地域の人々の願いを集めて、西国霊場が創られました。 花祭りの縁日には、それぞれのお堂の寄進者が、そのお堂の前で接待をし、多くの参詣人が集まりました。
戦後、一度は廃れてしまいましたが、近年、復興し、 参拝者が戻り始めています。
「金属類回収令」により、梵鐘と半鐘を供出。
このときは、多くの仏器も供出の憂き目に会い、かわりに陶器の仏器を使いました。このときの仏器は今も残っています。
写真は、市内の供出記念法要の時のもの
旧本堂(方丈)と薬師堂(大師堂)を解体し、ひとまわり大きな本堂に生まれ変わりました。
法要は、主にここで行なわれます。
左手前の玄関は、旧来のもの