屋には布団もなかったそうです。

  • 赤松先生の好きな「新世紀エヴァンゲリオン」のエピソードは、第19話「男の戦い」で何回も観たそうです。 30分番組では史上最強に感じる長さ(1時間以上に感じる)で、 最後の方のシンジのデビルマンみたいな顔も好きなんだそうです。 (先生も締切直後なのに出来てない時はあんな顔をしているらしい。)

  • 「ガンダム」は好きな作品で、一番は「ゼータ」と「83」だそうです。

  • 「ネギま」の単行本の表紙で気に入ってるのは、9巻だそうです。

  • 赤松先生の好きなジブリ作品は「紅の豚」で、好きなキャラは「風の谷のナウシカ」のクロトワだそうです。 「紅の豚」は、オヤジのロマンに満ちあふれている作品だそうです。

  • 2004年11月現在、赤松先生が注目している漫画家は、浦沢直樹先生です。

  • 赤松先生の好きな漫画家は、 冨樫義博さん(HUNTER×HUNTER)。
    赤松先生の好きなアニメーターは、相澤昌弘さん(魔術士オーフェン)。
    赤松先生の好きな作画監督は、本田雄さん(エヴァ)と斎藤卓也さん(アウトロースター)。
    赤松先生の好きなイラストレーターは、NOCCHIさん(北へ)。
    赤松先生の好きなアニメは、「エヴァ」「Gロボ」「ビバップ」「マクロスプラス」。

  • 赤松先生は、自分の作品キャラの中で、
    ・ 親友にしたいキャラ・・・紺野みつね
    ・ 妹にしたいキャラ・・・鳴滝風香・史伽
    ・ 姉にしたいキャラ・・・雪広あやか
    ・ 恋人にしたいキャラ・・・青山素子
    ・ 妻にしたいキャラ・・・長谷川千雨
    ・ 娘にしたいキャラ・・・近衛木乃香
    ・ 仕事仲間(アシスタント)にしたいキャラ・・・絡繰茶々丸

  • 赤松先生の読むマンガ雑誌は、 少年誌から青年誌からオタク系雑誌、エロから麻雀からパチンコまで、一通り目を通しているそうです。 基本的に、好きじゃなくても読んでいるそうです。
    マガジンで愛読しているのは、「はじめの一歩」だそうです。
    以前、少女漫画は、なかじ有紀先生や岡野史佳先生などの花ゆめ系やLALA系などを読んでいたそうです。

  • 赤松先生は、潜水艦で暮らしたいと思っているほどのインドア派だそうです。閉所好きらしい。

  • 「ラブひな」連載終了後、赤松先生は昔の素朴なゲームとかフライトシミュレータに、はまっているそうです。 操縦桿ジョイスティックが楽しいらしいです。

  • 赤松先生の得意な作業は、CGIプログラムの改造です。

  • 赤松先生は、休みの日、ウルティマとCGIの改造をやっているそうです。

  • アジアの読者から、英語でメールが来ると最初はビビるそうですが、 実は向こうも不慣れな英語を初めて使う10才台の少年だったりすることが多いので、 先生も適当な英語で大丈夫だと思ったりしてるそうです。

  • 赤松先生の公式ページの対応。
    閲覧するのは、忙しいときは数十秒。 原稿が上がった直後などは、CGIプログラムの改造に数時間かけることもあるらしい。(今のところ最大の趣味) メールは主にiモードでチェックしているらしい。 先生は、ペン入れは非常に遅いですが、パソコン関連の作業速度は漫画家一を自負しているようです。

  • 赤松先生の公式ページは、HTMLのタグ打ちで作成しています。

  • 赤松先生の公式サイトの名称「AI Love Network」ですが、 元々は、パソコン通信PC-VAN内の「AIが止まらない」ボードに書き込みをする際、 ボードへの帰属を示すために、シグネチャーとして使われていたものでした。 名前の前に自己申告で「AI Love Network ○○支部」という表記をしていました。 これが後に、赤松先生公認のオンラインファンクラブが、 パソコン通信3ネット(PC-VAN、NIFTY、People)のファンによって組織された際に公式名称になりました。 (このファンクラブは自然消滅しました。) そして、先生がホームページを開設された際、名称として採用されたわけです。 ちなみに命名者は、PC-VANの清沢巧さんという方です。

  • 赤松先生は、睡魔には結構耐えられる体質らしいです。 でも、週刊連載ではすぐ次の締め切りが来るため、耐えても無意味なので、寝るそうです。

  • 赤松先生は、1年に3本くらいタバコを吸うそうです。

  • 赤松先生は、ビール好きですが、最近(2005年)は日本酒が好きになったそうです。 安い清酒をフグヒレ酒にして飲むのが好きらしい。

  • 赤松先生がよく観る映画は、洋画とアニメ、主にSF特撮映画らしいです。 DVDなどの圧縮メディアは、コマ送りや早送りが弱いので、今でも嫌いなんだそうです。 映像研究はLDに限るそうです。

