NO. 発行 掲載内容<JPGマークのあるものはJPGファイルにてご覧頂けます>
1 1998年
就任挨拶・・・副住職就任式の挨拶原稿。これが発行のきっかけとなった歴史的文書。JPG
2 1991年夏 盆・・・夏はやっぱりお盆の話。JPG
3 1991年秋 鐘の音 ・・・寺で撞かれる朝夕の鐘には、どんな意味が秘められているのか。JPG
4 1992年冬 仏壇・・・4〜6号は試行錯誤の時代。仏教に関わる基本的なタームの説明です。JPG
5 1992年春 位牌・・・位牌の「牌」は麻雀の牌と同じ字です。JPG
6 1992年夏 戒名・・・戒名は死者の名前でなく、お坊さんの名前。JPG
7 1992年秋 祐信和尚の西遊記・・・祐信の初めての中国旅行の記録。弥勒菩薩の浄土、五大山に行きました。JPG
8 1993年冬 涅槃会 ・・・12年に1度の長谷寺の涅槃会がもうじきです。JPG
9 1993年春 涅槃会と花まつり・・・涅槃会がお釈迦さまの命日なら、花まつりは誕生日。JPG
10 1993年夏 観音堂・・・小学生の西原李枝画伯描くところの観音堂。最初で最後のカラー印刷。JPG
11 1993年秋 四国遍路・・・2年半かかった四国霊場の巡拝がいよいよ結願。
12 1994年冬 父と点字・・・郷里の父が定年退職して始めたボランティア活動の話 。
13 1994年春 鳴門と戦争・・・今も続く、もと徳島海軍の特攻隊員との交流。
14 1994年夏 猫の恩返し・・・長谷寺に伝わる民話。
15 1994年秋 花の乱と長谷寺の浅からぬ関係の話・・・NHKの大河ドラマ「花の乱」と長谷寺にはどんな関わりが?
16 1995年冬 徳島幕府の初夢・・・三好長慶が徳島幕府を開いた?
17 1995年春 磨崖仏・・・大分県国東半島への旅。磨崖仏に隠された意味とは?
18 1996年夏 西国順礼・・・いよいよ参拝が始まる西国観音霊場の歴史。マップ付き。
19 1995年秋 いちょう・・・長谷寺のシンボルの大いちょうが、鳴門市の天然記念物になりました。
20 1996年冬 ふさつ・・・鳴門結集に伝わる行事「ふさつ」の解説。
21 1996年春 長谷寺周辺お散歩マップ・・・タウン誌『まちかどプレス』で紹介された「お散歩マップ」をさらに詳細に。
22 1996年夏 千手観音・・・西国観音霊場5番葛井寺の千手観音との出会い。
23 1996年秋 ミニ観音霊場参拝マップ・・・大正時代に開かれ、荒れたままになっていた裏山のミニ霊場を復興。
24 1997年冬 阿波にもあります西国霊場・・・江戸時代に開創された阿波観音霊場の話。マップ付き。 
25 1997年春 牛に引かれていざ善光寺参り・・・6年に1度の善光寺のご開帳。西国霊場の最後にはなぜ善光寺にお参りをするのか?
26 1997年夏 書斎俯瞰図・・・妹尾河童さんの俯瞰図の手法で祐信の書斎を眺めたら。
27 1997年秋 ちょっと早いけど除夜の鐘・・・「大晦日」はなぜ「おおみそか」と読むのか。108つの意味は。
28 1998年冬 節分・・・「節分」とはどういう意味か。オマケ「土用」とは何か。
29 1998年春 駅路寺・・・長谷寺は阿波の駅路寺。今年は開創500年。
30 1998年夏 棚経・・・棚経の「棚」とは? 「七夕」との関係は?専属のきり絵師雨宮正幸さんの得度式など。
31 1998年秋 土葬と火葬・・・檀家さんの墓地から土葬の甕棺発掘。火葬の習慣など。
32 1999年冬 法会を十倍楽しむ方法−その1−・・・長谷寺で12年に1度行なわれる大法会の楽しみ方。プロローグと鳴門結衆の話。
33 1999年春 大法会を十倍楽しむ方法−その2−・・・境内に立てられた巨大卒塔婆の話。本堂の本尊と五色の糸でつながっています。
34 1999年夏 大法会を十倍楽しむ方法−その3−・・・「理趣経法」と呼ばれる法要の話。本堂の内陣をぐるぐる歩きながら経を読む、不思議な法要です。そのオープニングからフィナーレまで。
