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11年前はまだ高校生だった。

 8月にマジックが点灯してからあれほど1つ消すのに苦労していたドラゴンズが、なぜかM6からはさくさくと減らしてしまった。おまけに巨人も連敗で、9/30日時点でM1にまで減ってしまった。下手すると今日決まるかもしれない。本日のドラゴンズは神宮でヤクルト戦。考えてみれば神宮といえば最も近い球場、この機会に行かないでおられようか?

 が、ちんた、いかんせん詰めが甘い。前日、4万人入る神宮球場の同カードが3万人しか入ってなかったと聞き、「じゃ、後から行っても入れるよね〜」とたかをくくりチケットもなく、おまけに残業なんかもしちゃってから、神宮球場に行く。・・・・そりゃ、入場券あるわけないじゃん(^^;)。無情というか間抜けにも、「本日全チケット売り切れ」との張り紙。ちなみにダフ屋価格は3回終了時で4万5千円

 が、入れなくてもこう言うときは魚心あれば水心、ちゃんと居るんですよ、そういう仲間が。

 球場の外側の通路、おそらく三塁側を歩いていると、二人組が新聞紙を引いてその上に座り、ポケットテレビを置いて観戦している。こんな日にこうまでして見ているのはおそらくドラファン・・・。ということで、ちんたもその中に加わり一緒にテレビ観戦させてもらう。

 ちょうど、この時3回裏。古田の3ランにより4−0でドラゴンズはリードを許している。

 ちんたが街頭テレビ観戦を始めた頃から、わらわらとちんたの後ろにも街頭観戦組が加わる。本日、フジテレビは横浜スタジアムの横浜−巨人戦と神宮球場の二元中継。この期に及んでもそんな中継の仕方するかフジテレビ(^^;)!

 4回表、二死から立浪、久慈、カズキの連続安打で2点返す。2点もリードを許しているにもかかわらず、この時点で「イケる」という雰囲気ができてしまったのはかなり本当。テレビ観戦組、さらに増えてくる。
 しかし、ポケットてれびなんだぞ。おまけに二元中継なので中日戦の映っている面積は2センチ四方も無い(^^;)。そんなテレビに200人近い黒山の人だかりができている。戦後復興期の街頭テレビ状態である。東京のどこにこんなドラゴンズファンがいたんだ!?

 「今日はうれしいっすよぉ。優勝よりも、東京にこんなにドラファンが居ることがわかったのがうれしいすよお」
 そ、そのキモチはわかりすぎるほどにわかるぞおっ!!

 街頭テレビ組はくちぐちにドラゴンズへの思いを語っている。ドラ歴26年の人なんてのもいる。
 「だいたいさぁ、この3連戦でドラゴンズが3連勝するなんて思わないじゃん、おまけに巨人が連敗するなんて思わないじゃん。だから俺、神宮での優勝決定はないと思って次の横浜スタジアムのチケットを押さえちゃってるんだよね」
 わはは、そりゃそうだ。ワタシもそう思うぞ(^^;)。

 6回表に3安打で1点返す。一本安打が出る度に神宮外苑大盛り上がり、みんなで狂喜乱舞。

 この頃、神宮球場のあっちゃこっちゃで暴動・乱闘が頻発していたらしい。街頭テレビの近くでも、チケットが無く中に入れなかったドラゴンズファンが「入れろ〜!!」と暴れている(そんな無茶な(^^;))。で、今度はそれに警備員がキレまくりにキレて応戦。ガッションガッションと何かを叩く音。
 ちなみに聞いた話では外野席ライト側でも喧嘩があっちゃこっちゃで頻発。77番と星野監督の背番号のついたシャツを着ていたドラファンが回りのヤクルトファンにフクロにされていたとか。77番背負ってるんなら仙一キックの一発も返せよな〜。ライト側の喧嘩はテレビには映らなかったけど1つや2つじゃなくて結構盛り上がっていたらしいよ(^^;)。
 あとで入り口の方に行ってみたら、そこにも、とり押さえられた二人が警備員に羽交い締めにされながら、まだののしりあっていた。
 「おまえが先に手を出したんだろうがぁ!」
 「はぁ?俺が?何時何分何秒!?
 うおお、20年前の幼少期を彷彿とさせる黄金の応酬。俺が警備員だったら笑いこらえるのに必死だな、こりゃ(^^;)。