  • 赤松先生が好きな作品曲は、「ラムネ色の夏」とか「はじまりはここから」だそうです。

  • 赤松先生がよく聴かれる音楽は、ジャズとかクラシックとかフュージョンが多いらしいです。 洋楽では、ポール(ビートルズ)の作曲力を崇拝しているそうです。 好きなジャズプレイヤーは、今田勝とかジョン・コルトレーンとかオスカー・ピーターソンだそうです。 倖田來未も好きらしい。 2005年11月現在、セルゲイ・ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番がマイブームだそうです。

  • 赤松先生は、20歳までモデルガン集めが趣味だったそうです。

  • 赤松先生は、エレクトーンを幼稚園から中2まで習っていました。6級の資格を持っています。

  • 赤松先生の卒業論文は、「計算機による古文の口語交換」で、国文学研究室では異色の卒論だったようです。 (広辞苑CD−ROMとターボ・パスカルを使って、古文のテキストを現代文に自動変換するもの。助動詞の活用をどうするかがポイントだそうです。) マガジンの新人賞と同時に書いていたので、一週間くらいで仕上げたらしいです。

  • 赤松先生は文学部の国文科に行ったくらい本は好きなんだそうです。 でも、漫画家になってからは、あんまり読まなくなったらしい。

  • 赤松先生のスポーツ歴は、小学4年から中学2年の途中までサッカー部、その後、軟式と硬式のテニス、 高校の体育では柔道、大学の体育ではラグビー(ウイング)をやったそうです。

  • 赤松先生は中央大学文学部国文科国語学専攻卒で、 在学中は漫画研究会とアニメ研究会と映画研究会に入っていました。 アニ研で「Final Project」「4月の雪」「9th」という作品を残しています。 「Final Project」ではタイトルバックの撮影とカット数点程度の関わり、 「4月の雪」ではキャラデザインと作画監督、「9th」ではほとんど制作の中心となって活躍をされました。
    「4月の雪」は、美少女が未知の生体兵器(銃)に右手を乗っ取られ、同じ境遇の人間との銃撃戦に巻き込まれていくという ちょっと「奇生獣」に似た設定のセル・アニメです。(制作時期はこっちの方が早いらしい) 内蔵された弾丸は9発。ラストの美女とのカラミが見物らしいです。
    就職の際は、映画やアニメより有利だと思ったので、 消去法で漫画家になったというのが大きい理由だそうです。

  • 赤松先生は高田馬場の早稲田予備校に行ってたことがありました。 高田馬場は狭くて臭くて汚くて、大好きな町なんだそうです。(^^;

  • 赤松先生は高校時代、成績が悪いけど、金持ちだったそうです。 担任先生(新田先生)には、かなりタチの悪い生徒の印象を持たれていたようです。

  • 赤松先生は、東京都新宿区の海城高校の出身です。パソコン部の部長でした。 OBとしては、徳光和夫氏に次ぐ有名人だそうです。

  • 赤松先生は、昔、ゼニガメを飼っていました。
    実家(川崎→国分寺)では、猫(名前はカイム)を飼っているそうです。 去勢したので大人しいらしい。

  • 赤松先生の弟さんはゲーム会社「スクウェア」の社員です。「赤松 智」という名前です。 (「FF X」のサウンドスタッフとして参加しています) でも、何のソフトも送って来ないらしい。(^^;

  • 赤松先生は、小学校4年〜高校2年まで、西武池袋線の東久留米に住んでいました。

  • 赤松先生は、幼稚園(島田幼稚園)から小学校1年(滝野川小学校)まで、 東京都北区の上中里駅近くにある西ヶ原団地に住んでいました。

  • 赤松先生は、生まれは名古屋で、田舎は山形で、育ちは東京と熊本なんだそうです。 (小学1年のとき東京から熊本(東町小学校)に引っ越して、小学4年のとき東京に戻る。) 公に出身地とされている神奈川県は、昔住んでいただけらしいです。

  • 赤松先生の誕生日は、1968年7月5日です。 (「AI止ま」のトゥエニー、「ネギま」の雪広あやかと同じ誕生日です。) 血液型はB型。右利き。 身長170cm。「ラブひな」連載時の体重は52kg。
    高校時代から変化はなかったのですが、結婚後に幸せ太りして、2003年6月17日に54〜56kg。 2003年10月11日に60kgを超え、2004年5月30日に64kgになりました。(理想体重 63kg)。 2008年11月4日現在、70kg。