35 1999年秋 大法会を十倍楽しむ方法−その4−・・・過去帳と過去帳読みたての話。東大寺の修二会と鳴門大法会の関わり。名前の神秘、など。
36 2000年冬 大法会グラフィティー−前編−・・・大法会の写真集、準備とプレ・イベント編。60枚を越える写真で綴った大法会の記録。
37 2000年春 大法会グラフィティー−後編−・・・大法会の写真集、メイン・イベント編オプション付き。今回はメインの法要の写真。「これが仏前結婚式だ」など。
38 2000年夏 お地蔵さん群像・・・境内の北向地蔵堂改築の落成を記念して、長谷寺の最大派閥、お地蔵さんたちの話。
39 2000年秋 坊主憎けりゃ・・けさまで話そう・・・行道はなぜ右廻りか。右といえば、袈裟の話題まで。恰美術館の幽霊供養の話。
40 2001年冬 新世紀しょっぱなの提案・・・戒名は仏教徒としての名前。あなたもいまのうちから戒名を持ちませんか、というお話。「百日紅」10年史など。
41 2001年春 祭りだ、合掌!・・・「冠婚葬祭」の「祭」とは、いわゆる「お祭り」のことじゃないんですね。それは先祖供養のことなんです。「新世紀の顔」2題。
42 2001年夏 祭りだ合掌!-その2-・・・命日や法事の執行率、揚法事の話など。実録、小塩祐光住職大僧正昇補祝賀会。
43 2001年秋 華岡青洲と接近遭遇・・・長谷寺の過去帳に、あの華岡青洲の患者の名前が! なな、なんとお弟子さんまで。
44 2002年冬 長谷寺の建掛塔・・・「塔」っていったい何だろう。1階部分しか作られなかった、長谷寺の幻の三重塔の話
45 2002年春 なさすぎた春・・・ぼくにはかつて満喫できなかった春が2度あります。とてもつらかった高野山での修行の話。
46 2002年夏 裏山のお不動さん・・・長谷寺の裏山にはとても素朴なお不動さんのおわす、小さなお堂があります。この不動堂と、ここで再開した護摩祈祷の話。
47 2002年秋 6つの曜日・・・大安や友引などの「六曜」は、いわば大安曜日や友引曜日。日曜日や月曜日を気にしないのに、なぜ友引曜日を気にするの?
48 2003年冬 7つの曜日・・・1週間とは何か。七曜はなぜ星の名前なのか。またその配列にはどういう意味があるのか。
49 2003年春 絵でよむ般若心経・・・江戸時代の東北地方で作られた、「絵よみ」の般若心経を、なんときり絵で復元。これなら文字が読めない人でもお経がよめます。
50 2003年夏 湖北に十一面観音を訪ねる旅・・・わが長谷寺の本尊は十一面観音。その十一面観音があまたおわす、琵琶湖の北部地域を訪ねました。そこは信仰のとても篤い地域でした。
51 2003年秋 湖西に長谷寺本尊のルーツを訪ねる旅・・・長谷寺の本尊は、奈良の長谷寺の本尊と同じ木で作られたと伝えます。その奈良の長谷寺の本尊が彫られた木は、湖西の山中から流れ出た霊木でした。
52 2004年冬 もしかしてお寺は美術館!?・・・香住の大乗寺、京都の善峯寺など、名刹にはなぜか、あまたの美術品があります。長谷寺は名刹ではないけれど、田舎寺なりの美術品があります。
53 2004年春 アテネ五輪に勝手に連帯・・・仏教には長く仏像のない時代がありました。また仏たちの中には、ギリシャでお生まれの方もいてはります。
54 2004年夏 永代供養を考える前に・・・出生率の低さが永代供養を増加させています。永代供養で慌てて位牌をお寺に預けなくても、ちゃんとわが家で供養できる方法をお知らせします。
55 2004年秋 喪中葉書の季節ですが・・・喪中葉書についてのお尋ねが多いです。くだらないハウツー本のせいみたいです。喪中葉書など出さなくても、罰せられることはありません。
56 2005年冬 涅槃会です・・・いよいよ12年に1度の涅槃会の当番がまわってきました。涅槃会はお釈迦さまの命日の供養。2月15日が命日とされていますが、「15日」には特別の意味があります。
57 2005年春 涅槃会グラフィティー・・・記録係の神田さんが撮りまくった75枚の涅槃会の写真。みんなが楽しんでいる雰囲気が、伝わりましたらご喝采。
58 2005年
