神奈川県にある江の島には、その昔、そこに住む稚児と鎌倉の若い僧が恋に落ちたが、
住む世界が違いすぎるということで周囲から反対され、残念ながら実ることがなかった。
稚児は、悲しみに悲しみ抜いた挙句に大海が見渡せる江の島の崖から身を投げた。
恋の相手の悲運に苦悩した若い僧もその崖から身を投げ後を追ったという伝説がある。
その絶壁の崖を[稚児が淵]という。
鎌倉は今から800年くらい昔、この国の政治を司る中心地になったこともある場所であることは
言うまでもないことか。また、一年を通して、社寺の様々な行事や四季折々の花々などに誘われ
観光客で賑わいを見せる町として久しい。
ぼくはその江の島と鎌倉に特別な思いがある。あれは昭和59(1984)年の夏、17歳のこと。
初めて北海道から一人上京し、ぶらりと行ってみた鎌倉。そして洲鼻(すばな)通りという
江の島へと続く小道を歩き進み、突然目の前に立ち現れた憧れの江の島。
ぼくの目には観るもの全てが輝きを放って見えた。その時から、この場所をフィールドに作品を
作りたいと考えてきた。
あの感動から約20年の月日が経つ。
その後何度も江の島と鎌倉を撮って写真展を開催したいと思っていたが、
なぜか本気になれなかった。そこに浸っているだけで満足していたのかもしれない。
5年前に1年半だけ湘南の鵠沼海岸に居を移したことがある。住むところが変わると視線も変わる。
湘南に対するぼくの視線も変わった。そこには加速度をつけて作品を作ろうとする自分がいた。
江の島がある、通称・[湘南]地域一帯は、一年を通じてのマリンスポーツと夏季の海水浴場として
賑わい、その隣りに位置する鎌倉は長い歴史があり、昔と今が混在する場所でもある。
なお、タイトルの『稚児と大仏』の【稚児】は、江の島に伝わる「稚児が淵」伝説と
毎年3月に行われる「稚児行列」に因んでと、【大仏】は有名な長谷高徳院「鎌倉大仏」からつけたものだ。