  • 赤松先生のハンドルネームは、「(水野)亜和」です。 キーボードを英数入力にして「あ」「わ」と打つと、「30(=サーティ)」となるのは偶然らしいです。

  • 「赤松健」という名前は本名です。


    【スタジオのこと】

  • キャラの主線は手描きで、背景の線画や魔法陣などだけデジタル処理。 LightWave3Dで背景の舞台を作って、それをワイヤーフレームの形でプリントし、 市販スクリーントーンを手で貼って仕上げるそうです。 CGによるトーン貼りや写真のCG加工背景を使わないのは、何となく赤松スタジオのポリシーらしいです。

  • 赤松スタジオでは、原稿1枚に4時間以上かかるそうです。マガジンの中では長い方らしい。

  • 赤松作品に多用されている「消えていくグラデーション」のトーンは、 マガジンでは半分しか印刷に出ないので、単行本向けだとアシさんたちは言っているそうです。

  • アシスタントによって「影の付け方」に差が出るのを防ぐため、 他のスタジオでは、作者が青鉛筆で影指定を入れているそうですが、 赤松スタジオでは、影指定も全部アシスタント任せになっています。 そのため、よく見ると、アシスタントの癖が出ているんだそうです。 髪の毛のベタにも違いが出ており、特に素子の髪のテカリはアシスタントによってかなり違うそうです。

  • CG彩色はほとんどチーフのまぎぃさんがやってます。 カラートーンだと、大体みみかきさんの仕事です。 「AI止ま」のセル画は、スタッフ全員が塗る技術を持っていました。 セル画でも何でも、先生が1回教えるだけで、アシスタントは全員すぐ覚えてしまうそうです。 週刊だと、先生がカラーを塗る時間はほとんどないそうです。 というか、赤松スタジオはアニメスタジオに近い分業制なんだそうです。 先生の仕事は、ネームと線画だけだそうです。

  • 赤松先生が思うアシさんたちの不満は、「ペン入れが遅いこと」だそうです。

  • 「AI止ま」終了後、週刊連載が取れそうだったので、 アシスタントの方たちをボーナスで縛り付けていたそうです。

  • 1999年6月からアシスタントを募集したところ、 編集部にかかってくる電話は、半分くらいが女性だったそうです。 でも「メシスタント希望」らしく、絵が描けない人ばかりだったので、全員不採用になったらしい。

  • 赤松スタジオの規定の睡眠時間は7時間です。赤松先生もアシさんも同じです。 ちゃんと寝ないと、年休3日は持たないためらしい。 ただし、締め切り前日と当日は、30分くらいになるそうです。 でも、その時でも、アシさんは5時間以上寝かせてるそうです。

  • アシスタントさんたちは、よく食べるらしい。スタジオの食費は年間○○○万円とか・・・

  • 赤松スタジオは禁煙です。 喫煙者のまぎぃさんはベランダで煙草を吸っているらしいです。

  • 赤松スタジオでは、毎年のクリスマス、赤松先生がサンタになって、アシスタントさん達にプレゼントを配るんだそうです。 (事前に何が欲しいか聞くらしいです。)

  • 赤松先生は、連載中、「ラブひな・ベスト」というCD−Rを作って、よく仕事しながらスタジオで聴いていたようです。 (CD表面にはタマのイラストが描いてある。) 一番聴いているのは、アレンジが素晴らしい「ラムネ色の夏」だそうです。

  • 赤松スタジオでは、仕事中、J−WAVEの番組「Oh My Radio」をよくかけているそうです。 CDは有限だからどうしても飽きてしまうので、FMか有線を聴く作家は多いようです。

  • まぎぃさんは、くだらないHラブコメが嫌いな人なので、昔はよく赤松先生とケンカしたそうです。 でも、最近は赤松先生が一言発しただけで考えが伝わるほどシンクロ率が高くなったので、不満は出なくなったようです。

  • まぎぃさんが単行本で裸なのは、単に面白いからだそうです。 「ラブひな」5巻で探していた携帯電話は、結局どこかに行ってしまったらしいです。

  • チーフのまぎぃさんが京都出身なので、方言チェック係も兼ねているそうです。 でも、東京に来て長いので、最近は多少あやふやになっているらしい。 また、担当編集(東京出身)がセリフを変更する場合もあるようです。

  • 赤松スタジオは、給料が高いためか(単行本が出るたびにボーナスも出る)、 拘束時間が長い割には定着率が非常に高く、アシスタント募集をすることはほぼないそうです。

  • チーフのまぎぃさんも大学の漫研の後輩で、「AI止ま」の途中からの付き合いだそうです。

  • アシさんたちは、中央大学の漫画研究会&アニメーション研究会の出身者です。 欠員が出ると、後輩からうまい人をスカウトしたりするそうです。 (例外は、古参MMとA女史)