戦死者たちの還暦・・・今年は敗戦の昭和20年に亡くなった方の61回忌。戦死者供養とはどうあるべきか考えてみました。「のげの地蔵さん」の数奇な運命の物語もぜひお読み下さい。JPG
59 2005年秋 お寺の鐘と戦争・・・戦争で戦地に送られたのは、決して兵隊さんたちだけではありませんでした。戦さに翻弄された梵鐘たちの、数奇な運命の物語。JPG
60 2006年
将軍たちと阿波国・・・室町幕府10代将軍足利義稙は撫養(鳴門)の地で亡くなったと伝え、孫の義栄は阿波の勢力をバックに将軍になります。日本史上、阿波が最も輝いていた時代の物語。JPG
61 2006年
戦国時代の木津と城・・・長谷寺の西方にある木津城。最近の発掘作業で分かった驚愕の事実。そして中世の木津の姿。歴史に関心のない人にも、見逃せない話です。JPG
62 2006年
天女たちの歓迎会 63傘寿の顔・・・前年に完成したミニ霊場の登り口のコンクリートの段。この20メートルほどの擁壁に、壁画が完成。9人の天女が舞いおりました。天女たちの歓迎会をフルカラーで報告。JPG
63 2006年
傘寿の顔・・・1926年(大正15年)に開創された裏山のミニ霊場が、今年で80年になります。傘寿を迎えた観音さんたちのお顔をクローズアップしてみました。みなさん、とてもいい顔してはります。JPG
64 2007年
晋山式を終えて・・・着任16年めで、祐信が晋山(しんざん=住職になること)いたしました。その着任式の様子を、写真でレポート。35年ぶりに復活した「梨小唄」の楽譜付き。JPG  
65 2007年
花の歳時記・・長谷寺は、いつでも境内のどこかで、可憐な花たちに会える「花の寺」。その四季の花たちが、紙上で一堂に会しました。・・。JPG
66
2007年
仏教と音楽・・・寺でコンサートというのが都会では普通のことになってきました。本来、仏教の法要自体がコンサートそのもの。寺と音楽は、深いえにしで結ばれているのです。JPG
67 2007年
お香の話し・・・お葬式や法事など、仏事ではなぜきまって香を焚くんでしょうか。「匂い」というもののもつ属性から、この謎に迫ります。必読!JPG
68 2008年
新春
イチョウのうてな−解説篇−・・・念願の永代供養墓が完成し、「イチョウのうてな」と名づけました。プランから開眼供養、そして永代供養墓のコンセプトまで、これを読めば一目瞭然・・・。JPG
69 2008年
イチョウのうてな−ビジュアル篇−・・・前号に引き続き「イチョウのうてな」の話題。計画から工事、そして開眼法要までの写真を集めました。オールカラー版。「うてな」の緑が鮮やかです。68号とあわせてご覧ください。JPG
70 2008年
布施の話し・・・「お布施はいくら包んだらいいですか?」なんて尋ねられますが、布施は修行。財産に対する欲を捨てるという、「布施波羅密」という修行なんです。JPG
71 2008年
過去帳の話 −その1 仮過去帳−過去帳シリーズは、亡くなった順に書き継がれてきた「仮過去帳」の話から始まります。そこには長谷寺と地域の歴史が刻まれています。JPG
72 2009年
新春
過去帳の話 −その2 本過去帳と新過去帳−・・・明治維新と情報革命というふたつの大きな変革期に、過去帳の姿も大きく変わりました。明治と平成に作られた過去帳の話です。JPG
73 2009年
過去帳の話 −その3 長谷寺の過去帳群−・・・明治と平成の過去帳作りで抜け落ちた仏たち。この無縁仏たちをどう救い出し、供養しているか。永代供養の仏たちも新しく加わり、長谷寺の過去帳世界は賑やかです。JPG
74 2009年
過去帳の話−その4 さまざまな過去帳たち−・・・過去帳と呼ばれるもののの中には、行事などのために作られ、役目が終わると廃棄されるものもあります。これも過去帳には違いありません。JPG
75 2009年
高野山参拝小史・・・夏をしめくくる高野山の団体参拝を始めて、もう10年。この10年に前史を加えて、「小史」の形でまとめてみました。。JPG
76 2010年