ちなみにこの頃、外野席のダフ屋価格は10万円にまで跳ね上がっていたらしい。

 8時半。試合進行のやたら早い横浜スタジアムは9回表、巨人最後の攻撃になっている。

 「これってさぁ、もしかして優勝を一番最初に知るのは球場の中じゃなくてテレビ見てる俺達なんじゃないの?」

 あ、それはそうかもしんまい。だが、誰の顔にも「巨人の負けで決まっちゃうのはなんかなぁ」という思いが多かれ少なかれあるようなそぶり。巨人もうちょっと粘ってみそ?と思うのだけど、巨人最後のバッター石井があっさりと終わり、優勝決定。

 みんななんのかんのと言いながら、とりあえず街頭テレビを囲んで200人で万歳三唱。
 うれしくないわけはないさ。

 が。やはりみんな勝ちたかったんだよ、8回表、久慈、井上、中村の3連打でついに5−4と勝ち越した時には神宮裏狂喜乱舞、抱き合う人、握手、握手、ハイタッチ、握手、握手・・・もみくちゃである。優勝決定よりも盛り上がっている神宮外苑。ビールで祝杯をあげる人。そしてまた万歳。

 えらいよな、この1.5インチのポケットテレビも(^^;)。

 ラジオ情報によるとスタンドではウェーブが起こっているらしい、1周、2周・・・回っているらしい。外から聞いていても波が近づいて遠ざかっていくのがよくわかる。街頭テレビ組も誰ともなく「ウェーブやろう」と言い出し、ウェーブをかける。

 わー・・・・・・。

 ウェーブは3秒で終わってしまった。所詮200人。しゅん(^^;)。(実はみんなけっこうばかっちょなので、それにも懲りず「3秒ウェーブ」を4、5回やってた(^^;))

 もう、ドラゴンズファンなら、1度リードしてしまえば、それがたとえ1点リードであろうと、勝利を疑う者などいない。当たり前だろう、まだ落合、サムソン、宣が残っているのである。負けるわけがないのである。

 「88年は最後が源治でさ」
 「82年は小松だったよな」

 自然に口々に過去の優勝の思いでなんかが語られている。
 テレビの方もクライマックス。おなじみの守っている野手一人一人のアップが映る。

 「これだよな、これこれ、この雰囲気、長かったよなぁ」

 しかし、宣が気合いが入りすぎたのか二死ながらランナー1、2塁。バッターは「万が一」が起こりうるペタジーニである。

 「これさぁ、ペタジーニのサヨナラで試合終了とかなっちゃったら間抜けだよな」

 げ(^^;)、それだけは勘弁してくれ〜。

 が、我々の心配をよそに宣はペタジーニはきっちり押さえる。優勝決定。

 神宮裏手、最高潮。舞う紙吹雪、抱き合う人、おっとビールまでかかってきたぞ、びしょびしょだ、握手、握手、握手。そして三度万歳。万歳三唱なんてもんじゃない、万歳十五唱くらい。いつまで続くのかと思うような万歳。いつまでも続けと思う万歳。勝った。勝った。本当に勝った。

 みんなポケットテレビの持ち主に口々に「ありがとう」「ありがとう」と握手をして三々五々と別れていった。

 ちんた、その後、たまたま神宮でしりあったドラゴンズファンと青山に流れて祝杯。祝杯。おいし。おいしい。おいしいよぉ。お酒を飲めるようになってから初めてのドラゴンズの優勝。こういうものだったのか、と思いながら、味わう。


で、一緒に飲みに行った人にチケットだけもらいました。う、うれしい(^^;)

 帰り道。外苑西通り、つい、燃えよドラゴンズを大声で歌ってしまうワタクシ。気分は舟木一夫
 11年。うん。11年なんだよな。

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