  • 名前は、漫研でのあだ名をそのまま使っています。Mが多いのは偶然だそうです。

  • 赤松スタジオのアシスタントさんたち

    「AIが止まらない!」時代 (敬称略)
    破軍星テラジ まぎぃみみかきMAX
    第1期(週刊期 1994. 3〜)   
    第2期(月刊期 1994. 9〜)    
    第3期(安定期 1994.12〜)    
    第4期(その後 1995.12〜)     

    ※破軍星さんの代表作: 紀久子やペーター4のキャラデザ。背景の女の子。下着。
      まぎぃさんの代表作: ビリー・Gのキャラデザ。24話の天使の羽。
      みみかきさんの代表作: 21話の特殊効果。24話の雪。
      MAXさんの代表作: 23話のホテル。24話の最終ページの駅。

    1995年11月に、破軍星さんはスタジオを退職しました。
    入れ替わりに、Yさん(漫研2年)が入りましたが、家庭の事情でレギュラーにはなりませんでした。
    2005年現在、漫画家を目指してバイト中だそうです。

    1996年2月から、スタジオ初の女性アシスタントであるK原さんが入りました。
    (当時、K女子大人文学部の3年生。でも中大漫研に所属。小柄でショートで無口で綾波レイ似。
     下宿が原付で10分と近かったため、スタジオの雑魚寝生活をせずに済むのが採用理由とか。)

    1996年4月から、Iさんが入りました。

    「ラブひな」時代以降 (敬称略)
    名前 出身地 血液型 備   考
    まぎぃ 京都出身 AB型 チーフアシスタント。別名:影の作者。
    ネーム・仕上げ・カラー・ペン入れまで何でもやる人らしい。
    MAX 東京出身 A型 トレス背景の達人。アクション仕上げのオーソリティー。
    複雑でカッコイイ背景は大体この人らしい。
    みのる 東京出身 A型 1999年の春から、べてぃさんと入れ替わりで入った方。
    哲学科卒の言語マニアで、マンガやアニメに興味がない人らしい。
    資料写真の現地撮影担当。
    みみかき 東京出身 A型 モブ(群集)や料理などアイテム系が得意。
    水滴や影の美麗効果や花などの演出はこの人らしい。
    「ラブひな」で退職したが、「ネギま」でヘルパーをしている。
    しのはら 埼玉出身 B型 女性アシさん。1999年の夏からスタジオ入り。
    よく食べる人らしい。(^^; 「ラブひな」で退職。
    綾永らん 福井出身 B型 2000年9月からスタジオ入り。
    女性ヘルパーさん。 「ラブひな」で退職。
    その後、「ウルトラジャンプ」で「R.O.D -READ OR DREAM-」を連載。
    サイトー   2000年9月からスタジオ入り。
    「ラブひな」で退職。
    べてぃ     「ラブひな」初期から1999年春までスタジオ入り。
    美少女系同人誌の経験者で、モブなどを担当。

    2002年12月から、新人アシスタントのNさんとYさん(先生の後輩・前Yさんとは別人)が入りました。
    Yさんはソフトハウスに勤めていた元社会人で、「Light Wave 3D」を使用して、3Dモデルの背景を担当しています。

    2003年4月12日から、プロの女性アシスタントの尼崎さん(A女史)が入りました。 小畑健スタジオや有名先生のところにいた人らしいです。誕生日は4月4日。 2005年4月に退職。 2006年1月現在、三浦建太郎先生のアシスタントをしているそうです。

    2005年1月8日に公式サイトで、アシスタント募集が告知されて、同年3月よりMHさんとMKさんが入りました。 (50名くらいの応募があったようです)
    MHさんは、原画担当の現役アニメーターらしい。
    MKさんはアシ経験者で、アニメ・ゲーム・フィギュア・特撮・声優に詳しい人らしい。

    2005年12月に、まぎぃさんと綾永らんさんが結婚されました。
    2006月1月5日、ホテルニッコーグアムで結婚式が行われました。
    まぎぃさんのらんさん観・・・裏表のない素直な人。鈍い自分には大変合っている。
    らんさんのまぎぃさん観・・・思いやりがあって優しくて穏やかな人。本が好きで本ばかり読んでる。
    2008年10月7日に、男の子が生まれました。

  • 赤松スタジオの移転経緯
    第1拠点: 神奈川県川崎市多摩区S町
    第2拠点: 東京都多摩市W町(1996年1月16日以降)
    第3拠点: 東京都多摩市S町1丁目(2002年9月25日以降)
    第4拠点: 東京都多摩市S町4丁目(2003年5月2日以降)
    第5拠点: 東京都新宿区西新宿(2005年4月29日以降)


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