『死者のゆくえ』・・・人々は、死者たちがどこに行くと考えてきたか。その変遷を追った、佐藤弘夫さんの著書を詳しく紹介しました。読み応えのある名著です。JPG
77 2009年
石を訪ねる(上)文字を刻まれる石たち・・・寺には多くの石が使われています。中でも石碑には、文章や名前が刻まれて、寺の歴史をいまに伝えています。JPG
78
2010年

石を訪ねる(中)拝まれる石たち・・・石は寺では、石仏や墓石など、拝む対象としても活躍しています。また長谷寺には経文が記された、「経石」と呼ばれる珍しい石もあります。今回はそういう信仰、礼拝の対象に使われている石たちの話。JPG
79 2011年
新春
石を訪ねる(下)いつずえたち・・・石なんて、ふだんはあまり注目を浴びるものではありません。それでも彼らは、寺や境内を支えるという、とても大切な役割を担っています。今回は、石とかかわる職人さんにも、スポットを当ててみました。JPG
80
2011年夏
今次大法会の記念事業は、客殿と庫裏の改築です。老朽化した庫裏では、来るべき震災に耐えられないだろうと考え、改築を決めました。まる2年かかった改築工事をアルバムで報告。今回は前篇です。JPG
81 2011年
○庫裡改築工事のアルバムの後編。庫裡が完成したのは2010年秋。年が明けて開催した落成報告会や、周辺の工事の様子も紹介しています。PDF
82
2012年
新春
○2011年秋に行われた大法会の記録の前篇です。今回は、準備の様子を紹介しています。JPG
83
2012年

○大法会アルバム(本編+付録) 2011大法会の本番編です。スタッフたちの活躍を中心に紹介しています。  JPG
84
2012年

○四国遍路つれづれ(前篇) 長谷寺の過去帳には、多くの遍路たちの姿もあります。札所や遍路道からはかなり離れた長谷寺に、なぜ遍路たちの足跡があるのかを、四国霊場に特有の「お接待」を通じて考えます。PDF
85
2013年
新春
○四国遍路つれづれ(後篇)・・・ 信仰のためというより、ただ生きるために、接待を求めて遍路になった者も少なくありませんでした。四国ではそういう人をヘンドと呼び差別したこともありました。四国霊場の歴史は、美談ばかりではありません。PDF
86
2013年

○仏像への長い道(前篇)・・・仏像たちのモデルはお釈迦さんです。しかし仏像になったお釈迦さんの顔は、国や地域によって見事に異なります。本当の釈迦の顔なんて誰も知らないわけです。そんな釈迦とは似ても似つかない顔をもった仏像をなぜ拝めるのか。PDF
87
2013年
○仏像への長い道(後編)・・・ 釈迦の死後弟子たちは、その遺骨や遺物を、釈迦そのものとして崇めました。それらはたしかに釈迦の痕跡だったからです。釈迦その人とは無縁だった仏像が礼拝の対象にされる背景には、この遺骨が深くかかわっていました。 PDF
88
2014年
新春
○還暦と数え年 ・・・祐信は今年で還暦になりました。還暦は、自分が生まれた「暦に還る」ということで、生まれた暦の甲午が来れば還暦です。だから当然正月に迎えるもので、年齢でいえば数え年61歳。満年齢ではまだ59歳です。PDF
89

2014年
○仏たちの誕生 ・・・仏といえばお釈迦さんのことでした。しかし仏教の思想的展開の結果、阿弥陀仏とか、薬師仏とか、数々の新しい仏たちが生み出されます。PDF
90

2014年

○菩薩の話(前篇) ・・・・仏教には、仏と同じ信仰の対象として菩薩がいます。姿は仏とはいささか異なるものの、仏と同じように崇められます。しかし釈迦の仏教には 、まだ菩薩は出てきません。菩薩とは誰か。そしてなぜ生まれたのか。PDF
91 2015年新春 ○菩薩の話(後編) ・・・菩薩は、悟りを求める存在のことで、悟りを得たいと思ったなら、あなたも今から菩薩です。観音菩薩や地蔵菩薩と同じ立場になれます。しかし、悟りを得るためには、膨大な修行を積まなければなりませんPDF
92


2015年夏
○高野山との出会い−空海と祐信−・・・今年は高野山開創1200年。空海の高野山開創説話の背景には、どんな歴史的真実があるのか。祐信はいかにして高野山と出会い、鳴門の生臭坊主になってしまったのか。附録は長谷寺の参拝旅行20年史。PDF
93 2015年

○毘沙門堂修復・・・昨2014年の台風で、毘沙門堂の瓦が落ち、平成の大修理とも呼べるような規模の修復をしました。毘沙門堂と呼ばれても、正体は塔です。他のお堂と違い、ここだけはなぜか東を向いていますPDF
94


2016年新春
○脚気地蔵の話・・・お地蔵さんの下から、お遍路さんの墓出現? 90年前に再建された木津元村の脚気地蔵堂の修理工事で、墓石が見つかりました。言い伝えの遍路の墓なら、稀有の発見です。PDF
95  2016年
 ○寿命と子供・・・長谷寺に残る過去帳を手掛かりに、寿命と子どもの死について考えてみました。それによると、戦前までの平均寿命は、40歳あたりだったことが分かります。これは動物としてのヒトの命の長さとして、妥当な数値といえます PDF
96


2017年新春  ○涅槃図の入院・・・長谷寺に伝えられた涅槃図は、ひどく傷んではいますが、とても古く、歴史的な価値のありそうなことが分かってきました。思い切って修復することにし、この修復を涅槃会の記念事業としました。PDF
97 2017年
盆経と施餓鬼会・・・お盆に施餓鬼会をする寺が多いです。しかし盆と施餓鬼会は本来別のものです。施餓鬼会とは何か。布教師の辻雅榮さんの法話も掲載 PDF
98 2018年
新春
〇河内の真魚やん・・・空海は長い間、讃岐の善通寺で生まれたと信じられてきました。しかし、実際は河内生まれではないかという、いとも魅力的な説を紹介します。 PDF
99 2018年
・・・涅槃図の退院…修復に出していた涅槃図が戻ってきたので、浄財を寄せてくれた皆さんに集まってもらって、報告会をしました。その報告号。「ビフォー」と「アフター」の写真も大公開。 PDF
100 2019年
新春
〇古文書展・・昨年、県立文書館で開催された、「長谷寺の古文書展」。開催までの経緯と、いくつかの文書を解説しました。
「百日紅」は、100号をもってしばらく休刊いたします。ご声援ありがとうございました。 
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管理人 熊谷祐信

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